目次

投稿日:2021-01-29 | 最終更新日:2023-10-04

「この世界の真実」シリーズ最終回(たぶん)。この世界の真実について過去に「この世界の真実(仏教編)」とか「悟りの真実」とか記事を書いてきたけど、そのころより断然理解が深まってきたので「この世界の真実(最終解答編)」とタイトルをつけて図解と共に解説してゆきたい。

初めてこのブログに辿り着いた方へ
このブログの「読み方マニュアル」
つぎに「このブログについて」を読んでもらうとこの記事への理解が深まると思います。

この世界の真実(図解)

図について

この世界の見取り図

こちらは映画「TENETテネット」の考察内で、TENETの世界観を説明する為に描いたものを、ちょっと手直ししたもの。この図は「この世界の真実」を説明するのにとてもわかり易いものになっている。

この図の意味するところを解説しながら私たちの生きている世界の構造を解き明かしていく。TENETの考察とかなりかぶるところもあるけれど、TENET考察を読んだ人にもまとめとしてわかり易いものになっていると思う。

大切なポイント3つ

1.世界は「自我」を持つ人間が創造した

私たちの世界では、私たち個人それぞれが自我を持っている人間である。そして、自我を持つ人間こそが「創造主」なのである。つまり私たち一人一人が「自分の目に見えている世界」を創造していることになる。

2.「始まり」と「終わり」が重なっている

白い円は「宇宙・人間の誕生」が起きた瞬間、と同時に「宇宙・人間の消滅」が起きる場所。始まり(原因)と終わり(結果)は重なっている。『原因と結果はひとつ』という絶対的真理で構築されているのがこの世界。

3.時間の流れには「未来へ進む流れ」と「過去に戻る流れ」がある

私たちの世界は時間が未来方向へ流れているのが原則である。しかし私たちが気がついていないだけで、時間は逆行している時がある。過去の出来事を思考しているとき、私たちは過去への時間旅行をしている。

この図の見方

この図は「自我」を中心として、

  • 縦方向・横方向の空間
  • 未来・過去への時間の流れ
  • 精神状態

が平面に表現されているようなもの。この章では、図が表している空間の意味、時間の意味をそれぞれ説明していく。

空間について

赤い円(自己・実体・地球)

赤い円の中は「自己」を表している。「自己」はたった一人で、「他者」と対になるものとして考えて欲しい。自己とはなにか?以前書いたこちらの記事からの引用。

自己…世界を含めた自分の存在
世界を認識しながらそこに自分が存在する事実そのもののこと。

私たちは現実というリアリティーのある場所で「自分のこと」を認識しながら生きている。赤い円はそんな「自己」を表している。私たちのほとんどが普段生活していると思い込んでいるところがこの赤い円の中である。

ここは「目に見える世界」で、私たちが存在する地球のことも表している。つまり、この記事を読んでくれている人の多くは赤い円の中に居るはずなのだ。目に見える世界は実体のある世界ということ。

青い空間(他者・投影・宇宙)

赤い円の外側にある青い空間は「他者」を表している。「他者」は「自分以外の人」を意味していて、「自己」の対になるものである。「自己」から見る「他者」は青い空間に居るということ。

青い空間は宇宙をも表している。私たちが地球(赤い円)から空を見上げると太陽や月や星が見えるが、距離が遠すぎるので、そのものの形ははっきりと見えないし、光としてしか見ることができない。

このように青い空間は「目に見えない世界」をも表していて、そこは実体のない投影(心の中)の世界である。

白い円

ここは実体の世界と投影の世界をまたいでいる場所。空間で言うと、地と海が重なっている場所。方角で言うと、北と南が重なっている場所。重なっているからこそ人間には理解できない空間になっている。

グレーの空間(中心)

中心にある「自我」と書いてあるグレーの円について。この場所は「自我」を持った「自分」を表している。空間の中心に存在している自分の居場所がこの中心のグレーの円。

実際ほとんどの人は、自我のことを理解していないのでグレーの中心部分には居ないのであるが、中心部分に「自分」が居ると仮定しているのがこの図。

時間について

右回りの赤い実線(現実世界)

赤い円の一番外側にある右回りの赤い実線について。こちらは未来に進む時間の流れを表している。時間は通常未来へ流れている。だから私たちは老いる。

現実世界というものは普段わたしたちが存在しているところであると言えるけれども、実際は『現実を受け入れて生きている人』が体験している時間の流れのこと。ここで言う現実世界は場所ではなく時間のことを表す。

未来に進む時間を生きている人は、現実世界で起きる「苦しみ」も受け入れた上で生きている。そんな人は右回りの赤い実線の上を生きているのである。

未来に進む時間は「生のタイムライン」。赤い実線の先を見ると、そこは白い円の上半分にある「始まり/生」に繋がっている。未来が明るい人にはその先にある「救済」が約束されている。「救済」とは『解脱すること』である。

ここでひとつ注意したいのは「受け入れること」と「諦めること」は全くの別物である。これを混同している人がいるので、しっかりと区別してほしい。苦しみを「受け入れること」は前向き(未来へ進む時間)で「諦めること」は後ろ向き(過去へ戻る時間)の考え方。

左回りの青い破線(精神世界)

赤い円の内側にある左回りの青い破線について。こちらは過去に進む時間の流れを表している。過去に時間が進むことは私たちに理解することができないこと。けれど実際には起きていること。私たちは未来に進む時間だけを生きていると信じている。

しかし、人間が過去を悔やみ過去の出来事に囚われているとき、時間は過去へ戻っている。人間は生きていると必ず「苦しみ」を経験するが、その「苦しみ」を受け入れられない人は過去のことばかり悔やむ。「現在の自分」を過ちを犯した過去の自分や、過ちを犯した他者に重ねてしまう。

心の中で過去のことを悔やんでいる人は、精神世界という過去に戻る時間を生きている。けれど、他者から見たら現実世界に存在しているし、自分自身も現実世界に居ると感じているのだろう。

過去に戻る時間を生きている人は、現実世界に起きる「苦しみ」を受け入れることができないまま生きている。そんな人は左回りの青い破線の上を生きているのである。

過去に戻る時間は「死のタイムライン」。青い破線の先を見ると、そこは白い円の下半分にある「終わり/死」に繋がっている。未来が暗い人にはその先に「死」が待っている。

白い時間

ここは空間の時に説明したように、人間が知覚できない場所であり時間である。この白い円が意味するのは、自分が「生まれた瞬間」と自分が「死ぬ瞬間」である。「始まり」と「終わり」2つの瞬間が重なっている。

グレーの時間(外側)

こちらは一番外側のグレーの部分。赤・青・白、全てを包括しているのがこの部分。つまり、未来に進む時間・過去に戻る時間、生まれる瞬間・死ぬ瞬間を全て理解している状態で、それらを区別していない状態でもある。

中心にあるグレーの部分と外側のグレーの部分は繋がっている。中心にいる「自分(自我)」は外側のグレーの部分にアクセスできる。

ここまでのまとめ

赤と青と白とグレーの意味するもの

ここまで説明してきたことをいったんまとめてみる。図を見ながら確認してほしい。

この世界の見取り図

赤い円について
自己…ひとり
地球…私たちが生きている場所
実体…目に見える世界

右回りの赤い実線について
現実世界
未来に進む時間の流れ
「苦しみ」を受け入れながら生きること
始まり(生)に繋がっている

青い円について
他者…多数
宇宙…私たちは生きられない場所
投影…目に見えない世界

左回りの青い破線について
精神世界
過去に戻る時間の流れ
「苦しみ」に囚われながら生きること
終わり(死)に繋がっている

白い円について
2つのものが重なっている
人間は知覚できない
空間…地と海、北と南
時間…生まれる瞬間と死ぬ瞬間

グレーの円について
世界の中心点である/「自我」を持った「自分」のこと/未来に進む時間・過去に戻る時間、生まれる瞬間・死ぬ瞬間を全て理解している状態/赤・青・白を区別しながら区別しない/外側のグレーの部分と真ん中の「自我」の部分を自由に行き来できる

対になるものと独立するもの

この世界のものは基本的に対になっている。独立しているものは「自我」だけである。「自我」の詳しい説明はのちほど。

対になっているもの

空間
実体(地球)⇄ 投影(宇宙)
自己(男性性)⇄ 他者(女性性)
時間
未来に進む(現実)⇄ 過去に戻る(精神)
生(North/地)⇄ 死(South/海)

独立しているもの

自我(全ての中心)

赤い円・赤い実線についてもっと詳しく

赤い円まとめ
自己…ひとり
地球…私たちが生きている場所
実体…目に見える世界

自己とは何か

自己を感じている人

まずは自己についてのお話。当たり前のことであるが、普通の人間だとしたら「自分」という存在を認識しながら世界(社会・世間・外国など)の存在も信じているはずである。

私たちは朝、眠りからさめると「自分」として活動を始める。そしていつも通り、自分とは関係なく世界も動いていることを知っている。

『世界の中に自分は居る』という認識を持っていれば「自己」を感じていることになる。そう感じているならば赤い円の中に存在しているということ。

内側にある青い破線、外側にある赤い実線を含めた赤い円はしっかりと「自己」を感じている「自分」ということになる。「自分」が地球に存在していると思っていれば、この赤い円の中に居る。

自己を感じていない人

しかし、最近は「自己」さえも感じられない人々もいるのかもしれない。「自己」を感じることは人間の基本であるはずなのに、世界の中に居るはずの「自分」の存在を疑いはじめる。

「自分」は何の為に存在しているのか?「自分」はこの世界に必要な存在なのか?そんな思考が頭の中を駆け巡り、深みにはまっていくことがある。

そのまま戻ることが出来ない場合「自己」が無くなってしまう危険性がある。赤い円から青い空間へと移動してしまう。その件についてはこの後の「青い空間」の章で説明する。

赤は世界を受け入れること

右回りの赤い実線まとめ
現実世界
未来に進む時間の流れ
「苦しみ」を受け入れながら生きること
始まり(生)に繋がっている

赤い円の中に居る状態は、あくまでも「自己」を無くしていない場合の「自分」である。そして現実世界の中にしっかりと居場所を感じているのならば、赤い円の中のさらに赤い実線の上に存在している状態。

目に見える世界(地球や自己)」を受け入れていれば、未来に進む時間(赤い実線)を生きていることになる。例えば友人と仲良くできていたり、親としての役割を負っていたり、責任ある仕事を任されていたり。現実世界をなんとか頑張って生きている状態である。

赤い空間(自己)と赤い実線(現実世界)は同じ性質のもの。赤は「目に見えるもの」を表す。

青い円・青い破線についてもっと詳しく

青い円まとめ
他者…多数
宇宙…私たちは生きられない場所
投影…目に見えない世界

他者とは何か

外側の青い空間(他者)は赤い空間(自己)の対になるもの。当たり前のはなしであるが、「自分」は世界の中にたった一人しか存在しないから、その他大勢は「自分」ではない「他者」である。

赤い空間である「自己」を中心に考えると「他者」は宇宙に存在するもの。私たちは、決して「他者」になることができないから「他者」の気持ちを完全に知ることもできない。だから「他者」は「宇宙」なのだ。

宇宙という場所は手が届きそうで届かない場所。人間はなんとか宇宙に行けるようになったけれど、選ばれた人、訓練を積んだ人のみが行ける場所。それと同じように「他者」を理解することはとても難しいこと。精神の訓練を積んだ者しか「他者」の気持ちはわからない。

他者という宇宙

精神の状態

この図は現実の空間を表すものでもあるし、精神の状態を表すものでもある。「自己」は「他者」を受け入れることを目標としている。精神の成長が進むと、少しずつ他者を受け入れることができるようになる。完全に他者を受け入れた時が「自我」を持つ瞬間で、その瞬間に中心のグレーの空間に立つことができるようになる。

ここで注意したいこと。図の中では青い空間が「他者」を表す。その青い空間に溶け込むことが完全に「他者」を受け入れた時、だと勘違いすることがある。しかし正しく「他者」を理解できるのは、中心のグレーの空間に辿り着いた人だけである。

宇宙に行ってしまう人

宇宙に強く関心がある人は、青い空間に溶け込んでしまうことがある。自分自身を宇宙存在だと感じたり、宇宙由来だと感じている人は青い空間に留まることを選び、グレーの部分を知ろうとはしない。グレーの部分は宇宙を越えた場所である。

青い空間に溶け込んでしまう人は『他者を理解した自分自身』を青い空間の中に見出してしまう。青い空間は実体の世界ではなく投影の世界。「投影の世界」は人間に夢を与え、大きな幸せを与えてくれる。

青い空間に溶け込んでしまう人は、宇宙という場所に『他者を理解した私』が存在していると思い込むことで、『全ての存在とひとつになる』という疑似体験をしている。

他者を受け入れるための訓練場

人間が「他者」を理解し受け入れるには、大きな「苦しみ」を乗り越えなくてはならない。その「苦しみ」というのは、実体のある地球で精神世界(過去へ戻る時間)を体験すること。左回りの青い破線(過去へ戻る時間)について説明した箇所をもう一度読んでほしい。

人間が過去を悔やみ過去の出来事に囚われているとき、時間は過去へ戻っている。人間は生きていると必ず「苦しみ」を経験するが、その「苦しみ」を受け入れられない人は過去のことばかり悔やむ。「現在の自分」を過ちを犯した過去の自分や、過ちを犯した他者に重ねてしまう。

人生で「困難」に立ち向かうことは、現実で「苦しみ」を体験すること。その時、青い破線の上に居る状態である。青い破線の上を生きることはとても「苦しい」。

けれど人間は青い破線である「死のタイムライン」を経験するからこそ、赤い実線である「生のタイムライン」を生き抜こうと決意できたりもする。

しかしこの「苦しみ」に疲れてしまう人たちは、赤い実線の上に存在することをやめてしまう。そして、宇宙という未知の場所に憧れを抱いて、意識だけを宇宙空間に飛ばすようになる。

青は世界を受け入れていないこと

左回りの青い破線まとめ
精神世界
過去に戻る時間の流れ
「苦しみ」に囚われながら生きること
終わり(死)に繋がっている

「目に見える世界(地球や自己)」を受け入れていないのならば、過去に戻る時間を生きていることになる。「目に見える世界」を受け入れないことは「他者」を受け入れていないことも意味する。

「他者」を理解することが「苦しい」から意識だけを「他者という宇宙」に向ける。これが宇宙に行ってしまう人々。実体のある地球で実際に「他者」と向き合いながら理解することなく、「他者という宇宙」に意識を向けて、幸せだけを享受するのである。

投影の世界の中に「自分」が存在していると強く想うことは、実体のある地球に存在する「自分」を消す行為である。いずれ「自己」が消えてしまう。

だとしても、死を迎えるまでは、実体としての肉体は赤い円に存在している。意識だけを「他者という宇宙」に移行したとしても、実際は赤い円の中の「青い破線上」に存在しているだけなのである。

青い空間(他者)と青い破線(精神世界)は同じ性質のもの。青は「目に見えないもの」を表す。

グレーの円についてもっと詳しく

グレーの円まとめ
世界の中心点である/「自我」を持った「自分」のこと/未来に進む時間・過去に戻る時間、生まれる瞬間・死ぬ瞬間を全て理解している状態/赤・青・白を区別しながら区別しない/外側のグレーの部分と真ん中の「自我」の部分を自由に行き来できる

自我は全てを包括する

内側の赤い円と外側の青い空間を含めた全ての円の中心が自我である。画像ではグレーで表している。一番外側もグレーで囲っているけれど、これは全ての世界を包括していることを意味する。そして中心に自我を見つけることができた「自分」がいる。

この図は現実世界の空間を表すものでもあるし、精神の成長段階を表すものでもある。自己は他者を受け入れることを目標としている。精神の成長が進むと、少しずつ他者を受け入れることができるようになる。完全に他者を受け入れた時が自我を持つ瞬間で、その瞬間に地球の中心に立つことができるようになる。

前章から再掲。「自己」が「他者」を完全に受け入れることができた時、人間はしっかりと宇宙の中心に「自分」の居場所を固定することになる。つまり「自分が在る」ということをはっきりと理解できている状態である。

世界の中心に自分がいる

「自己」が「他者」を完全に受け入れるにはどうしたらいいのか?それには、全ての「他者」に対してしっかりと境界線を引き「他者」と「自分」を強く区別すること。そして、全ての「他者」の存在を否定せず、完全に認めること。

「他者」と「自分」を強く区別しながらも「他者」の存在を完全に認めること。「他者」を強く否定しながらも「他者」を心から信じること。相反する感情が自分の中に同居したとき「自我」が確立する。

その作業が完了した時、世界の中心が「自分」であることを強く意識することができる。これが『自我を持つ自分』である。地球の中心、宇宙の中心、全ての存在の中心に「自分」が居るということが理解できるようになる。

この状態は、世間ではエゴと呼ばれるかもしれないが、全ての中心に立つことができたらエゴの真実を知ることになるだろう。とにかく人間はエゴのことを知らない。何故ならエゴの真実を知ることを恐れているから。だから深く踏み込もうとせず「自我」に到達する前に死んでしまうのである。

こちらの記事では『他者を区別しながら他者を認める方法』について書いているので、この記事を読んだ後にでもぜひお読みください。

男性性(赤)と女性性(青)

この世界の見取り図

心の中にある性別

赤い円である自己には「男性性」という性質がある。青い空間の他者には「女性性」という性質がある。これが何を意味するのか説明してゆく。

人間には「男」と「女」という性別が存在しているが、実際には心(精神)にも性別が存在している。私たちが頭の中で思考し判断を下すときに、「男性性」という心の性質と「女性性」という心の性質がそれぞれ考え最終的にひとつの答えを出すようになっている。

つまり心の中には2つの性質が存在していて、それぞれの性質のバランスによって、判断も変わってくる。基本的には性別が男性であれば、心の中は「女性性」が主体となり決定権を握っている。性別が女性であれば、心の中の「男性性」が主体となり決定権を握っている。

実体のある自己と男性性

弱肉強食の世界

「人間(自己)」には男か女の性別があるけれど、それは人間各個人のおはなし。図のように、この世界全体で見てみると、「他者」の対になる存在である、大きなくくりで考える「人間(自己)」は「男性性」の性質を持っている。

実体というのは目に見えるもの。私たちは地球という場所で人間の身体を持って活動している。地球のルールは「男性性」を主体としている。地球が「強い者」が生き残る弱肉強食の世界であることは誰でも知っていることである。そして、人間の行動も「男性性」を主体にしたものである。

私たちは男性性から逃れられない

赤い円は男性性の性質である「強さ・決断・論理的・区別すること」などを意味する。この男性性の性質を嫌う人も多いけれど、地球に存在する限り「男性性」を主体に行動することが決まっている。

例えば、食べること・働くこと・産むこと。これら行為も「男性性」を行動原理としている。産むことは「女性」しかできないけれど、それは人間各個人のはなしで、この図のように大きなくくりで見ると「男性性」が支配しているということ。

人間の行動は「男性性」が決定権を握っているから「自らが生き残る」ことを最優先にしている。そのおかげで人間という種族はこの地球のトップに君臨している。

自然を破壊し住むところを構え、動物を殺して栄養とし、一番栄えているのが人間である。人間の行動が「男性性」に支配されているから必然的にそうなっている。

自然を破壊したくない、動物を殺したくない、という強い思考を持っていたとしても「人間」として生きているだけで「男性性的行動」を取っている。

投影である他者と女性性

他者は存在しない

さて、青い空間は他者で宇宙で投影である。女性性の性質は「調和・曖昧・直感的・受け入れること」など。青い空間はそんな「女性性」の性質を持っている。

つまり「他者」そのものが「女性性」の性質ということになる。人間(自己)は「男性性」の性質を持っていると言ったが、そうなると他者も「人間」であるから矛盾しているように思える。しかし、他者は「実体のある人間」ではない。

ちょっと意味がわからないと思うが「他者」は目に見えないものを表すから、実体がないのである。つまり「他者」など存在していないのだ。私が言う「人間」は実体が在るもの。この世界において実体が在るのは『自分という人間』だけなのである。

「他者」は実体を持った人間に見えるのだけれど、それはただのデータみたいなもの。人間のコピーとでも言えるのであろうか。わたしは頭のおかしいことを言っているようだけれど、これは紛れも無い真実である。とはいっても、いきなり信じてもらえるとは思っていないのでとりあえず話を続ける。

他者は全てを受け入れる者

「他者」が「女性性」の性質を持っていることが何を意味するのか。人間(自己)が「男性性」を行動原理にしているのと同じく、「他者」は「女性性」を行動原理としているのである。つまり全ての「他者」は『調和や受け入れること』を表現するために、行動している。

しかし、私たちが人生で出会う「他者」は悪意を持っていることもある。世界には人間を殺す「他者」だって存在している。生きていれば「他者」に理不尽で許せないことをされた経験が誰しもあると思う。そんな行動が『調和や受け入れること』を意味するはずがない、と思うはずだ。

けれども「他者」の行動原理が「女性性」であることが、この世界の大切な真実である。そしてこれは人間(自己)にとって不都合な真実でもある。私たちには「他者」の行動が「男性性的行動」に見えてしまうものである。

自己(男性性)は区別する生き物

防衛本能からくる区別

そもそも「他者」の行動を見て『悪意を持っている』と感じてしまうのは「男性性」のしわざである。「男性性」は弱肉強食の中でも生き残れるように、自分以外のものを敵とみなす性質をもっている。

だから実体のある自分は「他者」を目の前にすると防衛本能が働いてしまう。自分に不都合をもたらす者には特に強い反応を示す。それが実体のある人間の性(さが)である。

しかし「他者」は正反対である「女性性」の性質をもって私たちに接してくる。「他者」の行動が「優しさ」に見えても「悪意」に見えても、その行動原理はどちらでもない。女性性の性質は「受け入れること(区別しないこと)」である。

自己は区別する

「他者」はデータであるから人間的思考(男性性的思考)は無い。「女性性」で行動するようインプットされた機械のようなものなのである。

しかし、私たち実体のある人間はどうしても「他者」を判断(区別)してしまう。「男性性」を行動原理としているから、「他者」の行動について常に判断(区別)しながらこの世界を生き抜いている。判断(区別)をしないことは、自分の命を脅かすこと。

私たちは「他者(データ)」を「人間」だと見なして、自分と同じような感情を持っていて、自分と同じような思考で行動していると感じてしまう。

けれども、他者の中に存在すると思われる悪意や善意は、実体の在る「自己」が判断を下している(区別している)だけ。『悪意のある他者』も『善意のある他者』も本当は存在していないのである。

私たち(自己)は「女性性」に基づいた行動をしている「他者(データ)」を見ているだけなのであるが、自己判断で「他者」の行動に意味付けをしている。各個人によってものの「見方」が変わるのはこのシステムのせいである。

世界には「自分」しか居ない

「他者」がデータ(投影)であることを見破ることができたら、自我が確立されグレーの中心部分に移動することになる。そして、この図解に描かれているような全てのシステムを理解できるようになる。

世界には「自分」しか存在していないことに気がつき、「他者」や「目に見える世界」も実体ではなく、投影(データ)であることに気がつくのである。まさに「水槽の脳」状態。実際は「脳」さえも存在していないのであるが…。

ここで少しだけ秘密をおはなしすると、唯一実体として存在しているものは「喉」のあたりにある。先程からわたしは『自己(自分)だけが実体である』と言及している。地球そのものや自分の身体も実体であると思われるけれど、唯一の実体(自己)は「喉のあたりにあるもの」だけということ。

この図の中で「自己」や「地球」に実体があるとしているのは、「唯一の実体」がこの世界をそのように設定したから。

だから、「自己(身体)」や「地球」は実体のあるものと考えておいてほしい。そして「他者」は投影(データ)であることも強く意識してほしい。この区別は重要なのである。今回の記事をややこしくしてしまうので、「唯一の実体」について、詳しくはまたいつか。

他者もどこかに実体が存在している

投影にも本体がある

自己以外のものは「投影(データ)」であるけれど、投影だからといって恐怖を感じたり、世界に意味を感じなくなってしまわないでほしい。仏教には「無我」という考え方があるが、それはこのシステムを説明しているだけであって、世界を「無我」で結論付けてしまうことは愚かなことである。

「他者」が人間的思考(男性性的思考)の無いデータだとしても、人間が知ることができない場所に本体が存在しているから、怖がらなくても大丈夫。わたしはよくゲーム実況者のFPSゲームを見ているのだけど、そんなイメージがわかりやすいかと思う。

FPSゲームとは、本人視点で進むゲームのこと。一人称視点であるから、まるで現実のように仮想世界を体験することができる。実体のある自分が「主人公」であるキャラクターを選び、仮想戦場に降り立つ。

自分以外の仲間や敵も同じゲーム内に存在していて仲間と協力して敵を倒していく。仲間も敵もゲーム内では同じ仮想空間に居るけれど、彼らにも実体があり、現実という場所でPCを使ってそれぞれのキャラクターを操作しているようなものである。

ゲームでは敵と撃ち合い殺し合うこともあるけれど、そこは仮想空間である。生き残ること、仲間と協力することを学ぶ場でもある。個人的に一人で生き残るゲームよりかは、仲間とともに生き残るゲームが好きである。

視点が変われば

自己=人間の本体(男性性)
他者=人間の投影(女性性)

自己から見て、他者は人間のコピーである。例えば、このブログを書いている「わたし」は自己であるから、本体である。そして、わたしの親や旦那や友達やこのブログを読んでくれている人は全て人間のコピーである。

しかし、今このブログを読んでくれている「あなた」は自己であるから本体である。そして「あなた以外の人間」は人間のコピーである。「あなた」にとって「わたし」はデータでしかない。このように視点が変われば、本体と投影(データ)が切り替わる。それがこの世界の不思議なところ。

赤と青が意味するもの

他者が存在する本当の意味

「男性性」の原理でしか行動することのできない「自己(人間)」に「女性性」のことを学ばせるために存在しているのが「他者」というシステムである。『受け入れること(女性性)』を学ぶために『実体のある自己(男性性)』が、世界の中に自ら「他者」という存在を投影している。

他者はデータではあるけれど「人間(自己)のために」行動しているので安心してほしい。他者がデータだとしても、そこに「人間性」を感じられないのだとしたら、学びが足りないのである。

このシステムを見破ることができない人間は「他者」に悪意を向け、傷つけることを繰り返す。悪意と思われる「他者」の行動の中に「女性性」を見出せないからこそ、人間は戦争を続ける。

青と赤は行き来するもの

青い空間や青い破線は私たち実体のある「自分」が成長するためのもの。「他者」や「過去に存在する悲しい歴史」は苦しみを与えてくるもの。けれど、苦しみを通して私たちに「受け入れること」を教えてくれるのである。

実体のある世界(地球)で体験する「苦しみ」の裏には、優しさや調和や平和が隠されている。青い破線の上で何度何度も「苦しみ」を経験し、成長して再び赤い実線に戻ることを繰り返しているのが私たちである。

青の世界で反省をして、赤の世界で前向きに生きる。「輪廻転生」という概念は死んでは生まれ変わることを意味するけれど『何度も過去に戻っては未来を進む時間に戻る』を繰り返すことも意味する。

一歩進んでは二歩下がることを繰り返し、長い時間をかけて成長する。そしていつかは必ず、私たち全員が「輪廻から解脱」することが約束されている。

関連記事:輪廻のしくみ

関連記事:精神世界(青)と現実世界(赤)について

後編へ続く

長くなってしまったので、後編へ続く。次回は説明しきれなかった白い円のことなどを詳しく解説していきたいと思う。

この図解が思い浮かんだのも「TENET」を観たおかげ。この図解を見ながら、世界に存在する物語と対比すると面白いと思う。物語というものは、私たちがこの世界のシステムを理解するためのもの。

映画「マトリックス」は「他者」がデータであることを教えてくれた。赤い薬と青い薬が登場するし、比較するのにはわかりやすいかも。この図解を使って今後いろんな物語の解説もしていきたいところ。

関連記事:この世界の真実(最終解答編)後編