目次

シン・エヴァンゲリオン劇場版を初日に観てきましたよ。既にアメブロの方に考察を書いているのだけど、さらに手直しして、転載することにした。というか、この素晴らしい作品についてはもっと丁寧に語らねばならない。

オカルトブログ的考察なので、エヴァ用語の詳しい解説とかはそんなにありません。けれど、エヴァンゲリオンという物語がいちばん伝えたいことを言葉にできる自信はある。当たり前だけど、ネタバレしています。まだ観ていない人は観に行ってから読んでくださいね。

わたしとエヴァ

エヴァとの出会い

簡単にわたしとエヴァについてを書いておく。わたしが初めてエヴァに出会ったのは旦那さんに連れられて、映画館で見た「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」である。それまでエヴァには興味がなかったが、なんかよくわからんが面白い、という感想だったと思う。

そこから、序、旧劇場版、テレビシリーズ、一通り観た。そして「Q」ももちろん劇場に観に行って、今に至る。エヴァにすごい思い入れがあるかというと、そうでもなく。けれどこれまでのエヴァを観てファンにはなっているし、シン・エヴァの完成を楽しみに待っていたのではある。

ちなみにQのストーリーについては、「シンジくんはいつまでもダメなやつだな」という感想を持っていて、ミサトさんの態度には結構共感していた。

序(1)破(2)Q(3)とシンエヴァ(123)

シンエヴァの公開は何度か延期されているけど、2021年1月23日公開とのお知らせが出たとき「123」という数字にぶつけてくるのは意味があるな、と思った。またまたコロナで延期になってしまったけれど。

序(1.11)破(2.22)Q(3.33)と、しつこいくらいの「123」という数字。この3つの数字については、前々から、このオカルトブログで説明しなければいけないものだと思っていた。

今回シンエヴァを観て、とても感動した。感動を言葉にしてみたら、感想というより考察になってしまったけれど「123」についてシンエヴァを通して解説できるちょうどいい機会となった。公開は3月8日になったけれど、3月11日の前に公開できたことに意味があると思う。

エヴァ用語に振り回されない考察

わたしの考察はエヴァンゲリオンに登場する単語や用語がエヴァの物語中で具体的にどういった役割を持つのか、というところではなく、単語や用語などを「象徴」として考えた考察である。

「象徴」というのは、私たちが生きているこの現実世界においてどんな意味をもっているか、ということ。エヴァンゲリオンという物語の世界の中の意味では無い。難解なエヴァ用語に縛られず、新劇場版が私たちに何を与えたかったのか、直球ど真ん中を解説できればと思っている。

なので、この考察を単なるエヴァンゲリオンの考察として読むと、ちょっと変な気持ちになるかもしれない。わたしはたまに変なことを言うけれど、そのあたりについてはリンクしてある別の記事を読むと意味がわかるかもしれない。

ということでシン・エヴァンゲリオンの考察をしていく。中でも「真希波・マリ・イラストリアス」というつかみどころのない人物について、しっかりと答えを出したい。そして「123」の数字の意味についても。

父と子の対話から生まれるもの

わたしが予想していたこと

映画を観に行く前日、序・破・Qとおさらいしながらカヲルくんはシンジくんの側面であるなーと思い、けれどやっぱりシンジくんはお父さん(ゲンドウ)を超えることが必要だから、予告映像の初号機vs13号機のシーンは「シンジvsカヲル」なのか「シンジvsゲンドウ」なのか、と考えていたけど後者だった。

よくよく考えれば、カヲルくんはシンジくんと一心同体だし、最後に戦うのはゲンドウってのは当たり前だった。つまり、シンエヴァンゲリオンではついにシンジくんがお父さんと向き合った。しかも、戦うことなく話し合ったのだ。

マイナス宇宙は時間が逆行する場所

父と向き合うため、シンジくんはたった一人でマイナス宇宙へ。そこはゲンドウの過去を知る場所であった。自分自身に真摯に向き合うとき、私たち人間はマイナス宇宙に行く。科学で解明されていないから、私たちはまだ気がついていないけれど。

映画「TENET(テネット)」でも時間を逆行するシーンがあるのだが、そこはマイナス宇宙と同じところ。マイナス宇宙がどんな場所なのかはテネットの考察でも詳しく書いているので、そちらもぜひどうぞ。

関連記事:「TENET」オカルト考察 その1

親と子の繋がり

マイナス宇宙は自分だけしか存在しない場所。自分以外誰もそこに入ることはできない。しかし、そこにはゲンドウとシンジくんで二人。シンジくんとゲンドウは元は同じ魂である。マイナス宇宙でゲンドウの過去を知ることになったシンジくん。過去に戻ること(生まれる前に戻ること)で魂も1つ(自分だけ)になる。

親とは過去の自分自身を表す。血というものは、親と子を結びつける絆(きずな)であり枷(かせ)である。良いところも悪いところも同じだけ受け継ぐ。面白いくらいに。シンジくんはマイナス宇宙で、やっとお父さんの気持ちを知ることになった。

全ての魂の父(ゲンドウ)と母(ユイ)

ゲンドウは死・ユイは生を表す

ゲンドウは「全ての魂の父」を表している。誰にでも平等に「死」を与える役割を持っていて、それがこの世界の掟だから役割を忠実にこなす。だからインパクトを起こそうとする。ゲンドウは現実世界で「死」を司っている。

けれど「死」へのきっかけは「全ての魂の母」である。ユイは現実世界で「生」を司っている。ゲンドウは「生(ユイ)」への憧れがあり、「生(ユイ)」の復活を強く望んでいる。

死の存在意義を知るシンジくん

ゲンドウは自分の心の安らぎのためにユイと一体になれる世界を求めていたけれど、そこは全ての生き物が死滅する世界。「死」は無機質で残酷で血も涙もないように思えるけど、シンジくんは「死」の存在意義を父を通して理解した。

シンジくんの中にあった他人を拒絶する心は、ゲンドウも同じく持っているものだった。シンジくんは、自分の行動がゲンドウの行動をそのまま再現していたことに気がついた。今までの父の行動が、自分も同じように感じていた「悲しみ」から起きていることを心から理解したのである。

ユイを失ったゲンドウの悲しみが「インパクト」を起こすための初号機を創り出す。レイを失ったシンジの悲しみが「インパクト」を起こす。つまり、失うこと(死)への悲しみが「インパクト」を起こす。

それを理解したシンジくんは、過去の自分自身であるゲンドウの悲しみを取り除く。「死(失うこと)」への恐怖を認めることで悲しみは消える、ということを父に伝えることができた。シンジくんにしっかりと受け継がれたユイの血による優しさがゲンドウを救った。

自分の中にあるものを見つけた男たち

シンジくん(子)の中にユイ(母)は生きていることを知ったゲンドウ。シンジくんを通してやっとユイに出会った。ついにシンジくんは「悲しい世界」を創り出す原因となるもの、つまり「死に恐怖し生を渇望するゲンドウ」を癒すことができた。

シンジくんは自分を創り出した神(ゲンドウ)の子なのだから、ゲンドウの癒しは自分自身の癒しにもなる。ゲンドウと同じくシンジくんも、父(死)を理解し、母(生)をみつけた。

私たちは死を通して生を知る。死(インパクト)を起こしていたゲンドウも、死(悲しみ)が起きる原因を誰かに押し付けていたシンジくんも、それら経験が「生(ユイ)」を知るために存在していたことに気がついたのである。

ループを創る創造神(ゲンドウ・シンジ)たち

電車を降りた(ループを創り出す仕事から引退した)ゲンドウに変わり、シンジくんは新しい創造神となった。ネオンジェネシス(新世紀)エヴァンゲリオンという「悲しい死(使徒)」が存在しない「新世界」を創造したのである。

男であるシンジくんは父と同じく現実で「死」を司るものである。だからいつも、インパクトを起こすきっかけになっている。死はループの終わりを意味する。そして生はループの始まりを意味する。

死は終わりであるけれど、目に見える世界(ループする世界)を創るのは男なのである。一方で、生は目に見えないものである。死(目に見えるもの)の中に生(目に見えないもの)は隠れている。私たちは「生」について考えたり、語ったりするけれど、意外とその実態を知らない。

3つの槍の役割について

人間に備わる3つの魂

父が死を、母が生を教えてくれる。やっとシンジくんが二人の気持ちを理解し自分という存在が父と母からそれぞれ受け継いだ魂を持つ、新しい魂であることを理解し、しっかりと個人(自我)が確立された。シンジくんは自立したのである。

ところで、1人の人間の中には3つの魂がある。父(死)の魂と、母(生)の魂と、子(自分)の魂である。キリスト教ではこれを「父と子と聖霊」と言う。

「父」が現実を創造しているゲンドウ
「子」は父と母から受け継いだもので新しい創造をするシンジ
「聖霊」は目に見えないけど、心の中に永遠に存在するユイ

ということである。そして、この3つの魂は、エヴァの世界ではそのまま槍に置き換えることができる。

父・ゲンドウ=ロンギヌスの槍
聖霊・ユイ=カシウスの槍
子・シンジ=ガイウスの槍

3つの名前を持つ古代ローマ人

ガイウス・カッシウス・ロンギヌスはカエサルを暗殺したローマの軍人。ロンギヌスの槍の名前の由来となった、イエスの脇腹を刺して死を確認した人物とは違う人物である。ガイウス・カッシウス・ロンギヌスは確かに存在していたようだ。「ブルータスお前もか」のブルータスと共謀してカエサルを暗殺している人物である。

調べてみると、古代ローマ人は3つの名前を持っているらしい。ガイウス(個人名)カッシウス(氏族)ロンギヌス(家族名)という感じ。

共和政ローマの時代までと、ローマ帝国(帝政ローマ)の時代を通して、古代ローマの男性市民は3つの名前(tria nomina)を持っていた。

wikipedia

「ガイウス」というのは「個人名」である。自立し、個人(自我)が確立されたシンジくんの物語の最後を締めくくるのが「ガイウスの槍」だというのはすごく納得である。

女性の役割について

個がない女

ところで古代ローマ人、女性には個人名がない。『女性は通常、個人名と添え名を持たず、氏族名(と家族名)の女性形で表された。』wikipediaより。

綾波も式波も大量生産された身体だったけれど、それが女の性質を表している。女性は個である必要はない。コピーし、増やすことが「生(女)」の力。そして、子(個)を産むのは、女である。

個(自我)はないけれど、生命の源なのだから、とても重要な役割。綾波は自分が何者であるのか、小さな村で学んでいた。式波は自分が何者かわからないから、エヴァに乗ることで自分を保っていた。この二人は女の性質(自分)がわからなくなってしまった現代の女そのものかもしれない。

女の性質を忘れてしまった女たち

現代は個が無いことに不安を感じている女性たちが増えている。女性であるだけで素晴らしいことであるのに、不安を感じるのは、生まれ持った性質を理解できなくなってしまったためである。

不安から、女が「個(自我)」を主張するようになってしまったから未婚も増えている。女が男性化しているから、男性と上手くいくことはない。男性も女性化しているようだし、現代はすこしおかしい。

おかしいけれど、それが地球の運命であったりする。女は男になりたい、男は女になりたい。それは「インパクト」を起こしたい人間の行動そのもの。ユイと一体になりたいゲンドウたちがあふれる現代は「インパクト」秒読みなのかもしれない。

真希波・マリ・イラストリアスの正体

人間には理解できない女

実は創造神(ゲンドウ・シンジ)の上に、創造神すらも超えた謎の女がいる。それがマリという存在。マリだけが女の性質を完全に理解した存在。そして永遠の象徴である。

女の性質を理解することはとても難しい。レイもアスカもミサトもリツコも、女であることに苦しむ存在であった。女でさえ理解できない、女の性質を完全に理解したマリは、私たちからみればなんだか謎の存在に映るのである。

永遠の象徴

マリは古さと新しさを併せ持ち、時間も自由自在にあやつる宇宙(虚構)の母と言える。時空を超えてずっと地球を守っている存在でもある。ちなみにユイは地球(現実)の母と言える。

マリはシンジくん(新しい神)が生まれる前からシンジくんを導いている。だからこそ、ゲンドウやユイの友人であり、シンジくんにとっては親の世代だったマリがシンジくんの恋人になるのである。シンジくんは新しい世界を創造した神となったのだから、永遠(マリ)を手に入れている、ということでもある。

永遠とは何か

「永遠」とは何を意味するのか?人間(エヴァに乗ることを受け入れられないこと)と、神(エヴァに強い意志で乗ること)との違いを考えるとそれが見えてくる。

人間=生と死に縛られている
神=生と死に縛られていない、永遠

「永遠」とは神の特権である。シンジくんは「神」になるために、エヴァに乗るか・乗らないかでもがき苦しんでいたが、最終的にマリ(永遠)を手に入れた。

「神殺し(自分殺し)」を目指すゲンドウは最終的に「ネブカドネザルの鍵」を利用し、人間(神の仮の姿)を捨てて、本当の神となった。頭を撃ち抜かれて脳みそが飛び出しても生きていたのだから「永遠の命」を手に入れている。

しかし、マリだけはエヴァ世界の中で既に永遠を手にしている「神」として活動していたのである。破から突然現れた、年齢不詳の女。見た目は若そうなのに、古い歌を歌う女。「永遠の命」を手に入れているからの表現である。

運命を握り、救済する者

Opfer「犠牲者・生贄」

マリは8号機でエヴァのマーク9,10,11,12号機を吸収しシンジくんを助けに行った。吸収したマークシリーズはオップファータイプと呼ばれていたけれど、オップファーはドイツ語で「運命」という意味らしい。…と、アメブロの方で書いていたが、よくよく調べるとOpfer(オプファー)は「犠牲者・生贄」という意味であった。

誰かの考察で「運命」と書いていたので、そのまま採用してしまったが「運命」というのもあながち間違っていないと思った。犠牲の上に成り立っている私たちの世界。戦争や自然災害を乗り越えて発展することは、地球の運命でもある。

全ての魂を救済する

マリは悲しい運命をつくるもの(アダムスの器4体?)を吸収して、シンジくんを真のアダム『全ての始まりの個体』に選んだということだろう。 アダムスの器たちは、悲しい運命を生きた生命たちを表す。それは「犠牲者」と言ってもいい。

シンジくんが「神」になる道のりまでに犠牲になった生命の魂はマリが「救済」し、その魂たちもまとめて新しい始まりへと導いたのであろう。やはり、マリは全ての運命(時間)を司る存在であることがわかる。

人間を愛するマリ

漫画版でマリはユイのことが好きなのだが、それもそのはず、宇宙の母は男も女も平等に愛す。地球そのものを愛しているので。創造神(ゲンドウ・シンジ)の創り出した現実世界では男は女を愛し、女は男を愛すことが掟である。だからこそ、レイはシンジを好きになるようにプログラムされている。たぶんアスカも。

マリがアスカを姫と呼び可愛がるのは、女であることを受け入れられず一番苦しんでいるのを理解しているからだと思われる。同姓だからわかるアスカの苦しみ。神であるマリは「苦しむ者」を一番に愛している。

アダムとリリスについて

月をルーツに持つ人間

ややこしいものをシンプルに

わたしはエヴァマニアでも考察勢でもないので、エヴァ世界の中で、アダムス・アダムスの器が何なのかしっかりと追っていない。調べようとしても、エヴァ用語の多さや難解さで、ややこしくてかなりめんどくさい。

しかし、この物語の言いたいことがわかると、自然とアダムやリリスの意味も見えてくる。ひとまず、テレビシリーズや旧劇場版などからまとめてみたアダムとリリスについて。

第1使徒アダム(白き月)とは何か

最初に地球に落ちてきた生命の源。アダムの卵。ここから「生命の実」を持つ第1使徒アダムが生まれた。「生命の実」とは、神の特権「永遠の命」を表す。アダムは無限のエネルギーを産みだす「S2機関」を持っている。第1使徒アダムは第3〜第17の使徒のお父さん的存在

アダムの持つ「生命の実」とは「永遠の命(S2機関)」という人間の手には届かないもの。人間(リリン)には必ず死があるから、アダムは神のような存在。

第2使徒リリス(黒き月)とは何か

白き月の次に地球に落ちてきた生命の源。リリスの卵。「知恵の実」を持つ第2使徒リリスが生まれた。第18使徒リリン(人類)を生んだ。

リリスの持つ「知恵の実」とは人間の「考える力」のことである。「科学の力」と言ってもいいのかもしれない。人間社会の発展には科学の力が不可欠。人間は地球上において、知恵で生き残ってきたようなものである。

アダムの子であり、リリスの子

wikipediaより、リリスの由来になっていそうなユダヤの伝承を引用する。

リリス(Lilith)は、ユダヤの伝承において男児を害すると信じられていた女性の悪霊である。

しばしば最初の女とされるが、この伝説は中世に誕生した。アダムの最初の妻とされ、アダムとリリスの交わりから悪霊たちが生まれたと言われる。そのリリスの子どもたちはヘブライ語でリリンとも呼ばれる。

wikipedia

シンプルに考えてみると、アダムが男でリリスが女。アダムはゲンドウ(父)でリリスはユイ(母)ということである。私たちはその子どものリリン(シンジ)なのである。

リリンのルーツは「白き月・黒き月」の両方にあるということ。人類が「アダムス」と呼ばれずに「リリン」というリリスをルーツとした名称を使用するのは、魂が「女」であるから。魂とは聖霊であり、目に見えないものである。

人間という悪霊たち

ユダヤの伝承ではリリンは「悪霊たち」と呼ばれている。これは人間が「悪魔性」を持っていることを表している。聖霊という目に見えない「善(ユイ)」を求めて、人間は様々な試みを行う。ゲンドウのように、意図的にインパクトを起こそうとしたり。

人間が目に見えないものを必死に求めた結果「災い」が降りかかることがある。現実世界では、それは「男性原理」と映るのであるが、「女性原理」を理解したいがために起こるものである。

男性原理とは「強さ・与えること・区別すること」、女性原理とは「弱さ・受け取ること・区別しないこと」。こんな違いがあるが、全ての「災い」というのは『ゲンドウがユイと一体になりたい』という現象から起きるものなのである。

原因は「女の存在」なのであるから、ユダヤの伝承でリリスが「女性の悪霊」と呼ばれてしまうのも仕方がないこと。女は男を惑わせるものであり、救うものでもあるから、二面性を持っている。

現代人は「災い」の原因を男か女かどちらかにもたせたがるものであるが、人間は「魂(女)」と「肉体(男)」で出来上がっているので、災いは「人間」が起こすものである。自分の中にあるもの(聖霊)に気がついていないからそれが理解できていない。

使徒とアダムスという災い

エヴァの世界で「使徒」や「アダムス」と呼ばれるものは、男性原理から起こる「災い」そのもの。人間が「目に見えないもの」を求めるあまり苦しみ、本来の目的を忘れてしまうと、それは大きな「災い」となるのである。

目的(目に見えないものを理解すること)を果たそうとしたけれど、どこかで道を外れ、悲しい運命を作ってしまった者たちが「使徒」や「アダムス」である。大きな「災い」は理不尽な犠牲者を生むもの。

人間は過去多くの過ちを犯しているけれど、人間は初めから悪ではない。生まれた時は皆純粋な心を持っている。リリス(善)の魂を持った人間である。マリは人間を愛しているから、そのことを理解している。オップファータイプを捕食したのは「悲しい運命を背負った魂」を受け入れる行為。

S2機関からマリへ

シンジくんは目に見えないものを正しく見つけることができた人類(リリン)である。始まりとなるアダムに選ばれる資格がある。地球に最初に落ちてきたのは、永遠の命(S2機関)を持っているアダムだった。永遠(マリ)を手に入れたシンジくん。最初に戻る物語になっている。

新劇場版には「S2機関」という言葉が登場しないのであるが、その役割はマリが担っているから。「永遠」を象徴するものを、無機質なイメージから人間であるマリに置き換えたことが、新劇場版の素晴らしいところだと個人的に思っている。

「永遠」が手に届かないものから、手に届くものに変わった。シンエヴァのエンディングにもそれが表されていると感じる。

現実で夢を実現すること

葛城博士と加持くんとシンジくんに共通するもの

ところで破で印象的だったのが、ミサト父の回想シーン。父は夢の中で生きる人だった、というミサトのセリフ。けれど、そんな父に助けられたミサト。

シンジくんも夢の中で生きる人だから、シンジくんと父を重ねていたミサト。シンエヴァで最後にシンジくんに託したのも父の存在があったからだろう。ミサト父と同じく、加持くんも命をかけてサードインパクトから助けてくれた。

最後には命を捨てたミサトさん。現実の中で生きたかった加持くんの意思を継いでいる子供のために、加持くんにとっての夢の世界(安心して農業ができる世界)を現実にするために、ミサトは死んでいった。

使徒がいる世界で農業をするのは、夢のような話。エヴァの世界では男の夢を実現するために、女が戦いの指揮をとっている。

初号機の左腕が表すもの

ニアサードインパクトの時の初号機

そして、初号機の左腕について語りたい。破のエンディング、ニアサードインパクトの引き金になってしまったレイとシンジくんの融合。シンジくんは「綾波が助かれば世界はどうなったっていい」と思っていた。

そして神へと進化をはじめた時、初号機の左腕は復活した。サードインパクトが起こりそうになったその時、それを食い止めたのはカヲルくんの投げた「カシウスの槍」だった。その瞬間再生したはずの左腕はまた消えた。

ゲンドウの左腕

初号機の左腕はシンジくんを抱きしめることができなかったゲンドウの腕を表しているのだろう。シンジくんを抱きしめることができた時「新世紀」は創造される。破の段階では、まだその瞬間ではないから、母の意思である「カシウスの槍」が投げられた。だから再生した左腕は、また消えた。

マイナス世界でシンジくんとゲンドウが分かり合えたときやっとシンジくんを抱きしめてあげることができたゲンドウ。初号機の左腕が再生して、両手がそろったシンジくんは新世界を創造した。左腕が再生した場面があったと思うけれど、わたしは号泣していたのでよく覚えていない。

左腕のバンダナ

ヴィレメンバーの左腕には加持くんの思いが込められたバンダナが巻かれていたことにも繋がってくる。ゲンドウの思いと加持くんの思いは実は一緒。

現実で生きる男性の思いとは、現実の中に夢(希望)を実現すること。ゲンドウの夢は「心安らぐ悲しみのない世界をつくること」であるし、加持くんの夢は「生物多様性のある世界をつくること」。男性というものは、やはり「生」を渇望している。

全ての男の願いを受け取ったシンジくん

シンジくんが男たちの意思を受け取ったとき、正しく世界が再生される。「世界がどうなったっていい」という間違った再生を引き止めていたのが「カシウスの槍(母)」だったのは泣けてくる。

「使徒のいない世界(悲しい死が存在しない世界)」を求め、全てのものたちの希望のために、自己犠牲を決意した時にだけ「ガイウスの槍」が与えられるのだ。ガイウスの槍もミサトさんという母が創って届けてくれたもの。

目標をセンターに

現実に「希望」を実現する、という強い意志を持ったときに初めて「個(自我)」が芽生える。シンジくんの名言『目標をセンターに入れてスイッチ』というやつも、目標がしっかりと定まり新世紀を創造するスイッチを押した未来のシンジくんを暗示していたのだろう。

「強い意志」は心のど真ん中、人間の中心に存在して動かないものとなる。それを「自我」と言う。中心(自我)が重要であることは別の記事でも書いているので、ぜひ読んでください。

関連記事:中心に存在する自我について

目に見えないもの(愛)を知らない人間

善の右腕・悪の左腕

母の右腕、父の左腕に抱かれているのが正しく初号機にのっているシンジくん。右腕左腕どちらも欠けてはいけないもの。古代ローマ人は右が善・左が悪という意識を持っていたらしい。善も悪もどちらも必要なものなのに、人間は悪(左腕)を遠ざける。

シンジくんの中にユイがいたように、「死(悪)」は目に見えるけれど「生(善)」は目に見えない。本物の「愛」は、目に見えるものの中にあるのに、わたしたちの目には見えていない。

目に見えるものと目に見えないもの

初号機の欠けた左腕が表しているものは、悪の意識(罪の意識)に隠れている「愛」そのもの。「死(ゲンドウ)」の中に存在している「生(ユイ)」のことである。

私たちの世界が「悲しい出来事」ばかりであると感じてしまうのは、悪(左腕)の中にも愛があることを正しく理解できていないから。辛いこと悲しいことが存在する世界には、最初から「目に見えないもの(愛)」も存在しているのに、「愛が欠けている」と感じているのが現代人である。

縄文人と現代人

土偶が教えてくれるもの

縄文時代の土偶の多くが「女」をかたどったもので、片方の足が欠けて見つかっている。初号機が、ユイ(女)を元に作られ、左腕がなくなってしまったのと同じである。これは太古も、現代も、根源的意識は変わっていない証拠なのだ。

「欠けていない」のに「欠けた者」が人間というもの。土偶を創る古代人は、自分たちが「不完全な存在(体の一部が欠けたもの)」であることをとってもよく理解している。そして母が元になっていることも理解している。

人間の創作物は、全てが「根源的意識」を思い出す為に作られている。エヴァンゲリオンという物語も、人間の集合的無意識から引き出されている「人間の本質」であることを知ってほしい。

腕(現代)と脚(太古)の違い

現代人が忘れているものは「目に見えないもの(善)」が自分の内側に存在していること。古代人は脚を欠けさせていて(土偶のこと)、現代人は腕を欠けさせている(初号機のこと)、という違いにもそれが現れている。

腕を欠けさせることは、心(精神)が欠けていることの表現。脚が欠けているのは、身体(現実)が欠けていることの表現である。

つまり、古代人は現実が「目に見えるもの(悪)」の世界であると知っているのである。「悲しい出来事」があるのは当たり前のことで、それを受け入れながら生きていた。けれど精神は欠けていないから、土偶のかたちを「女」にする。

目に見えないもの(愛)が内側にあることを理解しているから満たされているのである。それは、神の意識であるから、古代人は永遠を知っているということにもなる。

偶像崇拝する現代人

現代人は現実が「目に見えないもの(善)」の世界であると信じたくてしょうがない。現実の中に「虚構」がある、と思っている。古代人は虚構の中に「現実」があることを理解している。

現代人はみんな夢想家で、現実と虚構を曖昧にしている。だから「悲しい出来事」を受け入れることができていない。

受け入れることができない為に、目に見えるものに善(救い)を見出し、すがる。偶像を創り出し崇拝するのである。それは宗教であったり、欲望の対象であったり、人によって様々である。

欠けたものを取り戻す物語

自分の中に欠けたものを取り戻す物語が、新劇場版のストーリーである。精神(左腕)が欠けていると、現実世界そのものに影響を与えてしまうことになる。シンジくんのように、悪(ゲンドウ)を否定したり、向き合わないように生きることは、インパクトを引き起こしてしまう原因となるのである。

しかしシンジくんはゲンドウと向き合い、欠けたものを取り戻した。欠けたものは過去に存在する。欠けたものは親の世代に存在するから、時間を巻き戻した(マイナス宇宙へ行った)。最初に戻り、人間に欠けたものを取り戻すことが「人類補完計画」である。

ゲンドウはシンジくんによって、シンジくんはゲンドウによって欠けたもの(ユイ)を取り戻した。最初に戻って(根源に戻って)やっと本物の「愛」を知ることができた。「悪(ゲンドウ)」の中に隠れたものを見つけ出すことができたのである。

繰り返す世界

繰り返すことで忘れていく

エヴァンゲリオンは「繰り返す世界」を描いている。繰り返す世界とはループしているこの世界そのものである。私たちは実際に輪廻転生して、何度も生まれ変わっているのであるが、本気でそう思っている人は少ないのかもしれない。わたしは人間が輪廻転生している存在であることを信じている。

エヴァの世界は繰り返しすぎた結果、自分が「欠けたもの」であるということさえ忘れてしまった人間たちの世界。そんな世界では「インパクト」という絶対悪を起こす必要がある。悪の中にある「生」を思い出す為には、人類が半分死滅するくらいの悪が必要なのである。

ループ(輪廻)のしくみについて

繰り返す世界は「12」から始まって「12」で一周する。アナログ時計をイメージするとわかりやすい。一周したところで、ループ(輪廻)する世界は「インパクト」で終わる。一周したあとの次は「13(1)」である。

なぜ「13号機」の搭乗者がゲンドウかというと、再び悲しい世界(13号機)のループが始まるということを表している。悲しい世界が始まるのは、ゲンドウとゼーレの仕業。テレビシリーズ、旧劇場版という悲しみのループである。

関連記事:六道輪廻について

ゼーレとネルフの違い

ゼーレ(外国/西洋)は「ループすること(生と死があること)」を掟としていて、それだけが守られれば良い、と思っている。

ネルフ(日本/東洋)は今までとは違う新しいループを密かに計画していた。ゼーレは「未知の新しいループ」について詳細をよくわかっていない。

「未知のループ」を裏で計画していたのが、ゲンドウ・冬月・葛城博士(ミサト父)という三賢者なのであろう。現実世界は男の仕事場である。しかし、その3人を裏でまとめていたのはおそらくマリである。そして、今回の結末で新しいループが作られた。

初号機と13号機の違い

13号機…使徒のいる悲しい世界のループ
初号機…使徒のいない新しい世界のループ

ゼーレの創る世界は悲しい世界のループなのだけど、悲しい世界(13)ではない、新しい世界(1)を始めることができるのが息子であるシンジくんであると最初からわかっていたゲンドウ。ネルフは、シンジくんが初号機に「強い意志」を持って乗り込むまで待っていたのだ。

ここでQのエンディングを思い出してみる。カヲルくんは「まさか第1使徒の僕が13番目の使徒に堕とされるとは」と言っている。カヲルくんの立ち位置がどんなものなのか理解するとこの言葉の意味がわかってくる。

カヲルくんの正体

シンジとカヲルは一人

カヲルくんはシンジくんの「善の側面」なのである。一方でシンジくんは「悪の側面」である。つまり、カヲルくんとシンジくんは二人で一人。カヲルくんはシンジくんの心の中にいる「目に見えない善の部分」であるのだけれど、エヴァの世界では実体化している。

カヲルくんが「まさか第一の使徒の僕が…」と言うのは、新しい世界を創るのは、善の側面である自分自身だと考えていたから。だからカヲルくんは、悲しいループを創る「13番目の使徒(13号機)」に落とされたことに驚いているのである。

一人の人間の中に存在する善と悪

新しい世界を創るのは「悪の側面」であるシンジくんであった。つまり、シンジくんが新しい世界の第一使徒(初号機)になるわけである。ゼーレは、善(カヲル)から始まる世界をつくろうとしていたのかもしれない。

カヲルくんもゲンドウの子どもである。ピアノが上手なのも、ゲンドウの子どもであるから。しかし、ゲンドウの血を濃く受け継いでいるのは悪の側面であるシンジくんなのである。

カヲルくんは、シンジくんの目に見えない側面(善)であるから、ユイの性質の方が濃い。だからこそ「シンジくんを守る」という気持ちを持っている。

始まりと終わりが同じこと

ゼーレ(善)とネルフ(悪)

「始まりと終わりは同じというわけか。さすがリリンの王、シンジ君の父上だ。」とカヲルくんが言うのも、始まりと終わりを同じものにする野望を持っていたゲンドウのことを理解したから。ゲンドウ(始まり/悪)とシンジくん(終わり/悪)でループをつなげることがネルフの密かな計画であった。

ゼーレが考えていたと思われる「カヲルくんを第一使徒とする世界」と、ネルフが考えていた「シンジくんを第一使徒とする世界」。この2つは全く違うものになる。

始まりを違うもの(カヲルくん)にしてしまうのであれば、過去を全てなかったことにして、世界は完璧に変わってしまう。人間は生まれないかもしれない。ネルフの計画である、始まりと終わりを同じにすることは、また今まで通りの世界を続けるという選択である。

ATフィールドは人間の形を保つもの

ゲンドウはユイと一体になるために、ATフィールドを持たない単一の個体(神)になることを望んでいたけれど、そもそも全てを一体化したところで個体(人間)になることはできない。

全てを一体化したらドロドロの液体のようなものになる。個体(人間)を創るにはATフィールドが絶対に必要である。ATフィールドが存在する世界(人間の世界)がユイの願いであることを頭で理解しているのに、心が拒否していたのがゲンドウ。

多数の個(人間たち)の世界でなければ、ユイも存在しないことを理屈ではわかってるのに、悲しすぎて人間を捨てたゲンドウ。けれど、シンジくんが新しい世界を創造してくれた。そこは使徒が存在しない、今まで通りの人間の世界である。

ネオンジェネシス・エヴァンゲリオンとは

同じだけど違うもの

シンジくんが創造した世界、ネオンジェネシスエヴァンゲリオンとは。エンディングからもわかるように、そこは普通の現実。今までの世界と同じであるけれど、シンジくんの意識が変わっているから、違うもの。悲しみが続いていない新しいループに変わっている。

その世界は「死」の中に「生」が存在することを理解する人だけが生きていくことができる、新人類のための世界である。

新人類だけが生きる世界

大人になれない子どもたち

新人類とはエヴァに乗ることができる子ども達のことで、子どもの心を持ったまま正しく大人になった人類のこと。

純粋な心(子どもの心)のままでで大人として生きることは難しい。純粋な心とは「自分で考え決めた強い願いを持つ心」のこと。大人として生きることとは「罪を背負いながら、自分だけの役割を見つけ全うする」こと。

役割を全うしてから死ぬことは、人間に課せられた重い罪(DSSチョーカー)である。だからシンジくんは怖かった。役割を全うするということは、死に向かって歩き出す、ということ。大人になることは死に近づくこと。死を迎えないように、ずっと子どもでいたかったシンジくん。

大人になることは死を認めること

エヴァに乗る子ども達は歳をとらない。父と母に守られている乗り物であるから、いつまでも子どもなのである。けれども、子どものままで役割を全うしなければいけないのが、エヴァに乗る子どもたちの使命。子どものままで死の覚悟を強いられる。

私たちも身体は大人なのに、心は子どものままという自覚があるのではないだろうか。私たちの認識では、大人になることは、社会の一員になって家族を作って真面目に働くこと、だと感じてしまったりする。

けれど、大人になるということの本当の意味は「死(悪)を認めた上で、自分だけの役割を見つけ全うする」こと。それが「生きること」なのである。

生きることの意味を知るものたち

新人類というのは「生きること」の本当の意味がわかっちゃった人たちである。エンディングの駅にいたシンジ、マリ、カヲル、レイは「生きること」がわかっちゃた人たちだろう。アスカはまだ修行が必要なのかも。だからマリは愛情をかけていたのかも。

「生きること」を頭だけで理解することは不可能で、「生きること」を知るには、死(悪)を経験することが必要である。

私たちが新世界に行く方法

誰にでも資格はある

新人類になって新世界に行くことはとても難しい。『ムカつく他人はどうなったっていい、悪いことするやつは罰を受ければいい』とか思っている大人には絶対に行けないところ。「強い願い」を持っていない大人も行けないところ。

けれど、人間は誰だって新世界に行く切符をもっている。マイナス宇宙に乗り込み、過去の自分(親や過去に生きた人全て)と真摯に向き合う人だけが行けるところ。自分と戦った人だけが行けるところ。今ここに、目の前にその新世界は存在している。

大きな悲しみ(悪)を経験すること

シンジくんと共に何度もループし、シンジくんの代わりに何度も死んでくれたカヲルくん。カヲルくんが代わりにチョーカーをつけて死んだこと。シンジくんにとって大切な人の死であり、シンジくん自身の擬似死体験でもあった。

自分の心(カヲル)が死ぬことは、自分自身の死を意味する。強いトラウマは、新世界創造に必要なものである。ゲンドウにとってのユイの死と同じ体験をしなければ、ゲンドウの気持ちはわからないもの。

どん底を経験した時、人は「生きたい」と心から願う。あの小さな村でその経験と向き合いシンジくんは初めてその「人間の根源的な願い」を知ったのである。これが世界を救う動機となっている。

カヲルくんはシンジくんの幸せを願って死んでいたのだけど、新世界を創造するにはシンジくん自身が死ぬ必要があったのだ。最後にカヲルくん自身も気づいたこと。

私たちを救済するもの

私たちを絶対に守る母なる存在

世界を救う為に死を選んだシンジくんであるけれど、身代わりになってくれたのはユイであった。女というものは、ピンチになったら必ず男を助けに来る。

マイナス宇宙に入る前に「ずっと待っている」と言ったマリ、ガイウスの槍を届けてくれたミサト、レイが「碇くんがエヴァに乗らないようにする」と言うこと、ご飯を食べないシンジを陰で心配しているアスカ。これが、私たちが忘れてしまった、私たちの内に存在する、目に見えない善というもの。

イエスとマリアの物語

シン・エヴァンゲリオンは、結局はシンジくんとマリの物語である。実際の登場人物はこの二人だけと言っていいのかもしれない。「完全なる人間」の男性側と女性側であるということ。つまり、男性キャラクターは全てシンジくんの側面、女性キャラクターは全てマリの側面である。

エヴァの世界はキリスト教の世界観が散りばめられている。自己犠牲により世界を救う救世主がシンジくんで、イエス・キリストのこと。イエスの母であり恋人、シンジくんの側にいつもいて見守っているマリが、マグダラのマリアである。

使徒が死ぬときに現れる「十字架」が意味するものは、シンジくんの本当の願い「自分を救済すること」。シンジくんは自分の力で自分を救済した。側にはいつもマリが見守っていた。

裏切り者は最後に本当の姿を表す

ガイウス・カッシウス・ロンギヌスというカエサルを暗殺した裏切り者。シンジ・ユイ・ゲンドウという3人の役者は裏切り者である。イスカリオテのマリアと呼ばれた宇宙の母マリ。イスカリオテのユダとは、イエスを裏切った人物である。

私たちの生きるこの世界は「裏切り者」が牛耳っている。ゲンドウとユイとシンジという家族が世界をめちゃくちゃにしていて、マリはなんでもできる神なのに、最後に登場して少し手を貸すだけ。

世界に悪をもたらす家族と、ほぼ何もしない神は、人間からしたら「裏切り者(悪者)」と映るだろう。最悪な出来事が起きると、人間はいつだって『神はいなかった』と言う。

けれど最後には裏切りが愛へと変わる物語が、エヴァンゲリオン。神が、愛で始まり愛で終わるように、この世界を作ったことを教えてくれる物語。始まりと終わりが重なる時(インパクトが起きるとき)だけに、その秘密が明らかになる。

世界はループ(裏切り)しているけれど、終わりと始まりは愛で固定されている。人間が人間の力だけで立ち上がることを望んでいる、神の采配によるものである。

神話と根源の意識

根源を表す数字

悪と善と自分

この記事の冒頭で触れた「123」という数字について。この数字は「人間の根源」をシンプルに表す数字になっている。

  1. ゲンドウという「悪」であり、目に見えるもの
  2. ユイという「善」であり、目に見えないもの
  3. シンジという「完全なる人間」であり、新しい世界を創造するもの

「3」になることができない人間は、1→2→1…という「悲しい世界」を繰り返している。けれど、1→2→3(1)→2…という繰り返す世界を見つけたのがシンジくんである。1(父)と3(子)が同じものであることに気がついたのである。

「世界」というのは『自分自身が見ている世界』のこと。私たちは、一人一人が違う「世界」を見ている。そんな中で重要なのは「3」という数字。悲しい世界を終了させて、新しい世界を創るのが「3」。私たち個人が「3」になる必要がある。

シンジくんは日本人

エヴァンゲリオンの物語を庵野監督の「私小説」と言う人がいるけれど、この物語は誰にでも当てはまる。シンジくんは「日本人」そのものである。

『和をもって貴しとなす』という言葉があるように、「日本人」には争わないようにものごとを進める性質がある。その性質が「目立たないように、周りの人間に溶け込むように、静かに生きていきたい」という行動となって、いまの日本の状況が出来上がっているのかもしれない。

個(自我)を表現すること

シンジくんも「日本人」であるからエヴァに乗って使徒と戦うことを嫌がっていた。けれど、日本人にも秘めた「個」がある。「個(自我)」を表に出すことが「3」になること。

個(自我)が希薄な日本人のための物語がエヴァンゲリオンでもある。個を主張しないからこそ、魂(2)に秘められているものの大切さに気がつきやすい、という利点がある。

初めから個が強い性質を持っていると、内にあるものは覆い隠されてしまう。西洋(ゼーレ)が解きあかせなかったものを東洋(ネルフ)が解き明かすことになるだろう。

三位一体を目指す

「悪(1)」と「善(2)」と「自分(3)」がバラバラになっている現代。善も悪も含めて自分であることを知るには、経験からの理解が必要である。経験というのは「悪」の中に自ら飛び込むこと。

現代人は「悪(1)」に同化している人か、「善(2)」に同化している人か、どちらかが多い。「自分(3)」になっている人がものすごく少ない。「自分(3)」だけが、1と2を含んでいる。

1と2と3が一体となった時に、人間の仕組みやこの世界の仕組みが初めてわかるようになる。人間の根源を知るのである。これを「三位一体」と言ったりする。シンジくんはそれを体験している。

エヴァンゲリオンの物語をしっかりと「自分自身」に当てはめることが「逃げないこと」である。シンジくんのようにエヴァに乗ることで、エヴァの物語と同じ体験ができる。シンジくんが「新世紀」を創造したことを、わたしはこのブログで「解脱」と呼んでいる。

関連カテゴリ:輪廻からの解脱

2011/03/01の予言

なんと、シンエヴァの結末を10年前に予言していた人がいるらしい。

10年前のエヴァ考察厨が凄すぎる、エヴァを超え庵野を理解してると話題にwww

新劇場版エヴァンゲリヲン マリ=安野モヨコ説 エヴァンゲリオン
2011/03/01 14:43

「真希波・マリ・イラストリアス」とは、ずばり旧エヴァに欠けていた「庵野監督の周りの他者」なのです。そして、旧エヴァには登場せず、新エヴァにて登場する、決定的な「庵野監督の周りの他者」とは、結婚を経て登場した奥さん、つまり、庵野監督の奥さんである安野モヨコさんをおいて他にはいないでしょう。

「真希波・マリ・イラストリアスというキャラクターは僕には監督の奥さんの安野モヨコに見えてしまう。綾波が庵野の内なる女性であり、母性であり、いわば永遠の女性として庵野の世界を完結させる存在だとするなら、マリはその完結した世界を外側から破壊しようとする生きた現実の女である。」

…ということは、新エヴァのラストはマリとシンジがくっつくという可能生も大いに考えられます。というより、まず間違いなく、新エヴァではシンジとマリが結ばれるでしょう。

10年前のエヴァ考察厨が凄すぎる、エヴァを超え庵野を理解してると話題にwww

マリを「永遠の存在」と考え、マリ=安野モヨコ(現実の女)としているこの考察。神ですね。そして、この考察の日付を見ると1と2と3しかない。これが根源を知る人間に与えられた予知能力である。この世界の不思議。

ところで。庵野監督が創るエヴァンゲリオンが「個人的体験」を元にするのは当たり前のこと。世界には「神話」が数多く存在するが、それらも全て人間の「個人的体験」から創作されているもの。だから「神話」は人間の真実を描いているのである。

全ての神話は、「悪(1)」と「善(2)」と「自分(3)」という三つ巴で描かれている。「3」の自分というのは、物語の「主人公」のこと。物語の読み手である私たちが、物語の中の「主人公」へと意識が変わったとき、現実世界において物語と同じ体験が起きる。

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個人的体験から生まれる記録

庵野監督は神話を創った。神話というものは「個人的体験」からしか生まれない。なぜならば、私たち一人一人が「神の子」だから。庵野監督のすごさは「個人的体験」を周りを巻き込みながらも映像として最後まで作りきったこと。並の精神力じゃできない。神の精神力だ。

自分自身が何を感じ、何に感動したのか。自分を深く深く掘り下げたとき、知るものは「根源の意識」。「根源の意識」に辿り着いたものは、自分だけの表現で根源の物語を創り出すことができる。シンジくんと同じく。

それは永遠に残る記録となって後世に引き継がれていく。「新世紀」を創るには死海文書外典(記録)の参照が絶対に必要なのです。

私たちができることは庵野監督が私たちに与えてくれた、シンエヴァンゲリオン(死海文書外典)から「希望」を読み解くこと。新世紀を作ろう。そろそろ、エバーに乗ろう。