私たちは在りて在りし者

悟っても自我(欲)は消えない

このブログで何度でも書いてるけどおさらいです。この世界は意識によって作られているホログラムのようなもので幻想であり、実体は無い。ホログラムではあるけれど、意識は自己を作り出す。

私というものは確かに存在している。そして私には、生きたい/何かをやり遂げたいという自我も存在している。私には「悟りを得ることの素晴らしさ」を人間にもっと知ってほしいという強い欲がある。そうじゃないとこのブログを作らないであろう。

仏教系修行者は

「悟りを得たら欲が無くなる」とか
「自我もまた幻想」とか言ったりする。

それは確かに正しい。彼らは自我の消滅という究極の悟りを目指しているのかもしれないけど、人間には消滅する前にやるべきことがあるんだ。だから私の自我は消滅しないのである。消滅した人間もいるだろうが、、、そしたら肉体も消えるかも。どこいったんだ。

自分と自我を切り離して観察することができるようになると、個人の救済が起こるのは確かである。救済されたら自分以外の世界のことはどうでもよくなる人もいるのかと思う。実際悟りを得ると俗世から離れて生きていく人もいるらしい。

私は最初の悟りで人間が決めた価値観が全て消え去り、なにもかもがどうでもよくなった。どうでもよくなるからこそ苦が無くなるわけで。しかしすぐに疑問がわく。意識が世界を作っていて、私はこんなに幸せなのに、世界が引き続き不幸なのは何故?私の幸せ意識が世界に及んでいないのは何故?自分だけが幸せなのはなんだか寂しい…という思いがあったからこそ次の悟りへとつながることになったのだろう。

個人の救済から世界の救済へ

最初の悟りから一年後、次の悟りがやって来た。二回目の悟り体験はさらにすごい衝撃で、世界が未だに不幸であるという現状についても腑に落ちた。世界が救済されるには無を理解する悟りだけでは足りない、ということと、何故意識が自己を作り出すのか、というのもわかった。これが「在る」ことについて理解できる悟りであり世界を救おうとする原動力となるのである。

ある個人サイトにユダヤ民族の思想について書いてあったのを引用させてもらうのですがそのサイトがどこなのかうっかり見失ってしまった。コピペだけ残ってた。検索しても出てこなくてごめんなさい。重要なことが書いてあったので、長いけれど紹介させてもらいます。

ユダヤ人は長い歴史を通じて、いつかメシア(救世主)が来ると信じてきた。アウシュヴィッツの囚人たちがつくった『アニ・マミン』の歌にもあるように、『私たちはメシアが来ることを信じている。しかし、到着するのが少し遅れているだけだ』という大いなる楽観と、同じほどに強い信念に支えられて生きてきた。

そして、メシアが来るということを、いたずらにただ待っていただけではない。自分たちの手でメシアを呼び寄せなければならないという情熱に駆られてきたのである。

よりよい世界が来る期待、興奮というものを、常にユダヤ人は、血の中で感じてきた。そしてそれが、一歩でも自分を前進させようという情熱になってきたのである。やがて地上の楽園が来るという終末観が、ユダヤ教を貫いているが、これは手形の決済日がいつかやってくるようなものである。しかし、だからといって、だれか人間以外のものが手形を決済してくれるから、初めから不渡りにしておいてよいということではない。手形の決済の日には、人間は自分で手形を落とさなければならないのだ。その日のためにこそ、日々の精進と進歩というものが生きるのである。

人間は終末論が大好きである。この世界は永遠であるけれど、一応の期限というか区切りのようなものが存在している。サイクルがあり、終了してまた始まるというのがこの世界の仕組みである。どうも最近そのサイクルの一旦の終了が近づいているようなのだ。最近気候もおかしいよね。世界を救済するための行動をしないと人類の滅びが待っている。ユダヤ人は終末を感じているからこそ、向上心があるのだろう。

ユダヤ人の頭の中に詰まっているのが、世界の進歩だけではないことに注目してほしい。要するに、一人の人間の進歩というものは、世界の進歩と同じことであると考えられているのだ。強烈な個人意識がそこには存在しているのである。

ユダヤの聖典『タルムード』には、『自分が進歩しなければ世界は進歩しない』という言葉がある。世界は一つであり、自分は一人なのだ。

わたしが最近声を大にして言いたいことはまさにこれである『世界は一つで自分は一人』。世界は個人にかかっている。『強烈な個人意識』がとっても大切。それは自我のこと。自我はエゴという認識があるだろうけれどエゴにだって良い側面がある。人間が自我を味方につけ、進化を始めたらそれは世界の救済へと繋がる。

自我を手なずける

自我をコントロールすることは非常に難しく、大体の人間は自我に飲み込まれてしまう。自我は恐ろしいものであり、手なずけるにはそれこそ悟りが必要である。

そもそも自我をどうやって手なずけるかは、前回の映画ジョーカーについての内容につながるんですが。世界を救済するための悟りにたどり着くのにはこのあたりをちゃんとわかりやすくまとめないといかん。今後の課題です。

関連記事:映画「ジョーカー」に共感する人のこころの中に存在するもの

秘密結社が隠して来たものとは

話はタルムードに戻って、ユダヤ人ってすげーやと。自我の重要性がDNAに刻まれている。だから商魂たくましいとも言える。迫害されようとも、自分の国を作れなくてもユダヤ人が心の中に信念としてずっと持ち続けてきたもの。ところで、秘密結社と呼ばれる組織が古代から隠してきたことってこのユダヤ人の心の奥にある信念と同じものだと思うんです。

秘密結社といえば神秘的な儀式、秘儀参入。それは限られた人だけが参加できる儀式で謎めいている。きっと秘儀参入っていうのはこの世界の秘密を知ること。フリーメイソン、イルミナティ、薔薇十字団などなどオカルトマニアが大好きな神秘的集団が隠して来たものって人間と世界の秘密であり、それは世界を救うための悟りへの到達方法なのだと確信いたしました。

スコットランドにロスリン礼拝堂(ロスリンチャペル)という教会がある。映画「ダ・ヴィンチ・コード」のラストシーンに出てくる教会です。建てたひとはテンプル騎士団の人。教会の建物には不思議なモチーフの石工彫刻が所狭しと。謎が謎を呼ぶ彫刻の数々。この彫刻の中に、秘密結社(テンプル騎士団?)が世界の救済方法を隠してきたことの証拠を見つけました!ちなみに行ったことはありません。インターネットさんきゅー。

ロスリン礼拝堂の謎が解けた!

教会内には7つの大罪と7つの美徳を表す彫刻がある。7つの大罪とはキリスト教用語で、人間が犯すべきではない罪のこと。その反対が7つの美徳。実際に現地に行ったこちらの方のサイトに画像があって分かりやすいです。引用させてもらいます。

七元徳とは知恵、勇気(忍辱)、節制(禁欲)、正義、希望、信仰、慈愛のことだそうです。しかしながらなぜか七つの大罪(高慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、大食、肉欲)の貪欲が入り込んでいるそうですが、どの絵がどれを示すのかちょっとよく見えません。写真はありませんが、七つの大罪の方の彫刻には慈愛が入っているそうです。

彫刻の中の慈愛と貪欲が何故か入れ替わっているという。大罪の中に慈愛が、美徳の中には貪欲が彫られているのである。ずばりこの彫刻に秘密結社が隠してきた世界の救済方法が表現されている。わざわざ逆にしたのは救済方法として、7つの美徳の中でも特に貪欲が重要であるし、秘儀参入した人にしか理解できないようにしてあるのでしょう。

世界を救う貪欲とフリーメイソンの友愛

おさらいすると、この彫刻が言いたいことって大罪だと思われていた貪欲が世界を救うってことなんだよね(関暁夫風)。タルムードにもあったように、強い個人意識を持って世界を救済しよう!ということ。貪欲の裏には目には見えない究極の慈愛が隠れているのです。これがフリーメイソンが言うところの友愛の本質なのかもしれない。

最近世間を見ていると間違った慈愛は大罪だなーって。グレタさんの憎しみ顔を見ていて悲しくなりましたよ。一方でグレタさんは強い自我を突き通しているので、世界を大きく動かしているとも言えます。行動に移さない人よりかは世界のためになっている。

それにしてもロスリン礼拝堂の謎を解いたのすごくないですか!?フリーメイソンの偉い人、このブログ見ていたら合ってるかどうか教えてください。わたしも入会したいです。よろしくお願いします。


ちなみにロスリン礼拝堂がどんなところかは、この方の記事がとても詳しく、良かったです。気になる方は読んでみてはいかがでしょうか。

ユダヤ人と日本人

ところで、天皇家に伝わる3種の神器の八咫鏡にはヘブライ文字で「我は在りて在るものなり」って書いてあるって噂があります。日本の神道も、秘密結社と同じく古代から真理を守っているのかもしれない。なんで八咫鏡にヘブライ文字が書いてあるんだよ!って思う人は『日ユ同祖論』でググってください。ユダヤ人と同じような信念を日本人も持っているはずなんだけどな〜。

日本人は自我が薄いと言われている。周りと同調することで安心する民族であり、強い個人意識がぜんぜんなさそうに見えるんだけどどうなんだろう。根底に強烈な個性があり、自信があるからこそ目立つような行動はしないのかもしれないとふと思う。

それから、日本人には強い信仰心がある。自覚していないところがまたやっかいである。いずれ日本人が危機に陥ったとき、眠れる信仰心と自我が復活する…?過去日本人は天皇のために戦ったりしたわけだけど、そこには神が居た。こないだの「即位礼正殿の儀」もツイッターでやたら盛り上がっていた。雨が止んだだの虹がかかっただの。

日本とユダヤの関係など超オカルト考察もしたいけど他のブログに任せることにします。考察勢はすっごい。負ける。わたくし日ユ同祖論がすごく好き。諏訪大社に呼ばれていると感じる。まだ行ってないんだが。最近京都経由徳島旅行してきたのだがやはりそうおもった。偶然がこわい。シンクロニシティ。

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