※この記事は、数年前に書いた考察を、いまの視点で読み返しながら整理し直したものです。文中の「当時のわたし」は、最初にこれを書いた頃の自分を指します。
2012年に2ちゃんねるへ書き込まれた「よーさんの予言(妄想)」を読み解くシリーズ、第2回です。
前回(その1)では、よーさんが語った「三つ巴の世界」を「1の世界」「2の世界」「3の世界」として大まかに整理した。今回はその続きです。前回の記事に寄せられたコメントでの議論を手がかりに、三つの世界の意味をもう一歩だけ掘り下げてみる。
やりとりの中から浮かび上がってきたのは、「運命」「恐怖」「滅亡」という三つの言葉だった。これらがどう三つの世界とつながるのか、当時のわたしが考えていたことを振り返りながら整理していく。
なお、よーさんの書き込みはあくまで匿名掲示板への投稿であり、確定した予言ではありません。ここでも「こういう世界観を語った人がいた」という前提での考察です。
前回のおさらい 三つの世界とは
まず、前回整理した三つの世界を簡単に振り返っておく。
1の世界 ―― 「悪」を憎み、不正や不公平と戦おうとする人々の世界。陰謀論に惹かれる人や、強い正義感を持つ人が象徴的なイメージ。とても現実的な世界観。
2の世界 ―― 「平和」や調和を重んじ、争いを避けようとする人々の世界。スピリチュアルな世界観に惹かれる人が象徴的。空想的・理想主義的な傾向がある。
3の世界 ―― 1でも2でもなく、両方を見渡せる視点を持つ人々の世界。前回は「輪廻から解脱した人」に近いイメージと書いた。
前回はこれを「思想による分類」として並べた。今回はもう少し内側から―運命や恐怖にどう向き合うか、という角度から見ていく。
「世界は滅亡するのか?」という問い
前回の記事に、こんなコメントが寄せられていた。
なるほど
やっぱり一個人ではどうしようもない流れがあるわけか
あなたはここからどうなっていくと思う?自分は飲み込まれたから、負の世界にいるけど、
これから現実となる3つの世界 よーさんの「妄想書いていくよー」の解説をする コメント欄より
そこから感じた事は、もう誰にも止められない救ってあげられない状態だと感じたよ
果てにあるのは滅亡じゃない?
あなたはここからどうなっていくと思う?
「よーさん予言」に関心を持つ人の多くが気にしているのは、結局のところ「世界はどうなるのか」という一点だろう。この問いに、当時のわたしがどう答えようとしていたのかを振り返ってみる。
運命の捉え方で世界が分かれる
コメントにあった「一個人ではどうしようもない流れ」、つまり「運命」をどう捉えるか。当時のわたしは、この捉え方の違いこそが三つの世界への分かれ道になると考えていた。
1の世界の人々 ―― 運命に抗う(否定する)
2の世界の人々 ―― 運命に従う(諦める)
3の世界の人々 ―― 運命を受け入れつつ、変えようとする
ここで「世界線」という言葉についても触れておきたい。オカルト的な文脈では、「別の選択をしていれば別の世界に存在したはず」という意味で使われることが多い。だが当時のわたしは、これを少し違う形で捉えていた。「別の可能性」とは、実は他者がすでに生きている人生のことではないか、と。逃げ道としての「もしも」ではなく、無数の人生が並んで存在していること自体が「運命」の幅を示している、という見方である。
これが正しいかどうかはわからない。ただ、「運命にどう向き合うか」で世界が分かれるという視点は、三つの世界を考えるうえで一本の補助線にはなると思う。
恐怖が意識を支配するとき
当時のわたしは、コメントへの返信でこんなことを書いていた。
>果てにあるのは滅亡じゃない?
>あなたはここからどうなっていくと思う?滅亡する人としない人がいます。それを決めるのが「個の意識」です。
これから現実となる3つの世界 よーさんの「妄想書いてくよー」の解説をする コメント欄より
いま読み返すと、ずいぶん断定的な物言いだと思う。ただ、当時の考えの核にあったのは「恐怖が思考を乗っ取る」という問題意識だった。
平常時は冷静に考えられていても、危機に直面すると恐怖に判断を奪われてしまう。パニックのときに冷静な選択ができなくなる経験は、多くの人が持っているだろう。当時のわたしは、この「恐怖への反応の違い」が三つの世界をさらに特徴づけている、と考えていた。
1の世界 ―― 恐怖の原因を外側に求める。「悪い誰か」を見つけて戦おうとする。だが恐怖の根は自分の内側にあるため、いくら外と戦っても逃れられない。
2の世界 ―― 恐怖を見ないようにする。ポジティブな思考で蓋をする。しかし蓋をしているだけなので、恐怖そのものは内に残り続ける。
3の世界 ―― 恐怖が自分の内側にあることを認め、正面から向き合おうとする。
いまの視点で眺めれば、心理学的にはかなり素朴な整理である。それでも、戦う・逃げる・向き合う、という三つの反応でストレスへの態度を分ける切り口自体は、それなりに筋が通っているように思える。
「滅亡」が意味するもの
当時のわたしは、「滅亡」という言葉を文字どおりの世界の終わりではなく、「自分の死」として受け取っていた。
人が死ねば、その人にとっての世界は終わる。それが「世界の滅亡」の正体であり、たとえ科学技術で寿命が延びても、「死」の意味を理解しないまま死ぬのなら、それは滅亡と変わらない、というのが当時の考え方だった。
さらに、死後も意識は別の人物として続くが、恐怖を克服しない限り同じパターンが繰り返される。この繰り返しから抜け出すことが「3の世界に行く」ことだ、と考えていた。
いまの視点で言えば、これは仏教の輪廻思想やヒンドゥー教の解脱の概念とかなり重なる。よーさんの予言というより、東洋思想の枠組みで解釈した結果という面が強いのかもしれない。それでも、よーさんの「三つ巴」という表現を手がかりにここまで考えたこと自体は、記録として残しておく価値があると思う。
コメント欄の議論 「3の世界」をめぐるすれ違い
ここからは、コメント欄でのやりとりを整理していく。匿名のコメント主(以下「匿名さん」)と当時のわたしのあいだには、「3の世界」の理解に大きなずれがあった。
匿名さんのコメントにはこうあった。
1と2は矛盾してる、これが基本
これから現実となる3つの世界 よーさんの「妄想書いてくよー」の解説をする コメント欄より
それを両方自分にしちゃってるのは、貴方がまだ我慢してるから
だけどそんな事できるはずがないんだわ
基本が違う存在なんだから、それを自分としてると、いつか限界がくる
匿名さんの考えでは、1の世界(否定・戦い)と2の世界(受容・平和)は根本的に別のものであり、それを一人の中に統合しようとするのは無理がある、ということらしかった。
これに対して当時のわたしが言おうとしていたのは、「1と2の人々を現実世界で仲良くさせよう」という話ではない。「自分の意識の中で両方の視点を受け入れる」ということだった。つまり「3の世界」とは、外の世界の構造を変えることではなく、自分の内面の姿勢の問題だと考えていた。
匿名さんは「3の世界」を現実における統合として読み、当時のわたしは意識の中の統合として語っていた。この前提のずれが、議論のかみ合わなかった原因だったのだろう。
もう一つ、こんなコメントもあった。
うーん、俺はただの組分けだと思うけど…
これから現実となる3つの世界 よーさんの「妄想書いてくよー」の解説をする コメント欄より
三つの世界を「人々の組分け・住み分け」として捉えるか、「意識の状態の違い」として捉えるか。当時のわたしは、よーさんの「三つ巴」は精神世界の話であり、だからこそ「妄想」と呼ばれているのだ、と説明していた。地理的・社会的な区分ではなく、人間の意識のあり方の違いとして読むべきだ、という主張である。この「組分けか、意識の違いか」という論点は、よーさんの予言をどう読むかを左右する分かれ目だと思う。
「受け入れる」と「諦める」は違う
この議論を通じて当時のわたしが繰り返し強調していたのが、「受け入れること」と「諦めること」は違う、という点だった。
2の世界の人々は、一見すると物事を「受け入れている」ように見える。だが実際には、運命を「諦めている」だけなのではないか。本当の「受け入れ」は、恐怖と正面から向き合った先にしか現れないのではないか――当時のわたしはそう考えていたようだ。
これはいまの視点でも一理あると感じる。「もうどうにもならない」という諦めと、「これが現実だと認めたうえで、どう生きるかを考える」という受容は、外からは似て見えても、内側ではまったく別の態度である。
匿名さんとの議論が教えてくれたこと
匿名さんはその後、note(現在は削除済み)で反論の記事を書いてくれた。当時のわたしは、それにかなり熱くなって応答している。
正直に振り返ると、当時の返答には「自分の見方が正しい」という前提が強く出ていた。「わたしは答えを出している」「匿名さんの反論は的外れだ」といった調子がそれを物語っている。
いまになって思うのは、匿名さんもわたしも、「三つの世界」というテーマを自分なりに真剣に考えていた点では同じだった、ということだ。見方が違っただけで、どちらが正しいという話ではなかった。匿名さんが「1も2も自分、鏡像関係だから」と言っていたのは、わたしの言う「1と2は同じ悪の側面」という主張と、案外近いところを指していた。
議論がかみ合わなかったのは、お互いの前提――現実世界の話か、意識の話か――が共有されていなかったからだろう。
今後の世界はどうなるのか
当時のわたしは、三つの世界それぞれに「神」のイメージを当てはめて、これから先を妄想していた。
- 1の世界 ―― テクノロジー(AIなど)を神とし、便利さを追い求める世界
- 2の世界 ―― 目に見えないものを神とし、自然とともに生きる小さなコミュニティの世界
- 3の世界 ―― 見えるものと見えないものの両方から本質を見出す世界
「妄想」と断りながらも、ずいぶん具体的なビジョンを描いていた。いまの視点では、これはよーさんの予言の考察というより、わたし個人の世界観の投影だった気がする。
ひとつだけ確かなのは、どの世界にいても苦しみは消えない、と当時のわたしも書いていたことだ。これはおそらく仏教の「一切皆苦」に重なる感覚で、明るい未来像を描きたがるスピリチュアルな語りの中では、忘れられがちな視点かもしれない。
おわりに 答えではなく、考える過程を
今回はコメント欄の議論を手がかりに、三つの世界を「運命への向き合い方」「恐怖への対処」「意識の状態」という角度から掘り下げてみた。当時のわたしの主張を並べ直すと、こうなる。
- 三つの世界は「人々の組分け」ではなく「意識の違い」
- 「滅亡」とは世界の終わりではなく、個人の死と輪廻の問題
- 1と2の統合は、現実ではなく自分の意識の中で行うもの
- 恐怖を克服することが3の世界への道
これが正しい解釈かどうかは、わたしにも断言できない。よーさん本人にしかわからないことだし、そもそも書き込み自体が「妄想」というタイトルだった。それでも、こうした世界観に触れて自分なりに考えてみること自体に意味があるのだと思う。「答え」ではなく「考える過程」を残せていれば、この記事の役割は果たせているのかもしれない。
次回(その3)は、三つの世界の全体像をもう一度、今度は正面から整理してみました。
📜 よーさん予言シリーズ(全4回)
- その1:よーさんの予言と「三つの世界」とは
- その2:運命と恐怖と「滅亡」
- その3:三つの世界の全体像を整理する
- その4:分別する人間と生命の基礎(最終回)

コメントを残す