わたしは今年の2月、崇神天皇陵を訪れた。「鬼巡り」と題した岡山旅行の帰りに思いつきで寄ってみた。なぜなら崇神天皇って名前からして「祟り神」ぽいから。人間が忌み嫌うものたちの気持ちを代弁したい私としては、とてもいい寄り道だったと今改めて思う。

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つぎに「このブログについて」を読んでもらうとこの記事への理解が深まると思います。

第10代天皇 崇神天皇

ネットで調べた崇神天皇情報簡単まとめ。日本の歴代天皇10代目である。古墳時代に生きていた人で、天変地異や疫病が起きていた波乱の時代を治めていた人でもある。奇遇にも今は崇神天皇が活躍した時代と同じような状況。疫病が流行る時は時代の変わり目。崇神天皇のことを解き明かしていけばそのことが見えてくる。

ハツクニシラススメラミコト

神武天皇と崇神天皇

崇神天皇には「ハツクニシラススメラミコト」という別名がある。とあるサイトから引用させていただく。

古事記での呼称
所知初國御眞木天皇(はつくにしらししすめらみこと)
日本書紀での呼称
御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)

http://houki.yonago-kodaisi.com/F-BT-10-sujin.html

古事記と日本書紀で微妙に違いはあれど、はつくにしらすすめらみことという呼び名。そして、初代神武天皇にも「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と同じ呼び名がついている。

偉大な仕事をした人たち

実在と非実在

初代神武天皇は日本を作った超有名な人物。しかし2代目から9代目には活躍したお話がない。そのため欠史八代と呼ばれ実在しない天皇だったと考えている人が多い。そして10代目崇神天皇は、実在した可能性のある最初の天皇と言われている。

『日本書紀』における初代神武天皇の称号『始馭天下之天皇』と、10代崇神天皇の称号である『御肇國天皇』はどちらも「ハツクニシラススメラミコト」と読める。これを「初めて国を治めた天皇」と解釈すれば、初めて国を治めた天皇が二人存在することになる。このことから、本来は崇神が初代天皇であったが「帝紀」「旧辞」の編者らによって神武とそれに続く八代の系譜が付け加えられたと推測することができる。

wikipedia

「ハツクニシラススメラミコト」という呼び名を「初めて国を治めた天皇」と解釈し、神武天皇と崇神天皇は同一人物であるという説がある。私はそれを否定したいと思う。

それぞれの仕事

同じことが形を変えて繰り返されるのがこの世界の原理である。神武天皇と崇神天皇を同一人物とみなすのは、神武天皇の存在を疑うからこそ生まれる考え方。わたしは物語をそのまま素直に捉えたい。曇りなき眼で物事をみることが重要である。

「ハツクニシラススメラミコト」という言葉は、変化をもたらす偉大な仕事をしたことの称号であると考える。神武天皇が日本という国を初めて成立させ、崇神天皇がさらに国を大きく変化させ発展させたのだと解釈している。そう思う理由を考察していく。

崇神天皇がした仕事

疫病の流行により、神々を分離する

疫病が流行る

即位5年、疫病が流行して人口の半ばが失われた。祭祀で疫病を治めようとした天皇は翌年に天照大神(あまてらすおおかみ)と倭大国魂神やまとのおおくにたまのかみを宮中の外に出すことにした。

wikipedia

崇神天皇が即位してすぐに疫病が流行した。この疫病により国民の半数が死亡したようだ。そこで、崇神天皇は宮中にいた天照大神(天津神)と倭大国魂神(国津神)を外で祀ることにした。

今、天照大神が伊勢神宮にいるのはこのできごとが始まりらしい。初めて知った。場所を転々として最終的に伊勢神宮へ。一方で、倭大国魂神は大和神社(奈良県天理市)に祀られた。

はじめは天津神と国津神は天皇の住むところで一緒に祀られていたということが重要である。

天照大神と倭大国魂が荒ぶ

ここからは日本書紀をわかりやすく現代語訳してくれているサイトから引用させてもらう。

即位6年。百姓は流浪し、なかには背くものもありました。(国が荒れる)勢いはすさまじく、徳を持って治めることは難しいほどでした。そこで眠らず朝まで神祇(天津神・国津神)に(疫病がやむように)お願いをしたのです。これより先に、天照大神・倭大国魂の二柱の神を天皇が住む宮殿の中に並べて祀っていました。するとこの二柱の神の勢いが強くて畏れおおくて、共に住むのは落ち着かなくなりました。

https://nihonsinwa.com/page/961.html

疫病が流行り始め、国が荒れて、天皇が一緒に住めなくなるほど天照大神と倭大国魂が荒ぶった。国を治めるのが困難なほど。まるで2020年の日本のようだ。

ところで「神とは人間の集合的無意識のことである」ということは以前の記事でも説明したが、そのことを踏まえてこの出来事の意味を考えてみる。二柱の神が荒ぶったのは、天の意識を持つ人間(天津神)と地の意識を持つ人間(国津神)が反発しはじめたと考えられる。

人間の集合的無意識は、人間の意識に現れない無意識のこと。そして、集合的無意識は個々の人間の自我をまとめたものでもある。人間が神と呼ぶものの正体はこの人間全体の意識のことである。このことについては、まだ人間たちが気がついていないことなので理解しがたいとは思うけれど。

関連記事:集合的無意識という神

縄文時代のこと

ここで突然縄文時代の信仰について説明しておきたい。縄文時代の人々は一つの大いなる神(原始の神)を信じていた。彼らは神には善と悪の側面があることを知っていて、それを分けることはしなかった。

関連記事:縄文時代の信仰について

古墳時代(崇神天皇の時代)に入り、人間は善と悪を区別するようになってしまったのだろう。それを感じ取った崇神天皇は、今まで一緒に祀っていた天津神と国津神を分けて祀った。

日本神話は人間の心の中の物語であり、心の中の物語が現実となったのがこの世界でもある。善と悪を区別することは、人間の心の中の男性性と女性性が反発しているということ。意味がわからないのなら、男性性と女性性についての関連記事も読んでほしい。

関連記事:もののけ姫から学ぶ男性性と女性性

天津神と国津神を分けて祀る

現人神である天皇は人間の集合的無意識(神)を感じ取れる。人間が心の中の男性性と女性性を区別し始めたことを感じ取った崇神天皇は、天照大神(女性性)と倭大国魂神(男性性)を分けて祀ることにした。神が二つに分かれることは自分と他人を区別することも表している。

それぞれの神を祀る崇神天皇の娘たち

そこで天照大神を豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト=崇神天皇の娘)を付けて、倭の笠縫邑(カサヌイムラ)に祀りました。そして磯堅城(シカタキ)に神籬(ヒモロキ=神が降りる場所)を立てました。日本大国魂神は渟名城入姫(ヌナキノイリヒメ=崇神天皇の娘)を付けて祀りました。しかし渟名城入姫は髪が抜け落ちて祀ることが出来ませんでした。

https://nihonsinwa.com/page/961.html

天照大神と倭大国魂神をそれぞれ外で祀ることになり、豊鍬入姫命が天照大神(女神)を祀ることになった。そして渟名城入姫が倭大国魂神(男神)を祀ることになった。どちらの姫も崇神天皇の娘であるが、渟名城入姫の方は髪が抜け落ちて祀ることが出来なかった。

これは単純に男神を女が祀ったからうまくいかなかったのだろう。反発し始めたから分けたのに、反対のものが祀ったら火に油を注ぐようなもの。のちに長尾市宿禰という人が代わりに祀ってうまくいった。長尾市宿禰はたぶん男だよね?

大物主神(おおものぬしのかみ)の教え

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ホケノ山古墳(豊鍬入姫命の墓との伝承あり)から見た箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫命の
墓)

倭迹迹日百襲姫命に乗り移った大物主神

『日本書紀』崇神天皇7年2月15日条では、国中で災害が多いので天皇が八百万の神々を神浅茅原(かんあさじはら)に集めて占うと、大物主神が百襲姫に神憑り、大物主神を敬い祀るように告げたという。

wikipedia

崇神天皇は災いに悩み、八百万の神を集めて占いをすることにした。この時、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)という巫女に大物主神が神憑った。ちなみに、倭迹迹日百襲姫命は卑弥呼ではないかと言われている人物である。

大物主神は倭迹迹日百襲姫命を通して「自分を敬い祀れば国は平穏になる」と告げた。この大物主神とは何者なのか。

大物主神の正体

大物主神は縄文人が祀ってきた神、つまり善悪どちらの性質も均等に持ち合わせた原始の神であると思われる。それは、男性性と女性性が統合された神でもある。世界中に色んな神様がいるけれど、原始の神は全ての神の大元である。

崇神天皇は宮中で天津神と国津神を一緒に祀っていたことを思い出してほしい。これは、善と悪の側面・男性性と女性性の側面を一緒に祀っていたということである。最初は神の持つ二つの性質が別々になっていなかったということ。

大物主は国津神?

ところで、大物主は国津神とされている。天津神と国津神の性質を持ち合わせているのに、なぜ国津神なのかという疑問が出てくる。「悟り」に到達し、神の意識を理解していればこの謎は解ける。大物主は天津神と国津神が統合された国津神で、一つの神から分かれた倭大国魂神(国津神)とは中身が違う。

この世界では天津神(女)より国津神(男)のほうが格上であるから、原始の神は国津神という形をとるのである。この世界は二元性を大前提としているのでどちらかを選ぶ必要がある。目が開けていないと、統合された原始の神の姿を見分けることは困難である。

大物主神を大田々根子に祀らせる

災いが治まらない

この晩の夢に、一人の高貴な人物が現れました。宮殿の入り口に向かって立って、大物主神と名乗りました。「天皇(スメラミコト)!!また憂いているな。国が治まらないのは、わたしの意思だ!!もし、我が子、大田々根子(オオタタネコ)に私を祀らせれば、たちどころに国は平穏になる。また海外(ワタノホカ)の国があり、自然と従うだろう

https://nihonsinwa.com/page/963.html

崇神天皇は倭迹迹日百襲姫命に言われた通り大物主神を祀ったが災いがおさまらなかった。すると大物主神が夢に現れた。「国が治まらないのはわたしの意志だ」と大物主神。

先程説明した通り、天津神と国津神は人間の意識そのもの。女性性が強い人間と男性性が強い人間が反発を起こし、争いを起こしはじめたから災いが起きている。天津神と国津神の意識が統合された神が大物主なので、災いを起こしているのが自分だと宣言するのである。

つまり、災いは人間全体の意識から起こっていると大物主は告げている。人間の責任である。2020年にも同じことが言えるのだが、原始の神の存在を忘れてしまった人間たちは気がついていない。

さらに大物主神は「自分を子の大田々根子に祀らせれば国は平穏になる」と言っている。大田々根子とは何者なのだろうか。多くの人が様々な解釈をしているようだが、私はシンプルにこの名前から読み解いてみたい。

大田々根子(おおたたねこ)とは何者か

「大田々根子」の文字の中には田が二回と根が入っている。大地を感じさせる名前である。稲が成る田んぼは私たちに命を与えてくれるもの。そして、土の中に存在する根も私たちの生活に欠かせない植物を育てるもの。私たちは、大地がないと生きていけない存在である。

関連記事:田の神は山の神で原始の神

大物主神は原始の神で大地そのものである。天津神も国津神も八百万の神も原始の神の中にいる。つまり、大物主神は全ての存在を産み出すもの。そして大地の子である大田々根子は「全ての存在」を指している。

古事記の表記では「意富多々泥古(おおたたねこ)」である。意富多々=多くの意志を持ち富んだものたち。泥古=生き物は死んで土に帰りそれが積み重なって現在まで続いていること。「意富多々泥古」という文字からわかることは、泥から生まれ多くの意志に富んだ子というイメージ。全ての存在の中の人間を強調していると言える。

根子と根の国

歴代天皇の中には、名前の最後に「根子」とついた人が何人かいる。これは「根の国の子」であることを意味しているはずで「根の国」とはこの地球のことである。「根子」とついているのなら原始の神の気持ちを汲んでいる人物であると考えられる。つまり強くて恐い人物で、国津神の血が強いはず。

関連記事:ヒコ(日子)とネ(根)のひみつ

人間が原始の神を祀ること

ここまでの説明をまとめると、人間も大物主神の子供であることがわかる。「大田々根子に大物主神を祀らせよ」という大物主神の言葉が意味すること。私たち人間が原始の神のことを思い出し、理解し、敬うことであると言える。人間が大物主神のことを理解すれば災いはおさまり、国は平穏になるということである。

天皇は人間のために働く

人間社会を発展させた崇神天皇

一つのものを二つに

崇神天皇は人間の意識を感じ取り天照大神と倭大国魂神を分けるという仕事を完了した。一つのものを二つに分けることは、人間に選択肢を増やし社会の発展を進めてきたとも言えるのだ。その代わりに争いは増えるようになった。

崇神天皇の跡継ぎを決める話からも、彼がさらなる発展を進めてきたことがわかる。息子である、兄の豊城命(トヨキノミコト)弟の活目尊(イクメノミコト)。どちらを皇太子にするか、それぞれに夢の内容を報告させてから決めた。

夜が明けて、兄の豊城命は天皇に報告しました。「わたしは御諸山(ミモロヤマ=奈良県桜井市三輪山)に登って東に向き、8回弄槍(ホコユケ=槍を突き出す)して8回擊刀(タチカキ=刀を振る)しました」

弟の活目尊は夢の言葉を報告しました。「わたしは御諸山の嶺(タケ)に登って、縄を四方に張って、粟(アワ)を食べる雀を追い払いました」

天皇は相夢(ユメノミアワセ)をして、二人の皇子に言いました。「兄はただ東に向いていた。東の国だけを治めようとしている。弟は四方を見ていた。皇位に付け」

https://nihonsinwa.com/page/981.html

二つのものをさらに分ける

崇神天皇は弟の活目尊を跡継ぎに決めた。活目尊が見た、縄を四方に張ってスズメを追い払う夢。境界線を四方に作ることは、さらに選択肢を増やすことを意味する。そして、稲よりも細かい粟はさらなる細分化を表している。この選択のおかげで、いまの私たちは豊かで多様性のある世界に生きている。

争いと引き換えに多様性を手に入れた人間

境界線を増やすことで様々な人種が生まれる。その中からさらに様々な個性を持った人間が生まれる。自分と違う性質を持った人間が多く現れると、その中には自分に合わないものもある。多様性には見たくないものを増やす性質があるので争いは避けられない。最近の人間はこの豊かさや多様性に飽きてきている。シンプルな生活を好むミニマリストの流行などがそれを表している。

人々に恨まれる辛い仕事

大きな選択は恨みを買う

古事記や日本書紀によると、税金の徴収を初めて導入したのは崇神天皇であるらしい。これは発展を見通しているからこその選択である。しかし、民に恨まれるような仕事でもあったはずだ。間違えてはいけないことは、人間全体の意識が社会の発展を望んだということ。

現人神である天皇の仕事は、人間の集合的無意識の望む通りに現実で行動を起こすことである。人間からの恨みを買ってでも、崇神天皇は責任をもって大きな選択をした。だからこそ「ハツクニシラススメラミコト」という称号を与えられたのだ。

強い者は選択を与える

多様性を求める人間は望み通り多くの選択肢を与えられた。その選択肢を与えてくれたのは強い者たちなのである。その恩を忘れ強い者に悪意を向ける人たちが現代に多い。崇神天皇も当時は悪意を向けられていたのかもしれない。

最近は「多様性を認めない人」を否定する人間をよく見る。多様性は保ちたいのに争いは嫌だという。過去の選択を受け入れることができない、自分勝手な人間たちであると言える。多様性のあるこの世界で平和を望むことは難しい。

国譲りの真実

日本神話の国譲りの話は「恩を忘れた者たちが国津神を封じ込めた」おはなしである。原始の神の意志を継いだ国津神たちは、悪意を向けられても人間の為に戦ってきた。それなのに人間たちは強い者たちを攻撃し悪者に仕立て上げる。彼らは鬼と呼ばれようと、人間たちの意識の望むままに大きな選択をしてきたのに。

真実を見抜けない人間たちは「弱者」という免罪符を使い、強い者を攻撃し不満を解消するのである。これを書きながら怒りがこみ上げてきた。許せん。(これを書いている今、外では雷がものすごい。国津神は恐い。)

天皇家の仕事

私が怒っているのは、国津神を閉じ込めた人間たちの意識のことである。天皇家は天津神である天照大神を国の象徴として大切に祀っているが、国津神もちゃんと祀っている。そして、国津神のほうが格上であることも理解しているはずだ。

天皇家は人間たちの意識の望む通りに仕事をするので、天津神の方を上に立てた。でもほんとうは、天照大神を男性性と女性性が統合された太陽神として祀っていると思う。

悟りを得た崇神天皇

心を清めること

ところで、倭迹迹日百襲姫命を通して大物主神に「自分を敬い祀れば国は平穏になる」と告げられ、その通りにしたが災いが収まらなかったのは何故か。最初のお告げの時点では、大物主神の意志で災いが起きていることに崇神天皇は気がついていなかったのだろう。

この後、崇神天皇は再び大物主神に対策を尋ねる前に体を清め住む場所も清めた。清めることは心を綺麗にすること。すなわち「悟りを得る」ことを表す。曇りなき眼で物事を見ることができるようになった崇神天皇は、大物主神から「国が治まらないのはわたしの意志だ」と告げられる。

崇神天皇はここでやっと人間全体の意識が災いを起こしていることに気がついた。つまり災いを受け入れたのだ。そして大物主神の子供である大田々根子に大物主神を祀らせ、国民にも災いを受け入れさせることで国に平穏がもたらされた。

豊城命の夢

わたしは御諸山(三輪山)に登って東に向き、8回弄槍(ホコユケ=槍を突き出す)して8回擊刀(タチカキ=刀を振る)しました

それから、崇神天皇が後継者を選んだときの話に戻る。選ばれなかった兄の夢の内容を再び確認してほしい。豊城命は三輪山に登り、東を向き、槍を突き出し剣を振った。雑な考察になるが、これは「悟り」に到達するための試練を表していると思われる。三輪山は大物主神の住むところであるから、原始の神(大物主神)の意志を持って剣を振ることだと考えられる。

関連記事:剣を振ることは「悟り」の表現である

崇神天皇が豊城命を後継に選ばなかったのは、人間たちがそれを望まなかったからであろう。それよりも、社会を発展させた末にある多様な人間生活を望んだ。それが運命であった。今この時代であれば、崇神天皇は兄を後継者に選んだはず。

疫病の時代にやるべきこと

2020年という根の年

疫病が流行し人々の心が乱れている2020年。子の年であるから根の国の力(国津神の力)が現れる時なのかも。歴史は形を変えて繰り返すもの。崇神天皇が国を平穏にした方法は現代にも通用する。

天皇の力が通用しないほどの災いを治めることができるのは、大田々根子(原始の神の子供)である私たちである。つまり何をしたらいいのかというと、まずは原始の神のことを知る努力をすること。

原始の神について:こわい神様カテゴリ

自分が何者なのか知ること

原始の神を知ることは本当の自分を知ること。天津神と国津神に分かれる前の原始の神の気持ちを思い出すことができれば、人間が何のために生まれてきたのかが分かる。

疫病が起きたということは、今度こそ人間の存在理由について真剣に考える時代が訪れているということ。もう発展する必要はないし、人間の集合的無意識もそれを望んでいない。豊城命と同じ意識を発揮するときが来ている。

自分の存在理由から目をそらせばそらすほど災いは大きくなる。私達は原始の神に戻ろうとしていて、その意識に逆らう行動は災いを大きくする。災いの原因が私たち一人一人にあるということを認めることで、その災いは治まるのだけど、きっと人間はこの世界が崩壊するまで信じないのだろう。

関連記事:私たちが存在する意味

3月11日とハツクニシラススメラミコト

崇神天皇は、即位12年の3月11日に詔(みことのり)をしている。現代人にはこの詔の意味を考えてほしい。崇神天皇が生きていた時代は今と同じ状況であり、この先何が起こるのかはこれを読めばわかる。罪を祓い、過失を改めなくてはけない。

そこで陰陽(フユナツ)は間違って錯乱して、暑さや寒さが亡くなってしまった。疫病が沢山発生して、百姓が災いを負った。しかし、今、罪を祓い、過失を改めて、厚く神祇(アマツカミクニツカミ)を敬った。また教(ノリ)を広めて、荒ぶる俗人を従わせ、兵を挙げて不服(マトロワヌ)を討った。これによって官(オオヤケ=公=政府=朝廷)は廃れることなく、下々に隠れるものは居ない(=国の隅々まで把握している)。

https://nihonsinwa.com/page/979.html

3月11日という日付をみるに、あの大災害からは神武天皇と崇神天皇の強い意志を感じる。神武天皇は3月11日に崩御している。最近地震が多いからちょっと心配である。

詔とは(wikipediaより)
主として、古来より国家・朝廷の大事に際し、広く一般に天皇の意思を伝達するために発布された。

kushiyama-ike
櫛山古墳は豊城命の墓だったりして