前回の記事では「もののけ姫」から「呪い」の本質について紐解き、ストーリーそのものが「悟りの過程」であることも説明できた。「もののけ姫」のすごいところは、それぞれの登場人物たちがこの世界の真理をしっかりと描写しているところ。隙がない。今回は主要人物に隠された真理について考えていきたいと思う。

主人公アシタカが意味するもの

まずはアシタカから解説してゆく。ものがたりの主人公であり「悟りを得たもの」の象徴でもある。全ての人間はアシタカのような存在を目指して生きている。

エミシの生き残り

アシタカは古代の蝦夷

アシタカは自然と共に生きる民、なイメージ。もののけ姫設定によると、アシタカは蝦夷と呼ばれる一族らしい。500年前に大和との戦いに負けひっそりと山の中で暮らしていた一族。

古代の蝦夷(えみし)は、本州東部とそれ以北に居住し、政治的・文化的に、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団を指した。統一した政治勢力をなさず、積極的に朝廷に接近する集団もあれば、敵対した集団もあったと考えられている。しかし、次第に影響力を増大させていく大和朝廷により、征服・吸収されていった。

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一族の長「アシタカヒコ」

アシタカの本名は「アシタカヒコ」。最近ヒコ(彦)という字の意味を知ったのだが、男性首長の意味合いがあり、天孫・天神系の英雄に多く使われるとのこと。

3 – 6世紀にかけて地域の男性首長や貴族の尊称として使われた。
同じく首長の称号として3世紀から4世紀にかけて使われたネやミミおよびミと並立しているが、天孫・天神系の英雄にはヒコ、地祇系の英雄にはネが多く使われている。

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アシタカヒコのモデルは「アヂスキタカヒコネ」

大国主神と多紀理毘売命のこども

アシタカのモデルは日本神話の神、阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね)という情報を発見。ところで、日本神話には多くの神様が出てくるのだけど元々日本にいた国津神と天から下ってきた天津神に分けることができる。さきほどのwikipediaの説明にあるように「アヂスキタカヒコネ」の名前の中には「ヒコ」も「ネ」も入っているので、天津神と国津神の要素を両方もっていると予想する。ここで、改めて天津神と国津神の違いについてwikipediaからどうぞ。

天津神・国津神(あまつかみ・くにつかみ)は、日本神話に登場する神の分類である。大国主など、天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)を「国津神」、天照大神などがいる高天原の神を「天津神」という。

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アシタカヒコは天津神であり国津神である

もののけ姫に戻って「アシタカヒコ」という名前から考えられることは天津神の要素だけなのかな?ということ。けれど、蝦夷は土着の民。天から下ってきた神の子孫である神武天皇が各地を平定し大和朝廷が成立した。天津神が平定した大和朝廷への同化を拒否していたというところから分かるように、エミシ一族は元々の土地に生きていた民族である。アシタカの名前には天津神の要素があり、出身民族には国津神の要素。やはりアシタカは「アヂスキタカヒコネ」がモデルなのだろう。

ヒコ(日子)とネ(根)のひみつ

「ヒコ=日子」ということばについて。天孫降臨のおはなしからもわかるように天から下ってきた日の御子を意味している。高天原という目に見えない神様の国からやってきたのが天津神。そして「ネ=根」ということばについて。この根は「根の国」から来ていると思われる。根の国の意味は諸説あるけれど、地下の国・異国などと言われている。おそらく根の国って私たちが今いる現実世界のこと。現実という目に見える世界に元々いた神様が国津神。このことはたった今ひらめいただけなのだが…。根拠はこれから集めていくことにする。

陰と陽を統合するアシタカヒコ

正反対の性質のものを完璧なバランスにすること

日本の神様が国津神・天津神と分けられるのは、この世界の二元性を表しているから。「悟り」とは陰と陽、正反対の性質のものを統合すること。アシタカはものがたりの中で争いをまとめ、平和を取り戻した。集団をまとめ希望を指し示すもの。まさに「統合するもの」としての素質を持った人物なのである。

アシタカは「アヂスキタカヒコネ」という神と同じように、陰と陽の要素をバランスよく持ち合わせている。前回の記事に書いたように、男性性と女性性のバランスを完璧に均等にしたものだけが「悟り」にたどり着き本当の心の平和をもたらす。

本当の天照大神の姿

以前こちらの記事で、地神塔の一種、五神名地神塔に刻まれている5人の神様(埴安媛命・倉稲魂命・大己貴命・天照大神・少彦名命)の意味についてこんなことを書いた。

田畑の元となる土の神「埴安媛命」、稲荷神社の神で食物の神「倉稲魂命」、別名大国主で国津神のトップ「大己貴命」、天皇家の祖先「天照大神」、「大己貴命」と共に国土を造った天津神「少彦名命」。

人間の進化に於いて重要な3つの要素。それは大地であり土であり食物である(埴安媛命・倉稲魂命)。そして国津神(大己貴命)と天津神(少彦名命)の協力体制。最後に、集団をまとめ希望を指し示す天照大神の力。つまり、大地(根源)・陰と陽・それを統合するもの。

日本人の祖先「天照大神」も陰と陽を統合する存在であると確信している。女であり男であり、神であり人間である。日本神話の神様の中で、国津神なのか天津神なのかはっきりしない神様たちがいる。そんな神様たちについて様々な議論が交わされているようだけど、おそらく「統合するもの」としての役割を持っている。そして日本神話のストーリーもまた「悟り」の道順を表したものだと思われる。日本神話についてはもうちょっと勉強してから、今後解説してゆく予定。

サンとエボシが意味するもの

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女性の中に存在する男性性

前回の記事でも書いたけれど、サンとエボシはとても男性性が強い女性たち。2020年この世界でも、女性たちの男性性が強くなってきているのが目に見える。女性が権利や平等を主張し始めているのがその証拠。サンは山犬の神に育てられ、神々と共に生きる強い女性。一方エボシは人間の利益の為に生きる強い女性。まったく真逆の生き方をしている。

女性というのは実は、男よりもこころの強さを持っている。女性はこころの強さを持っているがゆえに感情的になりやすい。サンの方が感情に振り回されやすい様子。エボシは比較的感情をコントロールできていた様子。

エボシは男性性を表す

男性性の良い側面、悪い側面

アシタカは男性性と女性性のバランスがとれている存在なので男性性のみの象徴とは成り得なかったのだけど、「もののけ姫」の中で男性性を表しているのがエボシである。男性性の良い側面は社会を発展させる強さ、悪い側面が争いの原因になるところ。エボシの強さは人間社会を発展させる為のものであり、争いを広げる原因ともなる。それが男性性の強さ。

原始の神(シシ神)が望むもの

自然を破壊してでも人間の為に生きる、という強さは批判されるけれど、私たちの生活がその上に成り立っていることを忘れてはならない。人間が自然を破壊することなど原始の神は気にもしていない。そもそも破壊は原始の神の仕業。原始の神が望むものは成長である。生と死を司る神であり、それを繰り返すことが仕事でもある。原始の神が望む成長には男性性の方が重要。つまり、男の下に女がいることがこの世界の決まりごと。

男性性と輪廻からの解脱

「もののけ姫」の中で男性性の象徴をエボシという女性に当てたのは真理である。全てを包括するのは女性性。エボシは男性性の強さと包括する女性性を持ち合わせていたからこそタタラの村で男性たちを従えていた。それはエボシが正しい強さを持つことで、男性の上に立っているから。そういった女性は男性からも女性からも好かれる存在となる。しかし、同じくバランスのとれたアシタカのように平和をもたらすことができなかったのはエボシが女性であるから。何度も言うけれど原始の神は男性性を重要としている。これは現実世界で男性が重要ということではなく、こころの中に於いて男性性が重要ということ。輪廻からの解脱に辿り着くためのカギとなる。

サンは女性性を表す

女性特有の「呪い」

一方でサンは女性性を表している。感情に翻弄され、人間をひたすら憎む存在。こころの中の男性性が最大限に発揮されていて、本来バランスを取るべきこころの女性性が少ない状態。女性は生まれた時から強い「呪い」を抱えている。産みの苦しみ、男性の力がなければ生きていけないこと。こういった「呪い」を無意識で感じていて、男性に引け目を持っているから女は感情的になってしまう。女性は男性に成りたいのだ。始めはアシタカを受け入れなかったサンに、それが表現されていたと思う。

(3/19追記:わかりにくいかもと思ったので追記。ここは、サンが女性性が少ない女性として描かれている、という意味。女性のこころの中のおはなし。女性が注意しなければいけないのは、男性性を肥大化させすぎること。)

命を生み出す女性

けれど、女性のすごいところは「命を生み出す」ということ。強さを持った女性は新しいものを創造する。母なる大地や母なる地球ということばがあるけれど、生命の大本は女性性。男性性をも包括することに気がついた女性は男性よりも強い。エボシはきっとそのことを理解していた。だから人間の為の新しい社会を創造することができたのだ。女性が男性性に反発することは、包括する強さを遠ざける。

女性の強さは変革の合図

アシタカはサンとエボシが憎しみ合っているところを見て「呪い」の本質に気がついた。女が強さを出し始めるときは、人間が大切なことに気がつき始める合図でもある。サンのように、女性が自らの無意識に気がつき始めたとき世界が大きく変わるとも言える。そう考えると、女性の感情が露わになることは悪いことではないのだけれど、正しく理解しないと争いが激しくなるので見極めが肝心。男性には女性原理を理解する必要があるし、女性には男性原理を理解する必要があるということ。

女と男はまったく違う生き物

最近私が声を大にして言いたいことは、女と男は平等ではないということ。そもそも人間が男と女という別々の性を持って生まれてきていることに注目してほしい。神がわざわざそう作った意味を考えないといけない。男と女は違う役割を持っているのに、それを同じものにしようと考えることが不自然なのである。男も女もそれぞれの役割を理解し、お互いを認めあわなければ真の平和は訪れない。

終末ともなるとものごとが細分化され混乱が起きる。真実はわかりやすくシンプルなのに、情報が多すぎると混乱してしまうのが人間なのである。女→男→女→とループしているのがこの世界の真理。女は男の下でもあるし上でもある。このことを理解することが「悟り」でもある。

山犬と猪の意味するもの

「もののけ姫」の中では森の神々の代表として山犬(狼)と猪が登場した。なぜこの動物なのか、以前も紹介したこちらの本にヒントがあった。

山の神の手下たち

山犬と猪は、山の神の別のかたちである。この本によると、古代中国哲学の陰陽五行思想からそれが読みとれるとのこと。わたしは最近易占いの勉強をはじめたのだが、陰陽五行思想というものはすごい。理解したら世界のすべてが分かる気がする。

易の八卦は、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤、であるが、この八卦の中の「 艮」は、第 22 図で示されるように、自然では「山」、第23図の先天易の方位では「西北」に配当される。

山の神

分かりやすくいうと、易占いは50本の筮竹を使い占う。その竹を操作して最終的に乾(天)・兌(沢)・離(火)・震(雷)・巽(風)・坎(水)・艮(山)・坤(地)という8つの掛による組み合わせで占い結果を出すというもの。そんな八卦の中の「艮」は「山」を表し、方角で言うと「西北」を表す。そして陰陽五行思想とも結びつく、私たちにもお馴染みの十二支。十二支は時刻や方角を表すこともできる。十二支で見てみると「西北」は「戌亥」なのである。つまり山=戌亥(犬と猪)ということになる。

原始の神のはじまりとおわり

もののけ姫の中では、原始の神の住む森にいるのが山犬と猪。原始の神が目に見える形になったものが山犬と猪なのであろう。

章冒頭において論じたように、先天易で「 艮」、山は、西北の「 戌亥」に配当される。したがって、戌亥、すなわち、犬・猪は共に「山」であるはずであるのに現実では「亥」が真正の「山」として扱われるのに対し、「戌」はそれに準ずるものとして、副の位におかれている。正倉院の石板彫刻の例に徴しても、それは明らかである。先人たちは「亥」を、「戌」よりも、山の神にふさわしいと感じたから、亥を山の神として撰択したのである。

山の神

面白いのが日本の現実では「猪」の方が山の神として扱われているとのこと。日本の伝承からもそれが分かるそうだ。しかし「もののけ姫」では山犬一族の方がメインで扱われている。山の神を再び読んでいたらなんとなくわかったけれど、猪と犬の違いとは何か。「猪=はじまり」で「犬=おわり」を表すのだと思う。だから犬の方が原始の神の怖い側面。猪にまつわる伝承の方が多く残るのは、人間は「はじまりや再生」を好むから。「おわりや破壊」はとても恐いものだと無意識で理解しているので、見ないようにするのが人間のさが。

原始の神が現れる場所

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乙事主の由来

もののけ姫の記事を書いていた先週。父から、好きそうな記事をみつけたよ、とラインがきた。たぶん、私が縄文好きと知って送ってきたのだろう。読んでいたら乙事村(おっことむら)という村が長野県富士見町に存在していたと知る。気になって調べてみると、なんとそのあたりに宮崎駿の別荘があるらしい。イノシシ一族の長、乙事主(おっことぬし)はこの村の名から来ているみたい。「もののけ姫」はこのあたりで構想が練られたのかもしれない。富士見町は私も幼き頃から馴染みがある場所。諏訪大社にまつわる記事を書いた時も思ったけれど、このあたりは原始の神の存在が未だに残る場所なのだろう。

関連記事:諏訪大社と原始の神

アニメーションと原始の神

宮崎駿は「原始の神」からのインスピレーションを受けて「もののけ姫」を創り出した。日本の偉大なアニメーションは原始の神が表現されている。最近、Netflixで毎日ちょっとづつ見ているアメリカのアニメ「サウスパーク」にも原始の神を強く感じる。おもしろすぎるし、毎話真理すぎて唸る。作者の頭の良さを感じるし、日本とはまた違う表現方法で国の違いがよくわかる。「サウスパーク」とてもおすすめしたいけれど差別意識がある人には辛いアニメかもしれない。あと下品なのが無理な人はだめかも。差別を持っていることや下品なのを含めて人間であると認めたら争いは起きないのだけど、人間は美しさだけを求めがち。