今回は「ノストラダムスの大予言」のことを振り返りながら、予言者たちがなぜ予言をするのか?というところを考えていきたい。

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つぎに「このブログについて」を読んでもらうとこの記事への理解が深まると思います。

ノストラダムスの大予言

オカルトブームの火付け役

1999年7月に恐怖の大王が空から降ってきて、人類が滅びる。この有名なノストラダムスの大予言は当たることなくブームが過ぎさった。この予言が日本でブームになった経緯をwikiから引用。

『ノストラダムスの大予言』(ノストラダムスのだいよげん)は、1973年に祥伝社から発行された五島勉の著書。フランスの医師・占星術師ノストラダムスが著した『予言集』(初版1555年)について、彼の伝記や逸話を交えて解釈するという体裁をとっていた。その中で、1999年7の月に人類が滅亡するという解釈を掲載したことにより、公害問題などで将来に対する不安を抱えていた当時の日本でベストセラーとなった。実質的に日本でのノストラダムス現象の幕開けとなった著作であり、オカルトブームの先駆けともなった。

wikipedia

1973年にはオイルショックがあり、買い占めで紙不足が起きていた。また環境問題などからも不安を感じ始めていた日本人。高度経済成長が終わりを告げたこの時代。日本人の不安とは裏腹に、この後の日本はバブルで表向きの景気は最高潮になった。

不安とオカルト

不安を感じるとオカルトブームもやってくる。日本人の不安を察知する能力はすごい。先行きが怪しいと感じ取ると、紙(神)を求める。目に見えないものに救いを求める人間の性が現れている。

そして、バブル後にはちゃんと景気が下降した。阪神淡路大震災、サリン事件、同時多発テロ、リーマンショック、そして東日本大震災があった。紙の買い占めという行動は、はるか先の景気を読んでいたのかもしれない。ということは今回のコロナショックによる買い占め行動の先に見えるものは…

オカルトブーム到来中?

と不安を煽ってみた。今新たなオカルトブームがやってきていると感じている。今回のコロナウイルス騒動で、人類滅亡というワードでこのブログに訪れる人が急激に増えた。不安を感じている人が多い証拠だろう。(その後グーグルの検索アルゴリズムアップデートで人類滅亡ワードは消され、訪れる人がいなくなった…)

アメリカで「星占い」の人気が急上昇している。これまでも女性を中心に長く親しまれてきた星占いだが、スマホやSNSなどで気軽に利用できるプラットフォームが続々と登場したことも手伝い、利用者が近年ますます増加。
特にミレニアル世代の女性が、毎日の運勢チェックだけに留まらず、バケーションの目的地から転職の時期、そして人生のパートナー選びまで、人生の転機となる重要なタイミングで星占いを参考にしているという。

実際、リサーチ会社Ibis Worldによると、アメリカにおける星占いマーケットの規模は年220億USドル(約2,400億円)で、今最もホットな市場の一つとも言われている。

https://ampmedia.jp/2019/05/23/horoscope/

こちらはアメリカの話であるけれど、日本でも同じく占いブームは起きていると感じる。しいたけ占いの更新日になるとツイッターのトレンドに上がってくるのをよくみかける。占いを心の拠り所としているのがうかがえる。

そして昨今のオカルト界隈では、怪しい陰謀論者や予言者も増えている。かくいう私も前回の記事で「最後の審判」という地球最後の日が来ることを警告しているので、怪しい予言者の一人であるのかもしれない。

未来への不安を持つ人々

未来を保証するもの

予言も占いも私たちがまだ知らない未来のことを予測するものである。現代人は、今よりも未来のことを考えながら生きているように感じる。現代社会では未来の生活をより良いものにするために様々な対策がとられている。

例えば保険。生命保険も災害保険も、未来にもしものことがあったときの為に準備しておくもの。最近は、大学に入ることが当たり前の時代になった。もはや大学は未来の就職を有利にするものになってしまった。大学で働いていたことがあるが学生たちを見ていてそう感じた。心配性な人たちは未来の為の準備をしっかりとしている。

2018年度の大学・短期大学進学率が前年度を0.6ポイント上回る57.9%に達し、過去最高を更新したことが、文部科学省の学校基本調査(速報値)で分かった。大学での女子学生の割合も学部で前年度比0.3ポイント増の45.1%と過去最高を記録している。

https://univ-journal.jp/22013/

不安からの未来予測

最悪の事態への準備を整えすぎている現代社会のせいで、人間の心はどんどん弱くなっている 。こちらの記事でも書いたことである。常に安心安全な環境で生活したい人間は不安を避ける為の未来予測をやめられない。しかし、安全な環境が長い間続いていると恐怖への耐性は弱まり、少しのことで不安を感じるようになってしまう。

買い占めが起こったりオカルトが流行ったりするのは、不安を和らげる為の行動である。買い占めは未来で生き残る為の行動である。予言や占いは未来がどうなるかを予測し、心を落ち着けたり危機を回避する為のものである。恐怖を煽るものとして予言を批判する人々もいるけれど。

確かなものほど不確かなもの

恐怖を煽るもの

冒頭で触れた五島勉氏の「ノストラダムの大予言」。発表後、批判の嵐だったとのこと。そして1999年7月が来て特に何も起こらなかったので、信じていた人たちも怒ったのかもしれない。

恐怖を煽るものについて怒ったり不安を感じたりする人々。人間の心の中には「恐怖」を発生させるものが存在している。その存在が大きくなるほど、恐怖を煽るものを恐れて遠ざける。

科学的根拠を求める人々

SNSでよく見かけるのが、デマ発信する人を批判する人。ソース(出典元)が不確かな情報を広めることに怒る人たちは「デマを広げることでそれを信じる人が出てきて社会に悪影響を及ぼす」と口々にいう。そして、不確かな情報に対して出典元となる一次情報を求めたり、科学的根拠を求めたりする。

この行動は科学を信頼している証拠である。テクノロジーによってもたらされた安心安全な世界に生きていればおのずとそうなる。ミクロ世界の謎まで解き明かし始めた人間は、科学が全てであり「確かなもの」であると信じている。

デマ発信を批判する人々は社会の為に怒っているふりをしながら、自分の心に存在している恐怖に振り回されているだけなのであるが…。そんな「確かなもの」から生まれたSNSに振り回されている人間たちがAIに支配されるのも時間の問題である。

「確かなもの」はあるのか?

誰もが自分の未来は良いものであってほしいと期待している。期待が大きい人ほどそれを裏切られたり、不安を大きくされたりすると怒りがわく。そんな人たちはますます予言という不確かな予測を信じなくなっていくのだろう。

予言という不確かな予測を批判する前になぜ当たらないのかを考えてみよう。「確かなもの」こそ不確かであり、人間なんてまだまだ何も解き明かしていないことを知るべきである。この世界の複雑さを知らないことはとても愚かだ。

ちっぽけな人間の知識:物理学の未解決問題

未来予測は難しい

カオス理論からわかること

カオスは、初期値を少し変えただけで全く異なる結果を生み出すという性質(初期値鋭敏性)を持っている。ある自然現象の物理法則を完全に再現したコンピュータがあったとすると、このコンピュータで計算した未来の予測は100%当たるはずだ。しかし、どんなに完全に物理現象を再現したコンピュータでも必ず初期値を入力する必要があり、その初期値が微妙に違うと全く違った結果が出てしまうのだ。初期値を完璧に測れば済むことだが、それは不可能である。言い換えると、たとえ物理現象を完全に解明したとしても、初期値を完全に観測できないので、決して完璧な未来を予測できないのである。現在これだけ科学技術が発達しているにも関わらず、天気予報がなかなか当たらないのはこの理由から分かるであろう。

http://www.sci.kyoto-u.ac.jp/ja/academics/programs/scicom/2015/201511/11.html

カオス理論が教えてくれることは、未来予測の難しさ。高性能な計算機が生まれ、様々なことが予測できるようになった現代ではあるが未だ完璧な未来予測はできない。何故かというと、カオスという複雑なものがこの世界を支配しているから。

人間は自然の物理法則を解明しシミレーションもできるようになった。つまりインプットがわかっていればアウトプットもわかる世界にはなっている。しかし、そのインプットである初期値の設定がとても難しいから、アウトプットである未来が予測不可能になってしまう。

完璧な未来予測をするには、時間を一時停止してその停止した環境を全て事細かに調べ上げて初期値として設定せねばならない。この世界には様々な要素が存在する。それぞれの要素は絶え間なく変動している。それら全てのふるまいを計測する必要があるが、現時点でそんなことは不可能である。

バタフライエフェクトが意味するところ

バタフライ効果(バタフライこうか、英: butterfly effect)は、力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象。カオス理論で扱うカオス運動の予測困難性、初期値鋭敏性を意味する標語的、寓意的な表現である。

wikipedia

「一匹の蝶の羽ばたきがどこかで竜巻を起こすかもしれない」という考えが、バタフライ効果という言葉の由来となっている。カオス理論で重要なことは、とても小さな変化が未来での大きな変化につながるということ。

世界では小さな変化がそこらじゅうで起きている。例えば、家の中に入ってきた煩わしい虫を殺すか殺さないかの選択も、未来を大きく変化させる重要な選択かもしれない。人間のささいな行動でさえも、遠くの未来の出来事を決定付ける要素になっているのである。

3.11で、原発が津波に襲われ爆発したことについて「想定外」という言葉が使用された。バタフライ効果そのものである。人間が想定できない出来事が起きる世界に生きていることについて、頭に入れておく必要がある。

予言は当たらないものである

人間の行動は世界に大きな影響を与えるが、その一人一人の行動を制御することなどできないから未来がどうなるかなんて予測不可能である。カオスのことを理解していれば、予言が当たらないのも当然のことだとわかる。

私たちの日常はなんとなく過ぎていくが、そのなんとなくが積み重なり遠くの未来の現実となる。最悪の事態に備える制度を人間が作り出し利用するのは、未来予測が不可能であると知っているからとも言える。

確実に当てることはできないがシミレーションの精度は上がっているので、少し先の未来予測などは可能なのかもしれない。

本物の予言者の仕事

大げさな未来予測

予言者たちはいつも大げさなことをいう。大げさだから、不安を煽っていると感じて人々は怒る。預言者たちが何の為に預言するのかというと未来を変える為である。良い未来にするために、大げさに、そして恐ろしい未来予測をする。

その結果、予言の内容は人々に広まることになる。ノストラダムスの予言は五島勉氏のおかげで、日本に広まることになった。それをきっかけにノストラダムスの預言について調べたり興味を持つ人も増えたであろう。

人々は「恐怖の大王が空から降ってくる」という言葉について様々な解釈をして恐れた。多くの人は気がついていないが「何か恐ろしいことが起きそうだ、と人々が知ること」が重要なところである。予言が当たるか当たらないかよりも、人間の意識を変えることが予言者の目的なのである。

予言者は意識を変える

意識を変化させれば行動も変わる。本物の予言者はカオスというこの世界を支配しているものを理解している。小さな変化が未来を大きく変える可能性があることを知っているから、人間の意識に働きかける為に警告するのである。

恐ろしい予言を信じる人の数は少なくても、その少数の意識が変化すれば予言者たちの仕事は意味のあるものとなる。そして本物の予言者は人間の未来を憂いている。予言内容よりも予言を使って何を訴えたいのかが大切なのだ。

悪魔に取り憑かれた偽予言者

偽予言者は「恐怖」を利用する

本物の予言者もいれば偽物の予言者もいる。「恐怖」を遠ざける人は自らの心の弱さを認識しているから、偽予言者からも距離を置く。しかし自らの心の弱さに気がついていない人は偽予言者に騙されてしまうことがある。

偽予言者は「自分の予言を信じることで災いを避けられる」と言いながら、「恐怖」を利用し人々を扇動している。偽予言者に近づいていく人は一見「恐怖」に耐性があると思われるが、偽予言者が「恐怖」から解放してくれると信じてしまうのならば心の弱さを持っている。決して他人は「恐怖」から解放してくれない。

偽予言者の心の中にも「恐怖」がある

偽予言者は恐怖を利用して人間を惹きつけることを目的としている。彼らは表向きは人間の未来を憂いているが、内面では自分の正しさを証明することに必死なのである。偽予言者は正しさを他人に認めてもらうことで、心の内に存在する「恐怖」に抗っている。

信者が増えてしまえば「恐怖」と戦う必要がなくなるが、本当の困難が訪れた時には自分の中の「恐怖」に食われて暴走してしまうだろう。

全ての人間は「恐怖」に操られているので本物と偽物を見分けることは難しい。五島勉氏のノストラダムスシリーズを3冊読んでみたが彼は本物であると感じる。五島氏も自分の正しさを証明しようと、本の中では批判する人々に対して憤りを感じていた。けれど、彼はある信念に突き動かされていた。

何のために「恐怖」と戦うのか

五島氏は批判を受けるという「恐怖」に筆で対抗している。「恐怖」に負けていれば同じテーマで10冊も書き続けられない。彼の一貫したテーマとは人間の未来への警告である。彼の解釈について、本をちゃんとに読まないまま批判する人もいるし、ノストラダムスの原書と見比べ彼の解釈は間違っていると批判する人々もいる。そういう人々に限って警告に気がつかない。

正しさを求めすぎる人は大切なことに気がつかないことが多い。ノストラダムスは大昔に生きていた人である。いくら調べたって、彼に深く関わった人でなければ彼の真意など知ることはできないのだ。人間は不確かなことを調べ、実証し、科学を発展させてきたが、未だに人間の心の中を読み取ることはできない。

予言を信じない人々について

責任を押し付ける人々

予言を全て非科学的だと馬鹿にして、科学だけを信じる人たちほど未来を悪い方向に導いている。何かを批判する人の多くは、責任を他人に押し付けることが得意だ。批判だけはするのに、自らの行動に責任を持たず自分勝手に生きている。

その結果が現代社会そのものである。「自己責任」という言葉に批判が集まっていることが、そのわかりやすい表れとも言えるだろう。自分で責任を取ることを嫌がっている。

可能性を信じない人々

小さな変化でも未来を大きく変える可能性があることについて、人間はいまいち理解していない。予言を荒唐無稽な未来予測としか捉えられないのならば、未来は予言者の警告通りの結果となるであろう。悪いことをすれば悪いことが起きる。予言者じゃなくとも人間なら誰でも予想できること。

予言に真剣に向き合い考える人々は幸いである。予言の本当の意味を理解すれば、日々の生活に意味を見出すことができる。悪い結果を出さないためにも日々自分の思考や行いを見直すことがとても大切なのである。

予言を信じることは人間の未来を考えること

他人を裁く愚かな人間

五島勉氏の「ノストラダムスの大予言」は、原書であるノストラダムスの予言集を独自解釈して私たちに忠告してくれた。彼は人間の生き方について疑問を投げかけ、その先にある破滅を警告していた。

自分の生き方について真剣に考えることよりも、他人を裁くことに必死な人々。他人に責任を押し付けることに慣れ、自分のことは決して裁かない。その行為がこの世界を破滅へと導いているのに、そのことに気がつかぬまま現在まで来てしまった。それでも、これから自己改善していけるのならばまだ希望はある。

未来を乗り越える為に

今からでも自分の罪をしっかりと見つめることができるのならばまだ間に合う。自分に向き合い続けて「恐怖」を克服すること。それが「悟り」であり、「恐怖」を超えた先には「生きる」ことの意味を知る瞬間がある。

生きる意味を見出すことができれば何が起きても「希望」が失われないのである。偽の予言にも惑わされない。そして、悲惨な未来が訪れてもその責任を負う覚悟ができる。

「生きる」ことについて真剣に考えること

自分の人生や生き方について真剣に考えている人はどれだけいるのだろうか?便利で快適な生活に慣れ目先の欲ばかり求め「生きる」ことの意味を考えない愚かな人間たち。そんな人間たちは破滅に向かっている。ノストラダムスはそれを予言していたのだ。

ノストラダムスの真意とは

秘密を守る集団

1998年7月に発売されたノストラダムスシリーズ最後の本である「ノストラダムスの大予言 最終解答編」にとても興味深い記述があった。その内容を紹介していく。

五島氏は宗教ジャーナリストである知人に「ノストラダムスの直接の資料を伝える人物がフランスにいないか?」と、彼のツテを頼みの綱としてそんな人物の捜索を頼んだ。依頼してから10年ほどたち、ついに彼から連絡が来た。

それは、ノストラダムスの故郷である南フランスで予言の秘密を守っている集団から通告を受け取ったという連絡であった。彼らはノストラダムスから直接口伝で秘密を受け継いでいる集団らしい。その通告内容は五島氏に秘密を明かすことを決めたこと、秘密を明かす集合場所と時間の指定もあった。通告文最後の部分を引用する。

あなたが彼の墓の前に立ち、恐怖の大王の真の正体を、大予言の最後の秘密を、人類や世界やあなたの国の究極の運命を、目をそむけずに知る勇気があることを祈って、通告を終わります。

ノストラダムスの大予言 最終解答編

五島氏は謎の集団からこの通告を受け取り、フランスへと向かった。そして二人の修道士に出会いその詳しい内容を聞いた。その修道士と五島氏との会話を全て紹介すると長くなってしまうので、重要な部分をかいつまんで引用させてもらう。

破滅までの厳しい秒読みの時代

二人の修道士は、今後の地球の未来について「破滅まで厳しい秒読みの状態が続く」と語った。それに対し五島氏は「秒読み状態の結末がどうなるのか、ノストラダムスは何か言い残していないのか?」と尋ねた。

言い遺しませんでした、とビノ師は答えた。しかし、言葉になっていない答えのひとつがそこにあると思います。師はそう言って、ランプの陰の小部屋をーさっき彼ら自身が佇んでいた小部屋を振り返った。

そこにノストラダムスの墓があった。墓と言っても、さっきショフールも言っていたように、教会の小部屋の壁の一部に彼の墓碑銘が彫られ、その奥に彼の遺体が葬られている変わった墓だ。しかも言い伝えでは”立ったまま”の姿で。

それは1566年の彼の死の直後、すでにそういう姿で、別の教会の壁に葬られたのだという。

ノストラダムスの大予言 最終解答編

破滅までの秒読み状態の結末について、修道士はノストラダムスの葬られ方に答えのひとつがあると語った。ノストラダムスは立ったままの姿で葬られているらしい。

死んでも生きている状態

なぜ立ったまま葬られているのか、いろんな説があってよくわからない。しかし、そのように葬るように、彼が息子と内弟子に遺言して死んだのは確かなようだ。危機と破滅の時代を予見したものとして、その姿が一番ふさわしい、と。

「つまり彼はこういう葬られ方によって、危機の時代の人類がどういう姿勢で生きるべきかを示したんだと思います。」

「もっと具体的に言うと?」

「つまり、立っているということは、生きているということです。しかし彼が死んで葬られたのは事実です。だからそれは、死んでも生きている姿勢を続けている状態です。言い換えれば、それは生きながら死んでいる状態です。」

「恐ろしいことだ!」

「そう、恐ろしい、しかし、この覚悟を持てば、それ以上に恐いものはありません。」

ノストラダムスの大予言 最終解答編

私はノストラダムスが立ったまま墓に葬られていることを初めて知り「生きながら死んでいる状態」について言及していることにも驚いた。私は以前このブログで「悟り」とはどういうことなのか、こう説明している。

「悟り」とは心が一度死んだあと再生することである。その内情の説明は難しいが、言葉で表現するとしたら「ナイフ」で心を刺され一度死んだあと、全てを知り復活すること。

これは「悟り」が起きるときの状態を説明したものであるが、「悟り」とは生きながら精神が死ぬことであるということ。修道士の言う「生きながら死んでいる状態」とは「悟り」のことであると、私にはすぐに理解できた。危機の時代を乗り越える方法はやはり「悟り」以外にはないのだ。

関連記事:生きながら死ぬことについて

(2020/11/04追記 「悟り」と書いてあるところを「輪廻からの解脱」と読み替えてください。これ以降に出てくる場合も。この時はまだ定義が定まっていなくてあいまいでした。「悟り」と「輪廻からの解脱」の意味の違いはこちらで説明してます。)

責任をとることは覚悟を持つこと

人間が蒔いた種は人間が刈りとる

五島氏がノストラダムスの口伝を受け継ぐ修道士と会ったことについて、疑わしいとしている人々もいる。ノストラダムスが立ったまま埋葬されているという証拠もネットを探しても出てこなかった。しかし、私はノストラダムスの真意は正しく五島氏に伝えられていると信じている。

残念ながら、悲惨な未来を乗り越える為に「悟り」というものすごい難しいものを目指すしかなくなってしまった。ノストラダムスの真意からはそれが読み取れる。そのことについては私も薄々気づいていたことではあった。

人間が早くに予言に耳を傾け、改善していれば「悟り」なんていう難しいものを目指すこともない平和な世界があったのかもしれないのに。

未だに目に見えないものを信じることもできず、不確かな情報に振り回され批判しかできない人々、自分の思考や行動を省みることができない人々は、残念だけれど苦しい未来を経験することになるだろう。

過去の過ちは全人類で請け負う

現代に生きている人はこの世界の現状について、過去に生きていた人たちのせいにするのかもしれない。過去生きていた人たちの責任はそのまま今生きている人たちが請け負う。それが輪廻転生というシステム。人間がやってきたことは人間が責任を負う。子供から大人まで平等に責任がある。

今現在の行動の結果は未来でわかる。そのときに全人類で責任を取ることになるから、自分だけは関係ないなんて通用しない。どんな未来がやってくるかは予測不可能ではあるが「何を信じるかで未来は変わっていくもの」。このブログを読んでくれている人だけには伝えておきたい。

しかし実は私は、「初巻」の最後の結論部分で、そうした大破局への警告とはまったく正反対のことを書いていたのだ。

それは、「ノストラダムスの予言の的中率は高いが、それはユダヤ西欧のもともとの未来観(神の裁きによる終末がいずれ来るという思想)の延長上にあるもの。日本人はそれとは別の、”人間の力で世界は変えられる”という未来観を持てるはずで、それさえ持てれば西欧型の大破滅など乗り越えられる。より小さな部分的な破壊で済む。」というものだった。

ノストラダムスの大予言 最終解答編