前回の続き的な記事です。輪廻からの解脱方法についてわかりやすく説明してくれているものってこの世界に無いような気がするので書いた。

輪廻転生について

輪廻とは

輪廻とは何度も転生し生まれ変わること。前回の記事冒頭で紹介した「悟り」の段階表からわかるように、「輪廻からの解脱」を目指し修行しているのが人間である。人間は「悟り」の段階を登っていくために生まれ変わり、最終的に輪廻から解脱することが約束されている。

輪廻(りんね)とは、サンスクリット語のサンサーラ(संसार saṃsāra)に由来する用語で、命あるものが何度も転生し、人だけでなく動物なども含めた生類として生まれ変わること。

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成長ありきのシステム

現代では輪廻を信じない人が多くなっている。輪廻は精神を成長させるためのシステムであるが、輪廻を信じなくなると成長も進まない。貧困な国に生まれたりとかは「悟りレベル」が低いことが多いんだけど、これを言うと現代人は怒るのだろう。

不平等や格差社会を悲しむ人は輪廻の仕組みを信じなくなってしまっただけである。そんな人は悲しいかな、成長のための努力をしなくなってしまう。厳しいことを言うけれど、生まれた環境と精神的レベルはちゃんと比例している。過去の努力の結果が現実である。

関連記事:輪廻転生と自己責任

日本の「悟りレベル」は高い

輪廻とは成長が目に見えるとても分かり易いシステムとなっている。しかし、「悟り」レベルが上がってくると豊かな国に生まれてくるので、人間はあぐらをかく。現代日本でも豊かさの中にいながら「生きづらい」と不満をもらす人がいるのがその証拠である。

輪廻とは自分の間違いを正すために存在しているのだが、「悟りレベル」が上がるほどに自分の間違いを正すことが難しくなる。豊かな環境に慣れすぎることは「輪廻からの解脱」を遠ざける。

豊かな国では社会システムが整いすぎているために、自らの行いに責任をとらなくなる。誰かが責任をとってくれるので、自分が間違っていることに気がつきにくい。「輪廻からの解脱」が近くなるほど試練は難しくなってくる。豊かな国トラップを乗り越えるには強い精神力が必要である。

無我と無明

無明という煩悩について

輪廻から解脱するには、阿羅漢レベルで滅する煩悩のひとつ「無明」について考える必要がある。前回の記事から「無明」についての部分を以下に再掲。

つまり、無明とは「輪廻の解脱方法を知らないこと」だ。「無我であることの教義についての無知、誤解を指す」とある通り、無我を理解した人が「解脱した」と勘違いすることがありそうなので、無我と無明の違いについては次回記事で詳しく。

無明とは、輪廻の解脱方法について知らないこと。阿羅漢という悟りの最高レベルで滅するべき煩悩である。無我と無明の誤った知識が輪廻からの解脱を妨げるので説明していく。

まずは無我のおさらい

あらゆる事物は現象として生成しているだけであり、それ自体を根拠づける不変的な本質は存在しないという意味の仏教用語。

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この世界の存在全てはただ生成しているだけであり、存在に意味がないということに気がつくのが無我体験。つまり現実は人間を惑わす幻想であることに気がつく。これを経験すると、人間を縛り付けているありとあらゆる価値観がきれいさっぱり無くなる。

そうすると、苦を生む現実に惑わされないのでかなり幸せになれる。苦を感じる仕組みが理解できて、こんな単純なことだったのか、と拍子抜けするくらいびっくりするのである。この段階では苦の元となる現実が幻想であったことに気がつくだけで、まだ苦が訪れるのがポイントである。しかし「輪廻から解脱」したような気分にはなれる。

無我の落とし穴

無我と無明の違い

無我を理解したあと順調に悟りの段階を登っていくと、無明という煩悩が滅する。ここで初めて、全ての存在が生成している原因となるものがわかる。苦をもたらす存在の原因がはっきりと理解できて、原因を断つのである。

無我を理解する…苦を無視できる(苦はまだ有る)
無明を理解する…苦が作られなくなる(苦が無くなる)

無我体験で十分な人間

無我体験で「存在全ては意味がない」ということを疑わなくなってしまうことがある。「この世界は幻想である」という理解で止まってしまうと、その先に進まなくなってしまうという無我の落とし穴。

無我体験で「輪廻から解脱」した気分になっているので修行を終えてしまう人が多いのかと思う。ある意味それは正しくて、人間として普通に生きて行くのなら、苦を無視できるようになる無我体験だけで十分である。

苦を無視できてしまえば、現実世界に起こる全ての出来事の原因など探らなくてもいいわけで。しかし、無我体験で満足してしまう人間は輪廻から解脱できない。

輪廻からの解脱方法を詳しく解説

輪廻とは生成すること

輪廻によって現実世界が生成されている。この世界の現象には原因の無いものが存在しない。現実世界に起きる現象は全て結果であり、結果には必ず原因がある。輪廻を止めるには、輪廻が発生する原因を絶つことが必要。

原因を作らなければ結果が出てこないので輪廻が終了する。言葉にしてみれば簡単なことだけど、原因を作らないことが実に難しい。輪廻を止める手順を3つのステップでまとめていく。

輪廻からの解脱方法

1.結果の原因を知る

まずは、輪廻の原因を知ること。輪廻を発生させているのは自分自身である。全ての存在や現象を創り出しているのが、自分自身であると気がつくことが第1ステップ。他人に起きていることも、テレビの向こうで起きている戦争も全部自分自身が原因である。

自分に全く関係ないと思われることも、自分に原因があると理解する必要がある。例えば、殺人事件が起きたというニュースを見たとしよう。その殺人事件さえも自分自身が起こしていることなのである。

「幸せで平和な出来事」を自分自身が起こしていると認めることはたやすい。「目を背けたくなるような出来事」も自分自身が起こしていると認めないといけない。それを完全に認めるためには、次のステップで自分の中にある「悪い心」に目を向ける必要がある。

2.自分が悪い人間であることを認める

「人を殺すほどの醜い心」が自分の中にあることを認めることこれが想像以上に苦しいので「輪廻からの解脱」の難関となっている。認める為に「これは絶対に自分のせいではない!」と感じる理不尽な出来事が起きる。

理不尽で悔しくて悲しくて殺したくなるほど憎くて、そんな感情を持つ自分が惨めで死に追いやりたくなるほど。そんな感情が何日も続き眠れない。この過程に耐えることができず、自殺したり、殺人を犯したりすることもあるのかもしれない。

この経験を経て、最終的に「全ては自分が悪かったのだ」と認めることができるようになる。ここで、この世界に起きる全ての悪い出来事の責任を負えるようになる。青空が晴れ渡るように、心がとてもすっきりする。

3.死の恐怖と戦う

まだまだ試練は続く。最後の仕上げは死の恐怖と向き合うことである。人間である限り避けて通れない死。第2ステップを通過する強さを持っていれば、おそらくこの試練には打ち勝てる。

現実で辛い出来事が起きる。自分自身を恐怖に陥れるような出来事であるはずだ。実は、第2ステップでは遠くの世界で起きていた「悪い出来事」を認めることができていただけ。この段階ではその出来事が目の前に迫りくる。身近な死も、自分自身が引き起こしていることを認めることが最後の試練である。

死を認めないよう心はありとあらゆる抵抗をするが、ここで強さを持ち、死を受け入れることができたら成功である。死を認めることで、やっと輪廻の原因を作るものを理解する。原因を知ることで輪廻を止める方法を知るのである。

輪廻からの解脱方法 まとめ

この世界に残された解脱情報

ここで注意したいのは、これはあくまでも私に起きたことで、全ての人が全く同じ道順を辿るかどうかはわからない。しかし、この3つのステップで大体は合っていると思われる。

そう思うのも、ブッダもイエスもオカルティストたちも解脱の方法について情報を残してくれていたから。それら情報をかき集め自分の経験と照らし合わせた結果、この解脱方法をまとめることができた。

解脱情報は選ばれた人だけが持っていて、尚且つ隠されていたので参考にするものが少ない。今後も引き続き調べてゆくので、解脱方法についてはまだまだアップデートしてゆきたい。

わたしは解脱したのか?

それから、私は輪廻を止める方法を知っただけである。私自身が完全に「輪廻から解脱」しているのかというと、わからない。原因を作るのを止めて残された結果をただ楽しんでいるのが今なのかもしれない。

ということで解脱方法は知ったものの、私の日常は普通に続いている。この件についていろいろと考えた結果、私を含めた人間全員が「輪廻から解脱」していないので現実世界は終わっていないと思われる。そのことについては次章から説明していく。

個人の解脱と全体の解脱

全人類「悟り」計画

地球上全ての人間が「輪廻から解脱」することはそもそも難しい。解脱によって人間を救うはずの宗教の教えは戦争を起こし、本当の奇跡を起こすことさえできていない。輪廻から解脱する人が少なすぎる。

しかし、地球上全ての人間が輪廻からの解脱を完了する方法がある。キリスト教では「最後の審判」と表現され預言されている。ちなみに、エヴァンゲリオンで言うところの「人類補完計画」である。

その方法とは、人類が解脱せずとも世界を強制終了させること。強制終了が起きる時、ある意味地球上全ての存在が「輪廻から解脱」するのである。

強制終了の方法とは?

ずばり、自我に備わった怒りが世界を強制終了させるのである。瞋恚(しんに)という煩悩に再び注目してほしい。前回の記事を参照あれ。瞋恚(しんに)とは「我(自分)に背くことがあれば必ず怒るような心」。単なる怒りではない。

この怒りは太古から続くものである。人間という存在が生まれたときにこの怒りの原因が作られているので、DNAに深く染み込んでいる。つまりこれは、死を認めないという強い意識のこと。人間自らが死を設定したのだが、そのことを認めたくないから怒りが湧く。

その怒りを滅し、輪廻から解脱する人はほんの一握りである。人間はそれを見越しているから、強制終了する日を予定に組み込んでいる。それが地球最後の日。私たちは強制終了の日がやってくることを知っているのだ。

2種類の解脱

私たちはちゃんとゴールを決めていた。条件が整ったらこの世界を強制終了させる。瞋恚という怒りを乗り越えた人は最後の日が訪れる前に解脱できるし、そうでない人は世界の終了と共に解脱することになる。解脱には、個人の解脱と全体の解脱が存在するということ。

怒りが渦巻く現代社会。着々と「最後の日」へ向け準備を進めている人類である。怒りをぶつけ、自らの死をもって解脱したい人たちが世界を強制終了へと導いている。

そんな人たちを止めようとしても意味がない。わたしたち自身がゴールを決めていて、それを了承済みでこの世界の人間を演じているから。そんな世界を生きているのが私たちなのである。

最後の日に備えること

最後の日は本当に来るのか?

ここまで読んでくれた人の中には、最後の日なんて本当に来るのか?と考える人もいるはず。それを信じるか信じないかはもちろん自由。どんな生き方をしてもいいのがこの世界の良いところである。人間は死と引き換えに自由を手に入れているので。

残念ながら現代人は目が曇ってしまったので、自由を感じられなくなっているようだが。そんな中、私は自由な活動を始めた。人間の目を開かせ、最後の日に備えるための記事を書くことにしたのだ。

最後の日はきっと突然やってくる。家族と楽しく食事している最中だとか、あるいは子供を産んだ次の日かもしれない。その日は誰にもわからないのである。最後の日を楽しむ為にも心の準備をしておこう!というのがこのブログの趣旨の一つでもある。

最後の日を楽しもう!

信じないまま最後の日を迎えたとしたら、恐ろしくておしっこちびる。まぁ最後の日だからおしっこちびってもいいか。というか、私もその時がきたら恐ろしいと感じるだろうから、楽しんでしまえばいいや!と意識を変えることにしたのだ。

私は最後の日が来ないことも一応予想はしている。最後の日が来なかったらとても恥ずかしいが。ただそれだけのこと。自分が間違った情報を発信していたとしても、もうどうでもよくなってしまった。

何故ならわたしはこの世界が幻想だと知っているから。でも根が真面目なので、オカルト情報はちゃんと精査していきたいと思っている。

最後の日は最初の日につながる

最後の日には人類全員が「輪廻から解脱」する。それよりも重要なことが、今どんな行動をとるかによって次のサイクルのスタートが変わるということ。世界が終わった後は再生が起きまた何かが始まるのだ 。

次のサイクルの為にも、できれば最後の日を迎える前に輪廻から解脱しておくことが良いし、それが無理そうなら自我を活用してなにかしら行動すると良い。もちろん何もしなくてもいいが。私は次に行く世界をより良いものにするために情報を発信している。

私は次のサイクルスタートで見たこともない素晴らしい世界に行きたいので、今自分ができる善行を積んでいる。実は自分のことしか考えていない。自分の為になりふりかまわず全力で生きることが「輪廻から解脱」するよりも大切なことだったりする。