輪廻転生と自己責任 前半

エドガーケイシーから輪廻転生を学ぶ

この本を読んだ。
ジナ・サーミナラ 著「転生の秘密」
ブックオフで古いものを手に入れたので改訂版が出ているの知らなかった。

エドガーケイシーは特別な能力を持っていて、身体に不調がある人や精神病の人達を治療してきた。その方法は不調の原因を前世から探るというもの。彼は眠りに入ると、相談者の前世を見ることができる。この本はケイシーの治療レポートの例を上げて、不具合の原因を解説してくれている本。

輪廻転生のしくみの一部まで教えてくれるオカルティストにとっては興味ぶかすぎる本だった。実際に治療してきたので今世まで彼の名前は残っているのだと思う。

輪廻転生のしくみ とは

輪廻のしくみから言えることは、現在の自分の状況は遠い昔からの積み重ねの結果であるということ。人間の魂は永遠に変わらず、肉体だけが新たに生まれ変わる。肉体が無くなっても魂の行いは記録されているのだ。

人間は生まれてくると前の肉体での出来事を忘れてしまうが(稀に覚えている人もいる!)どこかに過去の行動全てが記録されているらしい。エドガーケイシーはその場所をアカシャと呼んでいる。彼はアカシャにアクセスできるので、治療者の過去が分かるのである。スピリチュアル界隈でよく聞くアカシックレコードというのは、このアカシャのことだと思われる。

仏教とヒンドゥー教には閻魔さまという神様がいる。閻魔さまは人間の行いを全て記録していて、地獄において死んだ人間を裁く役割を持っているという。もしかしたら、アカシャを管理しているのが閻魔さまということなのかもれない。

輪廻転生と因果応報

因果応報という仏教用語は、この世に表れている現象(結果)には原因が必ずあるという意味である。この世で起きている現象の原因を突き止めているのが科学だったりするので、これって当たり前の話でもある。

エドガーケイシーのように病気の原因が前世にある!とか言ったりすると、そんなオカルト信じられない。という風潮があるのが現代なので、目に見えないものに原因があると言われても信じられないのはしょうがない。

しかし、因果応報・輪廻転生の法則を信じてみると、原因の分からないものにも答えが見えてくるのである。

不条理なできごと

世の中には納得できない結果や、原因不明な結果があったりする。この記事を書くにあたって、理不尽と不条理の違いを学んだ。しらなんだ。日本語ってむずかしい。こちらのサイトから引用させてもらいます。

「理不尽」は、他人の理屈に合わない行動を対象とする場合に用います。 「不条理」は「道理に合っていない」「道理に反すること」、 「理不尽」は「道理を出し切っておらず、納得できない」を意味します。

引用元:英語部

自身の人生を決める機会を誰にでも平等に
与えられることが「正しい筋道」となりますが、
今の世の中はそうなってはいません。
これを「世の中の不条理」などと言います。
人の力ではどうしようもないことが「不条理」です。
このように、「なぜ?」と言われても答えが出ない、
運命の悪戯であるとしか説明するしかないことに対して
「不条理」を使います。

引用元:英語部

そう、この世は不条理なことだらけ。突然の事故、不治の病、なすすべもない結果。不条理なことが起きると「神はいなかった」って思ったりするのが人間でもある。

輪廻転生を信じてみる

私は輪廻転生を信じている。というか、信じないとこの世界で現実として起きていることの辻褄が合わないので信じるしかないとも思っている。

最近、悲しい事故が多発している。犠牲者ご家族の気持ちは、想像もできない悲しみだと思う。

しかし、輪廻というシステムが正しいとすれば…。目に見えるものしか信じない人達からはブーイングを受けそうではあるけど、何の罪もないと思われる人が亡くなることにも実は原因が有り、結果が現れたのだと私は理解している。

人間は生まれた時から、そして生まれる前から無数の選択をして今ここに存在する。何が起きたとしてもそれは選択してきた結果であり、運命でもあるのだ。輪廻を信じるということは、この世は本当の意味での「自己責任」であると理解することでもある。

自己責任とは結果を受け入れるということ

「自己責任」という言葉は、冷たい印象があるかもしれない。「自己責任=弱いものを切り捨てる」というイメージを持つ人々に共通する心理として「責任を取りたくない」「悪いことの原因は自分以外にある」という気持ちがあるのではないだろうか。

私は輪廻転生というこの世界のしくみに納得し、そうすることで不条理な出来事も受け入れられるようになった。悲しい事件に触れても、感情移入しすぎないようになった。犯人探しや原因を探ることよりも、その事件が起きたことの意味や変えていくべきことなど、に思考が向くようになった。

結果を受け入れることが出来ないから人間は争うのだけれど 、それが簡単にできるのならばこの世界は必要ない。不条理な結果でさえも受け入れることを学ぶために人間は生きている。全ての結果を受け入れるという技を習得できるのが、「悟り」という体験だと思う。

受け入れられない人たち

誰しもが人生の中で、悲しい出来事、許せない出来事に遭遇する。そんな時、不条理な出来事の原因を”何か”のせいにすれば、人間は罪から逃れることができる。最近は目に見えている嫌な出来事に対して、国や国のトップに責任を求める人々がいるけれど、それは自分の罪から逃れているだけなのだ。

目に見えている世界が”悪い状況”だと感じてしまうこころ。それは、起きたことを受け入れて認めることができないと生まれる。「自己責任」を真に理解している人は結果を受け入れることができる。結果を受け入れることは、諦めとは違う。これ重要。

人間の罪「影」

人間の罪というのは、一番受け入れたくない自分のこと。見たくない、自分の嫌いな部分。何かを否定する行為は、その人自身がその否定するものと同じものを持っているから。ユング先生が言うところの影というやつ。人間ってすごくわかりやすい生き物なのだ。

私の経験から言うと「悟り」とは自分の影と向き合いはじめるとやってくるものだと思う。影との最終決着のあと、勝利すれば阿羅漢になるのかも??

基本的に人間は影から逃げる。影から逃げた結果、自殺する人もいる。事故や病気などで死を迎える人は、影にいったん負けたとか、もしくは、その人生の中で体験すると決めた課題などが完了したか。そしてまた生まれ変わり、影との対決に備えて課題をクリアしたり、影との闘いに再チャレンジするのが輪廻のしくみ。

って偉そうに書いているけど、私の思う輪廻のしくみはこんな感じだと思っている。わたしの「悟り」までの道のり、今起きていること、学んだオカルト知識を総動員して出した結論でもある。

自由意志の存在

そうやって私たちは何度も生まれ変わり、少しずつ精神が成長していくのだけど、それが出来るのは 「自由意志」が残されているから。「自己責任」の世界ではあるけれども、私たちには選ぶ権利がある。輪廻転生は悪い面ばかりが注目されるけれど、善いことをすれば結果として次の人生にそれが反映される。悪いことが起きたとしたら自分自身を見直し、行動する。結果はすぐに表れないかもしれないけど、輪廻転生を信じればすばらしい世界が待っている。

輪廻転生を信じなくなってしまった人間たちは何度も罪を犯す。死んでしまえばそれで終わりだと思っているから。残念ながら罪を犯したら、いつか必ずその代償を払うことになる。だけど、罪は必ず許される。反省し、成長しようという意志さえあれば、変化を起こすことができる。それが私たちに残された唯一の道でもある。

長くなってしまったので、後半へつづく。


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