投稿日:2019-10-07 | 最終更新日:2020-03-09

映画「ジョーカー」を公開初日に観てきた。久しぶりに劇場での映画鑑賞だったのだけど、何故この映画を観に行こうと思ったのか自己分析してみた。それからこの映画の意味するところも考察してみた。この記事は「ジョーカー」を観終わった人に読んで欲しい。


ジョーカーを観に行こうと思った理由

わたしは、これからの時代「悪の存在する意味」を知ることが重要になってくると思っている。だからこそ、バットマンの悪役であるジョーカーを主役としたこの映画を観に行こうと思った。

小説も漫画も演劇も映画も、全ての物語は私達に何かを伝えるために存在していて、それに気づくか気づかないかは私達に委ねられている。私は悟ってからというもの、この現実に存在するもの全てが真理に辿り着くためのメッセージだと知った。

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映画に隠された真理

最近のわたしにとって、映画鑑賞は真理の再確認という感じ。「悟り」という神秘体験の瞬間は1年前のことで、その記憶はだんだん薄くなっていく。そんな中、映画監督クリストファー・ノーランの作品を観たとき衝撃を受けた。悟りの時を思い出した。彼の作品はこの世の真理を捉えすぎている。こんなにも真理を理解していて、アクションも最高で、天才かと。インターステラーとバットマン三部作とインセプションしか観てないけど。

ちなみに「ジョーカー」はノーラン作品ではない。劇場に行く前にノーランのバットマンを再度見直し、改めて感動した。そして前評判が良さげな「ジョーカー」は、これからの時代を象徴する映画なのかも?と予感したのだ。

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ジョーカーを観た感想

わたしは最近「悪役」に肩入れしていて、それは悟りの時、悪の存在する意味を理解したからでもある。「悪」のことを真に理解しようとする人は少ない。ほとんどの人間は「悪」を避ける。悪の真実というものは、私達が想像するよりも、遥かに切なくて遥かに悲しい。

そのあたりが表現されている映画なのではないかと期待していて、号泣も覚悟で観に行ったのだけど、「ジョーカー」が描いているものはまだその前段階であった。なので私としては、物足りないと感じてしまった。そして、クリストファー・ノーランのバットマンこそが悪の真実を描いていたということに気がついた。結局わたしが「ジョーカー」を観た意味はここにあったのだと納得するに至った。

「ジョーカー」のオカルト的解釈

まさに映画「JOKER」は今の時代を表現している。人々が悪の真実を知るのには、まだまだ時間がかかるということだと思う。私は最近、まだ見ぬ新しい未来へ生き急いでいて焦り気味なところがある。この映画が悪の真実を暴き、人々の目覚めを促し、私の想像する未来へのムーブメントのきっかけになるのではないかと勝手に期待してしまった…。オカルト脳なので。

それでも、この映画が作られたことは必然だ。悪の真実を知るには、まずは自分の中にいるジョーカーに気がつくことが大切。この映画で心が揺さぶられたのなら、変化への第一歩となり得る。こころが大きく動くのはとても重要なこと。

悲しみや苦しみは影から生まれる

SNSでも「ジョーカー」は話題になっているみたい。確かに行き詰まりを感じている今の人たちの共感を呼びやすい作品であると思う。この映画に共感する人はきっと「自分が嫌い」なんじゃないかな。エヴァのシンジくんみたいに。

アーサー(ジョーカー)は、愛されることを知らず、愛する方法も分からない人物である。誰かに認めて欲しい、愛されたい、という彼の「影」の部分。自分自身の影を受け入れることを避けるために、ウェイン家に象徴される富裕層や社会に悪意を向けた。すると共感する人々が現れ、彼は自分が認められたのだと感じた。他人を傷つける行為に生きる意味を見出した。

悪役には大きな代償が伴う

いろんな人の感想を読んだけれど、「誰しもがジョーカーになる可能性がある」という意見が多かった。確かにそうだと思う。

だけどジョーカーのような人物になるにはそれなりの器が必要だとも思う。殺人も厭わないほどの社会への報復行為。それを自らの存在意義とし、ジョーカーになるために生まれてきた、と心の底から信じること。そういった覚悟を持つ人は限られている。

例えばオウム真理教の事件などは、教祖である彼が強い信念を持っていたからこそ起きた事件。何かを心から信じる力。実は、その信じる力は「悟り」に到達するものと同じ力なのである。だから方向性を間違えると大惨事になるのだ。

強い信念を持った人は、世界を変える力を持っている。それが悪い力だったとしても。人々がジョーカーに惹かれるのはその大きな力の可能性を感じているからだと思う。

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悪の根源はどこにあるのか?

それから「社会が悪を作る」という意見も多かった。はたしてそうなのだろうか。人間は自分の影の側面を知り、受け入れることができないとき、苦しみを自分以外のものに転嫁する。転嫁の対象は様々で身近な人間だったり、権力者だったり、国だったり。

ジョーカーを観て「社会が悪を生み出す」という結論に行き着いてしまった人たちに言いたい。それは一見正しいように思えるけど、違う。社会を作るのは人間で、もとをたどれば一人ひとりのこころの在り方が問題なのである。

人間の弱さゆえ、社会の中で強さを持ったものを「悪の根源」だと感じてしまうことがある。それはこころの中に存在する悪から目をそらさせるために、こころがそうさせている。

悪の根源は、確かに、私達ひとりひとりのこころの中に存在する。この重要な真実について全ての人間が理解したとき、悪はこの世から消滅する。私はそういう世界を早くこの目で見たいと思っているので、このオカルトブログでささやかながら啓蒙している。

ジョーカーVSバットマンはこころの中の物語

「ジョーカー」は誰もが持っているこころの中の悪を描き、その悪に敗北した結果を描いている。そして、こころの中の悪に打ち勝った結果を描いているのがクリストファー・ノーランのバットマン三部作なのだ。

「ジョーカー」しか観ていない人には、ノーランの描くバットマンをぜひ観てほしいと思う。というか観ないと悪の真実にはたどり着けないので観るべきだ。真実はいつだって思いがけないところにある。ノーランのバットマンについては、次回解説できればいいな…。がんばる。