去年の私が悪について考えていたときに出会った地元の言い伝えについて。いろいろと調べたら面白かった。やっと公開できた。

椹池に住む大蛇のおはなし

何を封じた!?池の底に剣が突き刺さっていた「椹池」の謎と伝説

NAVERまとめ

悪について考えていた時、偶然にもラムニンちゃんがこんな面白い記事をラインで送ってきた。 山梨県韮崎市にある甘利山。この山にある”椹池(さわらいけ)”が1984年突然干上がり、底に剣が突き刺さっているのが発見されたらしい。池の水はもう戻っているみたい。祖父母の家が韮崎なので、甘利山は知っているけどこんな話は初耳だった。ちなみに1984年って私が生まれた年だ。なんだか椹池に興味がでてきた。そんな椹池にはこんな言い伝えがあるらしい。 引用させていただきます。

巨摩郡下條村(現韮崎市藤井町)に住んでいた老婆が、ある朝のこと、髪を梳こうとして鏡をのぞくと、意外にも彼女の額(ひたい)には、鬼の角の様なものが二本生え出していたのである。老婆はひどく驚き悲しんで、この様な姿を、息子や嫁や近所の人に見られてはならないと、手拭で頭を包んで自殺しようと家出をしてしまった。

裏山の笹松というところに登り、七里岩を越えて、青木の鷹の田(たかんた)の池に身を投げようとしたが、水が浅くて果たせず、鐘をつき念仏を唱えながら、鳥居峠を越え、鐘つき平を経て、甘利山中に分け入り、椹池に達して、とうとう入水してしまった。この下条婆が化身して、池中に住みつき、大蛇になったという。

甘利山倶楽部

大蛇のおはなしはつづく

このおはなしは戦国時代に続く。甘利山のあるあたりの領主、甘利氏の子供が椹池の大蛇によって池に引き込まれてしまった。怒った甘利氏と領民たちが大蛇を追い払ったという。甘利氏は実在の人物で武田信玄の家臣だったようだ。

この蛇退治のおはなしが、甘利山という名の由来みたい。大蛇は実在したのかも。 ところで、突き刺さっていた剣は大蛇を退治した時の物なのかと思いきや、剣は奈良時代の物っぽいので違いそう。

大蛇は赤い牛になった

このおはなしにはさらに続きが。椹池にいられなくなった蛇は苦しんで、赤い牛となって南アルプス市にある能蔵池に逃げ込んだ、という。偶然にも小学生の時この池に訪れたことがある。ほとりに彼岸花が咲いているのが印象的な池だった。私はなぜ蛇が牛に変わったのかが気になった。

能蔵池のほとりには稲荷神社があり、宇賀神様が御神体である。宇賀神様は頭が人間で体が蛇の神様。水の神様であり、五穀豊穣の神でもある。やはり元蛇だったから宇賀神様が祀られているのか。調べてみると宇賀神様=弁天様=お稲荷様だった。日本神話でいうとウカノミタマの神。ぜんぜん違うようで実際の神様の種類は少ないのかも。そして、能蔵池にはこんな言い伝えも!こちらのサイトより引用させていただきます。

能蔵池の主は赤牛で、旱天のときは雨乞いによって雨を降らせてくれるし、何でもかなえてくれた。また人寄りがあって膳椀を貸してほしいときは貸してくれた。ただ、ちゃんと返さない者があったり、汚物を洗ったりしたために、赤牛が怒って池を飛び出し、甘利山の椹池にいってそこの主になった。

怪異妖怪伝承データベース

なんと、善い赤牛に変化したと思ったら人間の態度に怒った赤牛はまた甘利山の椹池に戻っていったらしい。椹池に身を投げた悲しみに暮れる老婆と、怒った赤牛はどこか重なる。

この言い伝えから何かが見えてきた

この椹池からはじまった言い伝えをまとめると

  1. 鬼になった老婆が椹池に身を投げ、恐ろしい蛇に
  2. 蛇は人間に退治され、赤牛となって能蔵池へ
  3. 赤牛は人間の願いを叶えてくれた
  4. 人間の悪い行いにより赤牛は再び椹池へ、1に戻る

椹池と能蔵池にまつわる言い伝えは、人間の行いによって蛇が牛に変わり、牛が蛇へと変わることを教えてくれる。蛇と牛は善と悪を表しているように思う。

世界中に蛇信仰、牛信仰がある。たとえばヒンドゥー教は牛を神聖なものとしてみているし、マヤ文明ではククルカンという蛇の神様がいたりする。(羽がついた蛇だけど。)古代から語り継がれる善と悪の物語。世界中に残る神話や言い伝えは宗教と同様、私たちに大切なことを伝えている。善い行い、悪い行いから起こること。それはウロボロスの輪のように、因果応報として永遠に続くのである。

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輪廻について考えるきっかけをくれた

この2つの池にまつわる言い伝えは、蛇から牛へ、牛から蛇へという形で物語は最初に戻る。 因果応報、輪廻という概念はこの世界の仕組みを表している。

自死した老婆はなぜ蛇になったのか。角が生えてしまったとはいえ、自ら死を選択することは罪深い。悪に打ち勝つことができなかったということ。そんな老婆は悪の象徴となる蛇に変わってしまったのだろう。しかし、能蔵池に逃げ込んだあとは人に力を貸してくれた牛でもあった。

輪廻について考えたことをもうちょっと書きたいので、次回へつづく

能蔵池のちょっとこわいおはなし

神話や言い伝えをただのおとぎ話と無視することもできるが、私は実際にあった出来事なんじゃないかと思っている。能蔵池横の道路の真ん中に木が生えている。グーグルアースでも確認できるこの木。アスファルト舗装された道路になぜか不自然に残されている。地元民によるとこの木を切ろうとすると不幸が起こるらしい。山梨へ帰り、久しぶりに現地へ行ったら知りました。

祟りって本当にあるんだな。人間の悪い行いに怒っている赤牛の気持ちが表れているのかもしれない。面白半分で行ったりしない方がいいと思う。