投稿日:2019-08-08 | 最終更新日:2022-03-05

6月7月は山梨の実家に帰ったりしてました。偶然にもちょっとこわい話を仕入れてしまいました。聞いてください。

忘れられた神社

叔母から聞いたはなし

山梨に帰ると、祖母の家に必ず行く。和菓子屋をやっていて、母が働いているのでいつもついていく。私の叔母もそこで働いてる。手伝いをしながらこんな話を聞いた。

結界の中

叔母の兄は山で亡くなっている。警察官をしていて、仕事で山に行き、そこで突然の心不全で亡くなった。まだ30代だったそうだ。

叔母のお兄さんが住んでいた家がある。もともとは畑だったところを買い、家を建てた。そこに住み始めてからしばらくしてお兄さんは亡くなってしまった。そのあと、その家に別の人が住むことになった。しかしそのあとに住んだ人も、病気にかかり、どんどんと体調が悪くなってしまった。

家の持ち主、叔母の父は立て続けに起こる不幸が気になり、知り合いの霊能力者のような人に家を見てもらうことにした。するとその霊能力者は「昔ここに神社があった」と言うらしい。そんなことはあまり信じたくないし、間違いであってほしい、と思った叔母の父はまた別の人を探し出し、もう一度みてもらうことにした。

すると、その人も「昔ここに神社があった」と同じことを言う。それは古地図などの記録にも残っていない遥か昔の話らしい。そのあたりは昔水害に悩まされた土地であり、神社を移動したのか、無くなってしまったのかはわからない。しかしその場所には結界のようなものが今でも残っているそうだ。今はもうその家に人は住んでいない。

静かな森の遊び場

叔母からそんな話を聞いて、こわい神様の存在をはっきりと感じた。その叔母の兄の家は私の実家にも近い。その時急に思い出したことがあった。

わたしの実家の真裏に大きな木が生い茂る森のような一角があった。まわりは住宅や畑なのだが、そこだけが広い森であった。小学校低学年のころ近所の友達とその森で遊んでいた。その敷地は入り口に門があり、いつも開いていた。門からまっすぐに延びる道があって、その道の傍には倒れた灯篭や石でできた何かが乱雑に放置されていた。そこは小学生の私たちにとっては、隠れ家のようであり、遊び場にはちょうどよかった。門の隙間からそこに忍び込む。少し悪いことをしているような感じもするけど、いつも誰もいない静かな森。

今はその森はなくなり、代わりに住宅が4軒ほど建っている。私が実家を出た頃くらいに分譲されてしまったのだろうか。私はその場所のことを何十年かぶりに思い出した。そこが神社のような神様がいるところだったのではないかと感じたのだ。門からまっすぐ延びる道、倒れた灯篭。鳥居のようなものはなかったし、まっすぐに延びた道の先に何があったかはぜんぜん覚えていない。荒れた土地、うっそうとした森、だけど心地よい、そんなイメージだけが残っている。

忘れられた場所と神様

実家の二階で、母の断捨離を手伝いながら叔母から聞いた話を伝えた。母は知らなかった!と驚いていた。そしてふと思い出したその森のことを母に聞いてみた。二階の部屋からは、その森があった場所を見下ろすことができる。母はその森に入ったこともなく、その存在も忘れていたようだが、わたしはそこで奇妙な話を聞くことになった。

その跡地に建ったある一軒家と、実家は同じ組であった。そこへ家を建て、引っ越してきたその家族。なんと、立て続けに不幸が起こり、しばらくしてその家を売り引っ越してしまったそうなのだ。その家のおじいちゃんは、引っ越してきてすぐに亡くなり、奥さんは病気になり、とにかく大変だったらしい。そしてそのお隣の家も、家が建ってしばらくしたあと経済的な何かがあったらしく立ち行かなくなり、引っ越してしまった。今もその二つの家には誰かが住んでいるようだが、どちらも組には入っていないのでどんな状況かは知らないそう。

そんな事実を聞いて、私は驚き、やはりそこには神様がいたのではないかと。きっと今でも結界が残っているのだ。わたしがふとその場所のことを思い出したのは何故なんだろう。最近、わたしはこわい神さまに呼ばれている気がする。

こわい神様の本当の姿

こわい神さまになってしまうのは、わたしたちが恐れるから。私たちの意識が、想いや結界をつくる。わたしはこわい神様の気持ちを理解し、こわい神様が本当に伝えたいことを広めていきたい。わたしの現実に起きる不思議なできごと。それがわたしの想いを確かにしている。

もうすぐお盆ですね

いかがでしたか?(いちど言ってみたかったやつ。)じつは、山の家を買ったこととかもなんか変な感じするので、まだまだ不思議な話これから出てくると思います。またご報告いたします!最近思うことは、縄文時代とこわい神様は繋がっている。今日は近くでやってる縄文の展示いってくるー。