このブログへ辿り着く人のほとんどは「よーさん 予言」 で検索をかけている人らしい 。そろそろ「よーさん」以外のコンテンツでもこのブログを認知してもらいたいものだが、みなさん「よーさん予言」の情報を欲しているということなので、第4弾を書くことにしました。

ところで、よーさん予言に関する記事を書き始めてだいぶ時がたった。改めて「その1」から読み直してみると面白い(自画自賛)。「その1」〜「その3」まで、私自身の理解度に合わせて記事の内容にも変化がある。

「その1」では男性性と女性性の理解度が低すぎて、混乱があった。現在は完全に理解しました!

「その2」はとある方のコメントを取り上げてバトルしてみた。

そして、「その3」は答えを出すつもりで書いたけど、やはりわかりにくかったかもしれない。

ということで、今回も「よーさん予言」の理解度を上げてもらうための記事を書いてゆきます。記事中ピンクのボックスは「よーさんの言葉」。読み終わればその言葉の意味がわかるようになるかもしれない。

1と2と3は生命(宇宙)の基礎

2→1→2→3の流れ

よーさん記事にはコメントを色々いただいている。ありがとうございます。その中でも本質を突いたコメントをさっそく引用させていただく。

2→1→2→3の流れが、生命の誕生に至るまでの流れそのものですね!

このコメントを読んで、まさしく!と思った。『2→1→2→3』という流れがどこから出てきたのかというと、よーさんのこちらのコメントから。

二つはある人たちにより混ぜられ一つになっているが、それが元の二つに戻ろうとしてる/でもそろそろ三つにしても良いなって世界が思ってる

生命の誕生に至るまでの流れとは、精子と卵子(2→)が出会って受精卵(1→)になって、そこから細胞分裂していくという(2→3)こと。

結局のところ1と2と3とは、生命とか地球とかの基礎になるもののこと。例えば、「男(1)」と「女(2)」が出会って「新しい命(3)」が生まれる。1と2は種類の違うもので、それらが合わさったものが3ということ。

『2→1→2→3』という流れはこうも解釈できる。「自分(3)」が「父(1)」と「母(2)」から生まれた存在であると自覚しているならば『2(男と女)→1(自分)』という所までの流れを意識できている状態。

そこから進んだ状態が『2→1→2』。現代の私たちは1(男)と2(女)の違いをすごく意識し始めた。昨今、ジェンダー問題の議論が盛んになっているようであるけれど、それはわたし達が性別の違いを強く意識し始めたから起きている。

ここまでの流れは『2(男と女→1(自分)→2(自分の中にある分別の意識)』ということ。「分別の意識」とは違いを強く感じること。

そしてさらに進んだ状態が『2→1→2→3』となる。最後の3は分別の意識があることを認め、自分自身が父と母(1と2)や男と女(1と2)など、どちらの要素も含んでいることを認めた自分のこと。最後にやっと「本当の自分」に気が付くという流れである。

この3を「本当の自分」と言うのは大袈裟かもしれないが、この3までたどり着くことが困難なのだ。流れの全てをまとめると『(男と女→1(自分)→2(自分の中にある分別の意識)→3(自我)』。

「本当の自分」を「自我」と表現したけれど、それは3に辿り着いたときに意味がわかると思う。自我については他の記事にも詳しく書いているので、そちらもどうぞ。

全ての存在は既に3

この世界に存在する目に見える物の基本になるものは原子である。「原子核(1)」と「電子(2)」で構成されているのが「原子(3)」。さらにミクロの世界を覗くと、「原子核(3)」は「陽子(1)」と「中性子(2)」で構成されている。

陽子や中性子を、さらにミクロな世界で観察すると「クオーク」という素粒子で構成されていることがわかる。「クオーク」は、アップ(1)・チャーム(2)・トップ(3)というグループと、ダウン(1)・ストレンジ(2)・ボトム(3)というグループになっている。

アップクオーク2個とダウンクオーク1個で陽子(3)に、アップクオーク1個とダウンクオーク2個で中性子(3)になる。やはり、1と2で3である。ともかく、1と2と3は基礎だということがわかる。

原子をさらに観察すると、原子核の構成が見えてくる。原子核をさらに観察すると、陽子と中性子の構成が見えてくる。このようなマクロからミクロへの世界へは、マトリョーシカのような入れ子状態であると言える。そしてそれは永遠に続いている。

この世界は入れ子状態であるのだから、3は1と2を内包している。つまりは、全ての存在が3であると言える。

『2→1→2→3』という流れの「3」に辿り着いた時、この世界は『3→3→3→3→…』だったと気が付くことになるだろう。

三つが分かっても何があるわけじゃなく、隠されてる様な事でもない常識的な事だ

今までの記事と今回の記事の違い

これまでの記事を1と2と3それぞれの世界で表現してきたのは、わかりにくかった部分もあるかもしれない。今回の記事では、1と2と3を生命の基礎として表現しているけれど、この基礎がそれぞれの世界を作っている。

「その1」や「その2」の記事で表してきた「3つの世界」は、『悪を憎む世界(悪)』、『平和だけの世界(善)』、『悪も憎まず平和も求めない世界/悪を憎み平和を求める世界(善と悪)』というもの。

「悪の世界」と「善の世界」も性質が違うもの。この世界は種類や性質が違うものだらけなので、1と2はわりと何ででも表すことができる。けれど3だけは、性質が違うものが合わさったものだということが重要。

今までの解説はマクロな視点。今回の解説はミクロな視点として考えてもらうとわかりやすいかもしれない。今までの解説は目に見えるものとしての1と2と3、今回の解説は目に見えないものとしての1と2と3ということである。

目に見えないものとは、原子や素粒子で表されるミクロの世界とか、意識の中(精神)のこと。

情報を機械的に分別する人間

1と2(性質の違うもの)は矛盾している?

「その2」の記事の中で、とある方のコメントを取り上げた。

1と2は矛盾してる、これが基本。それを両方自分にしちゃってるのは、貴方がまだ我慢してるから。

このコメントには『人間らしさ』がわかり易く表現されているから、再び取り上げさせてもらう。このブログを書いているわたしは善と悪の性質を両方自分のものとしている様だけれどそれは我慢しているよ(無理しているよ)、というわたしへの指摘コメントであった。

現代人は基礎を忘れている

指摘のように、確かに『相反する性質が両方自分である』と理解することは難しいのである。なぜ難しいのかと言うと、現代は生命の基礎を忘れている人が多いから。

先ほど述べた流れで言うと、現代は『2(男と女)→1(自分)→2(自分の中にある分別の意識)』というところまでやっと来た。『自分の中にある分別の意識』にやっと気がつき始めた時代である。つまりは、生命の基礎を思い出そうとしている時代。

分別(判断)を繰り返している人間

わたし達人間はみんな相反する性質を抱えている。人間を含めた全ての存在が、相反する性質を抱えているものなのに、それを認められない。認められないのは何故なのだろうか?

人間は分別(判断)をする生き物で、どちらかに決めるのが普通になっている。例えば自分自身を、善か悪かどちらかの存在として決めておきたい、という意識が染み付いていたりする。

人間は地球に生まれてから今まで、分別(判断)を何度も繰り返して結果を出してきた。結果とは現在である。分別(判断)という作業に慣れきった現代人は、物事が『どちらかの状態であること(結果)』に安心するのだ。

『分別(判断)と結果』の例をあげればキリがないけれど、例えば人間からは、男か女が生まれる。生物学的に中性な人間は生まれないのが当たり前。人間が子供を作るたびに男か女かの分別がされ、結果として「生まれる」。

分別病

世代交代を繰り返しながら地球に永く生きている人間は『分別(判断)からの→結果(どちらかの状態)』という経験をずっとしている。その経験は遺伝子に染みついているから「相反する性質」両方を自分の中に抱えることに違和感を感じることになる。これはもう現代病みたいなもの。

結果を出すことによって『性質がどちらかに決まる』というのが当たり前になっているから、『性質が決まらない状態』を「居心地が悪い」と感じる。だからこそ、自分の中に『相反する性質両方が存在していること』を認められない。

人間には「脳」という思考をもたらすものがあり、自我もある。自我によって情報を書き記し残す生き物。過去生きていた人が情報を残し、それを後世の人間が学ぶ。わたし達は自分自身の経験だけでなく、残された情報から繰り返し学習も行なっている。

例えば、第二次世界大戦で日本はアメリカに原爆を落とされて降伏した。この情報からわたし達は「アメリカは勝利」「日本は敗北」という判断をしているから、それが結果となっている。日本人には「日本は負けた」という意識が強く染み付いていると思う。

そして『原爆が落とされたこと』について、日本人であるわたしたちの意識は「悪」であると判断している。原爆投下が「善」という判断になることはほとんど無いはずだ。このように人間は過去の情報についてもはっきりと分別をしていることが分かる。

残された情報からも『分別(判断)からの→結果(どちらかの状態)』を学んでいるのだから、しつこいくらいの経験と学習である。それがこの現代病を作り出している。

情報と進化

もしも、過去の情報が全く残っていなかったら、一からの学習になるので人間は生命の基礎を忘れないであろう。けれど人間は過去の情報から進化する存在なので、そういったことにはならないし、情報を残さないのは「人間」では無い。

進化の代償として生命の基礎を忘れる人間。取り入れる情報が増えれば増えるほど、生命の本質から離れていくことは少し悲しい。

情報に苦しめられる人間

こちらの記事で「アンドロゲン不応症」という病気について少し触れた。「リング」という物語に登場する「貞子」は「アンドロゲン不応症」という設定なのである。原作小説の設定であるが。

この病気は遺伝子的には男性なのに、実際の身体は女性という珍しいものである。生物学的に中性な人間は生まれない、と言ったけれどある意味「アンドロゲン不応症」は中性であるのかもしれない。

けれど、わたしたちは意識で当たり前に男と女を分別しているので「アンドロゲン不応症」という名前をつけて「普通」とは違うものとして捉えてしまう。

『遺伝子的には男性で身体の造りは女性』という事実に直面したとしても、違和感を持たず、何も感じない状態でいることができるだろうか?

一瞬でも『普通とは違う』と感じたのならば、『男と女を分別する意識』を持っているということになる。けれどそれが当たり前の人間。

「リング」では呪いのビデオテープが広まることで「貞子の呪い」が広がる。物語の中にはテレビやビデオテープや電話が象徴的に登場する。それらはどれも情報が伝わるもの。

わたしたちはありとあらゆる情報を、機械的に分別(判断)して決定をする(結果を出す)生き物。けれど、自らが導き出した単純な結果から苦しめられている。それが情報による「呪い」なのである。例えば映画「マトリックス」に登場する黒電話も『情報を伝えるもの』。

ネオは、始めプラグに繋がれ夢を見ている状態であったが、プラグを外され現実世界の真実を知った。そこからまたプラグを繋ぎ「マトリックス」内へ。「マトリックス」は「意識の中(目に見えないもの)」を表している。

黒電話はマトリックス(意識)と現実世界を繋げるもの。意識の世界と現実世界は情報が行き来している。わたし達の生きる現実世界とは、情報を伝えるもの(黒電話)から情報を受け取って目に見えるものとして表現する場所である。

関連記事:精神世界(意識)と現実世界の行き来について

人間は情報に直面すると、意識の中(マトリックスの中)で分別を始める。分別し「悪(エージェント)」と決定したものとさらに意識の中(マトリックスの中)で闘う。

わたし達は、情報の中から意識で「悪」と分別(決定)したものを、現実にそのまま持ち込み「悪」と見立てて戦うことがある。それが戦争などである。意識の世界と現実世界は密接に繋がっているから、戦争は起きる。

ネオはマトリックスの中(意識の中)で無数のエージェント(悪)と戦闘するけれど、マトリックス内で攻撃を受けると、現実の肉体も傷つくことになる。

恐ろしいことに、情報を意識で「悪」と分別してしまうと現実にも「死」をもたらす。同じく「貞子」のビデオテープの「呪い」は見るものに「死」をもたらすが、それもやはり発端は情報(ビデオテープ)なのだ。

情報とそれを分別する意識はわたし達人間にとって「死」を強く感じさせるものとなってしまう。しかし「死」とは一つの結果である。

人間(生命)は本来相反する性質を両方持ち合わせているから「死」と「生」両方の性質を持っているのに、「死」という片方の結果にひどく怯えている。分別して一つの結果ばかりを導き出してしまうからからこその「呪い」である。

「貞子の呪い」はビデオテープから広がるのであるけれど、ビデオテープをダビングすると「貞子の呪い」から(「死」から)逃れることができる。「死」から逃れようとするから「呪い」は広がってしまうのである。

「呪い」の発生原因は人間が『分別して結果を出す』から、「呪い」が伝染していく原因は人間が『死を恐れる』から。

本当の自分を知ることは怖いこと

「マトリックス」の冒頭、現実に存在しているプログラマーとして働いているネオは、分別している自分自身に気がついていない状態。本当の自分を知らない状態である。

けれど赤い薬を飲んで『分別する自分(本当の自分)』を知ると言う選択をした。だからこそ意識の中でエージェント(悪)と戦うことになる。『分別する自分自身』が現実に起きる「悪」の原因であることを理解する過程が始まるのである。

「普通」であること

「貞子」は両性具有ともいえる「アンドロゲン不応症」であり、自分自身が『普通ではない』ことを自覚している。「貞子」には超能力があり、そのことについても周りの人間が『普通ではない』と決定していた。

『普通であること(分別をし、どちらかに決定すること)』も「呪い」の原因となるが、『普通ではないこと(相反する性質を持っていること)』も「呪い」の原因になる。

「貞子」は「普通でありたい」から「呪い」を広げる。言い換えれば「貞子」は『自分自身が普通ではない』ことを『普通であること』に変えたいということ。だから、人間の意識(常識)を変える為に「呪い」を生んだ。

「普通」ではないこと

貞子から「呪い」が生まれたのは「憎しみ」が原因だと考えるかもしれないが、人間は本来『相反するものが違和感なく混ざり合っている存在』であることを多くの人に知って欲しいという強い意識から生まれている。それが「女」の根源的な願いである。

けれどそれは「彼女」以外の人間には大きな「呪い」となってしまう。人間が「本当の自分」を知る過程を経験するのはとても辛く苦しいこと。

男性は「単独(1)」という性質を持っている。対して女性は「二重(2)」の性質を持っている。「二重性」とは『相反する性質』両方持っていること。女性は世界に「二重性」を保つために存在しているから、必然的に「呪い」を広げる存在となってしまう。

「単独」である男性は「二重(女性)」という性質を知らないから、「呪い」という「二重性(本当の自分)」を知らしめるものに苦しめられる。自分に無いものを理解することは難しい。

男性に限らず『相反する性質が両方自分である』と感じられない現代人にとっても、その「呪い」はとても厄介なものとなる。

けれど男性女性関係なく、誰だって自分自身が『二重性(相反するものが違和感なく混ざり合っている存在)』であることに気が付くことができる。人間はそもそも『普通ではない』存在であることを忘れてはいけない。

よーさん予言が理解できる人とできない人

現代的「人間らしさ」

「その2」でコメントを取り上げさせてもらった方は、かなりの現代人である。だからこそ、違う性質を両方「自分」とするのはおかしい、とわたしに伝えてきたのであろう。

相反するものをどちらも自分のもの、とすることは現代人にとっては、我慢や無理をしているような感覚になってしまうもの。相反するものは矛盾しているから共存できない、という考え方を持っているのが「普通」である。これが現代人の考えている「人間らしさ」である。

考え方が違うと仲良くできないから、距離を取るのが当たり前。思想が違う人とは絶対に分かり合えない。このような考え方を持っているのならば、現代人的な「人間らしさ」を持っていると言えよう。

原始的「人間らしさ」

わたしがこのブログを始めたのは『相反する両方の性質が自分の中に矛盾なく(無理なく)存在している』ということに気がついたことがきっかけ。『2→1→2→3』という流れ最後の「3」に辿り着いてしまった。

脳細胞が変化するくらいな衝撃と共に『相反する性質の両方が自分の中に矛盾なく存在している』ということに気がついてしまった経験が過去にあった。その時からわたしの中の「人間らしさ」の基準は変わってしまったのだ。

変わったというか、原始に戻ったのである。生命の基礎という当たり前のもの、つまり1と2という種類の違うものが合わさって3が存在している、ということを改めて意識し理解することは、原始の意識に戻ること。

『分別(判断)→結果(どちらかの状態)』を繰り返し学んでいるのにもかかわらず、『相反する両方の性質が自分の中に矛盾なく存在している』ことに違和感を感じなくなる。

どちらかの状態(結果)が現れている現実を生きているのに、相反するどちらの状態も含んでいるのが人間であることを理解するから、違和感がなくなってしまうのである。

ちなみに量子力学では「重ね合わせ」という状態があるけれど、相反するものが同時に存在している状態である。「重ね合わせ」こそ生命の基礎である。

人間(生命)とは、そもそも相反する状態を抱えているのが当たり前だと考えること。これを『現代的人間らしさ』の対極にあるものとして、『原始的人間らしさ』と名付けたい。

「よーさん予言」が理解できる人とできない人の違い

「人間らしさ」をどう解釈するか

このように、現代人の多くが理解している「人間らしさ」と、わたしが今現在理解している「人間らしさ」は全くの別物なのである。「よーさん」は脳細胞が変化するくらいなレベルで「人間らしさ」の解釈が変わってしまった人。「よーさん」は原始の人である。

原始の人であれば「よーさん予言」の内容が無理なく理解できるはずだ。つまり、「人間らしさ」の解釈によって、「よーさん予言」が理解できる人と、「よーさん予言」が理解できない人にはっきりと分かれてしまう。これが「よーさん予言」のからくり。

「よーさん予言」が理解できない人

「よーさん予言」が理解できない人は、人間が分別する(判断する)生き物であることに罪悪感を持っており、相反するものが自分の中に共存することを納得できない。

「よーさん予言」が理解できる人

「よーさん予言」が理解できる人は、人間とは分別する(判断する)生き物であることを腹の底から理解しており、相反するものが自分の中に存在しているのを実感している。

人間らしさは大事だけど、人間らしさに縛られてはダメ、動けなくなってしまう

脳細胞が変化するレベルの理解とは解脱のこと

理解している人について

よーさん予言の記事にコメントをくれた方々は、『現代的人間らしさ』を持っている人がほとんどであった。しかし『原始的人間らしさ』を持っている人もいるみたい。とあるコメントを引用させてもらう。

初めまして。よーさんの妄想と関係あるかはわからないのですが、「三つが本当に脳細胞が変化するぐらいのレベルで理解」を経験してから「虚無」を感じなくなったんですが、pancyanさんも同じような経験をされた方ですか?

自分の中では3つについては世界がどうとか全然関係なくて、もっとシンプルで分かり易いものなんですけど。

この方は、1と2と3がシンプルで分かり易いものだと気がついている。ということは、1と2と3が当たり前のものだと理解している。そしてやはりこの方も脳細胞が変化するぐらいのレベルで理解が起きているようだ。わたしも同じく「虚無」を感じなくなったから、同じ体験をしているのだろう。

虚無感が何故発生するのか?

人間に「虚無感」が発生する理由は、生命の基礎について理解できていないため。虚無を感じるのは『何故生きているのか?』という問いが発生してしまうから。そしてその答えがはっきりと出せないから虚無を感じる。

しかし、生命の基礎を理解していると『何故生きているのか?』という疑問はなくなる。『生きていること』が当たり前になるので。

人間は高度な知能を持った生命体であるからこそ、理解できないことがあるともどかしくなる。「虚無感」とは思考してしまう生き物しか感じないもの。

当たり前のことに気がつくことを「解脱」と言う

誰でも知っている当たり前のことをもう一度強く意識してみることが、「よーさん予言」を紐解くコツである。当たり前のことにはっきりと気がつくことをわたしは「解脱」と言っている。一周回って、世界が当たり前すぎてびっくりするのが「解脱」という体験。

世界が「愛」でできている!世界は「無」である!という気づきは結構よくある。世間では「アセンション」とか「悟り」とかいう言葉で表現されているのかもしれない。精神世界やスピリチュアルに興味が強い人は、そのような体験をしているかも。

しかし、世界は「1と2と3」でできている!という気づきが「解脱」である。このブログでは「悟り」ではなくて「解脱」をメインに解説している。だからちょっと異質であると思う。1と2と3という生命の基礎は当たり前すぎて、逆に説明が難しいもの。

当たり前のことだから別にわざわざ「解脱」とかいう名前をつけて話す内容でもないのである。「解脱」と言うと凄そうなものに思えるけどそうでもない。

三つが本当に脳細胞が変化するぐらいのレベルで理解したら、自然と辿り着けるようにできてる

視点はひとつだけ

最後にこちらのコメントを引用させていただきたい。

もっと広い意味だと、3つとは視点。

円錐を見せられて、ある人は横から見て三角だ!ある人は上から見て丸だ!と。本当は円錐なのに。

丸だ!三角だ!ケンカする始末。戦○に発展しなけりゃいいね。偏りきってる人は怖いね。どこにでも正義マンはいるもんだね。

このコメントをくれた方は、1と2と3をそれぞれの視点として見ている。1と2と3はそれぞれ違う存在なので間違いではないのだけれど、視点(見え方)だけで考えるのは「本質(生命の基礎)」から離れていってしまうので注意が必要です。

この世界には3という視点しか存在していない。1と2の視点は想像(空想)でしかない。3とは自分(あなた)です。3という存在だけが世界の見え方を決定している。

この世界には自分しか存在していないのだから、視点だって自分だけしかない。意味がわからないかもしれないけれど、原始に還ってみれば理解できるはず。原始とは子供の心のようなもの。子供は経験が少ないから分別をはっきりとできない。

三つ目が難しいのは、自分でいろいろやらないといけないから/子供の頃の方が楽しい、そんな感じ

ということで、「よーさん予言」の解説その4でした。今までで一番分かり易く書けたのではないかと思うけど、どうだろうか。読んだ感想などはぜひぜひコメント欄にどうぞ。お待ちしております。

陽子に関するおもしろニュース

これまで物理の教科書には「陽子は2個のアップクォークと、1個のダウンクォークが結合したものである」と書かれていましたが、これからは、さらにチャームクォークと反チャームクォークのペアを加えて記入する必要があるかもしれません。

陽子に新たな素粒子が含まれている可能性が浮上!教科書に書き直し必須か?

タイムリーに陽子に関する新しいニュースを見つけました。なんと、陽子は3つのクオークだけで成り立っているのでは無いのかもしれない!とのニュース。

チャームクオークという新たなクオークも含まれているかも?との結果が出てきたとのこと。結果は人間の意識で変えることができるものだけれど、まだ決定していない状況であるとき、含まれているものはあらかじめ大体決まっている。

科学の世界で人間の予想が当たるのは、いくつかの選択肢はあらかじめ決まっているから。大まかなあらすじは決まっているのだから簡単な選択を楽しむべきだとわたしは思う。