この世界の真実(仏教編)

この世界の本当のこと

みなさま大変おまたせいたしました。
突然ですがこの世界の真実を発表したいと思います。
この世界は全て人間の妄想の中でした…!!
私たちは長い長い夢を見ているのです。
仏教の教えがその秘密を紐解いてくれます。


仏教の教えから真実を知る

仏教用語「パパンチャ」

まずはこちらのサイトから引用させていただき、スリランカの僧侶、
スマナサーラ長老の言葉をお借りして説明したいと思います。

妄想を作る働き(Papañca)
ヴィタッカの次に、とんでもないことが始まります。「パパンチャ・papañca」ということ。ヴィタッカは「花」とか「人」とか「建物」などと瞬間的に考えることですが、その後に、欲や怒り、憎しみ、悲しみ、後悔、嫉妬などのさまざまな感情が湧き起こってきて、頭の中でごちゃごちゃ考え始めるのです。これをパーリ語で「パパンチャ」と言います。パパンチャは訳しにくい言葉ですが、「現象」とか「妄想」という言葉が一番適切で、理解しやすいでしょう。実際には無いものを有ると考えて、実体化、固定化することです。

引用元:根本仏教講義

スマナサーラ長老のパパンチャの訳は「現象」「妄想」。人間とは常に何かを考えている生き物である。目や耳、鼻、口から得た情報を脳で処理して、感じる。人間としては当たり前のことでもある。さらに続きを。

たとえば四人で友人の家に行ったとしましょう。部屋に入ると新しいカーテンが掛かっているのが見えました。見えた瞬間、四人とも「カーテンだ」と分かります。これはヴィタッカの働きです。次の瞬間、それぞれの人の心に何らかの感情が湧き起こり、知識というへんなものが生まれてくるのです。たとえばAさんはカーテンを見て「明るくてきれい」と言うし、Bさんは「色は好きだけど模様がへん」と言います。Cさんは「色が派手すぎる」、Dさんは「色も模様も好きだけど生地が薄い」などと、みんな別々のことを言うのです。ですから、同じ一つのものを見ても「何を考えるか」は人によって違うのです。みんな、自分の頭の中で合成して現象化したものを喋っているのであって、事実を喋っているわけではありません。このようにして、外のものが眼に触れた瞬間、心の中に「妄想」という複雑で巨大なエネルギーが現れてくるのです。

引用元:根本仏教講義

このように、他人と同じものを見たとしても、出てくる感情が人によって違う。また、生まれ持った身体機能によって、モノの見え方が異なることがある。わたしにもこんな経験があった。

妄想からの決めつけ

家族でショッピングをしていたときのこと。母がある服を手に取り「オレンジ色」と言った。しかし私にはどう見ても「ビビッドな赤」にしか見えなかったので、それはオレンジじゃないよ!と少し言い合いに。父も赤派だったので、私は母の色覚がおかしいのだと思っていた。まさにこれがパパンチャ。見えているものから感じ取るものは各人違うのは当たり前のことなのに、人間は自分だけの基準でモノを見て、感情というものを表現するのである。


人間が本当に見ているもの

世界の見え方

動物や昆虫などは人間とは違う可視領域を持っていたりする。見えている世界が全然違う。世界が、人間が見ているものだけが全てだと考えることは浅はかである。しかし私は、ある服の色を見て赤だ!と決めた。自分が感じたことであり、これからも赤であると思う。かたや母にはオレンジ色に見えていたとなると、本当のこの服は何色なんだろうか

何にも無いから、妄想で見るしかない

「悟る」と理解できることは、この世界は「無」だということ。スマナサーラ長老が「パパンチャ」の意味を解説している通り実際には無いものを有ると考え、実体化、固定化しているということ。私たちは本当は何にも無い空間にいるのに、脳の中でいろんなモノを作り上げて見ているのである。私たちが感じているものは、全て脳が見せている幻想だったのだ。

感情(妄想)のせいで起きること

何にもないので、それぞれが感じたいと思うものを、感じているのがこの世界の真実。それぞれが持っている価値観から起こる感情の違いは争いの原因になることもある。多くの人は、自分が基準だと思って判断する。自分の基準と違う人と出会うと戸惑うこともあるが、本当は何もないのだから感情に振り回されるな、というのが仏陀の教えである。


まだまだ信じられない人へ

「無」だから世界が妄想の中だとまとめてしまったのはちょっと強引かも。しかし、パパンチャという言葉は、この世界の仕組みを良く表している。「この世界は妄想であり無である」とこれからも私は強く主張していきます!無であったとしても、脳で感じたものが実体化されている世界。つまり、私たちの意識が世界を作り出しているということ。これを理解する手がかりとなるのが量子力学。この世界の真実(量子力学編)へ続く。

関連記事
私が「無」に気づいたときのこと:悟りの真実
「無」だということの科学的根拠?もあったりする:私たちはなぜ存在しているのか

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA