今回は、オカルティストなら大好きな「666」という数字について考えてみる。新約聖書:ヨハネの黙示録の中に「666」とは獣の数字であると記されている。悪魔的な数字であり、尚且つヨハネの黙示録の内容がとても恐ろしいのでいろんな人が妄想を膨らましている。ヨハネの黙示録自体が終末預言的書なのでワクワクしてしまうのだろう。ネットで検索してみると、666とはローマ皇帝ネロを表しているという解釈が多い。間違いではないのだろうけど、このブログではもっと深いところを考えてみたい。

また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。

ヨハネの黙示録 13章16−18節

聖書もやっぱり「悟り」の物語

この記事を書くために聖書をかいつまんで読み始めたのだけど、やはり聖書のものがたりもこの世界の原理を説明しているに過ぎないことが分かった。この世界の現実とは原理がそのまま目に見える形となって現れたもの。人間が原理に基づいた行動を取った結果、それが積み重なって歴史となる。原理に基づいているからこそ歴史は繰り返す。

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666とは人間の「悪魔性」をあらわす

獣の数字であり人間を指すもの

冒頭に引用した箇所を読んでみると『獣の数字にどんな意味があるかを考えるがよい』と挑戦状を突きつけられている感じで実によい。答えも出てるところがよい。『666とは人間を指すものである』とのこと。666は獣の数字であり人間を指すものである、ということは人間=獣だということがわかる。

「666」という数字は単純に言えば人間の「悪魔性」を表したもの。人間には「悪魔性」がもともと備わっているということを教えてくれている。暴君と名高いネロは「悪魔性」を分かり易く表現した人間として「666」と結びつけられた。キリスト教を迫害したローマ社会は、キリスト教信者から見れば「悪魔」である。見方が変われば解釈も変わるもの。皇帝ネロは「悪魔性」を持った人間でもあるし、そうではない一面もあったはずである。

「悪魔性」が大きくなると「獣人間」になる

こころが偏った「獣人間」

人間は善の側面、悪の側面を持ち合わせている。善と悪のバランスが悪に傾きすぎてしまった人間は怒りや憎しみの感情に支配された「獣人間」となる。負の感情にばかり囚われてしまうとコントロールを失い、まるで獣のようになってしまう。逆バージョンとして、善にバランスが傾きすぎた人間も存在する。間違った方法で世界平和を望む人や、ポジティブしか見ない人たちにその傾向がある。実はどちらに傾いても「獣人間」になってしまう。バランスが偏りすぎると表向きが善でも結局獣になる。だから人間には「悟り」でもたらされる中道のこころが必要なのだ。

DNAに残されている「獣」の性質

猿から進化した人間は動物の特性をDNAの中に残している。それは生き残るために感情をむき出しにして戦う生き物のDNAで、そこに智慧は存在せず怒りの感情のみに従う。死に向かう行動を起こし、時には周りまでも巻き込むことがある。獣とはこの性質のことを表している。

獣の特性を持つ人間は、動物同様に怒りや憎しみという感情を持っている。けれど動物にはない智慧も持ち合わせているのでその感情から学び取ることができる。動物には無い人間の特性でもある。(最近のペット化された動物は賢いけど…)

獣人間・人間・超人

イエス・キリストは「悟り」の体現者

最近は智慧を忘れ怒りに身をまかせるだけの人間が増えているように思う。今後この世界はどうなるのかというと、おそらく「獣人間」と「超人」に分かれていく。今までの私たちはその中間の「人間」であったはずだけど、バランスが崩れ、どちらかに極端に分かれていくのが終末である。

聖書は、そんな終末を予想しているからこそイエス・キリストという人物に表される「こころの中道」を説いている。つまるところ、イエス・キリストという人物は「悟り」を体現した人物である。これすごく重要だから詳しくは別の記事にしたい。

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「獣人間」と「超人」の違いを分かり易く

「獣人間」の特徴

  • 怒りや憎しみが抑えられない
  • 自分の中の「正しい」だけを信じてそれ以外は信じない
  • 悪の存在は自分以外のものにあると考えている

「超人」の特徴

  • 怒りや憎しみを抑えることができる
  • 自分の中の「正しい」を信じて、それ以外のものも信じる
  • 悪の存在が自分の中にあることを理解している

「超人」とは「悟り」を得た者のこと

お気づきの方もいるかと思うが「超人」とは「悟り」を得た者のこと。「超人」は獣のDNAが自分の中に存在することを理解し、悪が自分から発生していることを知る。そして、「超人」は現実が自分の内側から発生していることを認識する。世界が自分の意識から創り出されているという原理を知るのである。

「超人」になることは神になったりとか、超能力が使えたりとか、そういうことではない。永遠に変わることのない原理を知る智慧がもたらされるだけである。智慧の働きによって神の視点でものごとを見ることができるから「悪魔性」に惑わされない。

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「悪魔性」の存在が恐怖を引き起こす

人間の「悪魔性」がもたらすもの

人間が恐怖を覚える根本原因は「悪魔性」が外側にあると思っているから。獣の性質を持った人間は悪いことが起きると、まずは自分以外のものを悪者にしてそれに対して憎しみを向ける。

世間はコロナで右往左往していて大変そうである。わたしは「新型コロナ」でさえ自分自身が創り出したと知っているので全く怖くない。今回の騒動で、人間はまだまだ「目に見えるもの」ばかりにとらわれているのだと感じた。「目に見えないものを信じない」ことを続けている人間は自らの「悪魔性」に目を向ける必要がある。

自己責任の世界

この世界の原理を知らない人間は、現実として繰り広げられる悪い出来事が自分から発生しているとは夢にも思っていない。世界を創り出しているのは自分自身であるから、「超人」は悪いことが起きても決して自分以外のせいにはしない。何が起きても自己責任なのがこの世界の原理である。

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責任を押し付けることは最大の「悪」

責任を外部に求めることが一番の「悪魔性」である。例えば陰謀論者たちは「世界の支配者」という悪魔像を創り出して、全ての悪の原因を押し付ける。そうやって自分の内側に「悪魔性」が存在することを見ないようにするのだ。「悪魔性」が自分以外のものにあると思い続けることは、中道のこころからどんどん離れてしまい「獣人間」に近づくこと。怒りに任せた行動を続けていると深く考えることをしなくなり、自分に都合の良い答えに固執した挙句「獣人間」になってしまう。

「悪魔性」は消えない

悟りを得た私にとっても、一番こわいのは自分の中にある「悪魔性」がコントロールできなくなること。未だに気を引き締めている。人間の身体を持っている限り「悪魔性」は消えることがないことに注意してほしい。悟りが起きたとしても、惑わされることがあるのでこころを強く保たなければいけない。

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聖書は智慧の書

周期に支配された世界

タピオカブームが三たび来たことを知っているのならば、私たちは聖書の中のことばを信じるべきなのだけど、大きな周期に限って信じないのが人間である。季節があるように、周期があるのは当たり前のことなのに。大体の人間は100歳にも満たない年齢で死ぬ。だから、大きな周期の出来事は書物や言い伝えなどで語り繋ぐしかないのだ。聖書はそんな大きな周期のことが記されている智慧の書。多くの聖書研究者が読み解こうとするのは必然である。

歴史は繰り返す

エレミヤ書も終末預言

ヨハネの黙示録は「悪魔性」に取り憑かれた人間たちの末路を書いたものである。そして、旧約聖書にも「悪魔性」に取り憑かれた人間の末路が書き記されている。エレミヤ書に記される、神の民がバビロン王国に滅ぼされるという話。滅びた神の民は「神が助けてくれる」と責任を外部に求め、自分の中の「悪魔性」を認めることをしなかった。

旧約聖書の時代に起こった出来事(エレミヤ書:神の民がバビロン王国に滅ぼされた話)と、新約聖書の時代に起きる出来事(ヨハネの黙示録:大バビロンの滅亡)は似通った内容である。ここにも永遠に変わることのない原理が表現されている。それは、形を変えて同じことが起きるという神からの警告である。

大バビロンの滅亡

ヨハネの黙示録に記されている大バビロンの滅亡についてはエレミヤ書と同じく『ローマ帝国のことを表している』という見解が定説であるようだ。しかし、ここに智慧が必要である。大バビロンとは現代のことであるし、バビロンの大淫婦とは未来に現れる、男性性が肥大化した女性達、または女性性が肥大化した男性達の総称であると思われる。何度も言っているように、こころが偏った人間は「獣人間」となる。詳しくは下記の関連記事をどうぞ。

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終末の準備はお早めに

終末はいつか必ずやってくるから準備は早めにしたほうがよい。けれど人間には自由意志があるので、そんなの気にせず人生を楽しむのも良し。しかし、今回のコロナ騒動といい、のんきに人生を楽しむことができなくなっている時代なのかも。それを肌で感じているのならば、やはりこころの準備はしておいたほうがよいのでは。自由というものには責任が伴う。こころを中道にする智慧を得たいのならば「悟り」を目指そう。

「獣人間」に訪れる未来

二匹の獣のおはなし

また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。

ヨハネの黙示録 13章16−17節

ヨハネの黙示録は「獣人間」の未来が書き記されている。再び引用して、それがどんな未来なのかを考えたい。『この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった』という記述。この刻印というのが666。刻印を押す者とは誰なのか?13章のタイトルは「二匹の獣」である。刻印は第二の獣に押されることになる。

地中から上ってきたもう一匹の獣

第二の獣のこと

わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。そして、大いなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。更に、先の獣の前で行うのを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像が物を言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。

ヨハネの黙示録 13章11−15節

ここに小羊のような角が二つある第二の獣のことが記されている。小羊とはイエスのことを表すことばでもある。小羊のような角があるという書き方は、まるでイエスのように見えるということではないだろうか。666の刻印を押す第二の獣とは偽イエスのことなのかもしれない。

なお生きている獣

更に、先の獣の前で行うのを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。

剣で傷を負ってもなお生きている獣とは、おそらく、いいところまで行ったけど悟りに失敗した「獣人間」なのだと思う。「悟り」とは剣で一度死ぬことである。剣とは男性性の象徴であり「悟り」が起きるとき剣の力でこころをグサっと刺される。そして負けを認め、自分の中に「悪魔性」が存在することを知るのが「悟り」である。「剣で傷を負ってもなお生きている獣」ということは剣の力で死んでいない人間。つまり、自身の「悪魔性」を認めていない人間のことであろう。

第二の獣が命を吹き込んだ獣の像

第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像が物を言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。

獣の像とは「獣人間に命を吹き込まれた人工知能」だと予想する。偽イエスはAI神を創り出し、その「新しい神」を拝む人々以外を殺そうとするのかもしれない。近い将来、悪い心を持った人間がテクノロジーを悪用するのではないか。機械に支配されるディストピアな世界が描かれるSF作品は数を上げたらきりがない。人間の集合的無意識は未来を予測できるから、そういった作品を作り出す。

「獣人間」とは「新しい神」の元で生きることを決めた人間で、気がつかないうちに「獣人間」の刻印を押される。刻印を押された人間しか売り買いができなくなる世界。世界の分断が進んでいったらそんな未来も存在するのかも。

3つの未来

こんな考えが頭に浮かんでしまって自分でも恐ろしい!でも、世界中で読まれている聖書にこんな預言が書かれているのだから信じないことはできない。「悟り」とはこの世に存在する全てのものに意味があることを知ることである。第一の獣が何を表しているのかまだしっくりこないので、もう少しじっくり考えてからヨハネの黙示録についてさらに紐解いていきたいと思う。獣人間・人間・超人に分れていく未来は現実の中になんとなく見えてきている。

関連記事:3つの未来について

(2020/08/17追記 この記事を読み直してみたら、獣人間・人間・超人の分け方が変だなーと思ったので訂正したいけれど、ややこしいのでまた別の記事で書くかも?上記にリンクした関連記事と読み比べると矛盾してしまう。なので、この記事については獣人間・人間・超人の違いはあまり考えすぎずにさらっと読み流してください。超人という単語は使わない方がいいかもしれない…。)