お久しぶりです。なんだか災害続きの日本。今回は終末について考えてること。
「地球の終わり」へのあこがれ
私は昔からなぜか「地球の終わり」を楽しみにしていた。漠然と地球の最後に遭遇したいという気持ちがあった。だから、ノストラダムスの予言やマヤの予言にはすごくワクワクした。結局、1999年にも2012年にも地球は滅びなかった。不謹慎ながら少しがっかりした。
人類は、はるか昔から終末を予言している。聖書にもいくつかの預言書がある。日本にも日月神示という預言書があったりする。そして多くの宗教に終末思想がある。スピリチュアルな人など、個人でも終末的予言をしている人はそこらじゅうにいてまさに世は終末ブーム。人間の意識は個人個人バラバラのことを考えているようで実は底の方で繋がっている。ユングも言っている集合的無意識ってやつだ。
終末が近づいている?
そんな人間たちが終末を必死に訴えている。近年の自然災害の多さ。終末がそろそろ来るのではないかと。そして、私が昔から終末にワクワクしていた理由が悟ったあとなんとなく分かった。きっと終末の先には人類の進化がある。進化の鍵になるものはテクノロジー。テクノロジーの発展は人間の進化の為だとも言っていいと思う。私たちはテクノロジーを手にしてブログやSNSなどを通じて個人が考えていることを簡単に発信できるようになった。そして、私たちの精神性が浮き彫りとなった。世間は暗いニュースと炎上ばかり。誹謗中傷、何かを敵と決めつけ追求する行為。顔が見えないから、簡単に人を傷つける。私たちの精神性は、争いという形で現れてしまった。デジタル上で行われる人間同士の争いは実際の戦争と同じ愚かな行為。悪いところが表に出てくるのは、選択を迫られているからではないのか?私たちは、人間の弱さや愚かさに触れたときにどんな行動を起こすのか。
聖書で預言される終末
最後の審判で天国へ行くか地獄へ行くか
ここで、聖書の言葉を引用してみる。聖書では人類に最後の審判がやってくることが預言されている。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。
新約聖書 ヨハネによる福音書3章16節
神を信じる者だけが永遠の命を得ることができるという。つまり天国へ行けるのだろう。悪を行う者は皆光の方に来ない、とも言っている。
神を信じる者とはなにか
神を信じる者とはなにか。正しい精神を持つ者だと私は思う。他人を愛することができて、自分をも愛すことができる人。私は、心の正しい人間はテクノロジーを正しく利用して進化するのではないかと思っている。悪を行い、戦争を続ける愚かな人間は進化することが出来ず地獄へと行くのだろう。
自然災害は最後の審判
終末がどんな形でどんなレベルで起きるのかは分からない。というか、もう起きていて選択しているのかもしれない。地震も台風も人間の行いの結果だと思う。石原前都知事が3.11の地震は天罰だって言ったことが失言だとして炎上してた。不謹慎と言われようとも、私もその通りだと思う。震災は誰かの、何かのせいじゃなくて、私たちひとりひとり地球上全ての人間の行いの結果。
困難なことが起きた時に私たちはどんなことを考えどんな行動をとっただろう。私たちは試されている。古代の人間は神様が心の中にいて、自然現象は神様の表現だってことは当たり前だった。大地の揺れも雨も風も偶然ではない。今の人間がそのことをどれだけ理解できているのか。人間の精神と現実世界で起きる出来事は繋がっている。今の人間が忘れてしまったこと。
選択で決まる結果
「終末」とは良い人間と悪い人間がはっきりと分かれる瞬間で、それが天国と地獄へ分かれるときなのだと思う。どちらへ行くかはわたしたちの日々の選択にかかっている。ちなみに人間の可能性は無限大なので、選択ごとに多数の世界が同時に存在する。シュタインズ・ゲートでもおなじみの、世界線というやつ。そのあたりは今後科学的に解明されることだろう。量子力学の世界ではまだ結論は出ていないけど、エヴェレットの多世界解釈が正しいのではないかな?と思ってる。こちらの解説が分かりやすい。
世界線の選択はご自由に
天国に行く世界線と地獄に行く世界線。どちらかへ行く瞬間きっと人間は気がつかない。預言が当たらないことってよくあるけど、その時見えた未来を記録するのだから当たらないのもしょうがない。選択が変われば未来も変化するから。どんな選択をしてもそれはその人が選んだ道であり運命でもある。「終末」は怖いけれどその先の新しい未来を想像して楽しみに待ちたい。
困難に遭遇しても希望を持って前向きに生きられる人には天国が待っている。私に見えた未来は、人間が超人的に進化した未来。たぶん宇宙人みたいな存在になる。人類が進化する為の隠されたテクノロジーは私たち人間が正しい人間になったときにのみ、与えられるのだろうとpancyanは預言いたします!私の今回の人生の目的は、進化の瞬間を体験するためだと、なんとなく思ってます。
「終末のことを考える」へのコメント
コメントはありません