月別: 2018年3月

3月も終わり

3月も終わり

今週は雪の春分の日からはじまって、久しぶりの停滞期でした。
気圧の変化に弱い私は体にダイレクトにきます。
そのせいもあるかも。
悟ってから、日々の出来事→思考→発見
の連続でそれがなにより楽しいのですが
そのルーティンが停止すると悟る前の感覚が戻ってくる。
何をしたらいいのか分からなくてやる気がでない、というやつ。
ぼーっとしてすこし暗くなってしまう。そして退屈。
まだこの感覚はあるんだなぁ、という不思議な気持ち。
動き出せば退屈から抜けるのは分かるのに、停滞を選んでいる今週。
停滞しながらも気づきはあったな。嫌いなものを再確認した。
それをこの世界から取り除くのが必要だと強く感じた。
2018年3月はわたしにとって区切りの月。
あとちょっとがんばります。

ブッダとイエス

ブッダとイエス

ブッダとイエスの違いについて考えてみた。
思いついたままなので間違いは許して。

ブッダは生まれた時は人間だった。
王族に生まれ、人間について悩み、出家した。
その後菩提樹の下で悟りを開く。
悟りを求める弟子たちにかこまれ、真実を伝えていた。
弟子のアーナンダはなかなか悟りにたどり着けなかったため、
常にブッダのそばにいてブッダの言葉をそのまま記録した。
ブッダは宗教にはせずに、サンガという学校のようなシステムをとった。
(日本の仏教は宗教になっているけども。)
そのままの言葉が今に残っている。しかもわりと分かりやすい気がする。
ブッダの教えは最近だと自己啓発に思われがち?

イエスは生まれたときから神だった。だから周りもはやし立てた。
イエスの伝えたいことは神の言葉になり
人々は言葉よりも神自体を崇めてしまった。
イエスは目立ちすぎて殺されるし、復活はするけどそれもまたセンセーショナルで
さらに周りは神とあがめる。弟子にもユダみたいなのいるし。
結果的にイエスが禁止していた偶像崇拝になってしまった。
聖書を読む限り、抽象的すぎてわかりにくい気がする。
わたしは中高キリスト教系学校だったけど聖書の時間はだいたい寝てたなー。
でもイエスの伝えたかったことも、この世界の真実だと思う。

私はキリスト教になにかと縁があるのでもっと探っていこうかな。
聖書読まなきゃ。ポイントは神様と悪魔だとなんとなく思います。
二元論です。ちなみに二元論を超えられると悟れるとおもいます!

わたしの好きな人

わたしの好きな人

私が好きになる人って共通点があることに気づいた。
それは、自分の気持ちを隠さない人。

たとえば中学高校の同級生たち。
大学卒業後から急に仲良くなって今は毎月のように集まっている。
この人たちは本当に自分勝手でわがままなんだけど、それをお互いが認めている。
間違っていることに対しては本気で怒る。とにかく自由。そしてとにかくうるさい。
でも一緒にいて楽だし、私ものびのびできる。

忘れられないエピソードがある。
友人の結婚式にこのグループの何人かで呼ばれて、同じテーブルについた。
披露宴も中盤、新郎友人側の出し物が始まった。
会場の人からお金を集めて、それを新郎新婦へご祝儀としてプレゼントし
さらに会場の1名に抽選でディズニーランドチケットをプレゼント、というものだった。
集金係の男性が回ってきたんだけど、なんと私たちのテーブルのみ参加しませんと
宣言して誰一人払わなかった!!男性は困惑してた。あの時のひとごめん。
私達はご祝儀も払っているのになんでまたお金を払うのかと。
この出し物はないわー!!と。強い。
この行動は常識がないと言われるのかもしれない。
心からお祝いしたくてお金を払う人もいるだろうし、
お祝いの場であるということを考慮して
もしくは周りに合わせてお金を払った人もいると思う。
でもわたしは払わない選択肢はありだと思った。
いまの結婚式って参加だけでもすごくお金がかかるから、、、

自由人な私でさえこの友人たちと行動する時ちょっとヒヤヒヤする。
だけど自分の心を一番大切にして、
行動に移すことのできるこの人たちが最高に大好きである。
もちろん世間に合わせなきゃいけない場面だってある。
自由な友人達もちゃんと会社員やってるし、それなりに仕事ができるみたい。
いまの社会においてはそのバランス感覚も大切なんだろうな。

自分の心を大切にした結果、相手を困らせるのはどうなの!?
と言いたい人がいると思う。現に集金係りの男性はあのとき困ってた。
その気持ちも分かるけど、自分の心を大切にしないと
相手に配慮するとか、常識に合わせるということがどんどん過剰になっていく。
過剰になると、それを周りにも強要するということが起きる。
その先には争いがある。
最近日本でも過剰ゆえに起きた事件がいくつかあった。
コロコロコミックス回収とか、マルイの太もも展中止とかとか、、、
可視化されてきているのは、みんなが向き合うべき時期なのではないかな。

とにかく私は常識にしばられないひとたちを愛している。
だけど本来全ての人間はこれが出来ることも知っている。

このブログについて

このブログについて

わたくし、pancyanは2017年10月に「悟り」ました。
それは、突然であり、長年求めてきた答えでもありました。
原始仏教の教え、そして落合陽一先生(いきなり!)によって
そこにたどり着きました。
「悟り」とはなにか?wikiではこんなかんじ。

「悟り」を物事に対する気づきと捉える人、スピリチュアルな何かとか、
自己啓発とか怪しいイメージを持っている人もいるかも。
が、ちょっとそっちのイメージを離れてほしいと思っています。
「悟り」で得たものは、びっくりするような、この世界の真実でした。
悟りで導き出された答えはすごくシンプルなのに、
人間にはこれを理解するのがとても難しい、ということも分かりました。
この真実が分かると、今私たちが生きている現実世界にすごく応用が効きます。
すんごく生きやすくなります。
そういった意味では自己啓発というのは合っている。
スピリチュアルも実は合っている。ややこしい。
そんな「悟り」の一部始終をこの現実世界での出来事を通して
ブログで伝えてみようという試みです。
そして、まだまだ学びの途中でもあるので、記録していきたいのです。

仏陀は自分の教えでさえも弟子たちに「信じるな、疑え」と言っています。
それは日常生活でも大切なことだと思います。
何か一つを信じすぎてしまうのはちょっと危険。
わたしも、いろんなものを信じたり疑ったりの繰り返しでした。
でもそんな試行錯誤を繰り返したことが悟りへの道でした。
遠くて近い未来みーんなが悟る時代は必ず来ると思っています。
今は悟らない人ももちろんいます。それはそれで全然いいのです。
だけどこの世界は、求める者には答えを用意してくれていたりします。
ちなみに落合先生は全人類総悟りの世界にしようとしている人。
実はテクノロジーってすごい。そのあたりもおいおい。

そして偶然(必然)にも集まった、
私のことを理解してくれている二人にも記事を書いてもらっています。
すごい二人です。ソウルメイトってやつです。
どうぞよろしくお願いいたします!

アセンション2

アセンション2

またまたメタフィジックス通信より。

アセンション症状としての忘れっぽさ
またアセンションのプロセスにおいて、エネルギー的な変化を経験する場合、そのエネルギーを体内で処理するのに体の機能を使い、日常の些細な出来事にまで気を回せなくなるといった現象も起こります。これらの症状の場合、エネルギーがある程度、統合されれば落ち着きますが、どれくらい時間がかかるかは、本当に人それぞれですし、アウェイクニングの段階にもよります。

これ!!
ここ何年か、本当に忘れっぽくて自分でもちょっと怖かった。
昨日のちょっとした出来事が全然思い出せないことが多くて困ってた。
アセンション症状だったのねー。なるほど。
でも、悟りに必要だった重要な出来事はしっかりと覚えているのが不思議。
忘れっぽさは今は少しましになっていると思う、、、たぶん。