2019年に書いた「このブログについて」。
未来を想像すること
私が想像し目指している地球の未来像があります。地球はテクノロジーによって、人間にとっての天国となり、(もちろん、自然や動物にとっても)この世界にある全てのものが調和し、1つになる。その世界は何年先なのかはわかりません。しかし、想像できるということは近い未来なのではないかと思います。
変化の時代
大きな変化が起きているこの時代。この変化に気がついている人は多いはずです。変化を感じている人、感じていない人も今まで私たちが考えていた「人間」というものを新しい定義の「人間」として考えていかなければならない時代がやってきています。
<目に見えないもの>を考える
この先の時代を生きるために必要不可欠なものがあると私は考えています。それは<目に見えないもの>への理解です。
人間は<目に見えるもの>は信じるのに、<目に見えないもの>は信じないことが多々あります。
この世界の真実はわかりにくい
<目に見えないもの>を考えるのに、『哲学』や『宗教』というものがあります。そこには答えがないと思っている人もいるかも知れません。本当は決定的なただ一つの答えがあります。それを一言で表現するのなら『真実』『真理』という単語なのでしょう。それを見つけられた人はたくさんいるし、見つけられていない人はもっとたくさんいるのかと思います。また、無意識に理解している人も見受けられます。
とてもシンプルな答えなのですが、それ故わかりにくいのです。いちばん近くにあるのに、遠いもの。その答えを知らなくても人間は生きてゆけますが、全ての人間は無意識にその答えを探しています。
このブログの趣旨について
このブログの趣旨は<目に見えないもの>と<目に見えるもの>の繋がりを見つけて、目に見えないものの存在を信じてもらうことです。目に見えないものを信じていくと、”真理”へもたどり着きやすいのです。”真理”は誰もが知るべき、というものでもないと思うのですが、まずは、目に見えないものの存在を信じてほしいのです。
今は何が正しいのか分からなくなっている時代でもあります。迷っている人は、人生の指標となるものが無いのかもしれません。目に見えるものだけを信じていると、あらゆる情報に振り回され、迷いが生じてしまうのではないでしょうか。
「悟り」とは何か
わたしはこのブログで「悟り」というものについて書いていますが、「悟り」とは簡単に言えば自分を信じるということです。絶対に信じられる確かなものが自分の中に見つかるということ。
それは今までの宗教がやってきたことでもありますが、上手くいかない場合というのは信じる対象が自分の外側にあったからかもしれません。
影を克服し、自分を信じる
最近ユング心理学に関する本を読んでいるのですが、彼の提唱する精神分析は、「自分を正しく信じること」=「悟り」にいきつくのではないかと思っています。それは、自分の影に向き合い、影を認め、影をも自分の力とすることです。影というのは自分が認めたくない自分のこころのことです。
しかし、自分の影を無意識に押さえ込んだまま「自分を過大に信じて」しまうと危険なことが起こります。「自分を正しく信じる」のはとても難しいことなのです。
人生の中で自分の影にぶつかることがあります。そんなときに、目に見えているものだけで解決しようとしてもいつか行き詰まってしまいます。「悟り」を得るには目に見えないものを理解しないといけません。「悟り」によって影を乗り越えることができると、自分の全てを受け入れることができます。自分を信じられるようになります。自分の内側から希望が湧いてくるのです。そうすると、現実世界が生きやすくもなります。
精神世界と現実世界
『目に見えないものを信じる』といえば、スピリチュアルというジャンルがあります。そういう世界に深く関わっている人はすでに真実を解っていたりします。この世界の仕組みがどういうものなのかとか、人間に起こる感情の仕組みなどを理解しているので占い師になったり、カウンセラーになったりして、アドバイスすることができるのです。中にはバランスを欠いてしまった人もいるようですが。
私は特に不思議な能力は持っていません。しかし、現実の世界と、目に見えない世界を両方「信じる」ことができる、という能力を持っているのが私の強みです。私はスピリチュアルな精神世界よりも、現実に起きている出来事の方がより興味があります。興味の幅が広いのが特徴です。情報を集めることが一番の趣味でもあります。このことは、世界を見渡し点と点をつなげる作業をするのにはとっても役に立ちます。
この世で起きている全てのできごとを信じなければ、繋がりを見つけることはできません。「これは信じるけど、これは信じない」というのはどうしても偏りを生み出してしまいます。
疑うちからと信じるちから
私たちは、この世に存在する<もの>や<こと>のことをどれだけ知っているのでしょうか。私たちが認識しているものは、本当に事実なのでしょうか。知ったつもりでいるだけなのではないかと、私は日々感じています。常識と言われるものを疑いながらも、この世に存在する全てのものを信じてみるのです。
私がものごとを考えるときは「信じてみる」ことを意識的に行います。信じるけど、一歩ひいて観察する。これは哲学者、科学者にとってはあたりまえの作業なのかもしれません。
個人の意識だけでなく、大衆の意識も「信じて」観察します。マクロな視点でみた、人間全体の意志です。例えば、世界で流行っていること、日本で流行っていることなど。起きていることには必ず意味があると「信じて」います。
しかし、私も人間ゆえ、間違えたり偏りが起きることがあります。でもバランスを欠いたときにこそ、気がつき反省することができます。
わたしの祈り
これからの時代を生きていく全ての人に<目に見えないもの>への理解を深めてもらいたい。そんなブログになったらいいな、と思っています。できるだけ多くの人が楽しい未来への道を見つけられる世界になりますように。
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