今回の気になるワードはバルトロマイ。バルトロマイとはイエスの12使徒のうちの1人。なぜ気になっているかというと、この2ちゃんの書き込みを見たことがきっかけ。

ないはずの聖杯が見つかった

55 :本当にあった怖い名無し:2018/04/01(日) 01:56:49.19 ID:01bYXx560.net
誰かのためにネタ投下
海外の記憶違い動画漁ってたんだけど
レオナルドダヴィンチの最後の晩餐壁画
その人は映画のダビンチコードを見て聖杯がないとセリフを聞いて
あったはずだと確認すると本当になくて驚愕

しかし、その画像をよく見るとびっくり聖杯がある
wikiなどの縮小された画像で浮き出る、左の壁に埋まる聖杯
なんでこんな簡単に見つかること映画でもネットでも言及しないんだと
改変を疑っている


実際画像見たら本当に聖杯埋まってる
拡大したら通路の背景の模様だけど他の通路はほぼそういうのない事から意図的
おそらくダヴィンチはパラレル改変を観測してる

異世界総合スレ 2 (時空の歪み・パラレルワールド)

やばっ!と思ってwikiに最後の晩餐画像を見に行ったところ、本当に聖杯に見えるものがある。画像を小さくすると浮き上がる感じ。一番左側の人の上。「最後の晩餐」で画像検索するともっとわかりやすいのある。これってすごい発見だと思うのだが、確かにネットサーチしても言及している人はいない。

Leonardo da Vinci (1452-1519) - The Last Supper (1495-1498).jpg
wikipediaより

ダヴィンチコードの解説

最後の晩餐には秘密が隠されている、と謎解きをしていくのがあの有名な作品「ダヴィンチコード」。結末を雑に説明すると、イエスには妻子がいて子供もいたっていう。真ん中のイエスとイエスの左にいる人(マグダラのマリア)との空間がV字だからこれが絵の中に隠された聖杯だっていう。イエスの血脈は現代まで続いていたがそれはキリスト教最大の秘密であった…。詳しくは本か映画をみてね。

聖杯の意味

フィクションではあるけど、真実が紛れ込んでいる作品なのではないかと思うのです。事実を元にしているとこもある。ともかく「この絵の中に聖杯がないって気がつく話」を作ったのがすごいとこだと思う。先ほどの2ちゃんの書き込みも「絵の中に聖杯があったはずなのにない」と気がついてからの発見だ。”聖杯とはイエスの血が受け継がれるということの象徴”これがダヴィンチコードの重要ポイント。

共観福音書によれば、最後の晩餐イエスはパンを裂き「私の体である」と言って弟子たちに与え、杯を取って「私の血である」と、弟子たちにその杯から(ワインを)飲ませる[1]。『ヨハネによる福音書』にはこの場面はない。

wikipedia

わたしの大胆な仮説

で、先ほど見つけた聖杯の下にいる人がバルトロマイ。ちょうど彼の頭上に聖杯が現れている。これを見てわたしはバルトロマイにこそイエスの血が受け継がれているのではないかと感じたのです…。実は昨今のオカルト界隈では日本が世界を救うという説が囁かれている。キリスト教信者が待ち望んでいるキリストの再来が日本で起こると信じている人たちがいる。ならばイエスの血が注がれているバルトロマイは日本に関係があるかも?そんな仮説を立ててみたい。私の妄想についてきてください。

聖書でほとんど語られないバルトロマイ

はえぬきのイスラエル人

バルトロマイについていろいろ調べました。引用多め。

バルトロマイについては聖書ではほとんど語られません。ただ、アンデレに連れられてキリストと出会った時、彼は「はえぬきのイスラエル人」と呼ばれています。内容は聖人についての様々な物語を記した「黄金伝説」によって語られます。バルトロマイはインド、ペルシャ、ゲルマニアを伝道して歩き、アルメニアで殉教しました。通常は髪の黒い、髭をたくわえた中年の人物として描かれます。

https://www.paintweb.jp/iconology/twelveapostles/bartholomew/

バルトロマイはシモン・ペトロたちのようなイエスさまからの直接の招きを記述されることもなく、また徴税人マタイやトマスのように、主との直接的で劇的な出会いという感動的な信仰体験も分からない。あるいは、熱心党のシモンのような強烈な自己主張を持った人物でもない。
さらに、実はバルトロマイは姓名ではない。アラム語で「バル」は「(誰々)の子」の意であり、「トロマイ」は「タルマイ」だから「タルマイの子」の意味の言葉である。従って、彼は名前で呼ばれていない。彼の存在は氏名を覚えられず、通称、日常使われていた俗称で記憶されているだけなのである。要するにバルトロマイは目立たない弟子だったのだが、常に主イエスのそばにいて寝食を共にし、沢山の主のお言葉を聞き、目を見張る振る舞いを見、そして何よりも主に祈っていただいた。

http://nskk-tohoku.com/old/kyoukuhou/sitonimanabu.html

髪の黒い、髭をたくわえた中年。自己主張を持った人物ではない。そもそもバルトロマイは本名じゃなくて、ナタナエルが本名との見方も。いろいろと謎ですね。でもイエスからは「はえぬきのイスラエル人」と呼ばれ高評価である。

皮を剥がされた人

ナタナエルとしても知られていたバルトロマイは、アジアへの宣教師でした。 彼は、今日のトルコで証し、アルメニアで説教したことで、むちで打たれ皮膚がはがれて亡くなりました。

https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-death-apostles.html

ネットに落ちている情報をまとめると、バルトロマイはインド、ペルシャ(現代のイラン?)、ゲルマニア(現代のドイツポーランドチェコあたり)、トルコ、アルメニアなどを宣教し、かわいそうな最期を迎える。彼の最期の姿がミケランジェロ「最後の審判」の中に描かれている。剥がされた皮とナイフを持ったバルトロマイ。絵の真ん中よりちょっと右下のやつ。そして、この剥がされた皮はミケランジェロ自身と言われている。

Last Judgement (Michelangelo).jpg
ミケランジェロ・ブオナローティ – See below., パブリック・ドメイン, リンクによる

バルトロマイと日本の繋がり

殉教の地アルメニア

自己主張しないし、本名でも呼ばれていなかった影の薄いバルトロマイ。なんか日本人ぽくないか。バルトロマイが殉教したのはアルメニアという国。この国にびびっときたので調べてみた。あまり馴染みのない小さな国だが最近ではIT立国らしい。アルメニアは世界最古のキリスト教国で、旧約聖書におけるノアの方舟伝説の方舟が最後にたどりついた地。すごい。それから「アララト山」という山がある。聞き覚えがある…と思って調べてみたら日本とのオカルト繋がりがあったのであります。

都市伝説

千円札に描かれている富士山。湖に映っている富士山がアララト山を表しているっていう都市伝説があったのです。実際のアララト山は富士山にそっくり。びっくり。あとアルメニアの博物館には「ロンギヌスの槍」がある!日本でエヴァンゲリオンが流行らなかったら「ロンギヌスの槍」という単語が日本人に周知されることはなかったはず。日本との繋がりがあると言えますよね(無理やり)。

日本の神道とユダヤ教には多くの共通点が見つかるというのは、オカルト界隈で有名な日ユ同祖論というやつ。イエスの血脈はイスラエルから日本に渡ったという噂は既にあるのです。アルメニアってユダヤ人と同じくディアスポラ(離散の民)なんだって。そして商売上手らしい。ユダヤ人とアルメニア人は似たような歴史を持っている。この事実にもまた日本との奇妙な繋がりを感じる。とはいっても全部アルメニアと日本の繋がりなのでバルトロマイと日本を繋げるのはやはり無理やりかも。

バルトロマイの真実

太陽の力と月の力を注がれた聖杯の図

ナイフと皮と聖杯

バルトロマイの最期は皮を剥がされたというところに強く惹かれる。もうちょっと突っ込んで、この物語をわたしはこう解釈したい。バルトロマイのアトリビュート(象徴)はナイフと皮。ナイフが男性の象徴であるとは定説であり、皮は蛇の脱皮と同じく生まれ変わることを象徴している。

バルトロマイはナイフ(強さや自我)によって生まれ変わることができた人物だと考えられる。さらに、イエスの血を受けたということはキリスト意識(受け入れることや無償の愛)を持っているということ。バルトロマイはナイフ(男性原理/太陽)と聖杯(女性原理/月)を獲得して皮を脱いだ(生まれ変わった)。

キリストと同じく一度死んで復活した人物だとしたら。彼は大きな試練を経験してある秘密を手に入れたということになる。

ミケランジェロの罪悪感

ここで、ミケランジェロが最後の審判を描いた時の心境を引用させていただく。

皮を剥がれて殉教した聖人バルトロマイにミケランジェロ自身を模した皮を持たせています。これは、自分が美術のために友人を裏切ったことへの罪悪感だと言われています。

当時、権力をほしいままにしていたメディチ家と市民の間で激しい争いが起こり、ミケランジェロの友人たちも数多く虐殺されました。だけどミケランジェロは芸術のためにメディチ家についたのです。

友人を裏切り芸術の道を選んだミケランジェロは罪の意識に苛まれ、「最後の審判」の時をとても恐れていたそうです・・・友を裏切った4年後にシスティーナ礼拝堂の最後の審判を描き始めているので、私たちは彼の後悔の念と引き換えに圧倒的な芸術を目にすることができているのです。

https://kaigablog.com/last-judgement/

最後の審判の時に天国と地獄どちらに行くかの判断基準。それは罪を背負っているかどうか。その罪とは罪悪感だというのがここ最近の私の結論。ミケランジェロは罪を背負っていたから恐れた。最後の審判の絵を再び見て下さい。皮を脱いだバルトロマイはスキンヘッドで白ひげだけど皮の方は黒髪。見た目が変わっている。白ひげの方が罪悪感を乗り越えた姿だとしたら、皮の方が乗り越えられていない方の姿。とするとミケランジェロが皮と自分を重ねたのはしっくりくる。

りんごの木の秘密

罪悪感を乗り越え、復活して手に入れることができる秘密。それは男性性と女性性を天秤が釣り合ったように均等にする智慧。こう言い切れるのは私も復活を経験したから。内側にもキリストの再来は起こる。

最後の審判の絵の中でイエスから見て右側が天国へ引き上げられている人達。左側が地獄へ落ちる人達となっている。英語の「right」は「正しい」という意味。これは古代ローマ人たちは右が善、左が悪という認識を持っていたことから来ている。バルトロマイは最後の審判の中で、イエスの左側にいる。そして、最後の晩餐の絵の中でも一番左側にいることに注目してもらいたい。

人間の背負った重荷を降ろすためには、心の中の悪と向き合う試練を通過しなければならない。試練を超えて悪に打ち勝ったものだけがその智慧を手に入れる。さらには悪の力を味方につけることができる。だからバルトロマイも左側にいるのではないでしょーか。

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ロスリン礼拝堂の柱

有名な聖杯探求家のTrevor Ravenscroftは1962年、20年間に渡る聖杯探求がロズリン・チャペルで終わったことを宣言した。彼の主張によると、聖杯はロズリンチャペルの螺旋柱の中にあるとのことだ。この教会には現在、多くの聖杯探求者たちが訪れ、聖杯への手がかりは彫刻や窓に見つかる。金属探知機を使って柱や建築物の中に隠されていないか調べられた。ロズリンチャペルの主人は頑なに、柱をX線で調査することを拒否した。

http://www.voynich.com/templar/index5.html

ロスリン礼拝堂の柱の中に聖杯があるというこの話、時を超えてインターネット上の最後の晩餐画像に聖杯が浮き出てくるっていうことを予言していたのでは。聖杯が浮き上がっているところ、私には柱としか見えないのです。映画「ダヴィンチコード」で最期の謎が解き明かされる場所は、ロスリン礼拝堂。この螺旋柱に付随する逸話も悪を象徴するものなのです。気になる方は調べてみて下さい。

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信じることがすべてだよ

ここまでのバルトロマイ考察は私の想像に過ぎないけど、結局は信じることが大切なのです。日本に救世主が現れるとしたらバルトロマイのように強さを持って、皮を脱いだ人。「何者かになったひと」が日本に増えることを願います。2ちゃんに書き込んでくれた人のおかげで楽しい考察ができた。ありがとう見知らぬ誰か。わたしのためにネタ投下してくれたのかも。