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この世界の真実

この世界の真実

みなさま大変おまたせいたしました。
突然ですがこの世界の真実を発表したいと思います。
この世界は全て人間の妄想の中でした…!!
他サイトの引用になりますが、仏教が人間のしくみを説明してくれています。

妄想を作る働き(Papañca)

ヴィタッカの次に、とんでもないことが始まります。「パパンチャ・papañca」ということ。ヴィタッカは「花」とか「人」とか「建物」などと瞬間的に考えることですが、その後に、欲や怒り、憎しみ、悲しみ、後悔、嫉妬などのさまざまな感情が湧き起こってきて、頭の中でごちゃごちゃ考え始めるのです。これをパーリ語で「パパンチャ」と言います。パパンチャは訳しにくい言葉ですが、「現象」とか「妄想」という言葉が一番適切で、理解しやすいでしょう。実際には無いものを有ると考えて、実体化、固定化することです。

たとえば四人で友人の家に行ったとしましょう。部屋に入ると新しいカーテンが掛かっているのが見えました。見えた瞬間、四人とも「カーテンだ」と分かります。これはヴィタッカの働きです。次の瞬間、それぞれの人の心に何らかの感情が湧き起こり、知識というへんなものが生まれてくるのです。たとえばAさんはカーテンを見て「明るくてきれい」と言うし、Bさんは「色は好きだけど模様がへん」と言います。Cさんは「色が派手すぎる」、Dさんは「色も模様も好きだけど生地が薄い」などと、みんな別々のことを言うのです。ですから、同じ一つのものを見ても「何を考えるか」は人によって違うのです。みんな、自分の頭の中で合成して現象化したものを喋っているのであって、事実を喋っているわけではありません。このようにして、外のものが眼に触れた瞬間、心の中に「妄想」という複雑で巨大なエネルギーが現れてくるのです。

人間が考えたことが現実となった世界がここなのです。
実は「悟る」ということはこれが完全に分かる、ということなのです。
なんと、現実世界において量子力学でそれが証明されているのです。
私たちをつくる元になっている小さな小さな単位、原子。さらに小さな単位は素粒子。
原子というものは、原子核のまわりに電子が回っているのですが、
電子の場所は分かりません。しかし、確率で電子の場所がだいたい分かります。
もやもやとした雲のようなもので確率を表すことができます。
これを電子雲と言います。雲が濃いところに電子がいる確率が高いのです。
そして、人間が電子の位置を特定した瞬間に電子雲はシュッっと消えて、
位置が決定されるのです。

そして、有名な二重スリット実験も分かりやすいと思います。

素粒子は人間が観察するかしないかで、動きを変えるのです。
まるで人間が見ていることを知っているかのように。
そんな物質がこの私たちの世界を作っているのです。
もやもやしたものが世界を作っているとは不安すぎやしませんか?

このことがなぜ現実世界になるのか。
すごくおおざっぱにいうと、もやもやとした不確定な原子は、
人間の決定によってその姿をはっきりとさせます。
つまり人間が自分の意志で決めたことが現実に収束するのです。
これが人間の意志がこの世界の物質を作り出しているということの証明なのです。
妄想といえども、作られたから現実なのです。
人間は目や耳や鼻という感覚器官を通し、脳みそで妄想として感じたものを
こうだ!と決定します。それを出力し、現実社会を作り出します。
原始仏教で教えていることは、量子力学で解明されようとしているのです。
信じるか信じないかはあなた次第です。

とかなんとか言って、量子力学難しいのでへんなとこはお許しください。
でもだいたいこーゆーことだと思ってます。
この世界で起こる全てのことに真実は隠されている。
いや、隠されていないのに気づかないだけなんだ。

わたしの好きな人

わたしの好きな人

私が好きになる人って共通点があることに気づいた。
それは、自分の気持ちを隠さない人。

たとえば中学高校の同級生たち。
大学卒業後から急に仲良くなって今は毎月のように集まっている。
この人たちは本当に自分勝手でわがままなんだけど、それをお互いが認めている。
間違っていることに対しては本気で怒る。とにかく自由。そしてとにかくうるさい。
でも一緒にいて楽だし、私ものびのびできる。

忘れられないエピソードがある。
友人の結婚式にこのグループの何人かで呼ばれて、同じテーブルについた。
披露宴も中盤、新郎友人側の出し物が始まった。
会場の人からお金を集めて、それを新郎新婦へご祝儀としてプレゼントし
さらに会場の1名に抽選でディズニーランドチケットをプレゼント、というものだった。
集金係の男性が回ってきたんだけど、なんと私たちのテーブルのみ参加しませんと
宣言して誰一人払わなかった!!男性は困惑してた。あの時のひとごめん。
私達はご祝儀も払っているのになんでまたお金を払うのかと。
この出し物はないわー!!と。強い。
この行動は常識がないと言われるのかもしれない。
心からお祝いしたくてお金を払う人もいるだろうし、
お祝いの場であるということを考慮して
もしくは周りに合わせてお金を払った人もいると思う。
でもわたしは払わない選択肢はありだと思った。
いまの結婚式って参加だけでもすごくお金がかかるから、、、

自由人な私でさえこの友人たちと行動する時ちょっとヒヤヒヤする。
だけど自分の心を一番大切にして、
行動に移すことのできるこの人たちが最高に大好きである。
もちろん世間に合わせなきゃいけない場面だってある。
自由な友人達もちゃんと会社員やってるし、それなりに仕事ができるみたい。
いまの社会においてはそのバランス感覚も大切なんだろうな。

自分の心を大切にした結果、相手を困らせるのはどうなの!?
と言いたい人がいると思う。現に集金係りの男性はあのとき困ってた。
その気持ちも分かるけど、自分の心を大切にしないと
相手に配慮するとか、常識に合わせるということがどんどん過剰になっていく。
過剰になると、それを周りにも強要するということが起きる。
その先には争いがある。
最近日本でも過剰ゆえに起きた事件がいくつかあった。
コロコロコミックス回収とか、マルイの太もも展中止とかとか、、、
可視化されてきているのは、みんなが向き合うべき時期なのではないかな。

とにかく私は常識にしばられないひとたちを愛している。
だけど本来全ての人間はこれが出来ることも知っている。

人間と小さな生き物

人間と小さな生き物

人間は高性能な計算機能(脳)を持っている。
昆虫などの小さな生き物は、必要最小限の計算機能を持った生き物だ。
人間は、ある国に生まれ、その社会でインプットしたデータをベースに多様な考えをもつ人間たちとなる。
そして、高性能ゆえにこの世界のルール「いきのこる」を守るために感情を身につけてしまった。
小さな生き物たちは、この世界を維持するためだけに決められた働きをしている。
環境に合わせて進化もするが、この世界を保つことだけに忠実だ。
人間はどうだろう。感情という機能を備えてしまったがために
とても単純なこの世界の仕組みを理解できなくなってしまった。
人間はそれを知らずに感情に忠実な社会を作り、その社会はいずれ行き詰まる。
この世界の本質をベースにした社会ではないからだ。
悟った人間は、この当たり前の世界の仕組みを知る。
小さな生き物と同様に、自分自身がこの世界を維持するための装置だと気づく。
すると、いままで使われていなかった計算機能部分が解放され
仕組みを理解したうえで、世界を再構築することを試み始める。
人間は人間を救済するために、苦しみを乗り越えて、本質にまた戻っていく。