悟りの真実

無の後に起こること

無を体験することだけが悟りではなかった。この世界は無いと分かったのに、世界が有るという矛盾。かの有名な「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」の答えが分かる瞬間が訪れた。この答えはキリスト教をはじめ様々なところで既に語られていることでもあった。ずばりその答えは、私たちが「愛の本質」を知るためにこの世界は存在する。私はそう解釈した。実は、無に入らなくても人間が本能として知っていることだった。私たちは大人になるにつれて、愛の本質がわからなくなってしまう。赤ちゃんや子供はそれを忘れる前の存在。だからとても自由に生きている。

悟りとは愛だった

私が愛の本質を知った時は、無を理解した時よりも衝撃的だった。これも強制的に頭にインストールされた。言葉で説明できない宇宙の成り立ちのようなものまで。悟りで分かった真実とは、私たちには生まれた時から無償の愛が与えられているということ。人間は誰かに愛されていないと不安になる生き物だけど、愛の源のようなものが既に自分の中にあった。どこにあるのかと言うと、心の中でもあるし、宇宙でもあるし、この世界の全てにある。愛って言葉は今や薄っぺらい印象になってしまっている。けれど世界には悟っていなくとも気づいてる人たちもいるみたい。仏教って愛の本質について教えていない気がするけど、何か理由があるのかな。経典ちゃんと読んでないので分からないけど、仏教の教えは「無」までなのかもしれない。その点、キリスト教はいきなり愛の本質を教えようとするから分かりにくいんだろうか。

悟りの危険性

真実が解った瞬間は全能感がすごかった。何でもできそうなパワーが湧いてきて自分が神になったような気さえした。経験したことのない幸せに包まれ、それが一定期間続いた。この全能体験には注意しないといけない気がしてる。これは私の場合だけど、突然真理を知ると今まで全然解らなかった世の中のことが手に取るように解るようになるからもう大興奮。この感覚を持った時、油断すると変な宗教者になってしまうのかもしれない。おかしな新興宗教も、調べてみれば言ってることは的を得ていたりする。真理を知れば他人に語ることが出来るようになり人を引きつける。その結果自分が神だと勘違いしてしまうのかも。真実ってやつはそう簡単には広まらないように良くできている。

悟りの特典

悟りで得た真実のパワーはものすごい。その奇跡としか言いようがない瞬間を忘れることはできないので、心の拠り所となる。宗教みたいだけど。そして、愛の本質を知るとますます自分や他人のことを愛することができるようになる。人生が辛い、苦しい人には悟りをおすすめしたい。本当の幸せが何なのか知りたい人にも。私も長い鬱をやっと乗り越えた感ある。辛いと感じることがなくなるわけではないけど、向き合えて、解決が早いので以前とは全く違う。悟りは終わりではないし、人間生活は続く。ブッダやイエスのようになるには、まだまだ信じる力が足りないのかもしれない。この世で起きていること全てが真実に繋がっているのが面白く、それが分かるのが悟りの一番楽しいところ。毎日のちょっとした出来事にもいちいち驚きがあるのでワクワクの連続なのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA