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都市伝説のひとつ「ひとりかくれんぼ」。今回は「ひとりかくれんぼ」に隠された秘密を解き明かしていくことにする。

初めてこのブログに辿り着いた方へ
このブログの「読み方マニュアル」
つぎに「このブログについて」を読んでもらうとこの記事への理解が深まると思います。

ひとりかくれんぼとは?

ひとりかくれんぼの始まり

2006年4月頃、大型電子掲示板「2ちゃんねる」のオカルト超常現象板に詳細な方法が紹介され、さらにこれを実行したことで様々な怪奇現象に遭遇したといった体験談が書き込まれ、それを見た読者が次々に検証を試み、その結果をネットで紹介したことによって、一般にも広く知られることとなった。

wikipedia

「ひとりかくれんぼ」とは2006年頃から2ちゃんねるで広まった、ちょっと怖いあそび。実際に試す人々も現れ、怪奇現象が起きた人もいるらしい。wikipediaを読む限りこのあそびの発祥ははっきりとしない。

「ひとりかくれんぼ」は単なる都市伝説ではない、とわたしは気がついてしまった。この遊びには大きな大きな呪いがかけられている。そんな「ひとりかくれんぼ」の具体的な内容をwikiからコピペ。

ひとりかくれんぼの手順

用意するもの

  • 手足があるぬいぐるみ
  • ぬいぐるみに詰めることができる程度の米
  • 爪切り
  • 縫い針と赤い糸
  • 刃物(包丁、カッターナイフ)、錐など、鋭利なもの
  • コップ一杯程度の塩水(天然塩が良いとされる)

下準備と手順

下準備としてぬいぐるみに名前をつけ、詰め物を全て出して代わりに米と、切った自分の爪を入れて縫い合わせる。余った糸は、ある程度ぬいぐるみに巻きつけて結ぶ。中に入れる米はぬいぐるみの内臓を、赤い糸は血管を表しているともいう。隠れ場所を決めておき、そこに塩水を用意しておく。

午前3時になったら以下の順に行動する(以下、自分の名前:○○、ぬいぐるみの名前:△△とする)。

  1. ぬいぐるみに対して「最初の鬼は○○だから」と3回言い、浴室に行き、水を張った風呂桶にぬいぐるみを入れる。
  2. 家中の照明を全て消してテレビだけつけ(砂嵐の画面だが、アナログ停波により実施不可能)、目を瞑って10秒数える。
  3. 刃物を持って風呂場に行き「△△見つけた」と言ってぬいぐるみを刺す。
  4. 「次は△△が鬼だから」または「次は△△が鬼」と言い、自分は塩水のある隠れ場所に隠れる。

終了方法

塩水を少し口に含んでから出て、ぬいぐるみを探して、コップの残りの塩水、口に含んだ塩水の順にかけ、「私の勝ち」と3回宣言して終了となる。必ずこの手順によって、1~2時間、または2時間以内に終了させなければならない。なお、ひとりかくれんぼに使用したぬいぐるみは、最終的に燃える方法で処理する必要があるとされている 。

強い呪い

「ひとりかくれんぼ」の呪いは「こっくりさん」よりはるかに強烈なのである。人間で在ることを否定している人ほどこの「呪い」は発動しやすい。ということで、「ひとりかくれんぼの呪い」について紐解いていくことにする。

使用するものが意味するところ

下準備としてぬいぐるみに名前をつけ、詰め物を全て出して代わりに米と自分の爪(切って入れる)を入れて縫い合わせる。余った糸は、ある程度ぬいぐるみに巻きつけて結ぶ。中に入れる米はぬいぐるみの内臓を、赤い糸は血管を表しているともいう。

ぬいぐるみが意味するもの

「ひとりかくれんぼ」で使用する物について、それぞれが意味するものを解説していく。まずは「手足のあるぬいぐるみ」について。このぬいぐるみには名前をつけるのであるが、それはぬいぐるみを「人間」と見立てているということ。

ぬいぐるみの詰め物を出して米を詰める。そして赤い糸でぬう。説明にもある通り米は「人間の内臓」であり、赤い糸は「人間の血管」である。ぬいぐるみに「内臓」と「血管」を追加するのであるから、魂の無かったぬいぐるみに命を吹き込むのである。

しかし、何故内臓が米なのか?この都市伝説が生まれたのは日本である。米は古来から主食として、日本人の命を繋いできた大切なもの。

生きることは食べること。食物は人間の血肉となっていくもの。命を与えてくれるものの象徴として「米」を「内臓」に見立てるのである。米が血肉を作っている、ということ。

爪が意味するもの

ここで気になるのは、ぬいぐるみの中に米と一緒に「爪」も入れるというところ。「爪」が意味することは「永遠」である。人間の身体の中で、切らない限り伸び続けるものは「髪や爪」。例えば、皮膚は新陳代謝で自然に剥がれ落ちてしまうもの。

「髪や爪」はほっておけば伸び続けるのであるから、途切れないものを表している。呪いやおまじないに「髪」が使われることが多いのも同じ理由である。「永遠」に相手を呪うために入れるもの。

ぬいぐるみのお腹に「爪」を入れるのは、人間が「永遠」を持ち合わせていることを表現するためでもある。米で「生きていること」を表現し、「爪」で「永遠の命」を表現している。人間(ぬいぐるみ)の内側(内臓)にはこの2つの意味が込められているのである。

刃物を持って風呂場に行き、「△△見つけた」と言って刺す。

刃物が意味するもの

刃物は手順の最後に使うもの。包丁やキリなど尖ったものを使ってぬいぐるみを刺す。刃物は人間(ぬいぐるみ)を「殺す」ものとして使用されるのであるが、つまりは「人間の死」を表現するものである。最後に「ひとりかくれんぼ」で使用する物が表現しているものをおさらい。

人間→ぬいぐるみ
生きていること→米/赤い糸
永遠→爪
死ぬこと→刃物

これらが「強い呪い」にどんな関係があるのか。ここからは手順を追いながら、詳しく説明してゆく。

ひとりかくれんぼと鬼

午前3時になったら以下の順に行動する(以下、自分の名前:○○、ぬいぐるみの名前:△△とする)。

午前3時という時間

十二時辰の四刻

「ひとりかくれんぼ」は午前3時から始める。この時間が何を意味するのか、「十二時辰」という時刻の表し方から紐解いていく。「十二時辰」は昔の中国や日本で使用されていたもので、十二支で時刻を表したもの。十二時辰について詳しくはリンク先のサイトでどうぞ。

十二時辰のうちの1時辰をさらに30分ごと4つの時間に分けた「四刻」というものがある。つまり1日の時間を48に分けて表現したもの。午前3時は十二時辰の四刻で表すと「丑四つ時(午前2時30分〜午前3時)」または「寅一つ時(午前3時〜午前3時30分)」にあたる。

草木も眠る「丑三つ時(午前2時〜午前2時30分)」といえば、物の怪があらわれる恐ろしい時間帯としてなじみ深いのであるが、「丑四つ時」はその後にあたる。午前3時という時間は、恐ろしい時間帯のその後である。

鬼の方角は艮(ごん)

さて、方角にも古くから恐れられている「鬼門」というものがある。「鬼」が出入りする方角と言われている。十二時辰のように、方角を表すのにも十二支を使用することがあるのだが、鬼門を十二支に当てはめたもの(12の方位)で見ると、「丑」と「寅」になる。

方角をさらに細かく24方位に分けるものがある。風水などで使われているもので、八卦十二支十干を組み合わせたもの。その二十四方で見ると鬼門は「艮(うしとら)」という方角で表すことができる。次の話に進む前に、以下に「二十四方(方角)」と「十二時辰(四刻)」を一覧表にまとめてみた。

二十四方一覧表(方角と時刻)

黄色く色をつけたところを見て欲しい。艮(北東)は丑と寅の真ん中になる。艮という方角がどの時刻に対応しているかというと、恐ろしい時間帯である「丑三つ時」と「丑四つ時」にあたる。「丑三つ時」が古くから恐れられるのは「鬼門」の方角と同じだから。

鬼とは何か

悪いものが訪れる方角として「鬼門」は人々に忌み嫌われているのであるが、人間の精神状態にも「鬼門」は存在する。人間の精神状態は常に変化していて、時間と同じように流れがあるもの。人間の精神状態には陰と陽の状態があり、陰が極まった時が「艮」にあたる。

「艮」という精神状態の時、人間は「鬼」に変容する。「鬼」とは人間の心の奥底に潜む「悪い心」のことである。「鬼門」は災いをもたらす方角であるが、その災いは人間の内に存在するものが引き起こしているとも言えるのだ。

鬼が現れる時間

「鬼門」は丑→艮→寅という流れであるけれど、艮でもっとも大きな力となり、寅の終わりに近づくにつれて力は弱くなっていく。

「鬼(悪い心)」の力が最強になるのが「丑三つ時の終わり」であり「丑四つ時の始まり」である。時刻でいうと午前2時30分で、その瞬間に「鬼」となって表に現れるのである。

「丑四つ時」は「丑の刻」を、さらに4つに分けた最後の時間(午前2時30分〜午前3時)。つまり「艮の真ん中から終わり」にあたる。

午前3時に始める理由

午前3時(丑四つ時、寅一つ時)という時刻は人間が「鬼」へと変貌した直後の時間帯であり、鬼の正体が暴かれる時間帯である。人間の内に隠されていたものが暴かれる時間帯ともいえる。

この後に解説していくのであるが、「ひとりかくれんぼ」は人間の真実を暴く呪いである。これが午前3時から始める理由になる。「丑三つ時」よりはるかに恐ろしいのは「丑四つ時」という時刻なのかもしれない。

ひとりかくれんぼの手順について

ここからは4つの手順について、順を追って、それぞれ詳しく解説していく。使用するものが象徴することについておさらい。

人間→ぬいぐるみ
生きていること→米/赤い糸
永遠→爪
死ぬこと→刃物

1.水と人間の始まり

1.ぬいぐるみに対して「最初の鬼は○○だから」と3回言い、浴室に行き、水を張った風呂桶にぬいぐるみを入れる。

鬼であることを宣言する

〇〇には「ひとりかくれんぼ」を実行している本人の名前が入る。最初の行動は、ぬいぐるみに向かって「自分が鬼である」と3回宣言すること。この行為は、自分に「悪い心」があると宣言しているようなもの。つまり午前3時(艮)に鬼になったことを自覚したのである。

そしてぬいぐるみを浴室に運び、水を張った風呂桶に入れる。ぬいぐるみは自分ではない「人間」のこと。つまりは「他者」である。「他者」を水の中につけるこの行為が何を表すのか?

水が表すもの

ずばり「水を張った風呂桶」が表しているものは海のことである。全ての生命の源は海。人間が産まれてくる前には母親の胎内の羊水の中に居るが、これも生命が海から生まれたことの名残である。

ところで、先程の二十四方一覧表を再び確認してほしい。癸(みずのと)という列を右に追っていくと、「水の陰」という言葉が出てくる。

陰陽五行思想である、水・火・木・金・土という五つの要素のうちの、癸(みずのと)は水の性質の陰側であることを表している。性質には二面性がある。5つの性質の陰と陽を表しているのが十干(じっかん)というもの。

終わりと始まり

二十四方一覧表に再び戻り、癸(みずのと)を時刻に置き換えてみると午後12時〜午前1時にあたる。ちょうど午後と午前が切り替わる時間帯になる。

つまりは、水の陰の性質である癸(みずのと)は「1日の終わりと始まり」を表している。ぬいぐるみ(人間)を水の中(海の中)に入れる行為は「人間の終わりと始まり」を意味する。

繰り返す世界

人間は「輪廻」という仕組みに囚われている。「人間の終わりと始まり」というのは「輪廻が終わり始まる」こと。輪廻は永遠に終わらないものなので、仏教では輪廻から解脱する方法を教えていたりする。「水を張った風呂桶」は生命の始まりと同時に、生命の終わりも意味していて、生と死が繰り返し続くのが輪廻でもある。

「悪い心」を持っている自分が、ぬいぐるみである「他者」を水につける行為。これは「他者」を終わりのない輪廻へと導く行為。つまり、この「ひとりかくれんぼ」は「ぬいぐるみ」という他者に呪いをかける方法なのである。

ぬいぐるみに米と爪を詰めて命を吹き込み、水につけることで輪廻のある世界へ送り込むこと。「ひとりかくれんぼ」の実行者が、ぬいぐるみという現実を生きることがない無機質な生物を、終わりのない苦しみの世界(現実)へと送り込む呪いでもある。

水の陽について

ところで、ひとりかくれんぼにおいての水が何故「水の陰の側面(癸)」であると言えるのか。二十四方一覧表をみてもらえればわかるけれど、十干には「水の陽の側面(壬)」もある。その理由については最後に説明したい。

2.アナログ時代の後にやってくるもの

2.家中の照明を全て消してテレビだけつけ(砂嵐の画面だが、アナログ停波により実施不可能)、目を瞑って10秒数える。

アナログとデジタルの違い

家中の照明を消して家を真っ暗にすること。さらに目をつぶることは、何も見えない暗闇の状態。そんな中で、アナログ放送の砂嵐の画面をつけることが何を意味するのか?

その話をする前に、アナログとデジタルの違いを勉強しておく必要がある。wikipediaや様々なサイトを参考にして違いを書き出してみる。

アナログ

連続した量(例えば時間)を物理量(例えば角度・電流など)で表示すること/グラフにするとなめらかな曲線(正弦波)/途切れることなく変化し続けているもの/波の形で記録する(アナログレコード・カセットテープなど)/保存・複製・転送によって劣化する/一旦誤差が生じると完全な復元はできない

デジタル

連続した量(例えば時間)を数値で区切って(飛び飛びの値)で表現すること/グラフにするとカクカクな直線(矩形波)/波を数値に置き換えて記録する(CD・DVDなど)/正確で再現性があるから保存・複製・転送に向いている/エラー訂正等で(程度にもよるが)修復が可能

このように違いをまとめてみたけれど、アナログの特性は現実をそのままに記録すること。細かいニュアンスやノイズなども入りこむから、生っぽいかんじ。劣化しやすく、復元も難しい。

反対にデジタルの特性は、区切りをはっきりとさせて、数字で記録すること。区切りの間に存在する曖昧なものは記録できないけれど、その記録は保存しやすく複製もしやすい。しかも劣化せず、永く残る。

砂嵐の画面が意味するもの

砂嵐の画面はアナログ放送でしか見ることができない。現在はアナログ放送は終了しているので、残念ながらこの手順は実行することができない。テレビが砂嵐になるのはどんな状態なのか、wikiから引用。

スノーノイズ(snow noise)とはアナログテレビ放送を受信する際のノイズの一種で、画面に白い点が多数ランダムにポツポツと現れる障害をいう。

放送局(中継局含む)サービスエリア内であれば停波(放送休止)中や送信所方向に障害物がある場合でない限りアンテナ、ケーブル(フィーダー)、テレビ受像機、ブースターのどれかに原因がある場合が多い。

wikipedia

砂嵐は放送を受信できなかったり、放送局が停波中であったりするときに現れるもの。つまり砂嵐の状態で10秒間目をつぶることは、人間が「とある電波のようなもの」を10秒間受信できていない状態を表している。

10秒間が意味するもの

そして10秒という時間の意味について。アナログ時計でいう12時〜10時までの時間帯がこの10秒間にあたる。わかり易いように図にしてみた。以下の図はアナログ時計と仏教思想の「六道輪廻」を組み合わせたものである。こちらの記事で使用したものを手直ししている。

六道時計
六道時計の図

輪廻転生で六道を廻る

人間が死んだら、また別の人物となり生まれ変わるのが輪廻転生である。そして、人間が犯した罪によって6つの道の内のどこかに生まれ変わる、という考え方が六道輪廻。こちらの記事で、このブログにおける六道輪廻が意味すること、について書いている。以下に引用する。

六道輪廻は「時代」と「意識」の両方を表現しているのである。人間の「意識状態」で「道」は変わるし、『今、生きている時代そのもの』が六つのうちのどこかの「道」であるということ。

ややこしくなるので、今回の記事では六道輪廻を『今生きている時代』だけで考えていく。図を見てもらうとわかる通り、六道は6つの時代を表している。6つの道は、全て人間中心の世界(時代)のこと。厳密にいうと畜生道だけは動物中心の時代であるけれど、私たちは人間になる前は動物だった。

つまり人間はこの6つの時代のうちどこかに生きている、ということになる。私たちは六道輪廻が人間には関係ない未知の世界であると思っているようだが、全ての道が人間の生活している普通の世界である。

六道時計が意味するもの

11時から1時という時間帯(地獄道)は終わりと始まりが重なる時代である。時計の針が12を指した時に輪廻は一旦の終わりを迎え、また始まり、進む。輪廻転生を繰り返しながら、数字の順番に進化を進めていくのが人間なのである。

人間は寿命が短いから、それぞれの道に生まれてもすぐに死んでしまう。だからこそ転生を繰り返しながらこの時計のように時間の流れを少しずつ進める。何度も輪廻を繰り返すと、終わりと始まりが重なる時代に近づいていく。

現代は「餓鬼道」に入り込んでいるのかと思われる。余談ではあるけれど、以前の記事では現代を「修羅道」として記事を書き進めているが、実際はもう過ぎてしまったかも…。

目が開けていないアナログな時代

話を10秒の意味に戻す。10秒間は六道輪廻でいうと、地獄道の真ん中から、畜生道・人間道・天道・修羅道・餓鬼道の真ん中まで。先ほどの六道時計の図の中では黄色のゾーンになる。

この10秒間で表される時代は「アナログな世界」なのである。だから「ひとりかくれんぼ」ではアナログテレビをつけて、砂嵐の画面にしておく。

「アナログな世界」はとても曖昧で細かいところは記録されない時代。私たちが過去(アナログ時代)を知ろうとするとき、残された曖昧な情報の中から探るしかない。

曖昧な情報から過去を探ることは難しいことだから、人間の起源(始まり)を解き明かすことはできない。10秒間「目が開けていない(目をつぶっている)」ということは、畜生道から餓鬼道の真ん中までに生きている人間たちは『人間の起源を理解することができない』ということを表している。

目が開けていくデジタルな時代

12という数字をもって一周するアナログ時計の針が10を指したとき、残りは11と12という数字である。つまり10秒間目をつぶっていたのなら、残り2秒となる。先ほどの六道時計の図の中では水色のゾーンになる。

その残り2秒は「デジタルな世界」になる。つまり、現代のようにテクノロジーが発展して多くのものがデジタルに移り変わっていく時代。

人間はコンピューターを使って高度な計算能力を手に入れ、様々な予測ができるようになった。ブラックホールの撮影だって出来てしまう時代なのだから、人間の起源(始まり)も徐々に明らかになっていくことは必然である。「目が開ける」時代といえる。

とある電波

アナログ放送が終了し、デジタル放送に移行した現代。人間はやっと「とある電波」を受信することができるようになる。とある電波により、人間の起源や輪廻の仕組みに気がつきはじめることになるのだ。

10秒間の暗闇な時代(アナログな時代)では受け取ることが難しかった電波。現代では誰にでも受け取ることができるが、受け取るかどうかは個人の選択に委ねられる。また、その電波は受け取る人によって解釈が変わるものでもある。

自分たちの起源を知らない人間は、自分が何故生まれ何故生きているのかも知ることはない。家中の照明を消して真っ暗にすることは、暗闇の中を生きる人間の心の状態を表している。

3.罪を背負う人間が裁かれる時

3.刃物を持って風呂場に行き「△△見つけた」と言ってぬいぐるみを刺す。

終わりと始まりの直前

ここまで10秒間の意味するところを説明してきたけれど、残りの2秒間が3.の手順を実行するための時間なのである。先ほどの図を再び確認してほしい。六道時計でいうと、餓鬼道の後半と地獄道の前半である青いゾーンがこの2秒間にあたる。

最後の2秒間で行うこの作業は、地獄という時代の真ん中(12)に向かいながら行われるもの。つまり、輪廻が一旦の終了を迎える瞬間の直前の出来事になる。

ぬいぐるみ(他者)を刺す(殺す)

刃物を持って風呂場に行き、「△△見つけた」と言ってぬいぐるみである「他者」を殺す。これは、そのまま人間が「他者」を殺す行為を表している。他者を殺した瞬間に、鬼役である自分には罪が発生する。この大きな罪が人間に輪廻をもたらす原因になっている。

六道は罪を犯した人間が行く場所である。前述した通り、六道は全て普通の人間が生きている世界。つまり、私たちは「大罪」を犯しているからこの人間世界に生まれてきている、ということである。

「ひとりかくれんぼ」にかけられた呪いの原因は、この3.の手順に集約されている。人間は輪廻転生しているものであるが、その原因がこの2秒間にあるということ。「他者」を殺すことこそが、人間の起源そのものであり、六道輪廻に囚われている原因である。

関連記事:地獄で「大きな過ち」の原因を知る

残り2秒で起きる悲劇

この世界に生きている人間ならば、残り2秒の時代に「他者」を殺している。もちろん、餓鬼道と地獄道以外の時代にも「他者」を殺す人間は存在するが。

「他者を殺すこと」はそのままの意味だけではないのである。自分自身に不都合をもたらす人間を排除するような意識のことも意味している。何気なく行っている行動が「他者を排除する行動」であったとしたら、本人にそんなつもりがなくても、廻り廻って「他者を殺すこと」になる。

前述した通り、この2秒間は「デジタルな世界」であり、人間の起源が明らかになる時代。「とある電波」を受信し、正しく解釈することができればこの起源の謎を解くことができる。しかし、その解釈を誤ることでまた「他者」を殺すのが人間である。

4.再び海へと還っていく

4.「次は△△が鬼だから」または「次は△△が鬼」と言い、自分は塩水のある隠れ場所に隠れる。

始まりに戻る

「次は△△が鬼だから」と宣言することは、輪廻の最初に戻ることを意味している。最初の手順を振り返ってみると、「最初の鬼は○○だから」と鬼役が自分であることを宣言している。

鬼役を自分からぬいぐるみに移行した後、自分はコップ一杯の塩水が用意してある場所に隠れることで「ひとりかくれんぼ」は、ほぼ終了である。

塩水の意味するところ

ぬいぐるみ(人間)を水に入れる行為は「人間の終わりと始まり」を意味する。

再掲したように、最初の手順で行ったぬいぐるみを水に入れる行為は人間の始まりと終わりを意味していた。「水」は生命の源である「海」を表現していたが、今回の「塩水」も同じく「海」を表現している。そして、塩水のある場所に隠れるという行為は、また自分も「海」に還っていくということを表している。

海から始まり、海に還る。六道時計の図を見てもらえればわかる通り「終わり」と「始まり」は重なっている。最初の手順で「ぬいぐるみを水に入れる行為」と、最後の手順で「塩水のある場所に隠れる行為」は重なっているのである。時計が12を指し示す瞬間である。

輪廻転生のしくみ

輪廻転生というものは、記憶を消されて、また別の人物(他者)へと生まれ変わる現象。12という時間に輪廻は一旦の終わりを迎え、自分という存在は消滅する。六道時計は止まることがないので、またすぐに他者として再生が始まる。

この世界で自分というものは唯一無二の存在である。けれど自分が消滅したら、別の人物(他者)に生まれ変わる。消滅する前の自分から見たら、生まれ変わった自分は他者とみえるもの。生まれ変わってしまえば他者を自分として受け入れていくのであるが。

つまり「他者」というものは、そもそもが自分である。来世や前世の自分の姿が「他者」として見えているだけなのである。ということは、ぬいぐるみは自分自身を表していることになる。

この世界には「自分」という一者しか存在していない。そのことについては、今回詳しく説明しないけれど、他の記事にも書いていることなのでお読みください。

丑四つ時に暴かれたこと

午前3時に「ひとりかくれんぼ」を始める理由は、鬼の正体を暴く時間であるから。取り返しのつかないことをした後「丑四つ時」という最も恐ろしい時間に、「ぬいぐるみ」が自分そのものであったことに気がつくことになるだろう。

「ぬいぐるみ」から見た、ひとりかくれんぼを実行する自分は「鬼になった自分」なのである。これが「ひとりかくれんぼ」という遊びの恐ろしい真実。

自分=他者

自分と他者は同じ存在で、同じ魂である。他者の人生は自分の別の可能性。それなのに私たち人間は不都合を与えてくる「他者」を遠ざける。自分から自分(他者)を遠ざけていった結果、廻り廻って自分で自分を殺してしまう結果となる。

輪廻が一旦終了し、次に生まれることになるのは「ぬいぐるみ(他者)」としての自分なのに、このカラクリを理解していない人間は、鬼になってわけもわからず「ぬいぐるみ(他者)」を「刺す(殺す)」ことになる。そしてまた苦しみの存在する六道輪廻の始まりに戻る。

人間とは輪廻に囚われ苦しんでいる存在であるから、輪廻を恐れている人ほど、この「ひとりかくれんぼ」の呪いが強くかかることになるだろう。

水とデジタル

ここまでの説明で「ひとりかくれんぼ」の恐ろしさや、呪いの強さが理解してもらえたかと思うが、さらに補足していきたい。まだ答えを出していない疑問についても解説していく。

水の陰の側面、癸(みずのと)

ところで、ひとりかくれんぼにおいての水が何故「水の陰の側面(癸)」であると言えるのか。二十四方一覧表をみてもらえればわかるけれど、十干には「水の陽の側面(壬)」もある。その理由については最後に。

まずはこちらの疑問。ひとりかくれんぼにおいての「水」がなぜ水の陰である「癸(みずのと)」と言えるのか、というところ。

最初の手順でぬいぐるみを水に入れること。そして水は人間の生と死を表していること。そのことは十干(じっかん)から導き出したのであるが、おさらいとして、もう一度二十四方一覧表を見ながら説明していく。

陰陽五行思想では、水の性質の陰側は癸(みずのと)、陽側は壬(みずのえ)と呼ばれる。癸を時刻で表すと午後12時から午前1時の間である。だから癸(みずのと)は生命の終わり(12)から始まり(1)を表している。

さらに分かりやすいように、二十四方一覧表を図に起こしてみた。十干(黒字)、十二支(黄字)、八卦(青字)のそれぞれが表す時間帯を六道時計に書き込んだ。アナログ時計なので、午前と午後が重なっている。

六道五行時計
六道時計と陰陽五行思想

癸(みずのと)は再び輪廻が始まる時間帯、つまり悲しみが再び始まる時間帯を表している。だからこそ「ひとりかくれんぼ」の手順で使用する水は、水の性質の陰側なのである。

「ひとりかくれんぼ」は自分がぬいぐるみである他者を知らず知らずのうちに殺してしまうことで、また輪廻に囚われてしまう手順を表したもの。人間は他者を遠ざける(殺す)ことで、苦しみから逃れようとするのであるが、それは結局自分に苦しみをもたらすもの(六道輪廻)となる。

「海」という場所から生まれ「海」に還っていくことは、実際はとても悲しいこと。生命のサイクルは神秘的ではあるけれど、輪廻から逃れられない人間が悲しみながら生まれてくる場所が「海」なのである。

水の陽の側面、壬(みずのえ)

輪廻から脱出するための時間帯

一方で、水の陽の性質である壬(みずのえ)にはそんな輪廻から脱出するための知恵が隠されている。図を見てもらうとわかるように、壬は時間に置き換えると10時から11時の間にあたる。水色のゾーン、デジタルな時代に入ってすぐである。

六道輪廻は12の場所で終わりを迎えるのであるが、10時から11時の間に「とある電波」を正確に受信し、この輪廻の仕組みを知ることで、海に還ることを防ぐことができる。

とある電波とは

ところで「とある電波」とは何か。それはインターネットから得られる様々な情報の中に潜む「真実」である。デジタルな世界では様々な情報がデジタルデータとなって誰にでも簡単に手に入る。世界の動向がほぼリアルタイムで手に入る時代でもあり、アナログな時代ではありえなかったこと。

過去に起きたことの情報もインターネットからすぐに手に入る時代。ここ最近では過去の遺物(遺跡など)からの新発見も増えている。

人間が鬼へと変貌した後、その力を制御出来ないために起きた悲劇は過去にも多く存在する。人間が罪を犯し、その結果何が起こるのかが検証しやすい時代でもある。

情報を見極め、他者を殺さない

人間が犯す大きな罪は「他者を排除する行動」。この意識をどうにかしないと、輪廻から脱出することはできない。情報を見極めることができれば「他者を殺す行動」に加担することがない。3.の手順で解説した「他者を殺すこと」について再掲する。

「他者を殺すこと」はそのままの意味だけではない。自分自身に不都合をもたらす人間を排除するような意識のことも意味している。何気なく行っている行動が「他者を排除する行動」であったとしたら、本人にそんなつもりがなくても、廻り廻って「他者を殺すこと」になるのである。

輪廻が終わる前のデジタルな時代に「とある電波」を受信し、正しく考えて、行動すること。そうすれば「ぬいぐるみ(他者)」を「刺す(殺す)」という行為を止められるのである。輪廻から脱出するための知恵を見つけられるのが、水の陽の側面である壬という時代であり時間帯なのだ。

デジタルな時代が必要である意味

記録を永遠に残すために

「デジタルな時代」は人間の起源を理解すること以外にも大切な意味がある。2.の手順では、アナログとデジタルの違いを挙げたけれど、デジタルの最大の特徴は「記録が劣化せず永く残る」こと。

六道時計の針が12を指し示した時に、輪廻する世界は一旦の終わりを迎える。生きているものたちは消滅してしまうのだけれど、これまでの出来事の全記録だけは残るのである。

輪廻とは同じことが永遠に続くこと。六道時計が右回りで進むように、同じことが繰り返す仕組みである。だから、次の始まりは新しいものに見えるけれど、それは記録された場所から復元されているだけにすぎない。

最後の2秒間(餓鬼道と地獄道)は全記録を永久に残すために、アナログデータからデジタルデータに置き換えられる必要がある。

次の始まりはデータから復元されることであり、前回のデータを引き継ぐことである。「人間」になる原因(他者を殺した事実)が引き継がれ、また「人間」として生まれてくることになる。

原因の詳細は記録されない

しかし、デジタルでは曖昧なところは記録されない。肝心な「人間の起源(他者を殺したこと)」の詳細がわからないようになっているのである。

デジタルデータは人間の細やかな感情を残すことが難しい。「不都合をもたらす他者を排除したい」という意識がどうして生まれるのか、どうしてそう思ってしまうのかの記録が残ることはない。人間の感情や記憶は消されるのであるから、仕方がないこと。

デジタルデータの中にある神の意志

水とデジタルと人間は切っても切り離せない関係。ネットサーフィンだとか、情報の海だとか、デジタル情報を水と関連付けるのは人間の無意識がさせることである。

旧約聖書に記録されている「ノアの方舟」の物語の中で大洪水が起こるのは、輪廻が終わり始まる時代を描いているから。水が地球上に存在するもの全てを洗い流し、残された記録(ノアと家族、全ての動物のつがい)をもとに再び世界を創造する物語。

ノアは箱舟から出て良いとの指示を受け、家族と動物たちと共に方舟を出た。そこに祭壇を築いて、焼き尽くす献げ物を主に捧げた。主はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約した。主はその契約の証として、空に虹をかけた。

wikipedia

神はノアとその家族を祝福し『全ての生物を絶滅させてしまうような大洪水は、二度と起こさない』と約束した。つまり、ノアが次に生きる世界では大洪水が起きることはない。ノアは輪廻から脱出したということになる。

ノアは「とある電波」を正しく受信し、正しく行動した。他者を殺すことをしなかったのである。「とある電波」には神が人間に伝えたいことが含まれている。「ひとりかくれんぼ」は水の陰のお話であるけれど、「ノアの方舟」は水の陽のお話と言える。

デジタル時代の必要性まとめ

  1. 輪廻が永続するよう記録を残すため
  2. 様々なデータを元に人間の起源の謎を解くため

水は人間にとって死の象徴でもあり、生の象徴でもある。水の陰の側面(癸)で世界は全て破壊され、水の陽の側面(壬)では、過ちに気がつくことができる。死を繰り返すのか、それとも生の道を見出すのか。デジタルな時代に「とある電波」から人間の起源を知り、過ちを反省した人だけが本当の生を得るのである。

終了の手順について

塩水を少し口に含んでから出て、ぬいぐるみを探して、コップの残りの塩水、口に含んだ塩水の順にかけ、「私の勝ち」と3回宣言して終了となる。必ずこの手順によって、1~2時間、または2時間以内に終了させなければならない。なお、ひとりかくれんぼに使用したぬいぐるみは、最終的に燃える方法で処理する必要があるとされている 。

2時間以内に終了させること

「ひとりかくれんぼ」終了の手順について解説していなかったけれど、これまでのことを考えてみるとこの終了の手順にも納得できると思う。

ひとりかくれんぼの全ての手順は「1~2時間、または2時間以内」に終了させなければならない。この時間は、言わずもがな輪廻の一旦の終了までの残り2時間(2秒間)を表している。

情報を引き継ぐ方法

塩水をかけること

「ぬいぐるみにコップの残りの塩水、口に含んだ塩水の順番にかける」という行為は、情報を引き継ぐことを表している。人間の口に含まれた塩水は、人間の細胞データを含む。コップの残りの塩水は海を表しているから、細胞のデータを海に混ぜ込む行為。

これでまた海から人間が生まれることになる。人間の歴史のはじまり、つまりは輪廻の始まりである。デジタルな時代が存在する意味、のところで述べたことであるけれど「ひとりかくれんぼ」で表されるこの手順の塩水(データ)には「自分が他者を殺した事実」が含まれている。

無から在るへ

手順の最初でぬいぐるみを水につける行為があったが、そこに塩は含まれていなかった。塩水を最後にかけることは、情報を追加すること。何もないところから永遠に続く輪廻が始まったことも意味している。人間の始まりと「塩」に関する記事もいずれ書きたいと思っている。

永遠について

塩は永遠をも表す

塩というものは、人間が「永遠」を持つ生き物であることを教えてくれるもの。人間の遺伝情報を有するDNAは「塩基」というものの組み合わせで構成されている。DNAは人間から人間であることを繋ぐもの。塩基という言葉に「塩」が使用されていることには意味がある。「塩基」の簡単な意味をこちらから引用。

一般には酸を中和して塩(えん)を生ずる物質,または水溶液中で水酸イオンOH(-/)を生ずる物質をいう。

コトバンク

塩基というものは、定義がいろいろあるので説明が難しいのだけど、重要なキーワードを抜き出すと「対になるもの・相対的なもの・中和するもの」。相対するものの違いをはっきりとさせて、中和させることが輪廻から抜け出し「永遠」を手に入れる方法でもある。

永遠とは「生と死」が存在しない世界のことである。正しい行いをしたノアは「永遠の世界」を手にいれている。「ひとりかくれんぼ」では、永遠を表す「爪」をぬいぐるみに詰めているけれど、これは人間が永遠を持つ存在であることを表していた。

悲しい輪廻が続くことも「永遠」であるし、生と死が存在しない楽園のような「永遠」もある。全てのものには陰と陽の二面性がある。

勝ちを3回宣言すること

「私の勝ち」と3回宣言して終了すること。こちらは間違った終了方法を如実に表している。輪廻から解脱するには「3回負け」を認めなければいけない。「3回負け」を認めることは「悪い心」を持っていることを認めること。

1.の手順で、ぬいぐるみに向かって「自分が鬼である(悪い心を持つものである)」と3回宣言した。しかし「私の勝ち」と3回宣言することは、自分が「悪い心」を持っていることを3回否定する表現である。最初に鬼であることを自覚しているのに、終了の手順では鬼であることを認めていないことがわかる。

4.の手順で「次は△△が鬼だから」と宣言したことは、やはり自分自身が鬼であることを認めていないことを意味している。鬼役をぬいぐるみに移行することは、鬼であった「自分」から、ぬいぐるみである「他者」に鬼役をなすりつけること。

自分自身が鬼であること認めることができない場合、鬼の力をコントロールすることはできない。だから他者を殺すのである。負けを認めることや、3回という数字の意味については輪廻からの解脱カテゴリで書いていくので、そちらをどうぞ。

関連カテゴリ:輪廻からの解脱

ぬいぐるみを燃やすこと

火と水

「ひとりかくれんぼに使用したぬいぐるみは、最終的に燃える方法で処理する必要がある」とのこと。ぬいぐるみを燃やす意味について解説していく。

六道五行時計
六道時計と陰陽五行思想

図をみてもらうとわかるように、輪廻が終わり始まる時間帯(12時から1時)は、水と火の性質を持っている。つまりは、ぬいぐるみに塩水をかけて終了するのなら、火で燃やす必要もあるのだ。

輪廻が一旦の終了を迎えるとき、水と火で生きとし生けるもの全ては浄化され、物質は何も残らないようにする必要がある。そして輪廻は再び無からスタートする。

火は怒りを表す

「海」という場所から生まれ「海」に還っていくことは、実際はとても悲しいこと。生命のサイクルは神秘的ではあるけれど、輪廻から逃れられない人間が悲しみながら生まれてくる場所が「海」なのである。

12という場所について前述したこと。水は悲しみを表しているのであるが、火というものは怒りを表している。「終わりと始まり」が重なる場所は「怒りと悲しみ」が重なり合う場所。火が怒りであることについての詳細はまた別の記事で詳しく書いていこうと思う。

関連記事:エメラルドタブレットから学ぶ、火と怒り

輪廻の中心にあるもの

土には方角も時刻もない

実は二十四方一覧表に書かれている十干(じっかん)は二つ足りない。それは戊(つちのえ)と己(つちのと)で、その二つは土の性質の陰と陽である。土は方角でも時刻でも表すことができない。図を見てもらうとわかるように、時刻にも方角にも当てはまらない土の性質は「中心」を表している。

最後の2秒間、デジタルな時代の意味は「輪廻が永続するよう記録を残すため」と言ったけれど、その記録を納(おさ)める場所が中心である。

陰と陽のバランスがとれた場所

再び、六道時計に書かれている十干(じっかん)を見て欲しい。それぞれ癸・丁(陰・陰)、甲・庚(陽・陽)、乙・辛(陰・陰)、壬・丙(陽・陽)となっている。陰と陰、陽と陽で同じ極が重なっている。

しかし、中心の戊(つちのえ)と己(つちのと)は陽と陰で極のバランスがとれている。中心にあるものは時間も空間も超越した、バランスの取れた完璧な場所なのである。そこには人間世界(輪廻)を解き明かす全ての情報が存在する。

輪廻の一旦の終了時に物質世界は全て破壊されるけれど、情報だけは中心に残されている。その情報を取り出しやすくなるのがデジタルな時代(10時から12時の青いゾーン)。しかしどの時代であっても中心には必ず情報があるから、いつでもどこでも取り出すことは可能である。

中心に移動すること

10時から12時という輪廻が終わる前のデジタルな時代に、輪廻の仕組みを理解し人間の起源を理解すること。理解することができれば「ぬいぐるみ(他者)」を「刺す(殺す)」という行為を止められるのである。輪廻から脱出するための知恵を見つけられるのが、水の陽の側面である壬という時代であり時間帯なのだ。

壬(みずのえ)という時代についてこう書いた。デジタルな時代に、人間の起源を解き明かすことで「輪廻から解脱」することができる。解脱するということは『悲しい輪廻が始まらない』ということ。

「海」という場所から生まれ「海」に還っていくことは、実際はとても悲しいこと。生命のサイクルは神秘的ではあるけれど、輪廻から逃れられない人間が悲しみながら生まれてくる場所が「海」なのである。

水とデジタルの章でこうも書いた。「海」から生まれ「海」に還っていくことは悲しみの輪廻。しかし人間は解脱することで中心に移動する。そこで、「土」から生まれ「土」に還っていく喜びの輪廻があることを知るのである。

陰陽五行思想からは多くのことを学ぶことができる。今後、別の記事で解説していきたいと思う。中心に移動することは「永遠」という楽園を得ること。中心に移動することについては関連記事を参照あれ。

関連記事:この世界の真実(最終解答編)その1

関連記事:「TENET」オカルト考察 その1

おわりに

この記事を書くきっかけ

この記事を書くきっかけとは。ふと、とある人の動画で「ひとりかくれんぼ」を実践していたのを見かけて、久しぶりにその内容をじっくりと確認したら、これは!となったから。集合的無意識と2chってすごい。この世界の真実は全てインターネットに落ちている。

世界終末時計について

今回の解説で使用した「六道時計の図」は世界終末時計と同じようなものである。グーグルで世界終末時計と検索すると、意味ないとか胡散臭いとかいう意見があるけれど、そう思いたくなるのは人間で在ることから逃げているから。

wikipediaの世界終末時計の時間の推移を見てもらえるとわかるが、終末時計の針は進んだり戻ったりしている。人間は過去に戻っては進むことを繰り返して、最終的に終末(12)を迎えるのである。

人間は無意識で中心にある情報にアクセスしながら、データを読み込んだり(過去に戻る)書き込んだり(未来に進む)して生きている。忙しい生き物だね。