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  • 「TENET テネット」オカルト考察 その3

    「TENET テネット」オカルト考察 その3

    久しぶりにTENETを見たので、再び考察を書きたいと思う。映画が公開されたのが2020年ですぐに考察を書いたのだけど、2023年の今、その頃とは世界の見え方がだいぶ変わっているので、TENETの見え方も変わった。

    当時気がつけなかったことが多くあったので、その1その2とはなるべく切り離して書きたいと思う。タイトルにもありますが、UOZAブログ的オカルト考察です。心してお読み下さい。

    アルゴリズムを作ったのはプリヤだった

    まずは今回見直して気がついた大きなこと。アルゴリズムを作ったのが「プリヤ」だったとわかった。正確には「女たち」ですが。何故そう思ったのかは、名もなき男がプリヤと「アルゴリズム」の話をしたシーンを見て。そのシーンのセリフを書き起こしてみた。字幕版のものです。

    プリヤ:あれは世界に一つだけ 作った科学者は自殺、二度と作れない
    名もなき男:未来の人か
    プリヤ:何世代も後の
    名もなき男:なぜ自殺した?
    プリヤ :マンハッタン計画を?世界初の原爆実験でオッペンハイマー博士は 連鎖反応が世界を飲み込むことを恐れた
    名もなき男:幸いそうならなかった
    プリヤ :自殺した科学者は確信していた アルゴリズムで我々を消滅すれば、自分たちも消滅すると

    プリヤがアルゴリズムを作ったと気がついた箇所は太字のセリフ。わたしが見直したのは吹替版の方だったのだけれど、それがこちら。

    プリヤ:自殺した未来の科学者は危惧ではなく確信した 彼女が開発したアルゴリズムで我々を消せば自分たちも消滅してしまうと(吹替版)

    「彼女が開発したアルゴリズム」と明言しているプリヤ。“彼女”だけではプリヤとは言い切れないし、アルゴリズムが作られたのは何世代も後ということだから、プリヤの年齢だと辻褄が合わない。ひとまず、アルゴリズムを作ったのが「女」であることは確定できる。

    前回見たときはこのセリフに気がつかなかったので、わたしはセイターがアルゴリズムを作ったと書いてしまった。ここでお詫びして、訂正しておきます。当時のわたしはまだまだ理解できていなかったが、セイターは思ったよりもっと重要な役割であった。

    今回は「アルゴリズムの制作者」について紐解くことを目的として、その過程でさまざまな考察をしていきたいと思う。

    名もなき男の心の内(心情)がTENET

    心が現実を作る?

    TENETのあらすじを追うと、TENETは「名もなき男」の『心の内の世界』であることがわかる。「現実(映画内)」で起こる様々な出来事は『彼一人の心の内』に起きていること。わたしたちは「現実」のことを「自分一人の心の内」だとは思っていないはずだ。

    人間は、様々な出来事を心で「受け取り」反応(行動)する。その反応(行動)は積み重なり「過去」となっていく。確実に人類の行動が「現在」や「未来」を作っていると言える。それなのに、出来事に反応した結果である「現実」に『自分の力は及んでない』と感じている。

    受動的現実

    多くの人が目に見えている世界を「受動的」に感じている。世界全体に自分という個人の力が及ぶことなく、自分は『単なる世界の一部』として存在している、と思ってはいないだろうか。

    自分自身の行動が「未来」を作っている、と強く感じているのは環境活動家かもしれない。地球環境の破壊を防ぐために、アクションを起こしている。けれど『世界が自分の思い通りになっていない』と感じているから、そのような活動をしている。だから彼らは「受動的現実」を生きている。

    「環境破壊のない世界」を心の内で望んでいたとしても、それが「現実」には表れていない。もちろん、すぐには環境は変わらないから、いつかそんな世界がやってくることを願って行動しているのだろう。

    受動的現実とは、現実を受け止め、その現実について心が表現すること。今の世界を見てどのように感じるだろうか?「素晴らしい世界だ」とか「生き辛い世の中だ」とか様々に感じることは、目に見える現実を心で表現しているに過ぎない。

    受動的現実:現実(前) → 心(後)

    能動的現実

    「現実」に『自分の力が及んでいる』と思うこと。自分の行動が「現実」に影響していると感じたことはあるだろうか?行動とは心の反応の結果である。心→行動→現実という流れなのであれば、心が現実を作っているとも言える。

    もしも、心が「現実」を作っているのならば、様々な出来事に心が反応した結果の「現実」が、その反応と同じものとなる。「心の内」で感じたことがそのまま「現実」として表れていると思うのならば『現実に自分の力が及んでいる』ことになる。

    この話を聞いて「引き寄せの法則」というものを思い出した人がいるかもしれない。強く願えば思い通りの現実になる、というものである。『今すぐお金が欲しい』と強く願ったら、すぐに臨時収入があったなど。ちなみに最新の解釈では『既にお金を持っている』と思う方が良いらしい。

    けれど「引き寄せの法則」のようなものがあるならば、既に世界は平和になっているはず。「世界平和」を願う人は多くいるが、現実に現れていない。あるところでは平和であるが、あるところでは戦争が起きている。もしかしたら「世界平和」を本気で願う人が存在しないだけかもしれない…。

    「心の内」がそのまま表れているのが「現実」ならば、先に心の現象(願いなど)があって、その結果としての「現実」になる。とはいえ「現実」に起きる様々な出来事に心は反応するのであるから、心の現象の前に「現実」というものが必ず必要になる。

    『今すぐお金が欲しい』と思う為には、その前に『お金がない』と感じる「現実」が必要となってしまう。「心の現象」が起きる前に「現実」があるのは当たり前のことなのだから、「現実」の前に「心の現象」がある「能動的現実」は有り得ない。

    能動的現実:心(前) → 現実(後)

    TENETでは能動的現実が有り得る

    TENETという物語には時間の流れに「順行(過去から未来)」と「逆行(未来から過去)」があった。未来からの情報を頼りに、人類滅亡を防ぐ物語である。

    『過去(未来)からの情報』を受け取り心が反応して「現在」の行動を決め、その『行動(心の反応)』がまた「未来(過去)」になっていく。ループする世界である。

    つまり、「現実」の前に「心の現象」があることが有り得る世界を描いたのがTENET。「逆行する時間」が存在するならば『心の内がそのまま現実に表れている』世界も存在する。

    世界がループしているのならば「現在」は必ず『自分の心が反応した世界』になる。『自分の心の反応』が「過去」へ戻りまた「現実」になっていくのだから『世界に自分の力が及んでいること』が確実になってくる。

    2つの時間を繋ぐ中間者

    TENETでは2つの時間の流れを可視化している。私たちが普段感じている「現実」は「順行する時間」であるが、私たちが普段感じることのない「逆行する時間」を『現実のように』表現している。

    現実の出来事に「心」が反応した時『現実に自分の力は及んでない』と思うのならば、その「現実」は自分の心より先に存在していることになる。現実が先で心が後になる。これは「順行する時間」と言える。

    私たちは心で「喜怒哀楽」を感じたりするけれど、その心が「現実」を作っていると思うのならば、時間の流れが逆になる。心が先で現実が後になる。これが「逆行する時間」と言える。

    TENETでは、その2つの時間を繋ぐものが中間地点にあった。TENETという回文は「N」が真ん中にあるが、これが2つの時間を繋ぐ「名もなき男」である。

    名もなき男とは『現実に自分の力が及んでいない』と思いながらも、『自分の心が現実を作っている』とも思っている、ちょうど「中間の心情」を持っている存在なのである。

    一方、セイターは初めから未来の情報を活用し、現実を支配していた。『現実に自分の力が及んでいる』ことを確信している存在である。けれど、知りすぎることは破滅をもたらす。世界を救う名もなき男は忘れっぽい。

    目覚めて心の内に入る

    心は自分のものであるのに、心のことを知らない名もなき男。オペラハウスで眠りに落ち、船の上で目を覚ました時、名もなき男は『自分の心の内』に入ったのである。名もなき男は訳もわからないまま、世界を救うミッションを託されるが、それは『自分の心の内』を知るミッション。

    物語の中(心の内)で様々なことを経験すれば、最後には、全て自分が仕組んでいたことを知る。能動的現実(逆行する時間)を体験し、自分の力が現実に及んでいることを実感する。心(現実)は自分が作り出すものだと理解するのである。

    TENETの世界と私たちの世界

    私たちの生きる世界にも「未来から過去に流れる時間」が存在しているのだとしたら。私たちの心の内が、今見ている現実世界だということになる。

    ところで、オカルト好きなら「オーパーツ」という言葉を聞いたことがあるかと思う。

    オーパーツは、それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる出土品や加工品などを指す。英語の「out-of-place artifacts」を略して「OOPARTS」とした語で、つまり「場違いな工芸品」という意味である。

    オーパーツ(Wikipedia)

    その時代に作られたとは思えないものが発掘されたとき「未来」のものなのではないか?と考えられることがある。TENETに登場する「アルゴリズム」も、それぞれのパーツが過去に隠されていた。

    『未来のものが過去にあること』を、私たちはなんとなく感じている。予言のたぐいもそうである。これから起きることを、先に察知してしまうことは『未来のものが過去にあること』と同じ。

    わたしは様々なオカルト情報を吟味しながら生きてきたが、2020年にTENETを見て「時間が逆行」していることを「信じた」。だからこそ、このUOZAブログでは『未来のものが過去にあること』を訴えている。「逆行する時間」は本当に存在していて、未来からの情報が私たちの「現在」を作り出していることは確実である。

    私たちの物語でも世界は滅亡する

    TENETの主人公に名前が付いていないのは、誰にでも当てはまる物語であるから。時間が逆行していることを体験し、未来の自分自身に出会い、世界を破滅から救う物語。私たち誰もがその『心の内の世界(現実)』の「主人公」になる可能性を孕んでいる。

    『未来のものが過去にあること』を感じている私たちは、世界が滅亡することも知っている。これから訪れる滅亡を防ぎたいのなら、いちど『現実に自分の力が及んでいる』ことを強く自覚する必要がある。

    スピリチュアルやオカルト界隈には『現実に自分の力が及んでいる』ことを感じている人は多いかもしれない。『意識が世界を作っている』と語る人を見かけるから。けれど『現実に自分の力が及んでいない』ことも強く感じる必要がある。自分の本当の願いと目に見える世界が一致していないことを自覚することも大切なのだ。

    3人の男・3つの世界

    回る男たち

    前の考察にも書いたが、TENETで重要なのは「3人の男」。画面の中に「3人の男」が向きあうシーンがふたつあった。

    ひとつめのシーンはロータス社の中心に入り込む為『名もなき男・ニール・マヒア』が、飛行機をぶつける作戦を練っている時。

    もうひとつのシーンは、アルゴリズムを奪還し『名もなき男・ニール・アイヴス』がアルゴリズムを分割している時。

    このふたつのシーンには意味がある。ひとつめのシーンでは、向き合う3人の背後を左から右に回りながら撮影していた。TENETで「回る」と言えば、順行と逆行が交差する「回転ドア」である。3人が向き合う時と、回転ドアに入ることは「同じ」ことを意味すると思われる。

    曖昧で不確かな場所

    回転ドアは4つあった。オスロ空港のフリーポートとタリンのフリーポート、スタルスク12、TENET作戦の船。回転ドアがある場所の共通点とは何か?それら場所は『曖昧で不確かなもの』を象徴している。

    フリーポートとは租税回避地のこと。税金がかからないから富裕層がアート作品を保管しておくような場所。大切な物を有利に隠しておける場所である。税関を通ることのない場所であり、そこは国境が曖昧な場所と言える。

    タックス・ヘイヴンは、一定の課税が著しく軽減、ないしは完全に免除される国や地域のことであり、租税回避地(そぜいかいひち)とも低課税地域(ていかぜいちいき)とも呼ばれる。

    タックス・ヘイブン(wikipedia)

    スタルスク12は地図に無い場所であるから、公式には存在しない。そして海上の船も目に見えない場所を表している。このブログでは海を「目に見えないものの象徴」と定義していたりする。

    回転ドアがある場所は順行と逆行、2つの時間の流れが入れ替わる場所でもある。境界線が曖昧なフリーポート、公式に存在しないスタルスク12、目に見えない海、全て『曖昧で、不確かな場所』であると言える。同じように、男が3人向き合うシーンは「曖昧で不確かなものの象徴」だと言えるのだろうか?

    3人が表すもの

    善・善悪・悪の名もなき男

    3人が意味するところについては、その2の考察で既に書いていたので、それを引用する。

    人間には必ず『悪の側面・善の側面』が「自分」の中に存在している。そして自分が生まれ持った性の「反対の性」も重要なものである。私たちは人生の中でこの『3つの側面』と向き合いながら生きていくことになっている。意識しようと無意識であろうと、これは絶対なのだ。

    人間という生き物の心を暴くと、善の心・悪の心・そして善の心と悪の心が表裏一体になっている心、3つの心が存在していることがわかる。心の話はこのブログで書き続けていることなので、他の記事も参考にどうぞ。

    その人間の3つの側面(3つの心)について『悪の側面が「セイター」、善の側面が「ニール」、そして「名もなき男」の対の性として「キャット(女)」が存在している』と解説した。

    TENETは名もなき男一人の心の内の物語である。心の内に存在する「悪の心を持つ名もなき男」がセイター、「善の心を持つ名もなき男」がニールだと言える。だから、名もなき男は「善悪の心を持つ主人公」になる。

    過去・現在・未来の名もなき男

    TENETで3人の男が向き合う形で撮影されているふたつのシーンは、この3つの心を表現している…と言いたいところだけど、こちらはまた違う解釈になる。

    『名もなき男・ニール・マヒア』と『名もなき男・ニール・アイヴス』で表現されている3人は『過去・現在・未来の名もなき男』を表している。主人公である名もなき男は「現在」を表す。それはセリフからもわかること。

    エンディングでの『名もなき男・ニール・アイヴス』3人の場面。名もなき男とニールとの会話で、時間の挟み撃ち作戦を計画したのは誰なのか?と問うシーン。

    名もなき男:誰の作戦だ?
    ニール:君だ 君はその中間点にいる 出発点で会おう

    『君はその中間地点にいる』というセリフから名もなき男が「現在」を表していることがわかる。過去に隠されたアルゴリズムのパーツ、未来で作られたアルゴリズム、の中間でTENET作戦を計画し実行するのが主人公である「名もなき男」。

    ニールは逆行し「未来」から来て作戦に加わっているから、ニールが「未来」を表すことは確実である。残りの、アイヴスとマヒアは「過去」であるということになる。

    つまり3人の男が向き合うシーンは『過去・現在・未来の名もなき男』が集っている。そのシーンは過去なのか現在なのか未来なのか分からない『曖昧で不確かな時間』であると言えるかもしれない。回転ドア(曖昧で不確かな場所)と同じく。

    思考と心

    曖昧で不確かの意味

    回転ドアがある場所では、時間の逆行を目にするのだから、常識では考えられないことが起きている。その曖昧で不確かな状況に遭遇したら「頭の中(思考)」で理解しようと試みるはずだ。曖昧で不確かな状況は「思考の中でのみ」体験することができる。そこは「現実」からは切り離された場所と言える。

    TENETの世界は名もなき男の心の内であり、思考の中でもある。人間は思考で情報を判断し、それを受けて、心が感情を決める。「曖昧で不確か」という状況は『思考でまだ感情(心)を決めていないこと』を表している。

    現実から切り離された精神世界

    私たちが「順行する時間」しか知らないのは、「逆行する時間」は目に見えないから。人間の「思考」も目に見えないもの。つまり、「逆行する時間」は「人間の思考の中」であり、私たちはそれを「精神」とも呼んでいる。そこは現実から切り離された『思考と心で推測する』場所である。

    目に見えている「順行する時間」を現実世界と呼び、目に見えない「逆行する時間」を精神世界と呼ぶのが私たち人間である。精神世界は逆行しているのである。

    関連記事:現実世界と精神世界を行ったり来たりすること

    現実と精神の狭間

    3つの世界と3つの時間

    多くの人が気がついていないだろうが、TENETには「現実世界(順行する時間)」と「精神世界(逆行する時間)」の他にもう一つの世界がある。時間が存在しない「中間世界」である。つまりTENETの世界には「3つの時間」があることになるので、まとめてみる。

    現実世界…順行する時間(心が現れる)
    中間世界…時間なし(思考と心が不確定)
    精神世界…逆行する時間(思考と心で推測する)

    このようにまとめてみたけれど、順行する時間と逆行する時間に挟まれた世界には時間がない。TENET作戦でいう、ゼロ地点(N)も中間である。主人公である名もなき男、回転ドアのある場所、時間の挟み撃ち作戦10分間の真ん中、この3つはどれも「時間が無い」ことを表現している。人間(名もなき男)・場所(回転ドア、スタルスク12)・時間(0)中間世界にも3つの側面がある。

    3つの精神構造

    さらには3つの精神構造がある。「精神構造」とは『思考と心の働き』のことで、それも3つに分けることができる。心が現れること・思考と心が不確定なこと・思考と心で推測すること、これらはそれぞれ別の働きである。

    ところで、中間世界について『思考と心が不確定』としているが、その意味は、少し前に「回転ドア」がある場所を『曖昧で不確かな場所』と定義したから。けれど『思考と心は確定する』こともできる。

    男3人が向き合うシーンで表現されていたことは『曖昧で不確かな時間』であるかもしれない、と先ほど述べていたが、そのシーンは『思考と心で確定すること』を表現している。本来、中間世界は『思考と心を確定する時間』なのだけれど、中間世界があることを知らない人にとっては『思考と心が不確定な場所』となる。名もなき男は、最初『思考と心が不確定な存在』であるはずだ。

    中間世界で『思考と心を確定する』のは刹那とも言える一瞬であるから、場所というよりかは時間で表現する方がいい。人間とは2つの時間に挟まれながら常に「確定」している生き物である。その「確定」する瞬間は一瞬過ぎる為に、人間が感じられるような時間が「無い」。

    思考と心の違いについて

    中間世界と精神世界だけに「思考」があることに注目してほしい。思考は自由であり、過去のことを思い出したり、未来のことを推測したり、有りもしないことを想像することもできる。「精神世界(逆行)」では、思考で推測し、様々な心を体験することができる。

    そして、中間世界では『思考と心で推測したこと』を「確定」することができる。「確定」したことは「現実世界」に現れる。

    前の章では、名もなき男の「心の内」が現実世界であると述べたけれど、中間世界で確定したことが「心(現実世界)」として現れるということ。現実世界に思考は無く「心」だけが存在しているのである。

    関連記事:2つの時間の重なりが因果を生む

    3つの時間の流れ

    逆行する時間は自由

    いくつかTENETの考察を読んだけれど、逆行するのに順行するのと同じ日数がかかると思っている人がいた。それは当たり前で、順行と逆行が同時に起きているように感じるから。

    けれど逆行する時間は「思考と心の中」である。通常の時間の流れを無視することもできる。「逆行の世界」に限っては、時間の制約なく移動が可能だ。けれどそれができるのはおそらく「ニール」だけ。その理由については後述したい。

    中間にある情報

    今度は3つの世界における「3つの時間の流れ」について詳しくまとめてみる。

    現実世界…過去から未来へ時間が流れる(時間を移動できない)
    中間世界…情報が存在する(時間なし)
    精神世界…未来から過去へ時間が流れる(時間を移動できる)

    私たちも体験している順行する時間では、時間を移動できないのは当たり前のこと。けれど、逆行する時間では、時間を移動することができる。そして、中間世界には時間という概念がないから時間は流れない。けれど「情報」だけが存在している。

    ループする世界の中心にあるもの

    『過去(未来)からの情報』を受け取り心が反応して「現在」の行動を決め、その『行動(心の反応)』がまた「未来(過去)」になっていく。ループする世界である。

    初めの章でこう述べたように、TENETの世界はループしている。中間世界が順行と逆行という2つの時間を繋げているので、「情報」もループしている。「情報」とは、人間が残すありとあらゆる「記録」である。「情報」だけが時間のない中間にあり、「時間」を感じ「情報」を処理することができる人間がそこにいる。

    その「情報量」には上限がある。決まった「情報量」であるからこそループしている。この「情報量」のことをオカルト界隈では「アカシックレコード」と言ったりしている。「情報」の話に深入りするとTENETの考察がまとまらなくなってしまうので、今回はサラッと流しておきたい。

    一瞬が連続する「現在」

    中間世界で『思考と心を確定する』のは刹那とも言える一瞬である、と言ったけれど一瞬で「情報」を判断し、その判断が連続するのを「現在」と感じているのが人間。つまり「中間世界」は「現在」とも言い換えられる。

    劇中「情報」を掴むことが戦いに有利になることが語られていた。「現在(中間世界)」で情報を受け取り、注意深く読み解くことで戦いは有利になる。

    中間で情報を認識する2人

    未来が読めるセイター・過去と話し合う名もなき男

    人間は2つの流れる時間の間で「情報」を処理している。この仕組みについて初めから理解していたのがセイターである。だから彼は中間世界を象徴する回転ドアを所有していた。「逆行する時間」と「順行する時間」の中間に立ち「未来」からの情報を受け取っていた。

    回転ドアのある場所は「曖昧で不確かな場所」であると言ったが、男3人のシーンは『思考と心で確定する時間』を表現している。そのシーンは「名もなき男」が過去(マヒア・アイヴス)と未来(ニール)と話し合う時間である。過去と未来からの情報を確かに受け取り、計画を実行している。

    3つの世界・3つの時間・3つの精神構造

    『回転ドアがある場所』と『3人の男のシーン』はどちらも「中間世界」であるけれど、『不確定な思考と心』であるか『確定された思考と心』であるか、という大きな違いがある。ここまで考察してきた「3つの世界」について以下にまとめておく。

    現実世界…順行する時間(心が現れる)
    中間世界…情報あり時間なし(思考と心が不確定or思考と心を確定)
    精神世界…逆行する時間(思考と心で推測する)

    信条(TENET)とは

    とある「信条」を持っていれば『思考と心を確定』することができる。「信条」を持っていなければ『思考と心が不確定』なのである。名もなき男はセイターとは違って「とある信条」を持って行動していた。その「信条」とは『起きたことは仕方がない』というものである。名もなき男がセイターに勝利したのは、この「信条」を持ち「過去」を認めていたから。

    男3人のシーンには未来(ニール)からだけではなく、過去(マヒア・アイヴス)からの情報も含まれていた。だからこそ未来からだけの情報より「確実」であった。セイターは過去を憂い過去への憎しみを持っている存在であるから「情報」に見落としがあった。

    「逆行する時間」と「順行する時間」の中間に立ち「過去と未来」から受け取った情報を、「信条」を持って受け止め、また「過去と未来」に送る。それを行ったのが「名もなき男」である。

    TENETというパラレルワールド

    わたしはTENETという物語が「パラレルワールド」をも表現していると考えている。その1の考察では、『名もなき男は「創造主(神)」であり、その他の登場人物は彼の側面である』ということを書いた。

    名もなき男と彼の多数の側面が存在する世界のことを「パラレルワールド」という。名もなき男と彼の多数の可能性が存在する世界と言った方が「パラレルワールド」感があるかもしれない。

    「パラレルワールド」についてのわたしの見解は別の記事にしており、ぜひそちらも読んで欲しいのだけれど、ひとまずこの考察ではTENETの世界を「パラレルワールド」と仮定しておきたい。つまり「名もなき男」がTENETという世界の主役であり、その他全ての人間は彼の可能性であるということ。

    名もなき男の可能性たち

    ニールは未来、アイヴスとマヒアは過去であると言ったけれど、彼らは「名もなき男」の未来と過去を表す存在。姿形は違うけれど。「名もなき男」が姿形を変えて、未来や過去に存在していて、彼らが同じ時代に集合しているのが「TENETと言うパラレルワールド」。

    TENETは「名もなき男」の『心の内の世界』であると言ったけれど、心の内にパラレルワールドが存在しているのである。

    女たちの役割

    4人の女たち

    今回の記事の目的『プリヤがアルゴリズムを作った』という話をするためにも、女の役割について考えていきたい名もなき男の心の内に存在する「女」には重要な役割がある。

    TENETには「4人の女」が登場している。キャット(セイターの妻)・プリヤ(TENET作戦の黒幕だと思われていた)・バーバラ(アルゴリズムを研究している科学者)・ホイーラー(TENET作戦青チーム隊長)。

    正確にはキャット息子の乳母役であるっぽいアナも入れると5人なのだけれど、彼女は一瞬映り名前が出るだけなので外しておきたい。

    名もなき男は、物語の中で「キャット」の命を守るためにも動いていた。敵であるセイターの妻であるのにも関わらず、かなり入れ込んでいたと思う。彼女の身の上話を聞いたから同情しただけかもしれないが。

    男にとって女とは何か

    TENETの世界は名もなき男の心の内の世界なのだから、心の性質の話をしておきたい。人間に男と女という肉体的な性別があるように、心には「男性性」と「女性性」という2種類の心が存在している。他の記事から引用しておく。

    人間の心の中には2つの性質が存在していて、それら性質のバランスによって判断も変わってくる。基本的には性別が男性であれば、心の中は「女性性」が主体となり決定権を握っている。性別が女性であれば、心の中の「男性性」が主体となり決定権を握っている。

    つまり名もなき男の心の主体は「女」。TENETに登場する女たちは彼の心の主体として存在していて、決定権を握っている。だからこそ名もなき男はキャットを気にして、プリヤから指示を受けるのである。

    女は精神世界の生き物

    名もなき男の心の内には、順行する時間と逆行する時間があるが、それらも「男性性」と「女性性」に対応する。順行する時間を「男性性」、逆行する時間を「女性性」とすることができる。まとめると以下のようになる。

    現実世界…順行する男性性(赤)
    中間世界…時間のない中性(黄/黒)
    精神世界…逆行する女性性(青)

    女とは「精神世界」を表している。思考と心で推測すること・未来から過去への時間、これらと女には深い関係がある。

    関連記事:順行する男造、逆行する女造(出雲大社の謎を解き明かす)

    逆行に詳しい女たち

    「バーバラ」は名もなき男に、逆行について最初に説明をした科学者である。「ホイーラー」は逆行世界へ出ようとする名もなき男に酸素マスクを与え、逆行世界での行動方法について教えていた。彼女は逆行チームの隊長でもあった。彼女らは「逆行」について人に説明できるほどに理解している。

    キャットとトマスアレポ

    名前があるのに登場しない

    「キャット」は映画内でも重要人物であり、名もなき男の心の主体として中心にいると考えてもいい。名もなき男がキャットに初めて接触する鍵となっていたのが「トマス・アレポ」である。彼はゴヤの贋作師であり、キャットとも親しい仲であった。

    アレポは名前だけの登場であったけれど、かなり重要な役割を持っている。ところで「TENET」というタイトルは、初期キリスト教に関係する、SATORスクエアと呼ばれる回文からとられている。詳しくはWikipediaを見ていただきたいが、この回文は5つの単語でできた文章であり、その中にAREPOという単語がある。

    SATOR AREPO TENET OPERA ROTASは、ラテン語による回文である。SATOR式とも呼ばれ、これを5文字×5文字のワード・スクエアにしたものはSATORスクエア(Sator Square)と呼ばれる。初期のキリスト教や魔術との関連がある。

    SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS(Wikipedia)

    AREPOの意味をWikipediaから拝借すると『意味不明。おそらく固有名詞であり、創作されたものか、エジプト起源のものと見られる。』とのこと。さらに、AREPOについての箇所を引用。

    AREPOという言葉は孤語であり、ラテン文学の他のどこにも現れてない。SATORスクエアの研究者のほとんどは、これが固有名詞であり、ラテン語以外の単語を改作したものか、この文のために特別に考案された名前である可能性が高いことに同意している。ジェローム・カルコピーノは、それがケルト語、特にガリア語で「鋤」を意味する言葉から来ていると考えた。ダーヴィト・ドーブは、それが初期のキリスト教徒によるギリシャ語のἌλφα ω(アルファとオメガ、黙示録1:8など)のヘブライ語またはアラム語での表現を表していると主張した。

    SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS(Wikipedia)

    AREPOという単語は孤語であり、固有名詞であり、この回文の為に特別に考案された名前なのではないか、ということ。孤語という言葉の意味を考えるに、アレポはTENETという一つの物語のなかに一度だけ登場する特別な名前なのである

    アレポは、自分が何者なのか分からない「名もなき男」を思わせる。正確にはTENET作戦に加わる前の彼であると考えられる。オペラハウスで眠りにつく前、彼は「偽物の人生(贋作師としての人生)」を生きていたはずだ。

    何者にもなれないものが主人公へ

    キャットと名もなき男がアレポについて話しているシーンを思い出してみると、キャットは『彼はどこにも行けない、電話で話すことも出来ない』と言っていた。

    世界を救う物語』の主人公になるとは思っていなかった頃の「名もなき男」は、目的もなく何処にも行けない、本当の願いを口にすることもできない存在と同じ。

    SATORスクエアの回文である『SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS』の翻訳は『農民のアレポが努力して車輪を保持する』だという。平凡な男(農民)がループする世界(車輪)を仕組んでいたことに気が付くまでの物語がTENETである。

    名もなき男がプリヤに初めて会ったシーンでプリヤのこんなセリフがあった。「セイターに近づくには“主役”が必要」。この時、名もなき男はまだ“主人公”では無かったのだ。

    女は心を気づかせるもの

    アレポは弱い心

    キャット(苦しむ女)は、アレポに救い(自由)を求めたが、アレポが何も出来ない状況にあること。やっと「主人公」を目指し始めた平凡な「名もなき男」は、どうすることもできない状況を伝えてくる、絶望の中にいる女を認識した。

    それは、名もなき男が心の内にある「苦しむ女」に気がつくことであり、何者にもなれない自分自身(アレポ)の苦しみに気が付くことでもある。

    トマス・アレポとは『名もなき男の弱い心の部分』を表している。キャットはその心(アレポ)に気づかせる為の存在である。キャットとアレポが親密な関係にあるのは、女性性の性質に「弱い心」という側面があるから。

    劇中ではアレポの贋作を盗み出そうとして回転ドアを見つけ、そこで初めて逆行を目にした。名もなき男はキャットの状況を認識したことをきっかけに、精神世界(逆行する時間)を知ることになる。つまりは「心の弱さ」があるからこそ、精神世界に気が付くことができるのである。

    心の弱さが支配させる

    精神世界では未来から過去へと時間が流れる。そんな世界はすぐには理解できるものではないはずだが、セイターは理解していた。セイターは既に精神世界(女)を支配していたのである。だからこそキャットは窮屈さを感じ、自由を求めていた。

    精神世界とは『思考と心で推測する』場所。思考は自由であり、そこに制限はない。その思考によって心が作られる。けれど、「思考と心」には恐ろしさがある。キャットのように物事を悲観したり、セイターのように怒りに苛まれる原因は「思考と心」でもある。

    セイターは「思考と心」の本当の恐ろしさを知っている。不安や恐怖が発生する原因が「思考と心(女)」なのだから、支配することで対抗していた。

    セイターが脈拍を図るのは、心の落ち着きを可視化して不安を和らげるため。自分の「思考と心(キャット)」をコントロールできない苛立ちが表れていた。セイターは「思考と心」を誰よりも恐れている。

    キャットの役割

    支配ではなく制御するもの

    「思考と心(精神世界)」は理解すべきものであり、制御すべきものである。セイターのように支配するのではなく。キャットは『コントロールが難しい思考と心』としての象徴であると言える。

    セイターは母としてのキャットを認めているにもかかわらず、反抗心を持つキャットに苛立ちを感じていた。女の善の側面を知りながらも、悪の側面である『コントロールできない思考と心』に手を焼いていたのである。

    矛盾する感情

    キャットにとって、息子もセイターも簡単に考えると「男」である。男を愛する女、男に絶望を感じる女、男に対して愛と憎しみ2つの矛盾した感情を持っている。

    「精神世界(女)」には矛盾した側面がある。母としての愛情を持ちながらも、思考と心で人間を惑わす。キャットは『矛盾に苦しむ心』でもある。

    アルゴリズムという物理的形態をもつ手順

    ここまでのまとめ

    一旦、ここまでの考察でわかったことを以下にまとめてみたい。 

    • TENETとは名もなき男の心の内の世界
    • 心の内の世界はパラレルワールド(名もなき男の過去・現在・未来が姿形を変えて集合している)
    • 名もなき男の心の主体は女(女性性)
    • 心の内の世界は3つの世界に分かれる

    3つの世界について
    現実世界(男性性・赤)…順行する時間(時間を移動できない)・心が現れる
    中間世界(中性・黄/黒)…情報(時間なし)・思考と心が不確定or思考と心を確定
    精神世界(女性性・青)…逆行する時間(時間を移動できる)・思考と心で推測する

    関連記事:よーさんの予言における3つの世界

    アルゴリズムは女が作った

    そろそろ「プリヤ」という存在について考察をしていきたいが、その前に「アルゴリズム」について答えを出しておきたい。最初の方で言及した「彼女が開発したアルゴリズムが…」というプリヤのセリフ。とりあえず、アルゴリズムを作ったのは「女」だと確定している。

    TENETに登場する「女」とは、名もなき男の心の主体となる「女性性」である、ということは既に述べた。何度でも言うがTENETの世界は名もなき男の心の内の世界。アルゴリズムを作ったのは名もなき男の「思考と心」なのである。

    思考と心がつくる手順

    アルゴリズムについては『物理的形態を持つある手順であり、複製も通信も不可能、その仕組みは不明』とニールが言っている。その「ある手順」は人間の思考と心が作り出すもの。

    オッペンハイマーは原子爆弾を作ることに成功したけれど、「思考と心(女)」はアルゴリズムを作ることに成功した。アルゴリズムは原子爆弾と全く同じ性質を持つ。連鎖で世界を破滅に導く可能性があるもの。それが「とある手順」なのである。

    アルゴリズムが9分割される意味

    原子爆弾はどのように完成したか

    アルゴリズムは9つの原子力、9つの兵器であるという。世界に一つしかなく、同じものは作ることができない。『オッペンハイマーとは違いアルゴリズムを9分割した』というセリフに、どんな意味があるのだろうか。劇中では分割された理由についてそれが危険であるから、と語られているが。

    原子爆弾が開発されたきっかけはアメリカのマンハッタン計画によるものである。しかし原子爆弾が発明される前、ドイツで核分裂という現象が発見されたことが元になっている。

    1938年(昭和13年)にドイツで発見された核分裂は、原爆に応用できることが示唆された。1942年(昭和17年)、アメリカはマンハッタン計画を発足させ、当時の日本の国家予算をしのぐ巨費を投じて原爆を開発した。原爆はドイツを対象に開発されたが、後に目標を日本に変更、京都など18か所が候補に上がったが、結局、1945年(昭和20年)8月6日広島、同9日長崎に投下された。

    原爆の開発(ながさきの平和)

    原子爆弾は突然完成するものではない。人間には様々な戦いの歴史があり、それと同時に科学技術をも発展させてきた。戦争の歴史と科学には強い結びつきがあり、その産物が原子爆弾である。

    今日使われている主要なエネルギー技術は、軍事研究と関係が深い。ならば、軍事予算の少ない日本は、技術開発において遅れをとる運命にあるのだろうか?

     火力発電で使用されるガスタービンは軍用の技術の転用に始まった。太陽電池も初めは宇宙開発用に研究されたが、この宇宙開発も軍事だった。原子力発電は、もちろん原爆の平和利用に始まる。

     ICTも軍事起源が多い。インターネットの起源が核攻撃対策というのは俗説のようだが、インターネットの開発段階で軍の資金が活用されたのは事実である。電子計算機は弾道計算用だったし、情報理論自体が英独の戦争を受けて発達した。自動運転車はレーダー装置を備えており、GPSで位置を確認しているが、これはいずれも軍事目的で発達した。近年の自動運転車のブームは、米国防総省が開催したコンテストで火が付いた。

    【人類世の地球環境】技術進歩のために戦争は必要か?

    時間の流れと共に完成すること

    戦争と科学の歴史(時間の流れ)があって原子爆弾が完成したように、アルゴリズムにも歴史(時間の流れ)がある。アルゴリズムも少しづつ完成していくもの。アルゴリズムが分割され過去に隠されていることは、時間の流れと共に完成することを表現しているのである。

    そして、来るべき時に完成し、ある時代において重要な役割を果たす。だからこそ原子爆弾も役割を果たしたと言える。日本人にとっては辛い歴史かもしれないが、起こってしまったことは仕方がないこと。

    時間は流れるがコントロールすることもできる

    私たちは時間の流れを感じてはいるが、流れの真っ只中にいる時、それをはっきりと区切り認識することはできない。私たちは過去の歴史を教育の中で学ぶものであるが、年表にして区切りをつけ覚えていたりする。それは過去だからできることであって、現実では無理なこと。

    オッペンハイマーが原子爆弾を9分割しなかったのは、その時歴史の真っ只中にいたから。世界を変えるような出来事の当事者は運命の流れの中で、突然大きな役割を任されることがある。運命とは誰にもコントロールできないもの。

    原子爆弾は時間の流れの中で完成した。同じくアルゴリズムも時間の流れの中で完成するものだけれど、9つに分かれているのならば、年表のように完成までの過程を詳しく紐解くことができる。現実世界は時間が規則通りにしか流れないけれど、精神世界では思考が自由であることの利点がここにある。

    カバラから紐解くアルゴリズムの歴史

    カバラと生命の樹

    何故9つという数で分割されるのか。この解説はオカルト強めになってしまうことを先に宣言しておく。既にこのブログでは9という数字が意味するところを『出雲大社の天井に描かれる雲の数』で説明していたりする。けれど、TENETという物語は「キリスト教」の要素が強いので、西洋の知恵である「カバラ」を引き合いに出して解説していきたいと思う。

    カバラーとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想。ユダヤのラビたちによる、キリスト教でいうところの(『旧約聖書』の伝統的、神秘的解釈による)神智学であり、中世後期、ルネサンスのキリスト教神学者に強い影響をおよぼした。独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教の神秘思想である密教との類似性を指摘されることがある。

    カバラ(Wikipedia)

    カバラについて詳しくはwikiなどを読んでいただくとして、「生命の樹」というものから、アルゴリズムが9つであることの意味について考えていく。

    神から流出した世界

    カバラでは世界の創造を神「アイン・ソフ(エイン・ソフ、エン・ソフとも)」からの聖性の10段階にわたる流出の過程と考え、その聖性の最終的な形がこの物質世界であると解釈をする。この過程は10個の「球」(セフィラ)と22本の「小径」(パス)から構成される生命の樹(セフィロト)と呼ばれる象徴図で示され、その部分部分に神の属性が反映されている。

    カバラ(Wikipedia)

    生命の樹は『神から流出したものが世界を作った』ということを図にしたもの。それは「10個の球(セフィラ)」とそれらを繋ぐ「22の道(小径)」で描かれている。10個の球(セフィラ)は1〜10と番号が振られているが、流出は1から始まり10という地点で物質世界が完成する。私たちが生きる「現実世界」は10という数字で表すことができるということ。

    ここからは、こちらの生命の樹(セフィロト)の図を見ながら考察を読んでいって欲しい。

    sephirothic-tree

    TENETという世界を流出させる神

    生命の樹の図は、神から流出した世界の図であるが、TENETの世界では「名もなき男」が神になる。TENETの世界とは名もなき男の心の内がそのまま現実として表れたもの。

    映画が始まってから終わるまでの流れがセフィラ1〜10に対応する。そして『アルゴリズム9つのパーツ』はセフィラ1〜9に対応している。

    つまり、名もなき男の心が「現実世界」を完成させるまでの道筋が1〜10であるから、アルゴリズムが9つ集まった後に「現実世界」が完成しているということになる。

    TENETの世界は初め『名もなき男の精神世界』であるけれど、時間の経過と共に『名もなき男の現実世界』になっていくお話なのである。

    大きなひとつの心はバラバラになっている

    10個のセフィラそれぞれが何を表しているのかというと、心の内にあるもの。説明が難しいが、人間の心を構成している『細かな感情や思考』のことである。

    人間の心はひとつなのに、心の中ではバラバラになっている。それらバラバラのパーツを9つ集めることでひとつの心を知ることができる。生命の樹では1〜9のセフィラがバラバラになった心である。そして、それをひとつにまとめたものが、10というセフィラで表現されている。

    TENET作戦は10分間であったが、アルゴリズムを奪還したちょうど10分が、セフィラ10(マルクト)の地点になる。その瞬間、目に見えている「現実世界」が完成する。名もなき男がアルゴリズムの起爆を防ぎ、世界を救った瞬間に、その世界が誕生しているのだ。

    既に存在している世界であるのに、またその世界が誕生することは矛盾しているように思えるが、名もなき男を中心として時間が順行と逆行していれば、その矛盾は解消される。世界とはループするもの。10で完成すると同時に1という最初に戻るから、名もなき男はまたTENET作戦を開始することになる。

    1〜10という順番も重要で、それら人間の心を順序良く理解するからこそ世界は完成していく。映画内では、アルゴリズムは既に8個が集まっていて、最後の一つを奪い合うシーンから始まる。実際には8のセフィラの地点から始まっていて、1〜7の段階は「過去の話」として映画内で語られるだけである。

    生命の樹2つの流れ

    生命の樹には2つの流れがある。1〜10までの上から下への流れと、10〜1までの下から上への流れである。これが順行と逆行に対応している。生命の樹で言えば、順行は『神から流出する』ことで、逆行は『現実世界から神へ還っていく』こと。

    逆行とは『未来から過去への時間』であるけれど、それは現実世界(10)から神(1)という存在を認識することも意味する。名もなき男は回転ドアで未来の自分自身と出会ったが、未来の自分の行動を確認してから現実の行動を決めていた。

    『未来の自分が起こしたことが、現実の自分の行動を決める』ということに気が付くのは、『神が自分自身であったのを知ること』と同じ。下から上への流れ(逆行)を学ぶことによって自分という「神を知る」ことができる。

    「神を知る」とは『自分自身が時間の中心に存在する』ことを知ること。「TENET」という物語も、カバラの「生命の樹」も、自分という神を知る方法を伝えているのである。

    思考と心を精査し自分と世界を知る

    詳しくはwikiを見てほしいのであるが、1〜10のセフィラにはそれぞれ意味が当てられている。例えばセフィラ5は「峻厳」であり、セフィラ6は「美」である。これら意味については、カバリストや哲学者にでもならなければ考えないようなことかもしれない。

    自分自身が日常で何を思い、何を感じるのか。あることが起こったら、心がどう動いて、その結果どういった行動をしたのか。それらをひとつひとつ詳しく紐解いていくことで、誰でも各セフィラの意味合いを理解できるようになる。

    例えばセフィラ4は「慈悲」を意味するのであるが、誰しもの心の中に「慈悲」がある。人生の中で「慈悲」を感じた瞬間のことを思い出し、心の内で精査することでさらに深く理解する。他者の行動からも「慈悲」は見出せるものであるが、名もなき男はキャットが見せる「息子への愛情」から、心の内にある「慈悲」を学んでいる。

    各セフィラを理解することとは、世界を理解すること。世界とは自分の心そのもの。人間に備わる思考と感情(心)は精妙であるが、紐解くことができたならば、セフィラ(世界)の理解とともに「アルゴリズム」という手順までもが頭に浮かぶようになってくる。不思議なことに。

    アルゴリズムとは心の内の仕組み

    結局「アルゴリズム」とは何なのか。ずばり『心の内の仕組み』のこと。TENETは名もなき男の心の内であるけれど、心の内を学ぶことによって『心の内の仕組み』をも理解できる。さらにはその「仕組み」が目に見える世界を作っていることも知ることになる。

    順行する時間と逆行する時間があって、その中間で情報を受け取ることが『物理的形態を持つ手順』。「物理的形態」とは「人間」のことである。つまり、人間の思考と心が作り出す「アルゴリズム(手順)」が、世界と人間(現実世界)というものを存在させている。

    アルゴリズムという『心の内の仕組み』は劇中で詳しく説明されている。それが先ほどまとめたものなので、以下に再掲しておく。私たちは普段「現実世界」しか意識していないが、本当は中間世界に存在している。自覚的に中間世界に存在しているならば『心の内の仕組み(アルゴリズム)』を知っている。

    現実世界(男性性・赤)…順行する時間(時間を移動できない)・心が現れる
    中間世界(中性・黄/黒)…情報(時間なし)・思考と心が不確定or思考と心を確定
    精神世界(女性性・青)…逆行する時間(時間を移動できる)・思考と心で推測する

    アルゴリズムを集め終わった時、『世界は自分自身の心が作り出している』ということを理解することができる。アルゴリズムの意味をネットで調べてみると『問題を解決するための計算手順』と出る。アルゴリズムという『心の内の仕組み』を知れば、すべては自分が起こしているものだと理解するから、世界で起きる諸問題も解決してしまう。

    8つの感情→理解→世界の完成

    心と思考を通して、世界(各セフィラ)を学んでいく過程の末に、現実世界(順行する時間)が存在している。8つの『細かな感情や思考』を学んで、9つでやっと理解が完璧になる。そして、10という現実世界が現れる。これが神から流出した世界が完成する過程であり、心の内の仕組み(アルゴリズム)というものである。

    「思考と心」がアルゴリズムを作り出した、と言ったけれど「アルゴリズム」が思考と心を作り出したとも言える。順行する時間と逆行する時間の中間に自分が存在することを認識できれば、未来が先でもあるし後でもある、という認識にもなる。

    未来が自分より後ろにあったり、過去が自分より先にあったりすることは、人間には理解し難いものであるから「アルゴリズム(生命の樹)」という仕組みを理解することは難しい。

    複製も通信もできない意味

    アルゴリズムについてニールが『複製も通信も不可能』と言っていた理由について。アルゴリズムは自分の「心の内」にあるものなのだから、他者とは通信できないし、誰も複製はできない。複製ができるとすれば、その人の「思考と心」を全て理解する必要がある。けれど他者の心の内を全て理解することは無理なこと。

    過去を全肯定する(世界の見方を変える)

    ところで、セフィラ9の意味は「基礎」である。基礎(9)の次には現実世界(10)がある。9つのアルゴリズムとは「現実世界の基礎」となるもの。9つのパーツが揃うには、1〜8の順行する流れがある。その流れは人間にとっての歴史であるし、自分自身の過去でもある。

    先ほども述べた通り、TENETは8のセフィラの地点から始まっている。アルゴリズムは既に8つ集まっているから現実世界は完成間近であるが、そこから逆行で時間を遡り8〜1を知る必要がある。現実世界という順行する時間だけでは、アルゴリズムが作られた意図は分からないのである。

    9つのアルゴリズムが集まる直前に、自分自身の「弱い心(女/キャット)」に気がつき、現実世界(順行世界)の見方を変える決意したのが名もなき男。彼は『過去について考え直すこと』で見方を変えようとした。だからこそ、逆行する時間を知ることができた。変えることのできない歴史があるから「アルゴリズム」が完成する、という逆の流れを知ったのである。

    アルゴリズムが9つ揃う時代には、下から上への流れ(逆行)を知る準備が整った時代であり、その時代には、世界を滅亡から救う「名もなき男」が現れる。過去は変えることができないけれど、過去を全肯定することで世界の見方は変わる。

    過去を全肯定できたとき、アルゴリズムという「心の内の仕組み」を知る。生命の樹を下から上に(10〜1)遡ることで、アルゴリズムの始まり(1のセフィラ)である『自分の思考と心』を知る。全てを計画していたのは自分自身(神)であったことを知るのである。

    セイターは裏の主人公

    原子爆弾とアルゴリズムは表と裏

    現実世界と精神世界

    人間の進化と共にオッペンハイマーが原子爆弾を完成させたのは「現実世界」のお話であるが、TENETは心の内である「精神世界」のお話。精神世界の中で「アルゴリズム」は9つ揃い完成を迎える。その結果として原子爆弾が存在する「現実世界」が生まれるのである。

    TENETの世界(精神世界)と私たちの生きる世界(現実世界)は繋がっている。私たちは目に見える順行世界を生きているけれど、逆行する精神世界は目に見えないからこそ「物語(TENET)」で表すのが人間である。

    生と死

    精神世界があるから現実世界が存在している。『思考と心(精神世界)が現実世界を生む』という物語の主人公が名もなき男である。彼は「アルゴリズム」によってもたらされる「生(現実世界)」を表現した人物。

    私たちは現実世界を「生きている」けれど、物語の中の登場人物は現実世界を『生きていない(現実世界から見たら死んでいる)』。現実世界が「生」であり、精神世界を「死」、と捉えるとTENETの物語をさらに深掘りすることができる。

    精神世界の中心に存在するセイター

    名もなき男に名前が無い本当の理由

    TENETという精神世界の中では「名もなき男」だけが「現実世界(生)」の存在になる。だから彼には「名前」が与えられていない。物語の中で名前が与えられてしまうと、精神世界で生きることになってしまう。

    TENETという精神世界で名前を持つ登場人物は皆、現実世界を「生きていない」。そんな「死(精神)の世界」で生きる中心人物は「セイター」である。

    誰も近寄らない場所に隠されるアルゴリズム

    アルゴリズムを作った未来の科学者は、それが危険なものだと理解し自殺した。そんな恐ろしいアルゴリズム9つのパーツは『歴史上最も厳重な警備で最適な場所』に隠されていた。その場所とは何を表すのか。

    セイターが『核兵器が最も危険に晒された時期』にそれを見つけるのだから、アルゴリズムを安全に隠せる場所とは『誰も近寄らない場所』である。

    『誰も自ら死刑は望まない だがある者が死ぬということは別のある者が生き残ることに繋がる』これはセイターのセリフであるが、スタルスク12でプルトニウムを探す仕事を請け負ったこと。誰もやりたがらない仕事を請け負ったのは彼だけだった。

    「死」を請け負う覚悟を持ったものはアルゴリズムを見つける資格がある。アルゴリズムとは「死」の近くに存在する。

    セイターは「死」を請け負う者

    セイターとは名もなき男が「生き残る」為に「死」という側面を請け負った存在。名もなき男よりも辛い仕事を請け負っているのだから、金塊を手にすることもできる。それは苦しみを負う者に、神が与えたせめてもの褒美なのである。

    『覚えておけ 虎は手懐けられない 崇めるしかないのだ そして思い知る その獰猛な本性をな!』という、キャットに向かってセイターが放ったセリフ。死という犠牲を請け負った者の怒りである。キャットはセイターが背負ったもの(死)を知らない。セイターにキレられるのは当たり前なのである。

    6・7・8を知って9へ

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    生命の樹において、セイターは「美」を意味する6のセフィラに当たる。6のセフィラは生命の樹の中心にあり、10のセフィラ(マルクト)以外全てと直接繋がる唯一のもの。セフィラの中で一番重要だと言える。

    セイターは「死」を請け負う存在であるのに「美」を意味することは矛盾していると思うかもしれないが「美」には多くの側面がある。TENETではその中の一側面だけが強調されていて、それを表現するのがセイターである。

    生命の樹には、各セフィラを繋げる22の道がある。詳しくは22本の小径(パス)を参照あれ。セフィラ6から繋がる3つの道「死神(6〜7の道)」「悪魔(6〜8の道)」「節制(6〜9の道)」がセイターを表すのに分かり易い。これら道では、死による変革・死への恐怖・死が世界全体を繋げていることなどを学ぶことができる。

    6のセフィラの意味合いとしては「美」の他にも、太陽・黄金・犠牲などがある。セイターはTENETという世界の中で「必要な犠牲」として存在している。生まれてから死ぬまで苦しみの中に存在し、名もなき男に「死」を学ばせる存在。

    現実世界が完成する直前『6・7・8・9の道』は辛いもの。私たち人間は「死」を学ぶことが一番苦手であるが、現実世界で目にする「悪」からそれを学ぶ。だからこそセイターのような存在が必要なのだ。

    世界の中心である「悪」

    世界を構成するセフィラの中で他のセフィラとの繋がりが一番多いのが6のセフィラ。TENETのという精神世界でも中心にあり、他を繋げる役割がセイターなのである。だからこそ彼がアルゴリズムを集め完成させる。

    セイターは悪役であるが「悪」の中から学ぶことは多い。世界は「悪」無しには語れない。名もなき男はセイターが背負った「死(悪)」を理解しようとするから、彼を殺そうとはしない。

    関連記事:666という数字の意味

    ロータス社にあった扉

    名もなき男とニールがフリーポートにあるロータス社に侵入したシーンを思い出してほしい。中央の部屋を目指し、大きく息を吸い・息を止め、扉を突破していくシーンである。そのシーンの扉の番号に注目したい。

    2人が最初に突破する扉は10である。その後、5の扉→4の扉と進むが、3の扉に入るのに失敗する。けれども回転ドアを見つける。10→5→4→3という流れには「9→8→7→6」が抜けていて、「3」には入ることができなかった。

    この時、名もなき男はまだセイターという「悪」に出会っていない。だから「3」の扉には入ることが出来ない。『6・7・8・9という死の道』を越えることだけが「3」のドアを開く鍵なのである。「3」とは何を意味するのだろうか。

    中心にいる3人が世界を完成させる

    アルゴリズムが爆発しなかった理由

    アルゴリズムはセイターの「死」と共に起爆された。けれどそれは爆発することなく、引き上げられた。あの瞬間は「生」という側面だけが描かれているから爆発しなかったと言える。

    けれど、アルゴリズムによって「死」が起きた証拠が過去にあった。バーバラの研究室に保管されていた膨大な数の逆行した物質がそれを教えてくれた。TENETでその場面が直接的に描かれることはなかったけれど、『アルゴリズムが爆発した現実』も確かに存在したのである。

    物事に含まれる2つの側面

    TENETという物語はアルゴリズムが爆発してしまった「死」の過去がある世界からスタートしている。けれど、名もなき男の登場で、その過去は「生」へと塗り替えられた。「世界を救う」という行動によって、名もなき男に「生」を認識させるためのアルゴリズムとなった。

    セイターはアルゴリズムを起動し、世界を逆行したいと思っていた。それは現実(順行する世界)を無いものにして、今までの過去を消し去ることを意味する。過去を憎むセイターは、自分自身の生き方を憂いている。そんな「自分を救う」為にアルゴリズムによって世界を滅亡させようとしていた。

    アルゴリズムによって「世界を救う」名もなき男と、アルゴリズムによって「世界を滅亡させる」セイター。アルゴリズムには「善(生)」と「悪(死)」2つの側面がある。

    ありとあらゆるものには2つの側面がある。それらを両方映像にするのならば、順行と逆行を同時に描くしかない。けれど、主人公である名もなき男は2つの側面のうち、必ず「ひとつ」を選択せねばならない。

    確定するかしないか

    現実世界(男性性・赤)…順行する時間(時間を移動できない)・心が現れる
    中間世界(中性・黄/黒)…情報(時間なし)・思考と心が不確定or思考と心を確定
    精神世界(女性性・青)…逆行する時間(時間を移動できる)・思考と心で推測する

    ここでもう一度『心の内の仕組み(アルゴリズム)』を見てほしい。中間世界は「思考と心を確定」させる場所である。名もなき男はTENET作戦の中で「生(善)」を選択し、確定している。アルゴリズムが起爆されたにもかかわらず爆発しなかったことは、そんな名もなき男の選択を強調している。

    中間世界では「思考と心が不確定」な場合もある。現実に起きることに対して、思考と心を空っぽにして、何も決めない(判断しない)こともできる。これは仏教的な方法であるかもしれない。けれど、それではただ機械的に生きることになり、世界が存在する意味を理解することが出来ない。

    裏と表・過去と未来

    3人の男の章でこんなことを書いた。前回の考察のまとめである。

    TENETは名もなき男一人の心の内の物語である。名もなき男が「善悪の心を持つ主人公」、セイターが「悪の心を持つ名もなき男」、ニールが「善の心を持つ名もなき男」だと言える。

    名もなき男は「善と悪」両方の心を持つ者。物語の中でセイター(悪)とニール(善)を理解する過程が描かれている。その過程で名もなき男は、物事には「善と悪」2つの側面があること、「生」の裏には必ず「死」があることも理解した。

    つまり、アルゴリズムは必ず爆発し『人類を滅亡させている過去』が存在しなければならないし、アルゴリズムで『世界を救う未来』も存在しなければいけない。これら過去と未来は裏と表であるから、どちらかひとつであることは不可能なのだ。

    悪役を演じること

    「生」の裏には必ず「死」があること。名もなき男とセイターは、善と悪という対比になる。けれどニールと名もなき男も、善と悪という対比になる。

    セイター:誰も自ら死刑は望まない だがある者が死ぬということは別のある者が生き残ることに繋がる

    名もなき男が「世界を救う」為にはニールという「善」が犠牲になるが、それでもTENET作戦を続けることを選んだ名もなき男。ニールが「死ぬこと」で、名もなき男が「生き残る」。「善」である存在さえも犠牲にしなければ、この壮大な作戦は成功しない。

    セイターから悪を学び、ニールから善を学ぶ。そして、どちらも「犠牲」にする決断をすることが「生きること」なのである。辛い決断ではあるが、それがこの世界の掟。セイターから「死」を学ぶのは、自分自身が「悪」になる必要があるから。

    名もなき男とニールが、ロータス社の「3」の扉を開けなかった理由は、まだ「犠牲」の本当の意味を理解していなかったから。善と悪を犠牲にしてでも、自分だけを生かすことが「3」という数字で表現されるのである。

    隠された知識

    4のセフィラ (ケセド)と3のセフィラ(ビナー)の間には、隠されたセフィラ「ダアト」がある。番号は振られておらず、至高の三角と呼ばれる『1・2・3という3つのセフィラ』と他のセフィラを隔てているのがダアトである。

    1のセフィラ(ケテル)・2のセフィラ(コクマー)・3のセフィラ(ビナー)、この3つのセフィラに到達するには「犠牲」の本当の意味を理解する必要がある。以下の引用はダアトの意味である。

    隠れたセフィラ。ダートと表記されることもある。惑星は冥王星を象徴する。他のセフィラとは異なる次元の存在であり、至高の三角とその下位存在を隔てている深淵(アビス)にあるものとされる。他のセフィラの完全体・共有体という説もある。隠された意味は悟り、気づき、神が普遍的な物に隠し賢い者は試練として見つけようとした「神の真意」という意味である。

    生命の樹(Wikipedia)

    生命の樹、下から上への流れ(逆行)を体験し、アビスを乗り越えることができれば、1のセフィラである「ケテル」に到達する。大元である神(名もなき男)の「思考と心(TENET作戦)」を知るには、大きな犠牲が必要なのである。

    世界を終わらせるものであり世界を始めるもの

    アルゴリズムと原子爆弾、どちらも生と死2つの側面を持っている。アルゴリズムは目に見えない「ひとりの人間の思考と心」であり、原子爆弾は目に見える「人間全体の思考と心の産物」である。どちらも、使い方や解釈の仕方を間違えると、世界を終わらせてしまうものとなる。

    アルゴリズムが人間の精神の中で爆発したら、自殺したり他殺をすることになる。原子爆弾は現実で爆発したら多くの人の命を奪う。アルゴリズムと原子爆弾に「生」の側面を見出すことは難しいことなのかもしれない。

    過去は無かったことにはできないけれど、見方を変えるだけで世界は変わる。アルゴリズムが9つ揃えば必ず起動されるが、その瞬間をどう見るのか。世界が滅亡する瞬間(死)と見るのか、新しい世界が生まれる瞬間(生)と見るのか。その解釈は世界を感じる自分自身に委ねられる。どちらの解釈を選択したとしても、生の裏側には死があるし、死の裏側には生があることを理解することが肝心である。

    プリヤの正体について

    男性の中の女性性

    お待たせしました。ついに、今回の目的である「アルゴリズムの制作者」について紐解いていくことにする。始めに述べた通り、わたしはプリヤがアルゴリズムを作ったと考えている。しつこいようであるが、ここまでの考察をもう一度確認。

    • TENETとは名もなき男の心の内の世界
    • 心の内の世界はパラレルワールド(名もなき男の過去・現在・未来が姿形を変えて集合している)
    • 名もなき男の心の主体は女(女性性)
    • 心の内の世界は3つの世界に分かれる

    TENETの世界は『名もなき男の思考と心の中』で作られている。男性の心の主体は「女性性」であり決定権を握っている。だから名もなき男はキャットを守り、プリヤから指示を受ける。

    来るべき時と来るべき出来事

    名もなき男:何個見つけた?
    プリヤ:241ですべて揃う
    名もなき男:最悪だ 作戦を変更すべきだ
    プリヤ:変えたら彼女は無事?
    名もなき男:アルゴリズムも
    プリヤ:その世界に私たちは存在しない

    これは、名もなき男とプリヤの会話である。アルゴリズムは9つが揃って起動すれば「全ての時間の流れが逆行」して人類が滅亡してしまうが、9つをセイターに集めさせる作戦を変えてしまったら『私たちは存在しないことになる』とプリヤは言う。

    アルゴリズムには生(善)と死(悪)の側面があるから、生命が生まれいずれ死にゆく世界を作る。アルゴリズムが揃い、起爆されるからこそ世界がある。つまり起爆するアルゴリズムがあるから私たちも存在している。

    アルゴリズムについての章で、このようなことを書いた。

    戦争の歴史(時間の流れ)があって原子爆弾が完成したように、アルゴリズムにも歴史(流れ)がある。そして、来るべき時に完成し、ある時代において重要な役割を果たす。

    繰り返しになるが、3つの世界における「中間世界」には「情報」だけがある。しかもその「情報」は順行と逆行という時間に挟まれていて、始まりと終わりが繋がりループしている。つまり、起こること全ては決まっていて、来たるべき時に、来たるべき事が起きる。

    プリヤはTENET作戦に深く関わっている存在である。アルゴリズム最後の1つを名もなき男に盗ませて、セイターに渡すことまでをも見越している。プリヤは確実に「3つの世界」を知る存在であり、「来たるべき時」を知っている。

    その瞬間は早すぎても遅すぎてもいけない。プリヤは名もなき男が生きている時代に9つが集まり起爆されることを知っているのである。

    プリヤは名もなき男に殺されてしまったが、その理由を紐解いていくことで、プリヤの役割を明かしていきたい。名もなき男の心の中に存在する「女性性」としてのプリヤの役割である。

    繰り返す世界と時間のズレ

    入れ子状態の世界

    ここで少しややこしい話をさせてほしい。ここまで考察してきた「3つの世界」は入れ子状態になっている。『アルゴリズムという手順の中(現実世界の中)』にある3つの世界の中の「精神世界」がアルゴリズムを作っているのである。

    アルゴリズム(精神世界)で作られた現実世界の中にある「3つの世界」
    現実世界(男性性・赤)…順行する時間(時間を移動できない)、心が現れる
    中間世界(中性・黄/黒)…情報(時間なし)、思考と心が不確定or思考と心を確定
    精神世界(女性性・青)…逆行する時間(時間を移動できる)、思考と心で推測する

    現実世界(順行)と精神世界(逆行)とそれを中間で繋ぐ世界(人間)があるのならば『現実が先で精神が後』とも言えるし『精神が先で現実が後』とも言える。けれど『思考と心がアルゴリズムを作る』とわたしが何度も言うのは『精神が先で現実が後』の方が「正しい」ということを意味している。

    「正しい」と言い切るのは語弊があるかもしれない。現実世界より精神世界の方が「優位(先)」である、という言い方もできる。

    時間のズレが優位をつくる

    2つの時間は同時に流れているようで、少しだけ時間にズレがある。逆行する時間(精神世界)の方が先なのは、ズレの為である。ズレていなければ「未来」を先読み出来ない。

    中間で2つの時間を感じる「人間(名もなき男・セイター)」はそのズレをも感じている。未来に起こることを確認してから行動を起こすのは、逆行する時間(精神世界)の方を先に感じ取る為。このズレがあることによって、アルゴリズムは「精神世界」で作られると言える。

    そして、精神世界が「女性性」を表していることは何度も伝えていること。女性性(精神世界)は、思考と心の構造を理解したら、また世界(精神世界の中にある3つの世界)を作り出してしまう。

    アルゴリズムがまたアルゴリズムを作り出すという繰り返しが「TENET」という世界。TENETに登場する女たちはアルゴリズムを作り出す「思考と心」として見ることができる。けれど実際に目に見える現実世界を作り出すのは、中間世界で2つの時間を感じている「人間(名もなき男)」である。実にややこしい。

    精神世界(思考と心で推測)→ 中間世界(思考と心を確定)→ 現実世界(心が現れる)

    プリヤとキャットという対比

    今回の考察の通り、キャットはセイターの束縛に苦しむ女であり、自由を求める女であり、『コントロールが難しい思考と心』の象徴であった。セイターという「悪」をコントロールできないから「悪(死)」の真実を知らない。まだ何も知らない女である。

    一方、プリヤは「悪(死)」を理解している女としての象徴である。武器商人の妻を演じていたが、裏で仕切るのはプリヤであった。悪を裏で操っていたことからもそれが分かる。

    プリヤは悪を理解し、アルゴリズムをも理解している。アルゴリズムが起爆することで、生(現実世界)と死(精神世界)が存在する「3つの世界」が生まれることを知っている。

    プリヤがキャットを殺そうとした理由は『キャットはアルゴリズムを知る危険な存在であるから』というのが定説である。けれど、プリヤがキャットを殺そうとした本当の理由は、世界を再び産み出さない為。本当は「繰り返す世界」を破壊したかったのである。

    何も知らない女と知りすぎた女

    TENETの世界はパラレルワールドであり、登場人物は過去の自分や未来の自分を表している。TENETに登場する女たちは名もなき男の心の内にある「女性性(心)」の過去や未来を意味するということになる。

    キャットは最初アルゴリズムを知らない女。けれど名もなき男と出会い、アルゴリズムという兵器の存在を知ったのだから、いつかは理解してしまう。未来でアルゴリズムを完璧に理解した存在がプリヤとなる。キャットとはプリヤの過去なのである。

    女はアルゴリズムがアルゴリズムを作り出すことを知っている。けれど、そのような「繰り返す世界」が苦しみ(悪)の世界であることも理解している。

    過去(キャット)を無いことにすれば未来(プリヤ)も無い。だから過去の自分(女)を殺そうとする。繰り返す世界を破壊する行為は、セイターと同じ動機である。人間は、自分の苦しみを解消するために「世界と人類の消滅」を願うことがある。

    人類滅亡への思い

    世界が無ければ苦しみも無い

    セイターは自分を守る為に「世界と人類の消滅」を願う。世界が無ければ苦しみもない。生まれてから死ぬまで「悪」を背負わされた人間の動機として至極真っ当なこと。「悪」の役割を理解していれば、その気持ちを否定することはできない。

    一方、プリヤが「世界の消滅」を願う理由とは何か。それは、キャットの息子であるニールが死んでしまうことに苦しみを感じているから。キャットの息子=ニール説は確定であると思う。キャットはプリヤの過去なのだから、ニールはプリヤの息子でもある。けれども実際の息子という意味では無い。

    人類の母

    プリヤは「人類の母」としての存在なのである。太母と言った方がしっくりくる。自分(女性性)が作り出したアルゴリズムというシステムが、あまりにも悲しい「人間の死」を引き起こすことを深く理解しているのである。

    「人間の息子代表」であるニールが、必ず死ななければいけないことは母にとって大きな苦しみである。アルゴリズムは生と死という二面性がある世界を作る。それは、善(ニール)という存在であっても死ななければいけない世界である。

    さらに、プリヤには『自分が死ぬことへの恐怖』も存在している。アルゴリズムのことを深く理解しているのだから、未来で自分が死ぬことも知っている。

    男はひとつ、女はふたつ

    セイターが人類滅亡を願うこと、プリヤが人類滅亡を願うこと、は同じようで少しだけ違う。それは男性性と女性性の違いでもある。

    「男性性」はひとつの意思を持っている。苦しむ自分の為だけに「世界を滅亡」させる。「女性性」にはひとつの意思に2つの意味が重なる性質がある。苦しむ自分の為、苦しむ他者の為に「世界を滅亡」させる。

    関連記事:「MoM」から学ぶ男性性と女性性

    名もなき男の内にある2つの女性性

    名もなき男の心の内には、キャットという『まだ何も知らない、命を生み育む若い女』・プリヤという『完璧にアルゴリズム理解している、死を持たらす老婆』が同居している。ここにも「生と死」の対比が現れている。

    やはり名もなき男は「生と死」どちらかひとつを選ぶ必要がある。彼は「人類滅亡」を防いだのだから、『死を持たらす老婆(プリヤ)』をも殺す必要がある。

    再び世界を始め、名もなき男(ニール)が生まれるためには、キャットを守る必要がある。それは、心の中にある「死への恐怖(プリヤ)」を消滅させるミッションでもあるのだ。

    名もなき男がプリヤを殺すシーンでは、車のミラー越しに2人が会話していた。鏡の中に映るプリヤは名もなき男の『心の中の女性性』であることを表現している。名もなき男は2つの「女性性」のうち、「生」の側面であるキャットを選んだ。

    死への恐怖を克服する

    名もなき男はこのシーンで、ついに自分の内にある『死への恐怖』を消し去ったのである。プリヤは「後始末をして」という言葉とともに、自分の姿をミラーから消した。プリヤは自分が死すべき存在であることをすぐさま悟っている。アルゴリズムを作った科学者(プリヤ)は、名もなき男の心の内で自殺した。

    太母であるプリヤを殺し、その瞬間に名もなき男はTENETという物語の真の主役になった。そして、新しい世界を創造した。物語には描かれていなかったが、ここで彼はやっと「名前」を与えられたのである。彼は「アルゴリズム」の仕組みを見破った。

    TENETという物語には、アルゴリズムという人間の思考と心が作り出す「3つの世界」を理解する目的と、自分の心の内に存在する「死への恐怖」を克服する目的が存在する。この2つの目的を成し遂げたのならば「名前」が与えられ、自分(人間)という存在を初めて認めることになる。『自分という存在を理解すること』が3つ目の目的である。

    死を怖れ自殺をする2人

    精神世界で作られたアルゴリズムによって『苦しみのある世界が繰り返される』ということを理解していたのがプリヤとセイターである。

    苦しみを知る者は自殺しようとする。アルゴリズムの真実を知ることは恐ろしい。

    世界を生み出す太母プリヤ

    「女性性」には二面性があるが、それが世界をややこしくしている。名もなき男の内にある「女性性」の二面性は、キャットとプリヤで表現されている。キャットは息子の優しい母でもあり、感情を抑えられない悪女。プリヤは善と悪が見え隠れする、謎の女。善でもあるし悪でもある。プリヤが味方なのか敵なのかよくわからないのは、二面性の為である。

    プリヤがアルゴリズムを作ったと言えるのは、女たちの中で一番年老いているから。「女性性」は時間を経て終わりを自覚する時、新しいものを産み出そうとする。

    アルゴリズム(3つの世界)は終わりを迎える時、また新たなアルゴリズム(新しい3つの世界)を作り出す。そして、アルゴリズムの制作者は最後に死すべき定めがある。プリヤは「女性性」としての定めを全うし、名もなき男(男性性)を生かしたのである。

    TENETは生と死の物語

    生の裏には必ず死がある。そんな当たり前の世界の話が「TENET」という物語。なんとなく世界を生きていたひとりの人間(名もなき男)が真剣に世界に向き合い始めるのなら、壮大な作戦に参加することになる。その作戦とは『生と死の秘密が明かされる物語』の主人公になることである。

    その他考察

    ニールは暗闇の中の光

    善の心と悪の心

    もう少しだけ考察を続けたいと思う。ニールだけが「時間の制約なく移動が可能」である理由についてまだ答えを出していなかった。

    「逆行の世界」に限っては、時間の制約なく移動が可能だ。けれどそれができるのはおそらく「ニール」だけ。その理由については後述したい。

    ニールは名もなき男の心の内に存在する「善の心」。人間には生まれながらに「善の心」と「悪の心」がある。社会では善い行いを教えられて生きるものなので、私たちにとって「善の心」は当たり前のものとなる。法律が整った社会は「悪」を抑える構造になっている為、私たちは「悪の心」を忘れてしまう。

    「悪」が心の外に出て悪さをすることを抑えるのが「善」の役割であるが、「悪の心」を知らない人間は「悪」に慣れておらずコントロールも下手である。だから、未来から来たニール(善)が先回りして(逆行して)サポートしてくれる。

    人間が「悪の心」に気がついた時、目に見える世界にも「悪(セイター)」が表れる。けれど「善の心」を当たり前にあるものとして生きていると、目に見える世界にある「善」を見失いやすい。当たり前にあるものは気がつきにくいもの。

    名もなき男がニール(善)に疑いの目を向けたことがあったように、「善」が目に見える世界に表れたように思えないことがある。目の前に存在する「善(ニール)」を信じるか信じないかで、善の作用は変わる。

    ニールは光を超える

    ニールは何故「時間の制約なく移動が可能」なのか。善(ニール)とは名もなき男の心の内にある唯一の「光」なのである。光である善を心の内に感じ、信じたとき、時間という制限をも超えることができる。

    現実では、光を超える速さを持つものとして「タキオン粒子」という物質が予想されているけれど、ニールはタキオンのようなもの。だからニールだけは時間の中を自由に動くことができる。

    タキオンは現実にも存在するはず。光(ニール)が犠牲になるとき、タキオンに変化するのではないだろうか。単なるわたしの妄想であるけれど。

    黄昏に生きる 宵に友なし

    段々暗くなっていく時間帯

    TENETで印象的なのは「黄昏に生きる」「宵に友なし」という合言葉。この言葉の意味についても考察しておきたい。

    「黄昏に生きる(We live in a twilight world.)」という言葉の中の「黄昏」は英語では「twilight」である。また「宵に友なし(And there are no friends at dusk.)」という言葉の中の「宵」は英語で「dusk」である。

    この2つの微妙な時間の違いに注目したい。こちらのサイトにイラスト付きでわかりやすい解説があったので見て欲しい。twilightは「薄明かり」を指す単語で、duskは「twilightがより暗くなった状態」だという。

    TENETでは「2つの時間の流れ」の中で物語が進む。だからこそ「黄昏」と「宵」という2つの時間の違いについても考えてみたい。

    心の中の時間の流れ

    黄昏も宵も夜の前の時間である。時間の流れとしては、twilight(黄昏)→dusk(宵)→night(夜)という感じ。黄昏に生き、宵には友がいないことも心の中の状況を表している。

    黄昏と宵はまだ光が少しだけ残る時間帯。その後訪れるのは光の無い暗闇である。闇夜には何か怖ろしいことが起こりそうな雰囲気がある。そして、人間の心の中にも暗闇の時が訪れることがある。

    問題に突き当たった時や、何かを恨む時、誰かに裏切られた時など、人間は心に大きな闇を抱えることがある。私たちはいつそんな状況に陥ることになるかわからない。暗闇は人生の中で突然やってくるものであり、だからこそわたしたちは「黄昏」に生きていると言える。

    一度でも心に不穏な感覚が生じたことがあるのならば「黄昏に生きて」いる。一度その感覚を知ってしまえば、もう「日中」だけに生きることはできない。ふと「黄昏」の感覚に陥った時、なんとも言えない不安が込み上げてくることになる。

    宵に友はいない、暗闇の直前

    そして「宵に友なし」という言葉が表すこと。「宵」のすぐ先には「暗闇」がある。光の無い暗闇に落ちる直前、私たちの心は独りぼっちになる。その感覚は「宵」にある人、「暗闇」に落ちそうになった人しか知ることがない感覚である。

    TENETの中でセイターは「悪」を背負わされる役割であったが、彼が常に感じていたのが暗闇の直前である「宵」の感覚である。

    暗闇とは「死」を表している。セイターが常に脈拍を気にしていたのは「暗闇(死)」までのカウントダウンを意識していたから。だからこそ、彼もこの合言葉を使用していたのである。

    「宵」から「暗闇」に落ち「死」を体験すること。話がまた生命の樹に戻るけれど、アビスという深淵を超えるには、完全な「暗闇」に落ちる必要がある。生きたまま「死」を体験し復活することで神の真意を知ることができるのであるが、それは恐ろしい試練である。

    「黄昏に生きる」「宵に友なし」という合言葉は「暗闇」に落ちる前の合図なのだから、安易に使っていはいけない怖い言葉である。

    関連記事:生きたまま「死」を体験し「復活」すること

    関連記事:地獄の最深部で「孤独」を経験すること

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    3分割されたアルゴリズム

    終わり、また始まる物語

    アルゴリズムを奪還した後のシーンで、名もなき男・ニール・アイヴスが集いアルゴリズムを3分割していたシーンについての考察を最後にする。

    今回の考察の通り、9つのアルゴリズムとは現実世界の基礎となるものであった。『思考と心が現実世界を作る』という真実が、自分自身の思考と心を精査することで明らかになる物語が「TENET」。

    アルゴリズムを分け合うシーンは、名もなき男がアルゴリズムの謎を解き明かした末に、また時間の始まりへと戻るシーンである。生命の樹で言うと、1〜10という過程を終了し、また1という始まりに戻ろうとしているところ。まだ何も知らなかった頃の自分に戻るのである。

    初めは「3つ」しか知らない

    生命の樹の始まりは1のセフィラ「ケテル」から。そこから2のセフィラ「コクマー(至高の父)」、3のセフィラ「ビナー(至高の母)」と続く。世界の始まりには生みの親が必要である。人間は生まれてすぐに世界を認識するけれど、初めに親である父と母を認識する。

    アルゴリズムはアイヴスによって「3つ」に分けられたが、それは「自分(1)」と「父(2)」と「母(3)」という「3つ」を表している。そこから成長し、経験を積むことで複雑な世界(4〜9)を理解していく。

    けれど、成長し時間が経過するごとに「自分」や「父」や「母」のことを忘れてしまう。最初の「3つ」は歳を取れば取るほど理解が遠ざかるものであり、人間は世界の初めを思い出せなくなる。

    未来は自分の手の内にある

    アイヴスは9つのパーツを3分割したが、その後ニールの分は名もなき男に渡された。最終的に6つのパーツを受け取ったのが「名もなき男(自分)」である。

    3つに分割されたパーツは、過去(アイヴス)・現在(名もなき男)・未来(ニール)をも表している。未来の分のパーツは自分の手の内にあるが、過去のパーツはまた何処かへと隠されてしまう、ということになる。

    人生とは「自分」という存在を思い出す為の経験である。過去が『自分を苦しめるもの』だと感じ始めたのならば、人生の意味や「本当の自分」を思い出そうとしている。アイヴスによって過去に隠される残り3つのパーツを探すには、黄昏に生きながら、孤独な宵を経験する必要がある。

    現在と未来は既に手の中にあるのだから、過去を遡り、過去と現在と未来、3つの時間が一本の赤い線で結ばれ円環を描いたのならば全てが明らかになるだろう。

    名もなき男はオッペンハイマーになった

    ということで、今回の「TENET」考察はこれにて終了である。今回の考察では「3」という数字が多く出てきたと思うけれど「名もなき男」にも三重に意味が重なっている。

    名前が無いのは『物語の主人公では無い状態』を表しているから。自分が何者なのか分からないのならば「名前」が無いのと同じこと。

    名前が無いのは『TENETが誰にでも当てはまる物語』であり、誰もがこの物語の主人公になる可能性があるから。逆行する時間に深く潜り込んだのならば、未来の自分に出会う可能性がある。

    そして、名前が無いのは『人間は現実世界の生き物である』ことを表しているから。TENETは精神世界のお話であったけれども、主人公だけが現実世界を「生きていた」。

    現実で原子爆弾を作るのは生きている人間である。クリストファー・ノーラン、次の作品は原子爆弾の父を描いた「オッペンハイマー」であるが、その名前は「名もなき男」が「TENET」終了後に神から与えられた名前である。

    何が言いたいのかというと、自分自身が「オッペンハイマー」という物語の主人公になったつもりで心して観るべし。「暗闇(死)」が体験できるかもしれない。日本公開がいつになるのかまだ不明ですが…。

  • 出雲大社御神体の謎を解き明かす 後編

    出雲大社御神体の謎を解き明かす 後編

    出雲大社の「御神体」について解き明かしていく記事を前編中編と書いてきた。それなのに「御神体」についてまったく解き明かせていない。

    前編では「大社造」と「大社造の柱」について紐解き、中編では「八雲之図」などについて紐解いてきた。これら考察をまとめ、今回はやっと「御神体」について書いていけると思う。まずは、これまでの考察を復習してから本題に入っていきたい。

    前編・中編まとめ

    出雲大社「大社造(たいしゃづくり)」について

    男造と女造を重ね合わせたものは「人間の心」

    出雲大社本殿の建築様式は「大社造」。前編では「大社造の構造」が『人間の心の構造』と全く同じであることを解き明かした。

    大社造には「男造」と「女造」があって、出雲大社本殿は「男造」である。わたしの考察は「男造」と「女造」という二つの構造を重ね合わせたものが『人間の心』である、というもの。

    ちなみに。「人間の心」とは『未来に進む時間と過去に戻る時間が重なったものである』、ということは別の記事で結論づけている。それを踏まえて以下のような結論を出した。

    大社造の「男造・女造」それぞれの構造は、この『未来に進む時間・過去に戻る時間』と同じものだと考えられる。

    未来に進む時間(男造/実行/現実)

    わたしたちが出雲大社本殿に入ることはほとんど無いけれど、もし入るのだとしたら、わたしたち人間は「男造」を「右回り」することになる。そして、本殿西向きに配置されている「大国主(男神)」に向き合うことになる。

    男神は人間の心の構造の「実行」を表している。「実行」とは「確定すること」。思考していたこと・想像していたことを現実にすること。この行動が「未来」を創る。これが「未来に進む時間」ということ。

    過去に戻る時間(女造/思考/精神)

    わたしたちが『女造である神魂神社本殿』に入ることはほとんど無いけれど、もし入るのだとしたら、わたしたち人間は「女造」を「左回り」することになる。そして、本殿東向きに配置されている「イザナミ(女神)」に向き合うことになる。

    女神は人間の心の構造の「思考」を表している。「思考」とは実行前の大切なプロセス。「思考」はわたしたち人間を惑わすこともあるけれど、過去に起きたことを思い出し、分析するために必要なこと。これが「過去に戻る時間」ということ。

    大国主が西を向いている本当の理由

    大国主が本殿正面を向かずに西を向いていることについて世間では様々な考察があるが、「大国主」が未来を創り出す「実行の神」である、ということを認識させる為。そう言える根拠は今回の記事で述べていく。

    わたしたち人間は神によって大社造を「右回り・左回り」させられている。出雲大社を参拝する人間が「大国主」に向き合うには、右回りをする必要がある。

    神と人間は鏡写し

    この考察を導くには、神と人間が「鏡写し」の関係にあることを理解している必要がある。『人間は現実・神は精神』という鏡写しだけでなく、『男神は現実・女神は精神』という鏡写しもある。

    人間が右回りするから男神は左回りする。左回りするために、大国主は西を向いている。人間が左回りをするから女神は右回りする。右回りするために、イザナミは東を向いている。このあたりについては前編で詳しく述べたことなので省略します。

    出雲大社の参拝方法

    ちなみに。出雲大社は本殿を拝した後、本殿の周りを左回りするのが正式な参拝法らしい。この参拝法は「実行(右回り)」する前には必ず「思考(左回り)」が必要であることを伝えているはずだ。

    思考してからやっと「大国主」の真意を知ることができる。その後、わたしたちは右回りして「実行」に移し、「大国主」の偉大さを知るのである。

    出雲大社「9の柱」について

    9の柱の意味

    出雲大社本殿を造るのに重要なのは、全部で9本ある柱。日本では神様の数をかぞえるのに「柱」という単位を使う。「柱」も『神という精神』を表す。前編でこれら「柱」について結論付けたことが以下。9本の柱それぞれが意味するところ。

    宇豆柱×2…男神・女神という親
    心御柱×1…男神・女神の子どもとしての人間
    側柱×6…人間

    宇豆柱である2柱は「男神(実行の神)」と「女神(思考の神)」を表している。そして「心御柱」はその2柱の神々の子どもである「人間」。側柱が「人間」を表すことについて、詳しいところは今回の記事の中で。

    「心御柱」は自我

    「実行の神(男神)」と「思考の神(女神)」の子どもである「心御柱」は、思考と実行を行う「人間」である。その「心御柱」が「自我」であることについて、詳しくは前編をお読みください。

    お詫び

    ここまで書いてきて大変なことに気がついた。前編の終わりに、”9本の柱が『2柱の神(宇豆柱)』と『7柱の人間(心御柱・側柱)』であるということを証明していきたいと思う。”

    とか言っておいて、中編でこの件ついて証明することを忘れている!中編書いているときは「雲」について考えることに必死で「柱」のことなど忘れていた。適当ですいません。

    2柱の神と7柱の人間

    「側柱」6本が「人間」であるということは「心御柱」と合わせて、全部で7柱の「人間」の柱があるということになるが、それを裏付けるものが本殿天井に描かれている「八雲之図(やくものず)」である。

    「八雲之図(やくものず)」については中編で紐解いたので、「2柱の神・7柱の人間」については今回しっかりと解説してゆきたい。

    出雲大社「八雲之図(やくものず)」について

    yakumonozu-otoko
    出雲大社(男造)と八雲之図

    一つだけ逆を向いている雲は「大国主」

    こちらは出雲大社本殿の天井に描かれている「八雲之図」雲の配置。「御神座」と書いてあるところは「大国主」が祀られているところ。

    「大社造(男造)」において「男神(大国主)」は左を向いている。一つだけ左を向いている雲も「男神(大国主)」ということになる。強引な考察だけれど、今回の記事の中でその意味をはっきりとさせていく。

    一番大きな雲は「女神」

    一番大きく、唯一黒色が使用されている雲。「大社造」と照らし合わせてみると、中心にあるから「心御柱」に対応している。この大きな雲は「心の雲」と呼ばれていることからもそれがわかる。

    そして、この雲は「女神」である。何故「女神」なのか、「男神」では無いのか。こちらも今回の記事で詳しく述べていきたい。

    一番大きな雲は「人間」でもある

    一番大きな雲は「人間」でもある。それは前編で『心御柱とは人間である』と考察したことにつながっている。「女神」であり「人間」であるという考察には矛盾があるように思えるけれど、魂の性質と同じであることを表す。

    魂は二重性を持つもの

    「八雲之図」に描かれる「雲」とは「魂」を表している。そして「魂」には二重性がある。目に見える魂・目に見えない魂、という二重性である。

    一番大きな雲に黒色を入れる作業を「心入れ」と言う。遷宮の直前にこの作業は行われるのであるが、その時間帯に注目すると「雲」が「目に見えない魂」から「目に見える魂」に変化することがわかる。詳しくは中編をお読みください。

    「心の雲」も二重性を持つもの

    一番大きな雲は「女神」であり「人間」である、という矛盾。けれど、これが一番大きな雲の正体。「心入れ」で目に見えない「女神」が、実体のある「人間」に変化することを表現しているのが「心の雲」なのである。

    「8」という数字について

    7つの雲と9つの雲の謎

    出雲大社の「八雲之図」には「7つの雲」が描かれている。そして「神魂神社」本殿の天井には「9つの雲」が描かれている。

    出雲大社の雲が一つ神魂神社へ飛んで行った、などという言い伝えがある。出雲大社と神魂神社はそれぞれ「男造」と「女造」であり、対になるものとして繋がりを感じさせる。

    出雲と8という数字

    出雲大社の雲は「八雲之図」と言うのだから、初めは「8つ」存在していたと仮定し、そのうちの一つが神魂神社へ飛んでいった。そうしたら出雲大社の雲は「7つ」になる。神魂神社も初めは「8つ」の雲が存在していたと仮定するなら、一つ増えて「9つ」の雲になる。

    「8」という数字は出雲に縁が深い。「八雲立つ」という枕詞を持つ出雲国なのだから「8」という数字には秘密が隠されている。

    スサノオの八岐大蛇退治

    中編ではスサノオの八岐大蛇退治の神話から「8」が意味するところを紐解いた。詳しいことはそちらを読んでいただきたいのであるが、簡単にまとめるとヤマタノオロチは「8回」生と死が繰り返される「輪廻」を表している。

    「8」という数字には「生と死」が含まれている。「魂」と同じく二重性を持つものなのである。

    8は「永遠」を意味する

    8とは、魂(雲)であり、生と死の両側面を表す。それは「永遠」を意味する。「魂」と同じく『目に見えないもの(死)』は『目に見えるもの(生)』に変化する。生と死が繰り返される輪廻は、変化が繰り返されること。変化することは消滅ではない。変化することが「永遠」なのである。

    「十拳剣」と「草薙剣」について

    怒り・分かれ増える・強さを示す「十拳剣」

    名前が様々に変化する「十拳剣」。この剣にまつわる物語は「生きる」ことの不安定さを感じさせるものである。「生きる」為に行動することで起きる「死」がある。わたしたちは様々な「死」の上に成り立つ「自分自身の生」に罪悪感を感じている。

    死を受け入れる為の「草薙剣」

    「草薙剣」はヤマタノオロチの尾から現れた剣。それはスサノオが『生と死が繰り返される輪廻』を認めたからこそ現れたもの。これまでに起きた「死」を認め、「新たな生」を自分自身の中に見つけたということ。「新たな生」とは、罪悪感を乗り越えた後に感じる「生」のことである。

    生と死が存在するこの世界に、確かに「生きている」と認識することは、『生と死が繰り返される輪廻』が存在しているからこそ自分も存在していることを理解すること。

    自己(十拳剣)と自我(草薙剣)

    「自己」とはまだ曖昧な自分のこと。「自我」とは意志の存在する自分のこと。

    八岐大蛇神話は、曖昧な自己を確定し自我という強い意志を見つける自分自身のストーリー。曖昧な自己は名前が様々に変わる「十拳剣」で表され、目に見えない固く強い自我は「草薙剣」で表されている。

    スサノオは最初荒ぶる厄介者であったが、後にヤマタノオロチを倒し英雄となった。それは、曖昧であった自己から、固く強い意志(自我)を持つ者に変わったことを意味している。

    「八雲立つ出雲八重垣」について

    クシナダヒメを守るもの

    クシナダヒメと暮らす為に見つけた「淸地(すが)」という地。そこに「八重垣」を作ったスサノオであるが、心の中に存在する「女性性(クシナダヒメ)」を守る為に作ったものである。

    「八雲立つ」というのは多くの新しい魂が生まれること。そして「八重垣」はそれら『男性性と女性性が合わさりひとつになった新しい魂(生)』を大切に囲むように幾重にも作られている。

    草薙剣で表される「男性性」と、櫛になったクシナダヒメで表される「女性性」。スサノオとクシナダヒメの結婚は、固く強い意志で「死」を受け入れたことを表している。その『固く強い意志のある生』は「新しい魂(生)」である。その魂は「八重垣」に囲まれることになった。

    八重垣とは輪廻を表す

    「八重垣」とは「輪廻」を表している。「輪廻」を受け入れたスサノオは「新しい魂」を守る為にまた「輪廻」を創った。「八雲立つ」という、幾重にも重なるものは「多くの新しい魂」の流れである。そして中心には『自分という新しい魂』も存在する。

    「生」を再認識したことで「新しい世界」が始まった。それは自分を中心として、その他生命も存在する世界である。

    繰り返された末に完成、また始まること

    スサノオの八岐大蛇退治神話からわかることは『繰り返されること』はいつか「完成」を迎えるということ。その魂の完成こそが『繰り返す輪廻』を創り出しているということ。「輪廻」が創り出される原因は「クシナダヒメ」で表される「女性性」であるということ。

    ということで簡単な復習はここまでにして、さっそく今回の記事の本題である「出雲大社御神体」の秘密を解き明かしていこうと思う。

    男造と女造を8で繋げる

    8は永遠の魂

    まずは、中編で紐解くことができなかったこと。雲が「出雲大社」と「神魂神社」を移動する理由について考えていきたい。

    「出雲大社」の雲が7つなのは「神魂神社」に飛んでいったから、という言い伝えは正しいと思っている。どちらも元々は「8つの雲」であったはずだから。

    「8」と言う数字は「永遠」を表す神聖な数字である。そして「永遠の魂」をも表すからこそ、雲(魂)の数は「8」でなければいけないのだ。

    永遠とは何か?

    輪廻と魂は切っても切れない関係

    「永遠の魂」とは『輪廻の中に存在する魂』を意味する。中編で八岐大蛇神話を解説してきたように、スサノオは魂を守る八重垣(輪廻)を造った。

    輪廻とは魂を守るもの。輪廻が生まれれば、必ずその中に魂も生まれる。魂が生まれれば、そのまわりに輪廻が生まれる。

    常に絶対に有るもの

    輪廻の中に存在する魂は、同じことが繰り返される輪廻に囲まれているからこそ「永遠」という性質を持つ。中編では「永遠」についてこう述べた。

    「たましい」は「目に見えないもの」から「目に見えるもの」に変化するだけで、無くなることはない。変化するということは、消えてはいないということである。だから「たましい」は「永遠」であると言える。「永遠」とは常に絶対に有るということ。

    常に絶対に有るものが「永遠」である。ところで「永遠」についてちょっと検索してみた。

    宗教、哲学の用語。つねに在るものの在り方をいう。時間に対比して用いられる。時間が、移り変わり過ぎゆくものにかかわり、過ぎゆくものの在り方をいうのに対して、永遠は不変なものの在り方をいう。

    永遠とは(コトバンク)

    「永遠」とは『時間に対比されるもの』であり『不変なものの在り方』であるということ。

    永遠と時間の対比

    「永遠」はいつも「時間」と対比される。時間の経過は新しいものを古いものにさせ、「不変」とは言えない。栄枯盛衰という言葉があるように、形あるものは時間の中でいつか滅びる。

    時間=変化であるから、永遠(不変)と時間(変化)は対極にあるもの。けれども、前章の『8という数字についてのまとめで述べたように、『変化の繰り返し(輪廻)』こそが「永遠(不変)」なのである。

    状態変化は存在が無くなることではないから、存在そのものは常に絶対に有る。時間(変化)が存在することは「永遠(不変)」を証明しているようなものなのである。

    生きとし生けるものは「生」から始まり「死」で終わる。「永遠」を信じていない人間は「死」んだら「無」になると感じているのかもしれない。けれど『生から死へ変化』することは、既に「永遠の魂を持っていることの証なのだ。

    二重性が見えてくると「永遠」が理解できる

    『生と死・始まりと終わり・陰と陽・男と女』これら対極にあるものは、人間の認識では別々のものに見える。けれど、これら対極にあるものが重なっていることを理解することで「永遠」という認識に変わる。重なっていること(二重性・二面性)は『変化しても不変であること』を意味するのである。

    そう認識することは難しいことであるかもしれない。けれど「死」という経験の中から得る「生」が積み重なることで、重なりが見えてくるはずだ。無論、それには何度も「死」を経験する必要があるが…。

    完成とは更新されること

    中編では「8」という数字が「永遠の魂」を意味すると同時に、時が満ちる瞬間(完成)であるとも述べた。重なりを理解する瞬間が「完成」である。

    「完成」とは物事が「終わり」を迎える言葉であるけれど「始まり」も意味している。その「始まり」は前の「始まり」とは少し違うもので、更新されている。

    八岐大蛇神話においての現実的存在は「スサノオ」だけ。ということは、クシナダヒメは現実の存在ではない。物になっているのだから、それは人間ではないのである。櫛であることは、スサノオの心の中にあるものを意味している。ヤマタノオロチが「スサノオの男性性」だったように、クシナダヒメは「スサノオの女性性」を表す。

    これは中編で述べたことであるが、クシナダヒメに表される「女性性(受け入れる心)」は元々スサノオの中にあったもので、それは更新され新たなものになった。

    生贄になるはずだった8人目の娘(クシナダヒメ)は、スサノオに守られることになったのであるが、既に生贄になった7人の娘達とは違う魂である。それは「新しい魂の一側面(女性性)」を表現している。そして、スサノオも「新しい魂の一側面(男性性)」として更新された。

    ふたつでひとつ

    「死」を何度も経験したあと男性性と女性性が更新されたならば、二重性(男性性・女性性)こそが「ひとつ(魂)」であることを悟るのである。「ふたつ」だとしても「ひとつ」であることは『変化しても不変』であるのと同じこと。

    スサノオ(男性性)とクシナダヒメ(女性性)という『ひとつの新しい魂』を完成させた「八岐大蛇神話」はスサノオの新たな出発点である。完成(8)とは、目には見えない「ふたつの心」が更新され、新たな「ひとつの心」が始まること。

    9が表すもの

    古いものと新しいもの

    「ひとつの魂」は二重性(二面性)を持つが、現実に現れるのは一側面であるから繰り返しが必要になる。両側面を現す為に、輪廻という繰り返しの中で「古いもの」が「新しいもの」に更新される。時間の流れがあるから両側面を認識することができる。

    更新は、目に見えない心で起きること。「古いもの(終わり)」と「新しいもの(始まり)」は重なってもいるから、「8(終わり)」を迎えたら最初の「1(始まり)」に戻る。目に見えない心が更新されても、目に見えるものは変わらないから「1」であると言える。

    9は同じだけど新しいもの

    「同じ魂」だけれど「新しい魂」に変わること。目に見えるものは変わらないけれど、それを見ている自分自身の心が更新されるから、世界の見え方が変わる。それを「1」ではなく「8」の続きとして「9」という数字で表すこともできる。

    「8」という完成で終わりを迎え消滅するのではなく、引き継いで続くことで「同じ魂」であることを表す。「同じ魂(1)」であっても新しく見えるから数を増やして「9」になる。

    「神魂神社」の天井に描かれている雲は「9つの雲」である。何度も言うけれど「出雲大社」から飛んできた一つの雲が加わり「9つの雲」になったはず。

    9の柱と9の雲

    以下の図は「神魂神社」の雲の見取り図。これはわたしの想像図である。「9つの雲」は『同じ魂であり、新しい魂であること』を表しているのではないか。「大社造」の柱も全部で「9本」であることも気になるところ。ここからは「9」にまつわるお話をしていきたい。

    yakumonozu-onna
    神魂神社(女造)と瑞雲之図の想像図

    陽数は喜び

    日本には五節句というものがある。これらは中国から伝わったものであるが、日本の大切な伝統として現代まで残っている。

    1月7日は人日の節句(じんじつのせっく)
    3月3日は上巳の節句(じょうみのせっく)
    5月5日は端午の節句(たんごのせっく)
    7月7日は七夕の節句(しちせきのせっく)
    9月9日は重陽の節句(ちょうようのせっく)

    中国思想では奇数である『1、3、5、7、9』を「陽数」と呼び縁起の良い数字としている。だからこそ五節句も陽数が重なる日付になっている。

    人の日と獣の日

    ところで、1月7日だけ同じ陽数ではなく、違う陽数が重なっている。1月7日は七草粥を食べる日であるけれど、「人日の節句」というと馴染みがないかもしれない。「人日」という言葉の由来を引用させていただきたい。

    人日とは文字通り〝人の日〟という意味ですが、この由来は古代の中国において、正月の1日を鶏、2日を狗(犬)、3日を猪(豚)、4日を羊、5日を牛、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにし獣畜の占いをたてていました。そして、7日は人の日として犯罪者に対する刑罰も行なわない慣わしであり、翌8日は穀を占っていたようです。

    校長通信

    1日から6日は「獣の日」であり、1月7日は「人の日」だと言う。ここで再び、八岐大蛇神話で紐解いたことをおさらいしたい。

    1〜7という多数の経験の終わりには、8という理解を迎え、魂が完成する。この1〜8の流れがあるからこそ新しい魂が生まれるのだ。

    八岐大蛇神話が教えてくれることは、8という完成に至るまでには、1から7という経験が必要になる。7という数字が「繰り返す経験」を表すということは既に中編で述べたこと。「八岐大蛇神話」での経験とは、娘が何度も(7回も)ヤマタノオロチの生贄にされるようなこと。

    そして6日間の「獣の日」。厳しい自然の中で生きる「獣」、家畜として生きる「獣」、それは「困難」を表しているように思える。困難を繰り返した後の7日目に「人の日」がやってくる。

    「人日の節句」の由来から分かることは、獣から人になるという流れがあるということ。1日から6日という経験の最中は「獣」であり、7日目でやっと「人間」になる。

    苦しみの6

    仏教には六道輪廻という概念が存在し、苦しみのある動物に生まれ変わる畜生道と言う地獄がある。また、キリスト教では、666という6が3回重なった数字は獣の数字と呼ばれる。「6」という数字には獣であることの苦しみが現れているように思える。

    関連記事:六道輪廻 

    関連記事:666

    8日目は神

    7日目で「人間」になったら、次の日は「8」日目。ここまでの考察の通り、8とは「永遠」であり「二重性をもつもの」であることを考えてみると、人間の次は「神」になる。

    『わたしはアルファにしてオメガである。』新約聖書ヨハネの黙示録にはこんな記述がある。これは神の言葉であり、自分自身を『始まりにして終わりである存在』だと宣言する言葉。

    始まりであり終わりであること。つまりキリスト教の「神」も同じく二重性を持ち、「永遠」であることを表している。「神」の本質とは二重性なのである。

    獣から人間を経て神へ

    スサノオが荒ぶる神からヤマタノオロチを倒す英雄になったように、わたしたちが「永遠という神」に成るためにも、多数の経験(困難)が必要になる。

    1から7という経験(獣から人間へ) → 8という永遠の完成(神に成る)

    1日から6日は「獣」であり、7日で「人間」になり、それを過ぎたら「神」になる。8日目が「神」を表すならば、9日目は何になるのだろうか。

    8は目に見えない

    スサノオがヤマタノオロチ退治を成功させた時、心の中に目に見えない大切なものを見つけた。中編で述べたことを再掲する。

    「完成」は輪廻というオロチの中ではなく、スサノオの心の中で起きたこと。8回目の「完成」は目に見えないものだから、わたしたちは信じるしかない。完成とは『男性性と女性性の心の中の結婚』である。

    「8」という数字は「二重性・永遠・神」を表すが、8は「目に見えないもの」をも表している。「新しい魂」が生まれ、完成を迎えたとしても、それは心の中に起きるもの。神も永遠も目には見えない。

    五節句の7月7日(七夕の節句)の次は8を飛ばして9月9日である。「8」は偶数(陰数)であるから節句も存在していない。陽は目に見えるもので、陰は目に見えないものであるから。

    重陽の節句

    9は陽数(奇数)の最大数であるから、特に縁起が良いとされている。9という陽が重なる9月9日は「重陽の節句」として祝事が行われる。

    9月9日の「重陽の節句」は不老長寿を願う節句である。先ほど述べたように、9とは『同じ魂であり、新しい魂』であること。9が重なる「重陽の節句」は同じ魂(人間/長寿)であるけれど、新しい魂(神/不老)に成ったことのお祝いにふさわしい。

    8という数字は「二重性・永遠・神」を表すけれど、目に見えない。目に見えないからこそ「9」という数字が「目に見えるものとしての二重性・永遠・神」を表しているのではないだろうか。

    九重で守るもの

    ところで、天皇がすまう皇居のことを「九重」と言ったりする。「九重」も「八重」と同じく幾重にも重なることを表す。

    「八重垣」とは『魂を守る輪廻』のこと。皇居が「九重」と呼ばれるのも、天皇を守るものとして何重にも囲われているイメージがある。

    天皇は天照大神が祖先の「現人神」である。すまう場所が「九重」と呼ばれることがあるのは、神の子どもとして生まれた『新しい魂(天皇)』を大切に守る場所だから。

    天皇は『神であり人であること』を象徴するもので『二重性を目に見えるものとして擬人化した存在』である。

    天皇家の紋章の意味

    天皇家の紋章は「十六弁八重表菊紋」というもので、十六の菊の花弁、裏(後)にも十六の花弁があるようなデザインである。

    八重という言葉が入っていることから、8が何度も重なるデザインであることがわかる。表に8が二重の十六の花弁、裏にも8が二重の十六の花弁。『8という完成(永遠)』が重なっている。

    十六弁八重(目に見えないものの重なり)が菊(目に見えるもの)を形作っている。9月9日の重陽の節句は「菊の節句」でもある。

    五節句のひみつ

    現代日本に残る節句は五つであるが、昔は多くの節句があったらしい。現代まで残っているものは、見事に、人間が神に成るまでの流れを表現している。

    1月7日は人日の節句…人になるまで(無病息災を願う)
    3月3日は上巳の節句…女性が生まれる(女の子のお祝い)
    5月5日は端午の節句…男性が生まれる(男の子のお祝い)
    7月7日は七夕の節句…男女が交わる(織姫と彦星の出会い)
    9月9日は重陽の節句…神になる(不老長寿を願う)

    9は8が現われたもの

    「9」という数字は「二重性・永遠・神」という目に見えない完成(8)が目に見えるものに変化した状態である、と結論づけたい。「神魂神社」に描かれる「9つの雲」は『目に見える新しい魂』ということになる。

    そして出雲大社に「8つの雲」が描かれていないのは、完成とは『目に見えないもの』だから。それは「心の中」で起きること。

    ふたつを繋げるもの

    完成前・完成・完成後

    8が「完成」であるのなら、「神魂神社」に描かれる雲は「完成後」であると言える。とすると「出雲大社」に描かれる雲は7つだから「完成前」になる。

    完成前:7つの雲(出雲大社)→ 完成:描かれることのない8つの雲 → 完成後:9つの雲(神魂神社)

    「完成」することとは『永遠である神』になること。人間が神に成る過程が雲で表現されているのである。完成後の「現人神」とは二重性を持つ存在が目に見える状態になったもの。

    完成前:7つの雲(人間)→ 完成:描かれることのない8つの雲(神) → 完成後:9つの雲(現人神)

    人と神とを繋げるもの

    「大社造」に描かれた雲で表される「心・魂・精神」とは『人間と神とを繋ぐもの』なのである。雲の数によって、男造と女造は繋がることができる。

    「8」という数字が真ん中でふたつのものを繋げている。けれどそれは目に見えないからこそ、わたしたちは理解するのが難しい。大社造の「男造」と「女造」は「8」という雲で繋がっているから「7つの雲」と「9つの雲」が天井に描かれているのである。

    わたしたちは真実を知っている

    「八雲之図」という名や、それにまつわる言い伝えでは「8つの雲」の存在が強調されている。わたしたちは、本当は、魂が永遠であることを知っている。

    未完成であるものはいずれ完成し、その後「神魂神社」へと向かうことを知っているから、出雲大社の雲が「神魂神社」へ移動したと感じるのだ。

    現実とは完成後の世界

    スサノオとクシナダヒメがすまう場所は「八重」で囲まれていて、現代の天皇がすまう場所が「九重」で囲まれている、という違いについても述べておきたい。

    神話は精神世界(物語)という『目に見えないできごと』であるが、皇居は現実世界の『目に見える場所』に存在する。精神世界は完成していて(八重)、現実世界は完成後(九重)ということである。わたしたちは完成後の世界を生きている。

    次のページへ続く。

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  • 出雲大社御神体の謎を解き明かす 中編

    出雲大社御神体の謎を解き明かす 中編

    この記事は前編の続きです。前編では、出雲大社「大社造の秘密」と「柱の秘密」を解き明かしてきた。中編は「八雲之図」の謎解きからスタート。

    出雲大社「八雲之図」の秘密を解き明かす

    3つの謎とその謂れ

    八雲之図3つの謎と、それぞれの謎に対する謂れについて、分かり易くまとまっているブログから再び引用させていただきます。

    ①一雲のみ逆向きである。
    ②一雲 ひときわ大きな雲があり その雲のみ黒い色が使われている。
    ③八雲と言いながら七雲しかない。

    ①日光東照宮の逆さ柱にあるように”陽極まれば陰”を避けるため。

    ②最も大きな7の雲は『心の雲(シンノクモ)』と呼ばれ「八雲の図」中唯一の「黒」が使われている。この黒は遷宮斎行直前の午の刻(正午)に塗られ、塗ることを「心入れ」と呼ぶ。(達磨の目を最後に塗るような感じ)「心入れ」する際は「天下泰平、国土安穏、朝廷宝位、仁民護幸給」などが祈られたとも伝えられる。

    ③ⅰ8つ目を描いてしまうと そこで完成してしまうので完成しないことで永続性を求めている。ⅱ神魂(かもす)神社の天井には九雲描かれており、そこへ飛んでいった 等が言われる。

    思ったこと

    一雲だけ逆を向いている

    yakumonozu-otoko
    出雲大社(男造)と八雲之図

    雲が出雲大社の天井にどのように描かれているのかネットで調べたところ、このような感じらしい。まずは、「一雲だけ逆を向いている」謎について。これは「男造」を観察していればなんとなくわかる。前編で述べた「男神」の回り方について再掲。

    男神は左を正面に向いていて、そのまま歩き出すとすれば心御柱(しんのみはしらを左回りすることになる。

    図の中「御神座」と書いてあるところが「男神」。「男造」において「男神」は左(西)を向いている。つまり、一つだけ左を向いている雲も「男神」ということになる。

    あまりにも説得力がない結論を出してしまったが、とりあえず話を続けていきたい。

    一番大きな黒が使われた雲

    一番大きな雲は「女神」

    次に一番大きな雲について。結論から先に言ってしまうと、この雲は「女神」を表している。一つだけ左を向いている雲が「男神」、そして一番大きな雲が「女神」。ということは、これら雲は「神」だから「人間」ではないと言える。

    岩根御柱(心御柱×1)…宇豆柱(男神・女神)の子ども、人間
    棟持ち柱(宇豆柱×2)…男神と女神
    側柱(その他の柱×6)…人間

    前回のおさらいとして、出雲大社それぞれの柱が意味するものを再確認。一つだけ左を向いている雲と一番大きな雲は「宇豆柱」に対応しそうだ。

    けれど、一番大きな雲は「心の雲(しんのくも)」と呼ばれている。一番太い柱である「心御柱(しんのみはしら)」との関連性を匂わせる名前である。「心御柱」は「人間」を表すから、そうだとしたら矛盾してしまうようにも思える。

    雲は「たましい」

    ところで。そもそも「雲」が何を表すのかというところに触れておきたい。「雲」とは「魂」なのである。「魂」という漢字について知ると「雲」と「魂」の関係がわかる。

    云(うん)と鬼とを組み合わせた形。云は雲のもとの字で雲気(雲、雲状のもの)の形。鬼は死んだ人の人鬼で、霊となって霊界にあるものをいう。

    魂のなりたち

    「雲状のもの」と「死んだ人の霊」の組み合わせで「魂」という漢字が成り立っている。空に浮かび、ふわふわと掴み所のないイメージがある「雲」。「死んだ人の霊」も、存在するのかしないのかよく分からない曖昧なもの。不確かなものを表現するのが「雲」や「魂」ということ。

    二種類のたましい

    ところで「たましい」と同じ意味を持つ漢字に「魄(はく)」がある。「魂」と似ているけれど、ちょっと違う。

    「魂」は陽、「魄」は陰の精気。「魂」は精神、「魄」は肉体をつかさどるもの。生きている人にはこの二つが宿るとされる。

    漢字辞典オンライン(魄)

    このように「魄」も「魂」と同じ意味をもつけれど、こちらは肉体を司る。「魂」は死後天上に昇るもので「陽の気」を表し、「魄」は死後地上に留まる「陰の気」を表す。合わせて「魂魄(こんぱく)」と言って中国道教の考え方であるらしい。

    「心入れ」をする理由

    「八雲の図」中唯一の「黒」が使われている。この黒は遷宮斎行直前の午の刻(正午)に塗られ、塗ることを「心入れ」と呼ぶ。(達磨の目を最後に塗るような感じ)

    一番大きな雲だけに「黒色」が使用され、その「黒色」を塗ることを「心入れ」と呼ぶ。「心入れ」はダルマの目入れのようなもので、国の平安を祈りながら行われるという。「心が入る」、「目が入る」というのは「生命が宿る」ということであろう。

    雲=魂=心=精神、全ては「目に見えない」もので実体を掴むことが難しい。しかし「心入れ」することで「雲」は実体を伴うことになる。それは「目に見えないもの」が「目に見えるもの」に変化すること。

    「たましい」には二種類の意味があった。だからこそ「心入れ」という儀式で、陽(天上)から陰(地上)へと変化させる。目に見えないものだった「雲(魂)」は、肉体を持った「人間(魄)」という目に見えるものに変化するのである。

    「たましい」という2つの漢字と「心入れ」から分かること。雲の意味を持つ云(うん)が使われている「魂」は精神という「目に見えないもの」を表し、「魄」は肉体という「目に見えるもの」を表す。「たましい」には二重性がある。

    「心入れ」の時間

    午の刻に「心入れ」が行われることも、「雲」という「たましい」が二重性を持つことを表現している。下の表は、以前この記事に使用した二十四方一覧表(方角と時刻)である。

    午の刻は十二時辰で11時〜13時に当たる。「心入れ」は正午(12時)に行われる。この表は十二時辰をさらに細かくしたものなので、11時〜12時のところを見てほしい。

    見てもらえると分かるように、正午の時間帯は八卦で表すと「離(り)」になる。八卦とは易占いに使われるものであるが、「離」の意味合いを知るとこの時間に「心入れ」が行われることにも納得できるはずだ。こちらのサイトを参考にさせていただきました。

    ついたり離れたり移動するもの、陰陽の分岐点、陰陽の両作用の分かれ目

    離(り)には様々な解釈があるけれど、このようなキーワードを見つけることができる。午の刻(正午)は変化の瞬間を表す時間帯になっている。

    最初に『一番大きな雲は「女神」である』と結論を述べたのだけど、一番大きな雲は「人間」という矛盾。けれど、これが一番大きな雲の正体。「心入れ」で目に見えない「女神」が、実体のある「人間」に変化することを表現しているのが「心の雲」なのである。

    女神と神魂神社

    八雲之図に描かれる「雲」は「二重性を持つたましい」であることは簡単に説明できたと思う。けれど「心の雲」が「女神」であることの説明が全く足りていない。それを証明していく為にも「女造」に目を向ける必要がある。

    日本最古の大社造である「神魂(かもす)神社」は「女造」である。なんと、ここにも「雲」が描かれているのだ。

    八雲之図なのに七雲しかない

    出雲大社「男造」の天井には全部で「7つの雲」が描かれている。「八雲之図」という名前がついているにもかかわらず。そのことについては2つの謂れがある。先ほどの引用から抜粋。

    8つ目を描いてしまうとそこで完成してしまうので完成しないことで永続性を求めている。神魂(かもす)神社の天井には九雲描かれており、そこへ飛んでいった等が言われる。

    これら謂われからわかることは、出雲大社の雲は元々「8つの雲」であったのだろう。そして、一つの雲が飛んできた「神魂神社」には「9つの雲」が描かれている。ということは「神魂神社」も元々は「8つの雲」であったのかもしれない。

    「神魂神社」の雲が天井にどのように描かれているのか、詳細はわからない。その天井の様子が少しだけわかる写真が絵葉書として神社で販売されているようだ。その写真を参考に、わたしの想像した神魂神社の雲を描いてみた。

    yakumonozu-onna
    神魂神社(女造)と瑞雲之図の想像図

    絵葉書の写真を見ると仕切りが見えるので、御神体の真上を撮影したように思える。ということは「神魂神社」の天井には、このように雲が描かれているのではないか。たぶん。写真を見ると、一番大きな雲にはやはり「黒色」が使用されているようだ。

    先ほども述べたことであるけれど、八雲之図の謂れから考えられることは、出雲大社も神魂神社も元々は「8つの雲」だったのではないかということ。雲が「8つ」であったのならば、それは何故移動したのか。8という数字を紐解けば、「出雲大社の雲」と「神魂神社の雲」の繋がりが見えてくるはずなのだ。

    八という数字の秘密を解き明かす

    出雲と8

    出雲は8という数字と縁が深い。日本神話には出雲を舞台とした「スサノオのヤマタノオロチ退治」という有名なお話がある。このお話の流れを追いながら8を探していく。

    スサノオ について

    伊弉諾・伊弉冉尊(いざなぎいざなみのみこと)二神の子として(日本書紀)、また伊弉諾尊の禊(みそぎ)のとき(古事記)などに日月神とともに出現した、記紀神話の重要な神。出雲(いずも)系神話の始祖でもある。父から定められた支配地を治めず、母の国の根国(ねのくに)を慕って泣いたため、災いを起こして父に追放される。

    素戔嗚尊とは(コトバンク)

    日本書紀ではイザナギとイザナミの子どもとして、古事記ではイザナギが禊をした時に洗った鼻から生まれたことになっているスサノオ。そして天照大神の弟でもある。スサノオはちょっとした厄介者。

    使命を果たさず,鬚が長く生えても泣きわめき続けて,草木を枯らせ,河と海を干上がらせ,怒った父に根の国へ追放された。アマテラスに暇乞いに天に上り,武装した姉に出迎えられ,厳しく詰問されたが,誓約による子生みをして,邪心のないことを証明した。この勝利に有頂天になり,高天原で田を荒らし,新嘗の宮を汚すなどした末に,アマテラスが咎めずに庇うと,いっそうつけあがって,機織殿に皮を剥いだ馬を投げこみ,驚いた織女を死なせ,ついに怒った大神が岩屋に隠れ,天地が暗黒になる事件を起こし,鬚と爪を抜かれ,天から放逐された。

    素戔嗚尊とは(コトバンク)

    このように、泣きわめいたり有頂天になって暴れたりしている。その結果、天照大神は岩戸に隠れて世界は暗黒となってしまった。スサノオは悪や罪の象徴のような人物である。

    この罪により尊は神々に追放され、根国に赴くが、途中の出雲国では八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、根国の支配者となる。

    素戔嗚尊とは(コトバンク)

    その後スサノオは追放され根の国へ向かうのであるが、その途中でヤマタノオロチ退治をする。ところで根の国は出雲と深い関わりがある場所。

    根の国のあった場所は言うまでもなく地下であるという主張もあるが、一方で古くから神話を現実的に解釈し、地上のどこかに当てる説が行われた。その場合、イザナミやスサノオと縁の深い出雲国に入口があるとする説がある。

    根の国(wikipedia)

    出雲には黄泉の国の入り口だとされている場所が実際に存在していて、黄泉の国と根の国の関係性について様々な議論があったりする。根の国については既に別の記事で書いているから、ぜひそちらも読んで欲しい。

    関連記事:「なまよみの甲斐の国」番外編-山が神である理由-

    ともかく、スサノオは出雲でヤマタノオロチ退治をすることになる。出雲大社に祀られる大国主はそんなスサノオの子孫である。

    八岐大蛇神話のはじまり

    スサノオは出雲でアシナズチとテナズチという夫婦に出会い、二人の娘クシナダヒメをヤマタノオロチから救うことになる。古事記を現代文に訳したものを引用しながら、詳しくみていきたい。

    夫婦の娘は8人いたが、年に一度、高志から八俣遠呂智という8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物がやって来て娘を食べてしまう。今年も八俣遠呂智の来る時期が近付いたため、最後に残った末娘の櫛名田比売も食べられてしまうと泣いていた。

    ヤマタノオロチ(wikipedia)

    夫婦の間には「8人の娘」がいた。8人目の末娘がクシナダヒメ。そして、8を象徴するような怪物「ヤマタノオロチ」が登場。

    須佐之男命は、櫛名田比売との結婚を条件に八俣遠呂智退治を請け負った。まず、須佐之男命は神通力で櫛名田比売の形を変えて、歯の多い櫛にして自分の髪に挿した。そして、足名椎命と手名椎命に、7回絞った強い酒(八塩折之酒)を醸し、8つの門を作り、それぞれに酒を満たした酒桶を置くようにいった。

    ヤマタノオロチ(wikipedia)

    スサノオはヤマタノオロチと闘う準備をした。八塩折之酒(やしおりのさけ)を醸し、垣根に8つの門を作り、その門ごとに8つの桟敷を作り、それぞれに酒の桶を置く。

    ちょっと気になること

    ところで、このwikiのページには『7回絞った強い酒(八塩折之酒)』と書いてある。ネットで古事記の原文と現代文に訳したものをいくつか読んだが、7という数字が出てこない。この『7回絞った酒』の出どころを知っている方がいたら教えて下さい。

    八雲立つ出雲国

    八俣遠呂智を退治した須佐之男命は、櫛になった櫛名田比売と暮らす場所を求めて出雲の根之堅洲国(現・島根県安来市)の須賀の地へ行き、そこで「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁」と詠んだ。

    ヤマタノオロチ(wikipedia)

    ヤマタノオロチに見事打ち勝ったスサノオは、 クシナダヒメと暮らすことにした須賀の地で「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」と詠った。この歌の意味を以下に引用させていただく。

    雲が幾重にも湧く出雲の地で、妻との新居によい場所を見つけた。妻のために垣根を幾重にも造ろう。

    最古の和歌とスサノオの物語(こども教室もんじゅ)

    「八雲」とは幾重にも重なった雲のことで、出雲国の枕詞にもなっている。このように、しつこいくらい何度も8という数字が出てくる「スサノオとヤマタノオロチ退治」のお話である。

    八岐大蛇神話の新解釈

    8は魂

    8と縁が深い出雲なのだから、やはり出雲大社・神魂神社は元々「8つの雲」だったはず。前の章で「雲」とは「二重性のある魂」であると述べた。ヤマタノオロチ退治に登場する「8」という数字を「魂」と考えて物語を読んでみたい。

    夫婦の8人の娘たちは「8つの女の魂」と仮定してみる。年に一度、ひとつの魂(一人の娘)をヤマタノオロチに食べられてしまう。

    ヤマタノオロチは8つの頭と尾を持っている。8匹分のオロチなのだから「8つの魂」を持っているということになる。さらに、オロチの頭と尾を「魂の最初(頭)」と「魂の最後(尾)」だと考えたい。

    「蛇(オロチ)」は生と死や、繰り返すものを象徴するものであったりする。魂の最初は「生まれること」、魂の最後は「死ぬこと」。その両方の要素を持つヤマタノオロチはやはり「輪廻」を表しているのだろう。物語の中で8の繰り返しが多いことも「輪廻」を意識していると考えられる。

    女の魂を取り込むオロチ

    ヤマタノオロチをオスと仮定すると「8つの男の魂」を持っているオロチということになる。ヤマタノオロチは既に7人の娘を食べてしまったから、ヤマタノオロチの中には「7つの女の魂」も存在している。そして最後のひとつの魂をも取り込もうとしている。

    ヤマタノオロチの中には「8つの男の魂」と「7つの女の魂」があるから、もうひとつ女の魂があれば『8組の男女の魂』が揃うことになる。けれど、8人目の娘が食べられてしまいそうなところをスサノオが救うのであるから『8組の男女の魂』が揃うことはない。

    完成(8)させないこと

    8つ目を描いてしまうと そこで完成してしまうので完成しないことで永続性を求めている。

    出雲大社の八雲之図は、8つ目を描いてしまうと完成してしまうので描かれていない、という謂れがある。ヤマタノオロチ退治のお話でも、スサノオが8人目の娘を救うことで、男女の組み合わせを完成させないようにしているのではないだろうか。

    だとしたら、8になること(完成させること)を避けるのは何故なのだろう。完成すると「永続性」が崩れてしまうようだ。永続性とは「永遠」に続くこと。何故「永遠」を保っておきたいのだろうか。

    魂は永遠

    常に絶対に有るもの

    ここでまた「たましい」は二重性を持つものであるということを思い出してほしい。午の刻に「心入れ」が行われるのは「目に見えない魂」から「目に見える魄」に変化させるためであった。

    「たましい」は「目に見えないもの」から「目に見えるもの」に変化するだけで、無くなることはない。変化するということは、消えてはいないということであるだから「たましい」は「永遠」であると言える。「永遠」とは常に絶対に有るということ。

    目に見えない=無い?

    けれども人間は目に見えなくなってしまうと、その存在が消滅したと考えるもの。「魂」が「永遠」であることを知らない人間は、8という完成を迎えてしまったら「魂」が消滅すると考えてしまうのだろう。だからこそ、完成させないことで「永遠」を保とうとするのではないだろうか。

    死んでしまった人の「魂」は天国にあり、わたし達をいつも見守ってくれている。というような考え方を持っている人もいる。けれど現代において「魂」が「永遠」であることを絶対的に信じることは、盲目的になってしまった宗教の信者のように見なされてしまうのかもしれない。

    消滅する瞬間を恐れること

    完成と終末思想

    前述のとおり、人間は「完成」を「魂の消滅」だと感じている節がある。『完成してしまったら魂が消滅する』という思想は、昔から人間が持ち続けてきたもの。『時が満ちると世界の終わりがやってくる』という「終末思想」と同じものである。

    新約聖書ヨハネの黙示録に描かれる「最後の審判の日」のように、キリスト教をはじめ様々な宗教に終末思想がある。わたしたちは「終末」が何時やってくるのかを、とても気にしている。

    「終末の日」が何年何月何日なのかは、人間にとって有益な情報になる。「完成(時が満ちた瞬間)」に「魂の消滅」が起きると思っているから、どうにかしてそれを避けたいのである。「魂の消滅」とは自分自身の「死」を意味する。

    「ノストラダムスの大予言」では1999年7の月に人類が滅亡する、という解釈が持ち出された。また、2012年12月の「マヤ暦の予言」による滅亡説もあった。日付を具体的に指定されたから、大流行したと言えるだろう。

    現在「私が見た未来 完全版」という本が流行している模様。この本の中でも2025年7月が終末らしき日付として言及されている。

    予言が当たらないことを怒る人たちが存在するけれど、彼らは死ぬのがとても怖いのである。前もって「死」の時期を知ることで、少しでもその可能性を排除したいと思っている。

    関連記事:予言はなぜ当たらないのか

    出雲大社を恐れる人々

    出雲大社から、魂の消滅、死への恐れを無意識に連想してしまう人々がいる。『出雲大社には怨霊(大国主)が封印されている』という都市伝説には人間のそんな無意識が現れている。

    その都市伝説は、しめ縄が普通とは逆に巻かれていることや御神体が正面を向いていないことで結界を張り、その怨霊を閉じ込めている。という話なのだけれど、そう感じてしまう人間たちは「魂の消滅」を恐れているはずなのだ。

    出雲大社から何かを感じ取る人々。感じ取り方は様々だけれど、人々が出雲大社に惹かれる理由は「魂の消滅」という「死」の側面だけではないはずだ。

    時が満ちる瞬間の二重性

    もうひとつの側面

    「完成(8になること)」とは「時が満ちる瞬間」であると言える。わたしたちはそれを「消滅(死)の瞬間」だと捉えている。

    八岐大蛇神話において、死を連想させる「時が満ちる瞬間」は、オロチが女を食べる瞬間である。

    けれど、年に一度「女の魂」を取り込んでいるオロチの中には既に「7組の男と女」が揃っている。「男と女」とは「陽と陰・生と死」とも表現できる。オロチは「輪廻」を表していると言ったように、「生と死」の両側面を持っているのだ。

    8から剣へ

    ここまでの話をまとめると8とは、魂(雲)であり、時が満ちる瞬間であり、それは生と死を含んでいるはずだ。8という数字について紐解いてきたけれど、ここで一旦剣の話をさせてほしい。

    剣の秘密を解き明かす

    剣と生

    出雲大社の雲について『8つ目の雲が描かれたら完成してしまうから、雲は7つ』という考え方が、「死」の側面だけに目を向けたものであるならば、もうひとつの側面をも見出す必要がある。完成(8)が「生」でもあることを、八岐大蛇神話クライマックスシーンから見つけていきたい。

    準備をして待っていると八俣遠呂智がやって来て、8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。八俣遠呂智が酔って寝てしまうと、須佐之男命は十拳剣で切り刻んだ。このとき、尾を切ると剣の刃が欠け、尾の中から大刀が出てきた。そしてこの大刀を天照御大神に献上した。これが「草那藝之大刀」(天叢雲剣)である。

    ヤマタノオロチ(wikipedia)

    ここからは「剣」の役割に注目していきたい。まずはヤマタノオロチを倒した「十拳剣(とつかのつるぎ)」について深掘りしていく。

    十拳剣(とつかのつるぎ)が意味するところ

    固有名詞を持たない剣

    「十拳剣」は、拳10個分の長さの剣のこと。名前が様々に変わるなど、固有名詞を持たない剣の総称であるとのこと。日本神話の中に度々登場している剣である。様々な場面に登場する「十拳剣」の様子がまとまっていて分かり易いサイトがありましたので、そちらから引用させていただきます。

    怒り

    伊邪那岐命(イザナギノミコト)は腰に挿していた十拳剣(トツカノツルギ)を抜いて、迦具土神(カグツチノカミ)の首を切りました。

    日本神話・神社まとめ(十拳剣(トツカノツルギ))

    イザナミがカグツチという神を産んだ時、陰部が焼けて死んでしまったことに怒ったイザナギは「十拳剣」でカグツチを殺してしまった。また、別のお話ではアジスキタカヒコネという神が、死人と間違われたことに怒って「十拳剣」でその場をめちゃくちゃにした。怒りと共にある剣であることがうかがえる。

    分かれ増える

    天照大御神(アマテラスオオミカミ)がまず建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)が持っていた「十拳の剣(トツカノツルギ)」を受け取って、三つに折り、天真名井(アメノマナイ)の水ですすいでから噛み砕き、吹き捨てました。

    日本神話・神社まとめ(十拳剣(トツカノツルギ))

    こちらは「アマテラスとスサノオの誓約神話」の一場面。詳しいあらすじはリンクから確認していただきたい。誓約(うけい)の為に、スサノオの「十拳剣」が折られ噛み砕かれ、そこから三柱の女神(宗像三女神)が産まれている。そして、このようなお話もある。

    イザナギは十握剣(トツカノツルギ)でカグツチを三段に切りました。それらの部位がそれぞれ神となりました。

    日本神話・神社まとめ(十拳剣(トツカノツルギ))

    こちらは、日本書紀の中のお話。カグツチは三つに切られ、それぞれ、雷の神・山の神(オオヤマヅミ)・水の神(タカオカミ)という三神に成った。

    古事記でのカグツチを殺すお話では、三神どころではない多くの神が生まれている。十握剣(トツカノツルギ)刃の先端から落ちた血から三柱、刃の根元から落ちた血から三柱、柄の部分から手を伝い落ちた血から二柱。

    カグツチを切った剣から滴る血から合計8柱の神が生まれている。その後、カグツチの死体からも8柱の神が生まれている。8という数字が気になるところであるが、ひとつの剣から多くの神が生まれていることに注目したい。

    強さを示す

    天鳥船神(アメノトリフネ神)と建御雷神(タケミカヅチ神)の二柱は、出雲の伊那佐(イザサ)の浜に降り立ちました。そして十拳剣(トツカノツルギ)を抜き、逆にして海に立てて、その剣の刃の上にあぐらをかいて、大国主神(オオクニヌシ神)に問いました。

    日本神話・神社まとめ(十拳剣(トツカノツルギ))

    これは「出雲の国譲り」の中のお話。天照大神は下界を平定するため、大国主の元にアメノトリフネとタケミカヅチをよこした。その際、タケミカヅチは十拳剣の刃の上にあぐらをかきながら大国主に直談判をした。この出来事が象徴することは何か。

    タケミカヅチは自分の強さを主張するために、わざわざ刃の上にあぐらをかいたのである。刃の上に座るには我慢強さが必要だ。国を譲り受ける為にも、大国主に強さを見せないといけないと思ったのだろう。

    変化する、増える、自己証明

    怒り・分かれ増える・強さを示す、というキーワードから見出せるものとは。「十拳剣」を持ち怒りを表現すること。怒りという感情は人を豹変させ、争いの元になるものである。怒りとは動物的本能でもある。

    「十拳剣」は三つに分かれて神と成る。そして「十拳剣」によって切られた者の血から多くの神が生まれる。一つの剣をきっかけに多数の生命が生まれること。これもまた変化であり、増える作用がある。

    「十拳剣」は自己を示すものでもある。交渉の為に危険な行為で自らの強さを表現したタケミカヅチ。そして誓約(うけい)に使用されたのは、自らの潔白証明のため。自分自身を示すものとして利用されている。

    変化するものであり、増えるものであり、自己を示すもの。これは「生きとし生けるもの」の表現であるといえる。「十拳剣」からは「生」を見出すことができるが、不安定さも持ち合わせている。

    不安定で未確定な「生」

    怒りをコントロールできず起きる死や混乱。血によって生命が続くこと。自己が曖昧であるが故に、わざわざ自己を示すこと。変化すること、続くことは未確定であり不安をもたらすものである。

    「十拳剣」は、不安定で未確定な「生」を表現している。名前が様々に変わる十拳剣名前は確定していないけれど、それは一つの剣(生)である。

    草薙剣(くさなぎのつるぎ)が意味するところ

    「十拳剣」と対比する

    準備をして待っていると八俣遠呂智がやって来て、8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。八俣遠呂智が酔って寝てしまうと、須佐之男命は十拳剣で切り刻んだ。このとき、尾を切ると剣の刃が欠け、尾の中から大刀が出てきた。そしてこの大刀を天照御大神に献上した。これが「草那藝之大刀」(天叢雲剣)である。

    ヤマタノオロチ(wikipedia)

    スサノオがヤマタノオロチを倒した時に現れた「草薙剣」は言わずもがな三種の神器のうちのひとつで、日本人にとって大切な剣。「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」とも呼ばれる。「十拳剣」と対比することで「草薙剣」の性質が見えてくる。

    犠牲の上に成り立つ「生」

    またまた八岐大蛇神話を振り返ってみる。ヤマタノオロチが「女の娘」を食べると男女の魂が揃う。その瞬間は「生と死の瞬間」である。オロチは女を喰らう(殺す)ことで『生きながらえている』。

    わたしたちが「死」を恐れるのは、様々な「死」の上に自分自身の「生」が成り立っていることを無意識で理解しているから。それは罪悪感となって「死」への恐怖を引き出している。

    物語の中では「死」という犠牲の上に成り立つ「生」が7回起きている。しかし8回目で、女は犠牲とならなかった。スサノオはオロチを切り刻み「女の魂(クシナダヒメ)」を救ったのである。その結果、スサノオは「草薙剣」を手に入れた。

    オロチの尾から現れたこと

    オロチの尾から「草薙剣」が現れたことについて考えてみる。ヤマタノオロチが「人間の輪廻」を表すということは既に述べた。

    オロチの尾とは、輪廻の終わり、魂の最後、つまり「死」を表している。尾から現れた「草薙剣」は「死」から現れた剣であると言えるのではないだろうか。

    クシナダヒメを救ったことで「死」という犠牲が起きなかったのに、「死」から現れた「草薙剣」。犠牲は起きていないはずなのに「死」を表す剣だということ。

    物語の中の二重性

    『7回続いた死』では「女の魂」が犠牲になっていたが、それがオロチを生かしていた。『8回目の死』はオロチの犠牲であり「女の魂」は生かされた。8回目では女(クシナダヒメ)の代わりに男(オロチ)が犠牲になっている。

    この物語の主人公はスサノオという「男」で、女を救う者として存在している。「犠牲になった男(オロチ)」と「女を救う男(スサノオ)」。物語の中では、オロチとスサノオどちらも「男性性」を表しているのであるが、大きな違いがある。

    オロチは恐ろしい化け物で空想上の生き物。一方スサノオは神ではあるが人間の姿形をしている。同じ男性性ではあるが「精神(オロチ)」と「現実(スサノオ )」の対比になっているのである。そして「敗者(オロチ)」と「勝者(スサノオ )」という対比にもなっている。

    物語とは全て人間のために書かれているもの。この物語においての現実的存在(人間的存在)は主人公の「スサノオ」だけである。だからこそ、読み手は「スサノオ」を「自分自身」として読み込むことが重要になってくる。

    このお話の中では、オロチにも二重の意味がかかっている。ひとつは「スサノオの心の中の男性性」。もうひとつは「輪廻」である。これらをふまえてさらに考察を進める。

    オロチで表される精神世界

    酒で眠らされてしまったオロチ。つまり、スサノオの「男性性」は眠らされている。オロチの死とは『夢の中の出来事』であるということ。オロチは「精神」を表しているのだから、その死は「現実」ではなくスサノオの心の中で起きている。

    スサノオは「十拳剣」を利用してオロチを切り刻んだが、その刃は尾の中にあった「草薙剣」によって欠けてしまった。「十拳剣」は「草薙剣」に負けた。負けとは「死」である。

    「十拳剣」は怒りや自己証明を意味することは既に述べた。生き残ることに必死になると「精神」は荒ぶる。それが動物的本能。これまでは「精神」が荒ぶった結果「現実世界」で暴れまわっていたスサノオ。

    「十拳剣」によって怒りや強さを表現してきた神々であるけれど、八岐大蛇神話では「十拳剣」を持ちながらも、怒りや強さを「現実」で表現するのを封じているということに他ならない。

    ヤシオリ作戦

    「精神」と「現実」は直結していて、精神状態はそのまま現実世界に反映されてしまうことがある。けれども、わたしたち人間は「現実」へ移行するまえに、深く思考することができる。

    スサノオが思考の末行き着いたのは、オロチと正面切って戦うのではなく「八塩折之酒(やしおりのさけ)」を利用する方法だった。それが「心の中で死ぬ」という方法。

    オロチ(輪廻)とは生と死を「繰り返す」もの。そして「ヤシオリ」も「何度も繰り返すこと」を意味する言葉である。「繰り返すもの」を「繰り返すもの」で制す。

    7回繰り返された死を、8回目も同じように起こす。けれどそれを「心の中」に留めておいたのである。思考した結果「現実世界」で戦わず、「精神世界」で戦う選択をしたスサノオ。その結果の「心の死」とは、ある意味負けを認めること。スサノオは「輪廻(オロチ)」という「繰り返す死」を認めたのである。

    死んでしまった母に会いたくて泣き叫んでいたスサノオ。「死」を認められなかった子供から「死」を認めることができるようになった大人へ。

    十拳剣と草薙剣の違い

    「十拳剣」は現実で誰かを切ることなく女を救った。「十拳剣」は欠けてしまったが、代わりに「草薙剣」を手に入れたスサノオ。

    「草薙剣」とは「固く強い心」の象徴である。智恵によって怒りを沈めることができ、血によって続く「生と死」を認め、自己が確立された存在であることを信じる心のこと。「十拳剣」を持つ者は『不安定で未確定な生(子供)』であったけれど、「草薙剣」を持つ者とは『不動で確定した生(大人)』であるといえる。

    「草薙剣」はすぐさま天照大神に捧げられた。「草薙剣」は「固く強い心」という「目に見えないもの」であるから、実際に使用されることなく神に捧げられるのである。

    「草薙剣」は「現実」に姿を表してはいけないもので「精神」の中にあるもの。だからこそ現代でも「草薙剣」を見ることは許されていない。

    天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という名について

    八岐大蛇(やまたのおろち)の尾より出現した剣である草薙剣(くさなぎのつるぎ)の元の名を、『日本書紀』本文の注および一書では天叢雲剣とし、大蛇の上につねに雲気があったゆえの命名とする。

    天叢雲剣とは(コトバンク)

    「草薙剣」の別名「天叢雲剣」について考えてみると、やはり、オロチとは「輪廻」であり「精神(心)」であることがわかる。

    雲とは曖昧で不確定なものを意味する。オロチの上に常にかかる雲とは、終わりのない輪廻の不確定さ、コロコロと気分が変わる掴み所のない心を表している。

    不確定さはわたしたち人間を不安にするもの。さらには、確定後の負の作用を恐れている。「生と死」が繰り返される輪廻と、その「死」の側面を恐れているわたしたちは、オロチを恐ろしい怪物とみなすのである。

    死を受け入れるための剣

    自己(十拳剣)と自我(草薙剣)

    過去このブログで「自己と自我」について書いた。そこで、このブログに於いての「自己と自我」を定義している。他の記事でも度々自己と自我については書いているが、簡単に言えば『自己とはまだ曖昧な自分のこと』『自我とは意志の存在する自分のこと』である。

    八岐大蛇神話は、曖昧な自己を確定し自我という強い意志を見つける自分自身のストーリー。曖昧な自己は名前が様々に変わる「十拳剣」で表され、目に見えない固く強い自我は「草薙剣」で表されている。

    輪廻=不確定と確定

    ヤマタノオロチとは相反するものを両方持ち合わせている存在であった。両方持ち合わせているからこそ曖昧であるけれど、それは変化し、どちらかの状態に確定するもの。ここで「魂(たましい)」についての解説を再掲。

    「たましい」は「目に見えないもの」から「目に見えるもの」に変化するだけで、無くなることはない。変化するということは、消えてはいないということである。だから「たましい」は「永遠」であると言える。「永遠」とは常に絶対に有るということ。

    スサノオのようにオロチの尾(死)から「草薙剣」という「固く強い心」を見つけることができると、不確定で曖昧な存在であった輪廻(オロチ)が「有る」ことをはっきりと認識する。そして、輪廻が存在しているからこそ自分も存在していることを理解する。

    生と死が存在する、苦しくも喜びがあるこの世界に確かに「生きている」と認識することが「自我」を見つける瞬間である。「自我」があるから、不確定で確定な二重性のある「輪廻」をも認めることができるようになる。

    「輪廻の死の側面」を受け入れることは『悪である自分の存在』を受け入れることでもある。はじめ悪者として語られるが、その後ヒーローとしても語られるスサノオ。そんな二面性を持つスサノオは、二重性を持つ「永遠の魂」を見つける者。

    固く強い心で曖昧なものを確定すること

    ということで、「強い心」で自己を確定するまでの過程を表しているのが「剣」というアイテムなのであった。「十拳剣」で何度も現実の死を体験し、8回目ではその剣を現実で使用しないことで「草薙剣」が生まれる。

    現実世界(十拳剣)でも、精神世界(草薙剣)でも、「戦うこと」は「強い心」の現れである。けれど、本当の窮地に陥った瞬間、それを現実世界で表すのか、精神世界で表すのか、冷静で的確な判断をするのは結構難しい。

    七転び八起きと七転八倒

    「七転び八起き」という言葉がある。これは何度失敗しても立ち上がること。八で起き上がることは「死=犠牲」という考えの輪廻を断ち切ることである。

    「七転八倒」という言葉がある。これは苦しみのたうちまわることを表す。八で倒れることは「輪廻=生と死」であることを心の中で認めること。それはとても苦しいこと。

    「七転び八起き」という言葉は「生」を表しているし「七転八倒」という言葉には「死」が表れている。7という数字は何度も何度も繰り返し学んでいる状態であり、8という数字で全てを理解し自己の完成が訪れる。

    剣という男性性

    わたしたちは誰もが「剣」という「男性性」を持っている。日本神話に登場する「剣」は「不安定な生」と「不動の生」二つの側面を教えてくれるもの。どちらも学び終えたのならば「死」を受け入れ、新たな「生」を見つける。その新たな「生」が「自我」なのである。

    様々な「死」の上に自分自身の「生」が成り立つことに、大きな罪の意識を感じるわたしたち。そんな罪悪感から抜け出すには、自分という存在が、今現在、力強く「生きている」のを実感することが必要だ。

    八重垣で魂を囲む

    クシナダヒメと暮らす場所探し

    最後に、スサノオが詠んだこの歌についても解説しておきたいと思う。

    そうした後に、湯津爪櫛になった奇稲田姫とともに結婚の地を探して、出雲の淸地(すが)を訪れ、宮を建てた。そして「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ。

    ヤマタノオロチ(wikipedia)

    ヤマタノオロチ退治を終えたスサノオは、クシナダヒメと暮らす場所を探した。そして淸地(すが)という地に決めて、そこに宮殿を建てた。

    すがすがしい瞬間

    『古事記』によれば、須佐之男命は八岐大蛇を退治した後、妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名し、そこに宮殿を建てて鎮まった。

    須我神社(wikipedia)

    ヤマタノオロチ退治を終え「草薙剣」を手にした瞬間「生と死が繰り返される輪廻」を受け入れることができる。個人的な話になるけれど、その瞬間とてもすがすがしい気分になることは、わたしも経験している。とにかく頭がスッキリするのである。

    わたしの個人的なすがすがしい体験はこちらに書いてあるので、気になる方はどうぞ。ちなみにその体験時には、頭の中で『草薙剣を手にした瞬間(死を受け入れた瞬間)』の感覚というか感情だけを先取りしているようなもの。

    つまり、今現在のわたしが完全に「死」を受け入れているわけではない。人間はこの先体験するであろう意識を先取りすることができる不思議な力を持っているのだけど、その件については今回の記事には関係ないことなので割愛。

    土地とは世界

    話を戻して、スサノオがヤマタノオロチ退治を終えた後、住む土地を探して名前をつけた理由について。スサノオが立つ須賀という土地とは、スサノオが見ている世界を表していると考えることができる。

    「生と死が繰り返される輪廻」を受け入れた瞬間に、世界の見方はガラッと変わることになる。「死生観」が変化すると生き方そのものが変化し、世界も変わる。

    『確かに存在する自己』を認識すると「見ている世界」が再構築される。それを意味するのが、土地を探し、名をつけ、そこに宮殿を建てること。世界が自分中心になるから、自分の見つけた土地(世界)として名をつけるのである。

    「生と死が繰り返される輪廻」を受け入れていない時、わたしたちはどこか流されるように生きているもの。『世界は既にあるもので、その中に生きている多数の人間のうちの一人が自分』というような感覚をもっているはずだ。

    けれど「生と死が繰り返される輪廻」を受け入れたのならば、新しい世界が生まれる。世界の中心が自分となることは「独裁者」のような世界の見方では無い。その時の自分と世界の状況を難なく受け入れながら、新しい世界を作ろうとしている状態である。

    櫛になったクシナダヒメ

    スサノオとの結婚が決まると、クシナダヒメはすぐにスサノオの神通力によってその身を変形させられ、小さな櫛に変えられた。櫛になったクシナダヒメはそのままスサノオの髪に挿しこまれ、ヤマタノオロチ退治が終わるまでその状態である。

    クシナダヒメ(wikipedia)

    実はクシナダヒメはヤマタノオロチと戦う前から櫛(くし)に変形している。このことが意味することについて。すこし前に、こんなことを書いた。

    物語とは全て人間のために書かれているもの。この物語においての現実的存在(人間的存在)は主人公の「スサノオ」だけである。だからこそ、読み手は「スサノオ」を「自分自身」として読み込むことが重要になってくる。

    八岐大蛇神話においての現実的存在は「スサノオ」だけ。ということは、クシナダヒメは現実の存在ではない。物になっているのだから、それは人間ではないのである。

    櫛であることは、スサノオの心の中にあるものを意味している。ヤマタノオロチが「スサノオの男性性」だったように、クシナダヒメは「スサノオの女性性」を表す。

    何故「櫛」なのかは、用途を考えれば分かること。髪をとかすものとしての道具である櫛は「永遠」を整えるものとしての役割である。人体の中で、伸び続けるものは髪や爪である。これらは永く続くものだから「永遠」を表す。

    輪廻というものは川の流れのように永遠に続くもの。人の数だけ流れが存在していて、それを整えるのが「櫛」なのである。「女性性」の役割とは輪廻という運命を規則正しく流すものであることがわかる。

    流れを堰き止めないこと

    繰り返された死(7回の女の死)を体験し、やっと8回目で女(死)を心の中に受け入れることができたのが、オロチを倒したスサノオ。

    7回続いた女の死の間は「死=犠牲」という考えであったから輪廻が受け入れられず、その流れは滞っていた。しかし、8回目では「死」の対極に「生」があることを理解し、輪廻が滞りなく流れることになった。そうして輪廻がやっと回るのである。

    女性性とは「受け入れる心」のこと。スサノオはヤマタノオロチと対決した際、負けを認める「心の死」を選んだ。一度心が死ぬような経験をしなければ心の中に「女性性」が生まれることはない。

    大切なものを守る決意

    八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

    さて、肝心なこの歌の意味について。8という数字が何度も登場するということは、魂のことを唄ったものであることがわかる。

    スサノオが心の中に手に入れた「魂の女性性の側面」は、妻のクシナダヒメとして表現されている。苦労して手に入れた「女性性」であるのだから、それはいつまでも続くように守らなければいけない。この歌は、新しい世界の中心に「女性性」を心に携えた自分(スサノオ)が居て、何層にも周りを囲ってその状態を守っているという情景。

    「八雲立つ」というのは多くの新しい魂が生まれること。そして「八重垣」はそれら『男性性と女性性が合わさりひとつになった新しい魂(生)』を大切に囲むように幾重にも作られている。

    魂を守る輪廻

    実は、「八重垣」は輪廻を表している。魂を守る為に、輪廻を作り出すのが「女性性(クシナダヒメ)」を手に入れた「男性性(スサノオ)」なのである。

    スサノオの髪に刺された櫛(クシナダヒメ)は輪廻の流れを整えている。滞りなく流れている状態を永遠に保つために、八重垣という輪廻を作る。輪廻とは何度も同じようなことが起きること。何度も同じことを経験するからこそ、わたしたちは絶対に手放してはいけない「女性性」があることを知る。

    1〜7という多数の経験の終わりには、8という理解を迎え、魂が完成する。この1〜8の流れがあるからこそ新しい魂が生まれるのだ。魂とは永遠であり輪廻というループの中にある。そのループは、8という完成を迎えたら最初の1に戻る。

    終わり(8・死)と始まり(1・生)は重なっているから、魂の完成こそが魂の始まりとなる。それを教えてくれるのが、八岐大蛇神話なのである。

    完成(8)を恐れない

    出雲大社の雲が7つであることについて『8つ目の雲が描かれたら完成してしまうから』という謂れがあった。そしてヤマタノオロチ退治でも、スサノオの活躍によって8人目の娘は犠牲にならずに済んだ。

    ヤマタノオロチの中には「8つの男の魂」と「7つの女の魂」があるから、もうひとつ女の魂があれば『8組の男女の魂』が揃うことになる。けれど、8人目の娘(8つ目の魂)が食べられてしまいそうなところをスサノオが救うのであるから『8組の男女の魂』が揃うことはない。

    ヤマタノオロチ退治についてこう書いたけれど「8組の男女の魂」は揃っている。「完成」は輪廻というオロチの中ではなく、スサノオの心の中で起きたこと。8回目の「完成」は目に見えないものだから、わたしたちは信じるしかない。完成とは『男性性と女性性の心の中の結婚』である。

    後編に続く

    長くなってしまったので今回はここまで。たくさんの話をしたけれど、まだまだ続く出雲大社の謎解き。出雲大社も神魂神社も元々は「8つの雲」だったこと、その雲は何故神社間を移動するのか?

    今回の記事で8という数字について解説することができたから「出雲大社の雲」と「神魂神社の雲」の繋がりをばっちりと紐解けるはず。果たして上手くまとめられるのか。

    後編はこちら

  • よーさんの「妄想かいてくよー」の解説をする その4

    よーさんの「妄想かいてくよー」の解説をする その4

    このブログへ辿り着く人のほとんどは「よーさん 予言」 で検索をかけている人らしい 。そろそろ「よーさん」以外のコンテンツでもこのブログを認知してもらいたいものだが、みなさん「よーさん予言」の情報を欲しているということなので、第4弾を書くことにしました。

    ところで、よーさん予言に関する記事を書き始めてだいぶ時がたった。改めて「その1」から読み直してみると面白い(自画自賛)。「その1」〜「その3」まで、私自身の理解度に合わせて記事の内容にも変化がある。

    「その1」では男性性と女性性の理解度が低すぎて、混乱があった。現在は完全に理解しました!

    「その2」はとある方のコメントを取り上げてバトルしてみた。

    そして、「その3」は答えを出すつもりで書いたけど、やはりわかりにくかったかもしれない。

    ということで、今回も「よーさん予言」の理解度を上げてもらうための記事を書いてゆきます。記事中ピンクのボックスは「よーさんの言葉」。読み終わればその言葉の意味がわかるようになるかもしれない。

    1と2と3は生命(宇宙)の基礎

    2→1→2→3の流れ

    よーさん記事にはコメントを色々いただいている。ありがとうございます。その中でも本質を突いたコメントをさっそく引用させていただく。

    2→1→2→3の流れが、生命の誕生に至るまでの流れそのものですね!

    このコメントを読んで、まさしく!と思った。『2→1→2→3』という流れがどこから出てきたのかというと、よーさんのこちらのコメントから。

    二つはある人たちにより混ぜられ一つになっているが、それが元の二つに戻ろうとしてる/でもそろそろ三つにしても良いなって世界が思ってる

    生命の誕生に至るまでの流れとは、精子と卵子(2→)が出会って受精卵(1→)になって、そこから細胞分裂していくという(2→3)こと。

    結局のところ1と2と3とは、生命とか地球とかの基礎になるもののこと。例えば、「男(1)」と「女(2)」が出会って「新しい命(3)」が生まれる。1と2は種類の違うもので、それらが合わさったものが3ということ。

    『2→1→2→3』という流れはこうも解釈できる。「自分(3)」が「父(1)」と「母(2)」から生まれた存在であると自覚しているならば『2(男と女)→1(自分)』という所までの流れを意識できている状態。

    そこから進んだ状態が『2→1→2』。現代の私たちは1(男)と2(女)の違いをすごく意識し始めた。昨今、ジェンダー問題の議論が盛んになっているようであるけれど、それはわたし達が性別の違いを強く意識し始めたから起きている。

    ここまでの流れは『2(男と女→1(自分)→2(自分の中にある分別の意識)』ということ。「分別の意識」とは違いを強く感じること。

    そしてさらに進んだ状態が『2→1→2→3』となる。最後の3は分別の意識があることを認め、自分自身が父と母(1と2)や男と女(1と2)など、どちらの要素も含んでいることを認めた自分のこと。最後にやっと「本当の自分」に気が付くという流れである。

    この3を「本当の自分」と言うのは大袈裟かもしれないが、この3までたどり着くことが困難なのだ。流れの全てをまとめると『(男と女→1(自分)→2(自分の中にある分別の意識)→3(自我)』。

    「本当の自分」を「自我」と表現したけれど、それは3に辿り着いたときに意味がわかると思う。自我については他の記事にも詳しく書いているので、そちらもどうぞ。

    全ての存在は既に3

    この世界に存在する目に見える物の基本になるものは原子である。「原子核(1)」と「電子(2)」で構成されているのが「原子(3)」。さらにミクロの世界を覗くと、「原子核(3)」は「陽子(1)」と「中性子(2)」で構成されている。

    陽子や中性子を、さらにミクロな世界で観察すると「クオーク」という素粒子で構成されていることがわかる。「クオーク」は、アップ(1)・チャーム(2)・トップ(3)というグループと、ダウン(1)・ストレンジ(2)・ボトム(3)というグループになっている。

    アップクオーク2個とダウンクオーク1個で陽子(3)に、アップクオーク1個とダウンクオーク2個で中性子(3)になる。やはり、1と2で3である。ともかく、1と2と3は基礎だということがわかる。

    原子をさらに観察すると、原子核の構成が見えてくる。原子核をさらに観察すると、陽子と中性子の構成が見えてくる。このようなマクロからミクロへの世界へは、マトリョーシカのような入れ子状態であると言える。そしてそれは永遠に続いている。

    この世界は入れ子状態であるのだから、3は1と2を内包している。つまりは、全ての存在が3であると言える。

    『2→1→2→3』という流れの「3」に辿り着いた時、この世界は『3→3→3→3→…』だったと気が付くことになるだろう。

    三つが分かっても何があるわけじゃなく、隠されてる様な事でもない常識的な事だ

    今までの記事と今回の記事の違い

    これまでの記事を1と2と3それぞれの世界で表現してきたのは、わかりにくかった部分もあるかもしれない。今回の記事では、1と2と3を生命の基礎として表現しているけれど、この基礎がそれぞれの世界を作っている。

    「その1」や「その2」の記事で表してきた「3つの世界」は、『悪を憎む世界(悪)』、『平和だけの世界(善)』、『悪も憎まず平和も求めない世界/悪を憎み平和を求める世界(善と悪)』というもの。

    「悪の世界」と「善の世界」も性質が違うもの。この世界は種類や性質が違うものだらけなので、1と2はわりと何ででも表すことができる。けれど3だけは、性質が違うものが合わさったものだということが重要。

    今までの解説はマクロな視点。今回の解説はミクロな視点として考えてもらうとわかりやすいかもしれない。今までの解説は目に見えるものとしての1と2と3、今回の解説は目に見えないものとしての1と2と3ということである。

    目に見えないものとは、原子や素粒子で表されるミクロの世界とか、意識の中(精神)のこと。

    情報を機械的に分別する人間

    1と2(性質の違うもの)は矛盾している?

    「その2」の記事の中で、とある方のコメントを取り上げた。

    1と2は矛盾してる、これが基本。それを両方自分にしちゃってるのは、貴方がまだ我慢してるから。

    このコメントには『人間らしさ』がわかり易く表現されているから、再び取り上げさせてもらう。このブログを書いているわたしは善と悪の性質を両方自分のものとしている様だけれどそれは我慢しているよ(無理しているよ)、というわたしへの指摘コメントであった。

    現代人は基礎を忘れている

    指摘のように、確かに『相反する性質が両方自分である』と理解することは難しいのである。なぜ難しいのかと言うと、現代は生命の基礎を忘れている人が多いから。

    先ほど述べた流れで言うと、現代は『2(男と女)→1(自分)→2(自分の中にある分別の意識)』というところまでやっと来た。『自分の中にある分別の意識』にやっと気がつき始めた時代である。つまりは、生命の基礎を思い出そうとしている時代。

    分別(判断)を繰り返している人間

    わたし達人間はみんな相反する性質を抱えている。人間を含めた全ての存在が、相反する性質を抱えているものなのに、それを認められない。認められないのは何故なのだろうか?

    人間は分別(判断)をする生き物で、どちらかに決めるのが普通になっている。例えば自分自身を、善か悪かどちらかの存在として決めておきたい、という意識が染み付いていたりする。

    人間は地球に生まれてから今まで、分別(判断)を何度も繰り返して結果を出してきた。結果とは現在である。分別(判断)という作業に慣れきった現代人は、物事が『どちらかの状態であること(結果)』に安心するのだ。

    『分別(判断)と結果』の例をあげればキリがないけれど、例えば人間からは、男か女が生まれる。生物学的に中性な人間は生まれないのが当たり前。人間が子供を作るたびに男か女かの分別がされ、結果として「生まれる」。

    分別病

    世代交代を繰り返しながら地球に永く生きている人間は『分別(判断)からの→結果(どちらかの状態)』という経験をずっとしている。その経験は遺伝子に染みついているから「相反する性質」両方を自分の中に抱えることに違和感を感じることになる。これはもう現代病みたいなもの。

    結果を出すことによって『性質がどちらかに決まる』というのが当たり前になっているから、『性質が決まらない状態』を「居心地が悪い」と感じる。だからこそ、自分の中に『相反する性質両方が存在していること』を認められない。

    人間には「脳」という思考をもたらすものがあり、自我もある。自我によって情報を書き記し残す生き物。過去生きていた人が情報を残し、それを後世の人間が学ぶ。わたし達は自分自身の経験だけでなく、残された情報から繰り返し学習も行なっている。

    例えば、第二次世界大戦で日本はアメリカに原爆を落とされて降伏した。この情報からわたし達は「アメリカは勝利」「日本は敗北」という判断をしているから、それが結果となっている。日本人には「日本は負けた」という意識が強く染み付いていると思う。

    そして『原爆が落とされたこと』について、日本人であるわたしたちの意識は「悪」であると判断している。原爆投下が「善」という判断になることはほとんど無いはずだ。このように人間は過去の情報についてもはっきりと分別をしていることが分かる。

    残された情報からも『分別(判断)からの→結果(どちらかの状態)』を学んでいるのだから、しつこいくらいの経験と学習である。それがこの現代病を作り出している。

    情報と進化

    もしも、過去の情報が全く残っていなかったら、一からの学習になるので人間は生命の基礎を忘れないであろう。けれど人間は過去の情報から進化する存在なので、そういったことにはならないし、情報を残さないのは「人間」では無い。

    進化の代償として生命の基礎を忘れる人間。取り入れる情報が増えれば増えるほど、生命の本質から離れていくことは少し悲しい。

    情報に苦しめられる人間

    こちらの記事で「アンドロゲン不応症」という病気について少し触れた。「リング」という物語に登場する「貞子」は「アンドロゲン不応症」という設定なのである。原作小説の設定であるが。

    この病気は遺伝子的には男性なのに、実際の身体は女性という珍しいものである。生物学的に中性な人間は生まれない、と言ったけれどある意味「アンドロゲン不応症」は中性であるのかもしれない。

    けれど、わたしたちは意識で当たり前に男と女を分別しているので「アンドロゲン不応症」という名前をつけて「普通」とは違うものとして捉えてしまう。

    『遺伝子的には男性で身体の造りは女性』という事実に直面したとしても、違和感を持たず、何も感じない状態でいることができるだろうか?

    一瞬でも『普通とは違う』と感じたのならば、『男と女を分別する意識』を持っているということになる。けれどそれが当たり前の人間。

    「リング」では呪いのビデオテープが広まることで「貞子の呪い」が広がる。物語の中にはテレビやビデオテープや電話が象徴的に登場する。それらはどれも情報が伝わるもの。

    わたしたちはありとあらゆる情報を、機械的に分別(判断)して決定をする(結果を出す)生き物。けれど、自らが導き出した単純な結果から苦しめられている。それが情報による「呪い」なのである。例えば映画「マトリックス」に登場する黒電話も『情報を伝えるもの』。

    ネオは、始めプラグに繋がれ夢を見ている状態であったが、プラグを外され現実世界の真実を知った。そこからまたプラグを繋ぎ「マトリックス」内へ。「マトリックス」は「意識の中(目に見えないもの)」を表している。

    黒電話はマトリックス(意識)と現実世界を繋げるもの。意識の世界と現実世界は情報が行き来している。わたし達の生きる現実世界とは、情報を伝えるもの(黒電話)から情報を受け取って目に見えるものとして表現する場所である。

    関連記事:精神世界(意識)と現実世界の行き来について

    人間は情報に直面すると、意識の中(マトリックスの中)で分別を始める。分別し「悪(エージェント)」と決定したものとさらに意識の中(マトリックスの中)で闘う。

    わたし達は、情報の中から意識で「悪」と分別(決定)したものを、現実にそのまま持ち込み「悪」と見立てて戦うことがある。それが戦争などである。意識の世界と現実世界は密接に繋がっているから、戦争は起きる。

    ネオはマトリックスの中(意識の中)で無数のエージェント(悪)と戦闘するけれど、マトリックス内で攻撃を受けると、現実の肉体も傷つくことになる。

    恐ろしいことに、情報を意識で「悪」と分別してしまうと現実にも「死」をもたらす。同じく「貞子」のビデオテープの「呪い」は見るものに「死」をもたらすが、それもやはり発端は情報(ビデオテープ)なのだ。

    情報とそれを分別する意識はわたし達人間にとって「死」を強く感じさせるものとなってしまう。しかし「死」とは一つの結果である。

    人間(生命)は本来相反する性質を両方持ち合わせているから「死」と「生」両方の性質を持っているのに、「死」という片方の結果にひどく怯えている。分別して一つの結果ばかりを導き出してしまうからからこその「呪い」である。

    「貞子の呪い」はビデオテープから広がるのであるけれど、ビデオテープをダビングすると「貞子の呪い」から(「死」から)逃れることができる。「死」から逃れようとするから「呪い」は広がってしまうのである。

    「呪い」の発生原因は人間が『分別して結果を出す』から、「呪い」が伝染していく原因は人間が『死を恐れる』から。

    本当の自分を知ることは怖いこと

    「マトリックス」の冒頭、現実に存在しているプログラマーとして働いているネオは、分別している自分自身に気がついていない状態。本当の自分を知らない状態である。

    けれど赤い薬を飲んで『分別する自分(本当の自分)』を知ると言う選択をした。だからこそ意識の中でエージェント(悪)と戦うことになる。『分別する自分自身』が現実に起きる「悪」の原因であることを理解する過程が始まるのである。

    「普通」であること

    「貞子」は両性具有ともいえる「アンドロゲン不応症」であり、自分自身が『普通ではない』ことを自覚している。「貞子」には超能力があり、そのことについても周りの人間が『普通ではない』と決定していた。

    『普通であること(分別をし、どちらかに決定すること)』も「呪い」の原因となるが、『普通ではないこと(相反する性質を持っていること)』も「呪い」の原因になる。

    「貞子」は「普通でありたい」から「呪い」を広げる。言い換えれば「貞子」は『自分自身が普通ではない』ことを『普通であること』に変えたいということ。だから、人間の意識(常識)を変える為に「呪い」を生んだ。

    「普通」ではないこと

    貞子から「呪い」が生まれたのは「憎しみ」が原因だと考えるかもしれないが、人間は本来『相反するものが違和感なく混ざり合っている存在』であることを多くの人に知って欲しいという強い意識から生まれている。それが「女」の根源的な願いである。

    けれどそれは「彼女」以外の人間には大きな「呪い」となってしまう。人間が「本当の自分」を知る過程を経験するのはとても辛く苦しいこと。

    男性は「単独(1)」という性質を持っている。対して女性は「二重(2)」の性質を持っている。「二重性」とは『相反する性質』両方持っていること。女性は世界に「二重性」を保つために存在しているから、必然的に「呪い」を広げる存在となってしまう。

    「単独」である男性は「二重(女性)」という性質を知らないから、「呪い」という「二重性(本当の自分)」を知らしめるものに苦しめられる。自分に無いものを理解することは難しい。

    男性に限らず『相反する性質が両方自分である』と感じられない現代人にとっても、その「呪い」はとても厄介なものとなる。

    けれど男性女性関係なく、誰だって自分自身が『二重性(相反するものが違和感なく混ざり合っている存在)』であることに気が付くことができる。人間はそもそも『普通ではない』存在であることを忘れてはいけない。

    よーさん予言が理解できる人とできない人

    現代的「人間らしさ」

    「その2」でコメントを取り上げさせてもらった方は、かなりの現代人である。だからこそ、違う性質を両方「自分」とするのはおかしい、とわたしに伝えてきたのであろう。

    相反するものをどちらも自分のもの、とすることは現代人にとっては、我慢や無理をしているような感覚になってしまうもの。相反するものは矛盾しているから共存できない、という考え方を持っているのが「普通」である。これが現代人の考えている「人間らしさ」である。

    考え方が違うと仲良くできないから、距離を取るのが当たり前。思想が違う人とは絶対に分かり合えない。このような考え方を持っているのならば、現代人的な「人間らしさ」を持っていると言えよう。

    原始的「人間らしさ」

    わたしがこのブログを始めたのは『相反する両方の性質が自分の中に矛盾なく(無理なく)存在している』ということに気がついたことがきっかけ。『2→1→2→3』という流れ最後の「3」に辿り着いてしまった。

    脳細胞が変化するくらいな衝撃と共に『相反する性質の両方が自分の中に矛盾なく存在している』ということに気がついてしまった経験が過去にあった。その時からわたしの中の「人間らしさ」の基準は変わってしまったのだ。

    変わったというか、原始に戻ったのである。生命の基礎という当たり前のもの、つまり1と2という種類の違うものが合わさって3が存在している、ということを改めて意識し理解することは、原始の意識に戻ること。

    『分別(判断)→結果(どちらかの状態)』を繰り返し学んでいるのにもかかわらず、『相反する両方の性質が自分の中に矛盾なく存在している』ことに違和感を感じなくなる。

    どちらかの状態(結果)が現れている現実を生きているのに、相反するどちらの状態も含んでいるのが人間であることを理解するから、違和感がなくなってしまうのである。

    ちなみに量子力学では「重ね合わせ」という状態があるけれど、相反するものが同時に存在している状態である。「重ね合わせ」こそ生命の基礎である。

    人間(生命)とは、そもそも相反する状態を抱えているのが当たり前だと考えること。これを『現代的人間らしさ』の対極にあるものとして、『原始的人間らしさ』と名付けたい。

    「よーさん予言」が理解できる人とできない人の違い

    「人間らしさ」をどう解釈するか

    このように、現代人の多くが理解している「人間らしさ」と、わたしが今現在理解している「人間らしさ」は全くの別物なのである。「よーさん」は脳細胞が変化するくらいなレベルで「人間らしさ」の解釈が変わってしまった人。「よーさん」は原始の人である。

    原始の人であれば「よーさん予言」の内容が無理なく理解できるはずだ。つまり、「人間らしさ」の解釈によって、「よーさん予言」が理解できる人と、「よーさん予言」が理解できない人にはっきりと分かれてしまう。これが「よーさん予言」のからくり。

    「よーさん予言」が理解できない人

    「よーさん予言」が理解できない人は、人間が分別する(判断する)生き物であることに罪悪感を持っており、相反するものが自分の中に共存することを納得できない。

    「よーさん予言」が理解できる人

    「よーさん予言」が理解できる人は、人間とは分別する(判断する)生き物であることを腹の底から理解しており、相反するものが自分の中に存在しているのを実感している。

    人間らしさは大事だけど、人間らしさに縛られてはダメ、動けなくなってしまう

    脳細胞が変化するレベルの理解とは解脱のこと

    理解している人について

    よーさん予言の記事にコメントをくれた方々は、『現代的人間らしさ』を持っている人がほとんどであった。しかし『原始的人間らしさ』を持っている人もいるみたい。とあるコメントを引用させてもらう。

    初めまして。よーさんの妄想と関係あるかはわからないのですが、「三つが本当に脳細胞が変化するぐらいのレベルで理解」を経験してから「虚無」を感じなくなったんですが、pancyanさんも同じような経験をされた方ですか?

    自分の中では3つについては世界がどうとか全然関係なくて、もっとシンプルで分かり易いものなんですけど。

    この方は、1と2と3がシンプルで分かり易いものだと気がついている。ということは、1と2と3が当たり前のものだと理解している。そしてやはりこの方も脳細胞が変化するぐらいのレベルで理解が起きているようだ。わたしも同じく「虚無」を感じなくなったから、同じ体験をしているのだろう。

    虚無感が何故発生するのか?

    人間に「虚無感」が発生する理由は、生命の基礎について理解できていないため。虚無を感じるのは『何故生きているのか?』という問いが発生してしまうから。そしてその答えがはっきりと出せないから虚無を感じる。

    しかし、生命の基礎を理解していると『何故生きているのか?』という疑問はなくなる。『生きていること』が当たり前になるので。

    人間は高度な知能を持った生命体であるからこそ、理解できないことがあるともどかしくなる。「虚無感」とは思考してしまう生き物しか感じないもの。

    当たり前のことに気がつくことを「解脱」と言う

    誰でも知っている当たり前のことをもう一度強く意識してみることが、「よーさん予言」を紐解くコツである。当たり前のことにはっきりと気がつくことをわたしは「解脱」と言っている。一周回って、世界が当たり前すぎてびっくりするのが「解脱」という体験。

    世界が「愛」でできている!世界は「無」である!という気づきは結構よくある。世間では「アセンション」とか「悟り」とかいう言葉で表現されているのかもしれない。精神世界やスピリチュアルに興味が強い人は、そのような体験をしているかも。

    しかし、世界は「1と2と3」でできている!という気づきが「解脱」である。このブログでは「悟り」ではなくて「解脱」をメインに解説している。だからちょっと異質であると思う。1と2と3という生命の基礎は当たり前すぎて、逆に説明が難しいもの。

    当たり前のことだから別にわざわざ「解脱」とかいう名前をつけて話す内容でもないのである。「解脱」と言うと凄そうなものに思えるけどそうでもない。

    三つが本当に脳細胞が変化するぐらいのレベルで理解したら、自然と辿り着けるようにできてる

    視点はひとつだけ

    最後にこちらのコメントを引用させていただきたい。

    もっと広い意味だと、3つとは視点。

    円錐を見せられて、ある人は横から見て三角だ!ある人は上から見て丸だ!と。本当は円錐なのに。

    丸だ!三角だ!ケンカする始末。戦○に発展しなけりゃいいね。偏りきってる人は怖いね。どこにでも正義マンはいるもんだね。

    このコメントをくれた方は、1と2と3をそれぞれの視点として見ている。1と2と3はそれぞれ違う存在なので間違いではないのだけれど、視点(見え方)だけで考えるのは「本質(生命の基礎)」から離れていってしまうので注意が必要です。

    この世界には3という視点しか存在していない。1と2の視点は想像(空想)でしかない。3とは自分(あなた)です。3という存在だけが世界の見え方を決定している。

    この世界には自分しか存在していないのだから、視点だって自分だけしかない。意味がわからないかもしれないけれど、原始に還ってみれば理解できるはず。原始とは子供の心のようなもの。子供は経験が少ないから分別をはっきりとできない。

    三つ目が難しいのは、自分でいろいろやらないといけないから/子供の頃の方が楽しい、そんな感じ

    ということで、「よーさん予言」の解説その4でした。今までで一番分かり易く書けたのではないかと思うけど、どうだろうか。読んだ感想などはぜひぜひコメント欄にどうぞ。お待ちしております。

    陽子に関するおもしろニュース

    これまで物理の教科書には「陽子は2個のアップクォークと、1個のダウンクォークが結合したものである」と書かれていましたが、これからは、さらにチャームクォークと反チャームクォークのペアを加えて記入する必要があるかもしれません。

    陽子に新たな素粒子が含まれている可能性が浮上!教科書に書き直し必須か?

    タイムリーに陽子に関する新しいニュースを見つけました。なんと、陽子は3つのクオークだけで成り立っているのでは無いのかもしれない!とのニュース。

    チャームクオークという新たなクオークも含まれているかも?との結果が出てきたとのこと。結果は人間の意識で変えることができるものだけれど、まだ決定していない状況であるとき、含まれているものはあらかじめ大体決まっている。

    科学の世界で人間の予想が当たるのは、いくつかの選択肢はあらかじめ決まっているから。大まかなあらすじは決まっているのだから簡単な選択を楽しむべきだとわたしは思う。

  • 出雲大社御神体の謎を解き明かす 前編

    出雲大社御神体の謎を解き明かす 前編

    諏訪大社について書いた記事にある日こんなコメントをいただいた。

    諏訪大社の御神体が人間そのもの、というのは全ての存在が人間そのものだとは思いますが、その通りらしいですが、出雲の御神体が人間そのもの、という面を読め、と来ました。
    すみません、まだ私には答えが降りてきてないですが、その意味をpancyanさんがわかると降りてきたので、コメント残させていただきます。

    わたしは『諏訪大社の御神体は人間そのもの』というようなことを、その記事に書いていた。コメントをくれた方は『出雲(大社?)の御神体こそが人間そのものである』と教えてくれた。(諏訪大社について書いた記事、今読むと文章がまとまっていないと感じる。書き直したい。)

    出雲大社の御神体についてとりあえず色々調べてみたところ、謎が多く気になる。コメントによるとわたしには何かがわかるらしいので、今回の記事は出雲大社の御神体について紐解いていくことにします。

    出雲の神 大国主

    大国主神(おおくにぬしのかみ)は、日本神話に登場する神。国津神の代表的な神で、国津神の主宰神とされる。出雲大社・大神神社の祭神。

    大国主(wikipedia)

    出雲大社に祀られている神様(御祭神)は大国主という神様。そして今回の記事のテーマは『出雲大社の御神体について』である。ここで一つ気になったのが「御祭神(ごさいじん)」と「御神体(ごしんたい)」の違い。その違いについてあまり考えたことはなかったのでちょっと検索してみた。

    御祭神について

    元々神道は海・山・川などを畏敬の対象の神体とする自然崇拝から始まったものであり、初期の神社では、そこに祀られる神には特に名前はないか、不詳であった。

    延喜式神名帳でもほとんどの神社は社名しか記されていないことから、延喜式が編まれた10世紀初頭ごろまではほとんどの神社の祭神には特に名前がついていなかったことがわかる。

    祭神(wikipedia)

    神社に祀られている神様を「御祭神」と言う。現代では『神社=御祭神』という 図式が定着しているが、元々神社は自然崇拝から始まっており、人格のある神ではなく、海や山や川などが信仰の対象になっていた。

    古事記や日本書記には伊勢神宮や住吉神社の「御祭神」の存在が記述されているという。伊勢神宮の「御祭神」は天照大神という神。御祭神を祀るための神社の登場は、伊勢神宮が創られた頃なのだろうか?

    御神体について

    神体(しんたい)とは、神道で神が宿るとされる物体で、礼拝の対象となる。 宗像大社では沖ノ島、大神神社では三輪山が神体とされ、皇大神宮では三種の神器の一つの八咫鏡とされるなど様々である。

    その他、神道における「世界観の世として」の神代(かみしろ)や古神道の神奈備(かんなび)や皇室神道の神器(じんぎ)や古代からある神殿や神社神道の社(やしろ)や注連縄の飾られる場所やものなど、いわゆる御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)といわれる神の宿る、降りる(鎮座する・隠れ住まう・居る)場所や物も神体という。

    神体(wikipedia)

    神が宿るもの・神が降りる(鎮座する・隠れ住まう・居る)場所や物を「御神体」と言う。

    に降りる場合は神籬(ひもろぎ)または御神木(ごしんぼく)
    に降りる場合は磐座(いわくら)または岩坂(いわさか)
    に降りる場合は神奈備山(かんなびやま)

    出雲大社の歩き方

    引用させてもらったように、神が宿るものによって名称が変わるのは面白いですね。ところで、伊勢神宮の内宮に祀られている「御神体」は八咫鏡(やたのかがみ)である。つまり、天照大神が宿るのが八咫鏡という「御神体」。ちなみに外宮にも豊受大神が宿る「御神体」があるらしい。

    目に見えるもの(御神体)と目に見えないもの(御祭神)

    「御祭神」と「御神体」の関係性。元々は自然崇拝から始まった神社。海や山や川という自然から、神様という人格を持ったものを崇拝するようになったけれど、それは実際目に見えるものではないから場所や物を依り代(御神体)としている。

    人間は「実在性(目に見えるもの)」を重視しているはずだ。依り代として物体を祀ること・神が人格を持つことは実在性を強く感じる為だと考えられる。『自然が神』などと言われても、どこかふんわりとしていて、それを信じるには何か強い確信のようなものが必要だ。

    神社の境内の中にある樹齢何百年もある大木を見て、そこに神がいると感じることはあるかもしれない。けれど、道端のアスファルトの割れ目から生えるなんだか強そうな外来種の雑草に神を感じることはできるだろうか?

    古代の自然崇拝とは『全ての生きとし生けるもの』を神とするものだった。しかし、現代はどうだろう。わたし達はいつだって分別をしていて「神っぽいもの」とそうではないものにも分別をしていると感じる。さらには、目に見えていて尚且つ多くの人のお墨付きがあるものでなければ、信じることが難しいのが現代なのかもしれない。

    何かを信じる時「目に見えているもの・信頼があるもの・確実なもの」で安心するのならば、「目に見えないもの(神)」を信じることができなくなってしまった証拠なのだと思う。

    神社の役割について

    神と対話する場所

    御祭神と御神体について考えてきたけれど、「神社」という場所についても考えてみたい。ついでに「神」についても。

    神社とは「神」に向き合う場所である。「神」とは心の中に存在するもので、そもそも目に見えないもの全ては人間の心の中に存在している。

    神社には「ご利益」を求めてお参りをする人が多いが、迷いについて答えを求めたり、願い事をする人もいる。とはいえ、実際願いを叶えるのは自分自身の力であるし、答えを決定するのも自分自身。

    単刀直入で申し訳ないけれど「神」は現実に存在しないのだから、人間は「神」というイメージを創造し手助けをしてもらっているだけなのである。

    (ちなみにこちらの記事では「神」の存在を力説しているわたしであるが、現実に存在しない「神」についての話なのであしからず。)

    神社で『神に向き合うこと』とは『心の中に存在する「神」というイメージとの対話』である。「私と神劇場」を自作自演しているようなものなのだ。

    共有されたイメージの力

    日本における「神」のイメージは、古事記や日本書記に記されるような神々であるが、現代においてその神々の神格は定着している。神社には必ず御祭神がいて、その「神」のイメージは既に多くの人に共有されているということ。

    目に見えていて尚且つ多くの人のお墨付きがあるものでなければ、信じることが難しいのが現代なのかもしれない。

    先ほどわたしはこのようなことを書いたけれど、多くの人のお墨付きがあるものは人間にとって信じやすいものになる。例えば、太宰府天満宮には「学問の神(菅原道真)」がいるから合格祈願に行く人が多い。そして実際に合格したのならば「神」のご利益があったと考える人もいるだろう。

    『神社に行ったらご利益があった』というストーリーがその場所に蓄積していくと、それが人間を信じさせるための大きな力となる。多くの人々に共有されたイメージは、人間が強く信じる為に必要なもの。つまり、神社は『神を信じやすい場』としてうまく機能している。

    そして、既に日本人に共有された「神」のイメージと相まって『神社と神』という最強の組み合わせとなる。多くの人々が神社を訪れるのは、共有されたイメージから自分の「力」を引き出す為である。

    弱さのある人間

    人間は自分に力があることを信じていないとき、神の力を借りる。人間の心は弱い。弱い心では強い行動ができないから、神社という「信じやすい場」を利用して自分を騙す。

    神社という場所で「神」に向き合うことで、願いを叶える為の努力を始めたり、迷いから抜け出すよう自分を仕向ける。「神」を利用することで自分の行動を肯定することもできる。

    「神」の役割は弱い心を補うだけではない。「神」と対話する手法で「自分の心」を解き明かすこともできる。自分の心を解き明かすためには、心を開示する必要があるから聞き手として信頼できる「神」は重宝される。

    人間にとって「神」は「自分の心の代理人」として存在している。「神」という人格に自分の心のうちを語らせることで、普段は出てこない心の奥底にあるものを知ることができる。自分の心のことがよくわからない人間こそ「神」を必要としているのだろう。

    人間の本体は心(魂/精神)

    人間の本体は心である。心は魂や精神と呼ばれることもある。それらは目に見えないから、つかみどころがなく人間には理解しがたいもの。人間にはよくわからないものが、人間の本体であるということは、人間最大の困難である。

    宗教で人の心が変化することがあるのは「神」と真剣に対話するから。心の中から何を引き出すかによって、良い変化が起きたり、悪い変化が起きたりする。日本では悪い変化が起きた結果、悲しい事件が起きたことがあったから、宗教のイメージは最悪である。

    宗教に所属せずとも「神」と会話ができてしまう人がいるようだけれど、その「神の声」が「自分自身の声」であることを理解できていないことは危険なこと。

    人間は「自分自身の心」のことを理解できないように、「神」のことも理解できない。「心」のことを理解できないまま「神」を利用するのならば、細心の注意を払うべきである。ということで、説明が駆け足であったかもしれないが「神社」と「神」についてのまとめ。

    神社は「神を信じやすい場」として機能しており、神は「自分の心の代理人」であるということ。

    出雲大社の御神体について

    大国主神の別名

    さて、やっと本題に入ろう。出雲大社の「御祭神」は先ほども述べた通り「大国主」という国津神である。「大国主」には別名がたくさんある。以前、崇神天皇についての記事の中で「大物主(おおものぬし)」についても書いたけれど、「大物主」も「大国主」の別名である。

    出雲大社の御神体は、謎

    「御神体」についてネットで調べたところ、様々な噂が飛び交っている。先ほども引用させてもらったサイト(出雲大社の歩き方)から、「御神体」と思われるもの一覧を書き出してみる。

    • 七宝の筥(はこ)
    • 九穴の鮑

    「御神体」と思われるもの一覧について、詳しくはリンクしたサイトをご覧ください。このような噂はあるけれど「御神体」の実際のところは分からない。しかしながら、ヒントとなるものは出雲大社の造りにあると思われるのだ。

    大社造(たいしゃづくり)の特徴

    出雲大社(いずもおおやしろ)に代表される大社造は、伊勢神宮に代表される神明造や住吉大社に代表される住吉造と共に、もっとも古い神社建築様式とされる。

    大社造(wikipedia)

    神様が住まう場所としての神社、御神体が納まる場所としての神社には、様々な形態がある。出雲大社は「大社造」と呼ばれる神社建築になっている。神社庁による社殿(神社)の説明によるとその形態には大きく分けて2つあるそうだ。

    建物自体、細部まで見るとその違いは多岐にわたりますが、大きくみてその様式を二つに分けることができ、一つは高床式の穀物蔵の形から発達した「神明造」であり、もう一つは古代の住居の形から発達した「大社造」となっています。

    神社本庁

    出雲大社に見られる「大社造」は古代の住居から、伊勢神宮に見られる「神明造」は高床式穀物蔵から、という違いがある。住居用と食物貯蔵用の違いは大きい気がする。今回の記事を書くにあたって「大社造」の気になる特徴を一覧にしてみる。

    • 男造(おづくり)・女造(めづくり)
    • 心御柱(しんのみはしら)・宇豆柱(うずばしら)
    • 9本の柱
    • 正方形の「田の字」の形
    • 「妻入り」という出入り口
    • 本殿天井の「八雲之図(やくものず)」
    • 本殿内の「御客座五神」と「和加布都怒志命(わかふつぬしのみこと)」

    とりあえず羅列したけれど、これだけの特徴があれば、出雲大社の御神体について紐解くことができるはず。ずうずうしくも、UOZAブログ的考察で解き明かしていきたいと思う。

    出雲大社「大社造」の秘密を解き明かす

    御神体は西を向いている

    出雲大社の謎のひとつに『御神体が正面を向いていない』というものがある。大国主の宿る「御神体」は出雲大社の本殿にある。通常は本殿を直接参拝することはできず、「八足門(やつあしもん)」から参拝することになっている。公式サイトの境内図を見ると、八足門から伸びる壁が本殿をぐるりと囲んでいる。

    大国主を拝するのに八足門に向き合い参拝するのであるが、肝心の御神体は向かって左(西側)を向いているのである。参拝したとしても御神体と向き合うことにはならない。

    一般的な神社本殿は南か東を向いて造られていて、同じく御神体も本殿の正面に合わせた向きで配置されている。出雲大社の本殿も同じく正面が南を向いているのであるが、中にある御神体は西を向いているのである。

    ネット検索すると西を向いていることについても様々な説が飛び交っている。それら説を見比べることも面白い。

    本殿の内部構造

    出雲大社本殿内部の見取り図を、出雲大社公式サイトから引用させていただきます。

    third-img2-1

    御本殿出雲大社)

    このように、正方形の建物の中に東を向いて「御神体(御神座)」が納められている。この構造の面白いところは、入り口の扉を開け建物に入ると正面には壁があるところ。だから、ぐるりと右回りするような形で進むと「御神体」に対面することになる。

    wikipediaから引用させてもらった以下の画像を見ればわかるように、この構造は「男造」というものになる。対称的な構造として「女造」がある。例外もあるが、男神なら「男造」女神なら「女造」となっているようだ。

    大社造

    真上から見た男造(左)と女造(右)のイメージ(wikipedia) Kamdoomi – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, による

    一般的に出雲大社や熊野大社に代表される男造の神社は主祭神が男神となっていることが多く、神魂神社や揖屋神社に代表される女造の神社は主祭神が女神となっていることが多いとされる。

    大社造(wikipedia)

    この二つの構造を初めて知った時、人間の心(精神)の造りとまったく同じであるということに、わたしは気がついた。「男造・女造」を重ね合わせると「心の構造」になっているのだ。

    心の構造と大社造

    「男造・女造」を重ね合わせたものと「心の構造」が同じであることについて解説していきたいが、「心の構造」がどうなっているか、人間はあまり知らない。

    けれど、わたしはこのUOZAブログで「心の構造」について既に説明してきている。「この世界の真実」という記事では、わたし達の生きているこの世界の仕組みについて解説したのであるが、その記事の中で使用した以下の図を見てほしい。

    truth-of-this-world

    この図の中には、赤い実線の矢印で表される『未来に進む時間(現実世界)』と、青い破線の矢印で表される『過去に戻る時間(精神世界)』がある。大社造の「男造・女造」それぞれの構造は、この『未来に進む時間・過去に戻る時間』と同じものだと考えられるのである。

    この図は「心の構造」の見取り図であるけれど、わたしが考えたものであるし、この図が正しいことを証明するのは難しいかもしれない。けれど、今回出雲大社の御神体について紐解いていくことで、この図が人間にとって普遍的なものであることを逆に証明していきたい。

    ということで、とりあえず話を続けてゆく。

    未来に進む時間・過去に戻る時間について

    頭の中で起きていること

    まずは時間についての話をしておきたい。人間は現実世界を生きていて、時間が流れるから歳をとる。そんな当たり前過ぎることが『未来に進む時間』。図の中の、赤い実線で表される右回りの流れである。

    次に『過去に戻る時間』について。現実の時間が過去に戻ることはないけれど、人間の頭の中では時間が逆行している。このことにはっきりと気がついている人はあまりいないけれど、図の中の青い破線で表される左回りの流れがそれを表わしている。

    2つの時間の流れ

    わたし達人間は、毎日判断をしながら生きている。生きているときの全ての行動は判断の結果であり、そこには自由意志がある。

    例えば学生や社会人は、朝目覚めたら学校や会社に出かけるための行動を始める。それら行動は義務のようなものであるけれど、各個人の判断の結果でもある。時には自己判断で学校や会社を休むこともできるし、辞めることだってできる。

    次にどんな行動をするのか常に頭の中で考え、決断し、行動に移しているのがわたし達人間。意識していないかもしれないが『過去の参照→分析→実行』という一連の流れが、人間の頭の中で起きている。

    わたし達人間は過去に起きたことを記憶している。過去の出来事を参照し、分析し、自分にとっての最適解を出しながら行動している。この繰り返しをしているのが人間なのであるから、人間の行動を決定付けるものは記憶という過去の出来事なのである。

    流れの中の「過去の参照→分析」部分が『過去に戻る時間(左回り)』のこと、「実行」部分が『未来に進む時間(右回り)』のこと。この2つの時間の流れは「心の構造」の中で重要なものである。

    心とは何か

    心の働きは流すこと

    頭の中で起きていることが「心の構造」と言うのには違和感があるかもしれないが、「過去の参照→分析」という計算が頭の中(脳)で行われているだけで、実際に一連の流れを起こしているのは心(心臓)部分なのである。

    人間は心臓が止まると死んでしまうが、動いているときは「生きて」いる。人間が「生きて」いるには血液が「流れる」ことが必要であるし、2つの時間が進むにも「流れる」ことが必要。

    頭(脳)の働きは計算すること・心(心臓の)働きは流すこと、という違いがあるけれど、流れが止まっていたら計算もできない。だからこそ心(心臓)の働きが重要。

    右回りと左回りの重なり合い

    右回り(未来に進む時間/実行)と左回り(過去に戻る時間/参照と分析)が休まず同時に行われているのが人間の心。心とは、右回りと左回りが重なり合うもの。わたし達は誰もがこの重なり合いを体験しているのであるが、それについて意識している人は少ない。

    UOZAブログでは、いくつかの記事で心の重なり合いを解説してきたのであるが、「大社造」には既にこの「心の構造」が表現されているのだ。

    大社造と国産み神話の共通点

    天の御柱を回る神々

    同じく島根県にある「神魂神社」は日本最古の大社造建造物であり「女造」である。御祭神は伊奘冉(イザナミ)という女神。ところで、日本神話には「国産み神話」というお話がある。その中でイザナギ(男神)は天の御柱(あまのみはしら)を左回りに、イザナミ(女神)は天の御柱を右回りし、出会ったところで交わり国を産む。

    大社造

    真上から見た男造(左)と女造(右)のイメージ(wikipedia) Kamdoomi – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, による

    ここでもう一度「男造・女造」の図を見てほしい。男神は左を正面に向いていて、そのまま歩き出すとすれば心御柱(しんのみはしらを左回りすることになる。そして、女神は右を正面に向いていて、そのまま歩き出すとすれば、心御柱(しんのみはしらを右回りすることになる。

    「大社造」は、そのまま「国産み神話」と同じ構造になっている。「国産み」とは人間世界の始まり・宇宙の始まりのこと。世界の始まりには、右回りと左回りしている「心の構造」が大きく関わっているということを、「大社造」と「国産み神話」は伝えているはずなのだ。

    「国生み」について詳しくは他の記事をどうぞ

    心の状態が生まれる瞬間

    右回りと左回りが同時に行われることで「国を産む(世界が始まる)」ということについて今回の記事では深堀りしないけれど、以下で紹介する2つの記事に書いているのでそちらを読んでほしい。

    関連記事:2つの時間の重なりが因果を生む

    「2つの時間の重なりが因果を生む」という記事の中では、仏教用語である「異熟果」の解説をしている。「異熟果」をわかり易く言うと「心の状態」である。「心の状態」は、右回りと左回りが交差する瞬間に現れるものである。

    現実世界の時間の流れは過去から未来へ。精神世界の時間の流れは未来から過去へ。その時間の流れが交差する瞬間が「今という瞬間(異熟果)」である。そして、この世に現れる森羅万象を創造している(入力と出力を同時に行う)のが、現在の「自分(自我)」である。

    『この世に現れる森羅万象を創造すること』とは『国を産むこと』。2つの時間が流れていることで、交わり、現実が産まれている。詳しくは記事でどうぞ。

    世界の投影が行われる瞬間

    関連記事:この世界の真実(最終解答編)後編

    「この世界の真実(最終解答編)」という記事の中では、今回の記事にも引用した図について解説しながら「この世界の仕組み」を解き明かしている。以下に引用したものは、2つの時間の流れと交わりについての文章である。詳しくは記事でどうぞ。

    世界が投影される瞬間が1であり、世界が消える瞬間が0。人間が生まれた瞬間に世界は投影され、人間が死んだ瞬間に世界の投影は終わる。けれどそれらは同時に起きている。つまりは、私たちが見ている世界はほんの一瞬のできごとなのである。

    右回りと左回りは鏡写し

    2つの時間は男と女

    話を戻そう。「大社造」と「心の構造」についてこう述べたことについて、もう少し詳しく考えていきたい。

    大社造の「男造・女造」構造は、この『未来に進む時間・過去に戻る時間』と同じものだと考えられるのである。

    再び図を見ながら「心の構造」をおさらいすると、「右回り」が『未来に進む時間/実行』・「左回り」が『過去に戻る時間/参照と分析』である。

    truth-of-this-world

    この図では「男性性」を赤色・「女性性」を青色で表現していて、時間の流れの線だけでなく、その他ゾーンも色分けがされている。「右回り(未来に進む時間/実行)」は「男性性」、「左回り(過去に戻る時間/参照と分析)」は「女性性」になっている。

    「大社造」に置き換えてみると、男の神が祀られている「男造」は「未来に進む時間/実行(右回り)」・女の神が祀られている「女造」は「過去に戻る時間/参照と分析(左回り)」だと言える。

    人間視点と神視点

    人間が「男造」に入り神に向き合うとするならば右回りをして「男神」に出会うことになる。また、「女造」に入り神に向き合うとするならば左回りをして「女神」に出会うことになる。「女造」は右下が入り口となっているので、左に曲がるだけであるが。

    「大社造」で人間が神に出会うことは、当たり前ではあるが、人間からの視点ということになる。そして、図にある時間の流れも人間の視点である。

    けれども、『大社造と国生み神話の共通点』で述べたことを思い出すと「男神」は「左回り」・「女神」は「右回り」をしている。これらは神の視点であると言えるから、神々が回る方向が逆になっている。

    肉体と精神・人間と神

    ここで「男性性(赤色)」と「女性性(青色)」について簡単に解説しておきたい。過去記事からの引用である。

    人間には「男」と「女」という性別が存在しているが、実際には心(精神)にも性別が存在している。私たちが頭の中で思考し判断を下すときに、「男性性」という心の性質と「女性性」という心の性質がそれぞれ考え最終的にひとつの答えを出すようになっている。
    つまり心の中には2つの性質が存在していて、それぞれの性質のバランスによって、判断も変わってくる。基本的には性別が男性であれば、心の中は「女性性」が主体となり決定権を握っている。性別が女性であれば、心の中の「男性性」が主体となり決定権を握っている。

    このように、肉体が「男性」であれば心の主体になるものは「女性性」・肉体が「女性」であれば心の主体になるものは「男性性」になっているのが人間の仕組み。人間とは、肉体の性別と精神(心)の性別が逆になっている存在。

    肉体と精神の性別が逆であることと同じく、神と人間の回り方が逆の動きになるのは、人間と神が「鏡写し」の関係性を持っているから。目に見えるもの(人間/肉体)と目に見えないもの(神/精神)は「鏡写し」になっているのである。

    目に見えるもの ↔︎ 目に見えないもの
    肉体 ↔︎ 精神
    人間 ↔︎

    この記事の始めに『神は「自分の心の代理人」である』と言ったけれど、神とは『人間の心の中に存在するもの』であることが、お分かりいただけたのではないだろうか。

    男神と女神の性質

    男の神は現実世界で実行する

    「大社造」で出会う神々はその性別によって性質や役割が違う。ここまで説明してきたことをまとめてみると、そのことが見えてくる。

    人間は「右回り」すると「男神」に出会う。『未来に進む時間』の先に存在する「男神」とは「実行の神」と言える。「男造」に祀られる「大国主」は「実行の神」ということになる。

    大国主大神様は、広く“だいこくさま”として慕われ、日本全国多くの地域でおまつりされています。大神さまがそれぞれの地域でお示しになられた様々な御神徳は数多くの御神名によって称えられております。

    その御神名の一つに「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)」があります。それは遠く神代の昔、私たちの遠い祖先たちと、喜びや悲しみを共にしながら、国土を開拓された事に由来しており、これが“国づくり”の大業です。

    出雲大社と大国主大神(出雲大社)

    「大国主」はこの日本という国を造った、国づくりの神である。人間は行動することで、想像したものを目に見えるものにしていく。行動(実行)しなければ、国も完成しない。当たり前のことであるが、それを表現するのが「男神」だということ。現実世界を生きることは実行の連続である。

    女の神は精神世界で思考する

    人間は「左回り」すると「女神」に出会う。『過去に戻る時間』の先に存在する「女神」とは「過去を振り返り思考する神」と言える。わたし達の頭の中では過去の参照→分析→実行という作業が常に行われているが「過去の参照と分析」は、実行前のとても重要なプロセス。

    「思考」するからこそ感情が生まれ、喜怒哀楽を表現する。「思考」するからこそ、様々な予測をする。そして「思考」は人間を惑わすものでもある。

    人間が精神世界(心/頭)という目に見えない場所で「思考」することを表現するのが「女神」なのである。ちなみに「思考」でどんな行動をするか決定するのであるから、「実行作業」に「思考」はない。

    変わることのない性質

    心の構造である『未来に進む時間・過去に戻る時間』は「男神」と「女神」に置き換えることができる。時間という概念を人間にとってわかり易くするためには、人間と同じ姿形をしている「神」に置き換えることが必要だ。

    ちなみに。「国生み神話」においては神々の回り方が逆であるから、違和感を感じる人もいるかもしれない。神話の通りであれば、「男神」は「過去に戻る時間」・「女神」は「未来に進む時間」になるから。

    けれどもここまで説明してきた通り、神と人間は「鏡写し」の関係性を持っている。私たちが鏡を覗き込むと左右は反転する(流れが逆になる)ように見える。けれど鏡の中の自分は自分のまま。つまり、男と女の性質は変化することがないものなのだ。

    「神」とは、わたしたち人間に目に見えない世界を教えてくれる存在。そう考えると「大社造」は「男造・女造」という構造の中で、一歩踏み込んだところを教えてくれている。

    出雲大社「柱」の秘密を解き明かす

    出雲大社9本の柱

    心御柱と宇豆柱とその他柱

    ここからは「大社造」のそれぞれの柱について考えていきたい。出雲大社本殿を造るのは、全部で9本ある柱。その中心の柱は「心御柱」。「心御柱」は出雲大社だけでなく、伊勢神宮の正殿の中央床下にも埋められている。柱とは神が宿るものである。

    心御柱(しんのみはしら)とは、伊勢神宮の正殿、床下中央部分に建てられる柱をいう。日本の神は、木や柱を依り代(よりしろ)とするため、神が依り憑く神籬 (ひもろぎ)とした。

    心御柱(wikipedia)

    本殿の内部では「心御柱」がどんな様子なのか調べてみた。実際建築を支えるのに重要なのは「宇豆柱」であるらしい。

    中央にある最も太い柱の心御柱はほかの柱より太く堂々としたものだが、実際には梁を支えるためのもので、構造上、重要となる棟木は二本の宇図柱が支えている。

    出雲大社の象徴的存在、御本殿に迫る(Discover Japan)

    古代出雲大社

    古代出雲大社は、現在のものよりも高さがあったらしい。その高さについては現実味のない話と捉えられていたが、2000年に出雲大社境内から過去の柱が発見され巨大神殿の存在が現実味を帯びてきた。サクッと説明していきたいので、引用が多くて申し訳ない。

    出雲大社の現在の本殿は、1744年(延享元年)に造営され、高さ8丈(約24m)の建造物が三度の修繕を加えながら今に伝わっている。しかし、古代には32丈(約96m)、中世には16丈(約48m)だったとの言い伝えが残っている。

    出雲大社宮司「千家」家には、古い時代に書かれたと思われる出雲大社本殿の平面設計図「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」が残されており、巨木3本を1つの柱として組み、全9本の巨大柱が本殿を支えた構造が記されている。

    日本の“木造”建築の可能性―出雲大社の古代本殿の高さは48mあった?(LIFULL HOME’S PRESS)

    1980年代に大林組が古代出雲大社復元プロジェクトを立ち上げ、実際に建造できるのかどうかを検証していた。復元するための資料として「金輪御造営差図」を参考にし、検証の結果48メートルの出雲大社は造れる!という結果になった。その後、実際に直径3メートルの柱が出土したのだからすごい。

    詳しくは、上記にリンクした記事の中のPDFを読むと面白い。そのPDF中に『古代出雲大社(想定)』9本の柱の詳細が記してあったので、簡単にまとめてみる。

    柱の長さと直径

    岩根御柱(心御柱×1)…直径3.6メートル、長さ36メートル
    棟持ち柱(宇豆柱×2)…直径3メートル、長さ42メートル
    側柱(その他の柱×6)…直径3メートル、長さ36メートル

    それぞれの柱の直径と長さを比べてほしい。この情報はここからの考察に重要なものになってくる。

    気になる点

    わたしが注目したいのは、「宇豆柱」2本が一番長く「大社造」を支える重要な柱であること、「心御柱」が中心にあること、それぞれの柱は3本を1つの柱として組まれていること、「心御柱」と同じ高さの「側柱」。この4点である。

    • 重要な「宇豆柱」2本
    • 中心にある「心御柱」
    • 3本の木を束ねること
    • 「心御柱」と同じ高さの「側柱」

    ここまで『大社造と心の構造』について述べてきたことを前提として、これら4点について考察しながら「柱」の秘密を紐解いていく。ここからの話を読むための建築用語メモを置いておきます。一応。

    建築用語メモ
    棟木(むなぎ)…屋根の一番高い位置に取り付けられる部材。
    梁(はり)…柱の上に棟木と直行方向に渡して、上からの荷重を支える部材。
    桁(けた)…柱の上に棟木と平行方向に渡して、上からの荷重を支える部材。
    妻(つま)…棟木と直行する両側面。

    「宇豆柱」の意味するところ

    「大社造」を「心の構造」ととらえると「宇豆柱」とは何を表すのか。これはあまりにもわかり易い。2本のうずの柱ということは、右回りの渦(うず)と左回りの渦(うず)という、2つの渦ということ。

    強引であるかもしれないが、「宇豆柱」は「男造(男神)・女造(女神)」を表わしているということ。柱は神なのだから、すでに2柱の神が「大社造」を造る部材として存在しているということになる。

    この2本は一番長く、棟木を支える大切な柱。2柱の大黒柱とも言える男神と女神が「大社造」全体を雨や風から守っている。けれども、男神と女神が本来守っているものは「大社造」の中心に存在する「心御柱」なのである。そう言い切れる理由については後述。

    「心御柱」の意味するところ

    「心御柱」は「自我」を表す

    「大社造」を「心の構造」ととらえると「心御柱」とは何を表すのか。出雲大社や伊勢神宮の本殿にとって一番大切なものは中心にある「心御柱」。再びこの図を見て欲しいのであるが、中心にあるのは「自我」。つまり「心の構造」の中で一番大切なものも「自我」ということになる。

    truth-of-this-world

    「自我」とは忌むもの

    別に社殿の実用的な支柱でなく,しかも神宮祭祀上きわめて清浄神秘を重んじられる柱として特に忌柱(いむはしら)とも称される。

    心御柱(コトバンク)

    こちらは、伊勢神宮「心御柱」についての引用。「心御柱」は「忌柱(いむはしら)」とも呼ばれる。清浄なものであるのに、忌むもの。忌むものといえば「自我」なのである。

    主張することが苦手な日本人は「自我」を嫌がることが多いはずだ。「自我」はエゴとも呼ばれ、利己主義的な考えや行動をもたらすものとして遠ざけられることがある。もちろん、「自我」を良いものとして捉えている人もいるけれど。

    「自我」とは何か

    そもそも「自我」という言葉の定義は人によって違うのかもしれない。UOZAブログでは、このように「自我」を定義している。

    自我とは、思考と行動をまとめたもの。つまり自分の意志。人間は自分の存在を認識しながら生きている。自分のことを好きな人も嫌いな人もいて、認識の仕方は様々。そんな、自分に対する認識の上でどういった思考をもってどういった行動をするのか。その一連の働きのこと。

    「自我」とは思考と行動をまとめたもの。ここまでに説明してきた、男神(右回り/実行)と女神(左回り/思考)を合わせたものが「自我」ということになる。

    関連記事:自我と自己について

    思考と行動の子ども

    『男神と女神を合わせたもの』は『実行と思考という性質を受け継ぐ子ども』、だと言うことができる。そして、『思考と実行』を常に行っているものといえば「人間」。つまり、「宇豆柱」に守られる「心御柱」は、神の子どもである「人間」を表している。

    一旦、ここまでの情報をまとめる。

    「心御柱(自我)」とは『男神(実行)と女神(思考)の子ども』。つまり「心御柱」とは「自我」を持つ「人間」のことなのである。「自我」とは人間を人間たらしめるもの。当たり前のことなのに、わたし達が気がついていないことでもある。

    伊勢神宮の中心

    出雲大社の「心御柱」は梁を支えているのであるが、伊勢神宮の「心御柱」は梁にも届かず、床下に存在している。建造物としては機能していないのであるが、引用を読むと重要さは伺える。

    心御柱(しんのみはしら)として神聖視されるが,これは梁(はり)にとどかぬ短い柱で,構造部材としての柱ではなく,神籬(ひもろぎ)を象徴するものかと思われる。

    心御柱(コトバンク)

    このことが何を表すのか。建物を支える機能を成さないということは、その「心御柱」は成長途中の「人間」であることを表すのである。つまり「自我」に気がついていない状態。

    この件については「国譲り神話」を紐解いていけば理解できることなのだけど、この記事の後編か別記事に書きたい。長くなりそうなので。

    建物の「中心」であることが大事

    伊勢神宮では20年ごとの式年遷宮で建物の位置が隣の敷地に移動し、建て替えられることは有名である。気になるのは、建て替え後まっさらになった跡地の「心御柱」があった場所に小さな小屋が建てられること。

    その中には建て替え前の「心御柱」があるとかないとか。次にそこに建て替えた時に「心御柱」の位置がずれないよう、その小屋が建てられている、というのが有力な説らしい。

    「自我」という中心がずれないことは「人間」にとって大切なことなのである。「自我」が自分自身(人間)を動かしていることを自覚することが、「自我」を中心に固定しておくこと。中心に固定しておくことの重要性は、過去の記事にも書いていることなので、ここでは省略させていただきます。

    3本の木を束ねて1つにすること

    ここまで「宇豆柱」と「心御柱」の意味するところを説明できたかと思う。それを踏まえて、出雲大社の9本の柱が3本1組である意味について考えていきたい。けれどこれも、単純な理由である。

    前述した通り「心御柱」は「宇豆柱2本」の子どもである。ということは「男神(1本)」と「女神(1本)」の性質を併せ持った「心御柱(子ども)」は「3本」で表すことができる。

    「男神(1本)」と「女神(1本)」を足したら「2本」になりそうなところだけれど、「男神」でも「女神」でもない新しい柱であるから、『合わせた2本』ではなく、『合わせた2本に新しい1本を含めた3本』ということ。

    3本を束ねた柱は「人間」であるということを強調し、新たに独立したものを表わしている。つまり「心御柱」だけでなく、9本の柱全てが「人間」なのである。

    「神」は『人間の心の中』に存在し、「人間」と「神」は「鏡写し」の存在であることは既に説明してきた。柱とは「神」でもあるし「人間」でもあるということを教えてくれているのが、3本1組の柱。

    「心御柱(人間)」とは、神の子どもである。神に似ているが神ではない、新しい存在が「人間(3本)」。「男神(男性性)」と「女神(女性性)」の性質を持つ『人間(3本)』については、他の記事でもしつこく書いていることなので、ぜひともお読みください。

    関連記事:ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス から学ぶ女性性と男性性

    関連記事:シン・エヴァンゲリオン劇場版を考察 誰も知らないマリの正体について

    「心御柱」と「側柱(がわばしら)」が同じ高さである理由

    出雲大社の骨組み

    最後に、わたしが注目したいのは「側柱」である。「宇豆柱」と「心御柱」以外の6本の柱のこと。建築における「側柱」の機能についてはこちらの記事がわかり易かったので、気になる方はどうぞ。中柱(心御柱)と側柱の作用力の違いは「心の構造」を読み解くのに、必見かもしれない。

    こちらの論文(出雲大社本殿の心の御柱について)の中にある、出雲大社の骨組みシステム図(4ページ目、図-5)が、それぞれの柱同士の関係性を見るのにわかり易かった。説明用にわたしも骨組み図を書いてみた。

    izumoooyashiro-honegumi

    小屋梁中心を支える心御柱

    図を見ると、宇豆柱2本は長く伸び棟木を支えている。そして、田の字の中心、交差している所を下から支えているのが「心御柱」となる。この図には屋根の骨組みが描かれていないけれど、その骨組みを支える「小屋梁(こやばり)」中心を下から支えるのが「心御柱」となっている。

    棟木には届かないけれど、屋根全体の重みを受け止めるのに重要なのが「心御柱」であるらしい。先ほどの論文から、その重要さがわかる文章を引用させていただきます。

    この高大な本殿を単純な骨組システムで維持するには骨組を丈夫にすることが基本であった。そのとき縦横に架けられた小屋梁が重要な部材となる。またこの小屋梁には多大な荷重が加わり,心御柱はこの梁を有効に働かせるためにしっかりと中心で支えている。このことが構造上重要である。したがって出雲大社は心御柱を構造材として設計されており,心御柱は高大な本殿を構築していく上で不可欠な部材となる。

    出雲大社本殿の心の御柱について

    「宇豆柱」も棟木を支える重要な柱だけれど、「心御柱」こそ屋根全体を支える重要な柱であることがこの図からはわかる。

    側柱も「人間」

    またまた「心御柱」の話になってしまったが、わたしが注目したいのは「心御柱」が「側柱」と同じ高さになっていること。ここにもまた「心の構造」が表れている。

    柱は全部で9本ある。ここまでの話をまとめると、「宇豆柱(2本)」は「男神・女神」という親の役割をしている。そして、「心御柱(1本)」は中心に存在する子ども(人間)ということになる。そして残り6本の柱が何を表すのかというと、これもまた「人間」なのである。

    「側柱」6本が「人間」であるということは「心御柱」と合わせて、全部で7柱の「人間」の柱があるということになるが、それを裏付けるものが本殿天井に描かれている「八雲之図(やくものず)」である。

    八雲之図、3つの謎

    八雲之図は出雲大社の謎のひとつでもある。八雲之図の謎についてわかり易くまとまっているブログがあったので、引用させていただきます。

    ①一雲のみ逆向きである。
    ②一雲 ひときわ大きな雲があり その雲のみ黒い色が使われている。
    ③八雲と言いながら七雲しかない。

    思ったこと

    これら謎を紐解きながら、9本の柱が『2柱の神(宇豆柱)』と『7柱の人間(心御柱・側柱)』であるということを証明していきたいと思う。

    2022/07/18 追記
    最後にかっこつけて『7柱の「人間」の柱がある』とか言ってるけど、ちょっと前で『9本の柱全てが「人間」なのである』とか言ってますね。意味がわからないですね。ごめんなさい。文章の最終チェックが足りなかったです。後編で詳細を書いていきます。


    長くなってしまったので、今回はここまで。中編につづく。今回の考察を理解してもらえれば、「雲」の謎は解けるはずなので、ぜひ挑戦してみてください!考察コメントお待ちしております!中編を書き上げるのも、すごく時間かかりそうなので…。出雲大社の情報量やばい。

  • この世界の真実(最終解答編)前編

    この世界の真実(最終解答編)前編

    「この世界の真実」シリーズ最終回(たぶん)。この世界の真実について過去に「この世界の真実(仏教編)」とか「悟りの真実」とか記事を書いてきたけど、そのころより断然理解が深まってきたので「この世界の真実(最終解答編)」とタイトルをつけて図解と共に解説してゆきたい。

    初めてこのブログに辿り着いた方へ
    このブログの「読み方マニュアル」
    つぎに「このブログについて」を読んでもらうとこの記事への理解が深まると思います。

    この世界の真実(図解)

    図について

    この世界の見取り図

    こちらは映画「TENETテネット」の考察内で、TENETの世界観を説明する為に描いたものを、ちょっと手直ししたもの。この図は「この世界の真実」を説明するのにとてもわかり易いものになっている。

    この図の意味するところを解説しながら私たちの生きている世界の構造を解き明かしていく。TENETの考察とかなりかぶるところもあるけれど、TENET考察を読んだ人にもまとめとしてわかり易いものになっていると思う。

    大切なポイント3つ

    1.世界は「自我」を持つ人間が創造した

    私たちの世界では、私たち個人それぞれが自我を持っている人間である。そして、自我を持つ人間こそが「創造主」なのである。つまり私たち一人一人が「自分の目に見えている世界」を創造していることになる。

    2.「始まり」と「終わり」が重なっている

    白い円は「宇宙・人間の誕生」が起きた瞬間、と同時に「宇宙・人間の消滅」が起きる場所。始まり(原因)と終わり(結果)は重なっている。『原因と結果はひとつ』という絶対的真理で構築されているのがこの世界。

    3.時間の流れには「未来へ進む流れ」と「過去に戻る流れ」がある

    私たちの世界は時間が未来方向へ流れているのが原則である。しかし私たちが気がついていないだけで、時間は逆行している時がある。過去の出来事を思考しているとき、私たちは過去への時間旅行をしている。

    この図の見方

    この図は「自我」を中心として、

    • 縦方向・横方向の空間
    • 未来・過去への時間の流れ
    • 精神状態

    が平面に表現されているようなもの。この章では、図が表している空間の意味、時間の意味をそれぞれ説明していく。

    空間について

    赤い円(自己・実体・地球)

    赤い円の中は「自己」を表している。「自己」はたった一人で、「他者」と対になるものとして考えて欲しい。自己とはなにか?以前書いたこちらの記事からの引用。

    自己…世界を含めた自分の存在
    世界を認識しながらそこに自分が存在する事実そのもののこと。

    私たちは現実というリアリティーのある場所で「自分のこと」を認識しながら生きている。赤い円はそんな「自己」を表している。私たちのほとんどが普段生活していると思い込んでいるところがこの赤い円の中である。

    ここは「目に見える世界」で、私たちが存在する地球のことも表している。つまり、この記事を読んでくれている人の多くは赤い円の中に居るはずなのだ。目に見える世界は実体のある世界ということ。

    青い空間(他者・投影・宇宙)

    赤い円の外側にある青い空間は「他者」を表している。「他者」は「自分以外の人」を意味していて、「自己」の対になるものである。「自己」から見る「他者」は青い空間に居るということ。

    青い空間は宇宙をも表している。私たちが地球(赤い円)から空を見上げると太陽や月や星が見えるが、距離が遠すぎるので、そのものの形ははっきりと見えないし、光としてしか見ることができない。

    このように青い空間は「目に見えない世界」をも表していて、そこは実体のない投影(心の中)の世界である。

    白い円

    ここは実体の世界と投影の世界をまたいでいる場所。空間で言うと、地と海が重なっている場所。方角で言うと、北と南が重なっている場所。重なっているからこそ人間には理解できない空間になっている。

    グレーの空間(中心)

    中心にある「自我」と書いてあるグレーの円について。この場所は「自我」を持った「自分」を表している。空間の中心に存在している自分の居場所がこの中心のグレーの円。

    実際ほとんどの人は、自我のことを理解していないのでグレーの中心部分には居ないのであるが、中心部分に「自分」が居ると仮定しているのがこの図。

    時間について

    右回りの赤い実線(現実世界)

    赤い円の一番外側にある右回りの赤い実線について。こちらは未来に進む時間の流れを表している。時間は通常未来へ流れている。だから私たちは老いる。

    現実世界というものは普段わたしたちが存在しているところであると言えるけれども、実際は『現実を受け入れて生きている人』が体験している時間の流れのこと。ここで言う現実世界は場所ではなく時間のことを表す。

    未来に進む時間を生きている人は、現実世界で起きる「苦しみ」も受け入れた上で生きている。そんな人は右回りの赤い実線の上を生きているのである。

    未来に進む時間は「生のタイムライン」。赤い実線の先を見ると、そこは白い円の上半分にある「始まり/生」に繋がっている。未来が明るい人にはその先にある「救済」が約束されている。「救済」とは『解脱すること』である。

    ここでひとつ注意したいのは「受け入れること」と「諦めること」は全くの別物である。これを混同している人がいるので、しっかりと区別してほしい。苦しみを「受け入れること」は前向き(未来へ進む時間)で「諦めること」は後ろ向き(過去へ戻る時間)の考え方。

    左回りの青い破線(精神世界)

    赤い円の内側にある左回りの青い破線について。こちらは過去に進む時間の流れを表している。過去に時間が進むことは私たちに理解することができないこと。けれど実際には起きていること。私たちは未来に進む時間だけを生きていると信じている。

    しかし、人間が過去を悔やみ過去の出来事に囚われているとき、時間は過去へ戻っている。人間は生きていると必ず「苦しみ」を経験するが、その「苦しみ」を受け入れられない人は過去のことばかり悔やむ。「現在の自分」を過ちを犯した過去の自分や、過ちを犯した他者に重ねてしまう。

    心の中で過去のことを悔やんでいる人は、精神世界という過去に戻る時間を生きている。けれど、他者から見たら現実世界に存在しているし、自分自身も現実世界に居ると感じているのだろう。

    過去に戻る時間を生きている人は、現実世界に起きる「苦しみ」を受け入れることができないまま生きている。そんな人は左回りの青い破線の上を生きているのである。

    過去に戻る時間は「死のタイムライン」。青い破線の先を見ると、そこは白い円の下半分にある「終わり/死」に繋がっている。未来が暗い人にはその先に「死」が待っている。

    白い時間

    ここは空間の時に説明したように、人間が知覚できない場所であり時間である。この白い円が意味するのは、自分が「生まれた瞬間」と自分が「死ぬ瞬間」である。「始まり」と「終わり」2つの瞬間が重なっている。

    グレーの時間(外側)

    こちらは一番外側のグレーの部分。赤・青・白、全てを包括しているのがこの部分。つまり、未来に進む時間・過去に戻る時間、生まれる瞬間・死ぬ瞬間を全て理解している状態で、それらを区別していない状態でもある。

    中心にあるグレーの部分と外側のグレーの部分は繋がっている。中心にいる「自分(自我)」は外側のグレーの部分にアクセスできる。

    ここまでのまとめ

    赤と青と白とグレーの意味するもの

    ここまで説明してきたことをいったんまとめてみる。図を見ながら確認してほしい。

    この世界の見取り図

    赤い円について
    自己…ひとり
    地球…私たちが生きている場所
    実体…目に見える世界

    右回りの赤い実線について
    現実世界
    未来に進む時間の流れ
    「苦しみ」を受け入れながら生きること
    始まり(生)に繋がっている

    青い円について
    他者…多数
    宇宙…私たちは生きられない場所
    投影…目に見えない世界

    左回りの青い破線について
    精神世界
    過去に戻る時間の流れ
    「苦しみ」に囚われながら生きること
    終わり(死)に繋がっている

    白い円について
    2つのものが重なっている
    人間は知覚できない
    空間…地と海、北と南
    時間…生まれる瞬間と死ぬ瞬間

    グレーの円について
    世界の中心点である/「自我」を持った「自分」のこと/未来に進む時間・過去に戻る時間、生まれる瞬間・死ぬ瞬間を全て理解している状態/赤・青・白を区別しながら区別しない/外側のグレーの部分と真ん中の「自我」の部分を自由に行き来できる

    対になるものと独立するもの

    この世界のものは基本的に対になっている。独立しているものは「自我」だけである。「自我」の詳しい説明はのちほど。

    対になっているもの

    空間
    実体(地球)⇄ 投影(宇宙)
    自己(男性性)⇄ 他者(女性性)
    時間
    未来に進む(現実)⇄ 過去に戻る(精神)
    生(North/地)⇄ 死(South/海)

    独立しているもの

    自我(全ての中心)

    赤い円・赤い実線についてもっと詳しく

    赤い円まとめ
    自己…ひとり
    地球…私たちが生きている場所
    実体…目に見える世界

    自己とは何か

    自己を感じている人

    まずは自己についてのお話。当たり前のことであるが、普通の人間だとしたら「自分」という存在を認識しながら世界(社会・世間・外国など)の存在も信じているはずである。

    私たちは朝、眠りからさめると「自分」として活動を始める。そしていつも通り、自分とは関係なく世界も動いていることを知っている。

    『世界の中に自分は居る』という認識を持っていれば「自己」を感じていることになる。そう感じているならば赤い円の中に存在しているということ。

    内側にある青い破線、外側にある赤い実線を含めた赤い円はしっかりと「自己」を感じている「自分」ということになる。「自分」が地球に存在していると思っていれば、この赤い円の中に居る。

    自己を感じていない人

    しかし、最近は「自己」さえも感じられない人々もいるのかもしれない。「自己」を感じることは人間の基本であるはずなのに、世界の中に居るはずの「自分」の存在を疑いはじめる。

    「自分」は何の為に存在しているのか?「自分」はこの世界に必要な存在なのか?そんな思考が頭の中を駆け巡り、深みにはまっていくことがある。

    そのまま戻ることが出来ない場合「自己」が無くなってしまう危険性がある。赤い円から青い空間へと移動してしまう。その件についてはこの後の「青い空間」の章で説明する。

    赤は世界を受け入れること

    右回りの赤い実線まとめ
    現実世界
    未来に進む時間の流れ
    「苦しみ」を受け入れながら生きること
    始まり(生)に繋がっている

    赤い円の中に居る状態は、あくまでも「自己」を無くしていない場合の「自分」である。そして現実世界の中にしっかりと居場所を感じているのならば、赤い円の中のさらに赤い実線の上に存在している状態。

    目に見える世界(地球や自己)」を受け入れていれば、未来に進む時間(赤い実線)を生きていることになる。例えば友人と仲良くできていたり、親としての役割を負っていたり、責任ある仕事を任されていたり。現実世界をなんとか頑張って生きている状態である。

    赤い空間(自己)と赤い実線(現実世界)は同じ性質のもの。赤は「目に見えるもの」を表す。

    青い円・青い破線についてもっと詳しく

    青い円まとめ
    他者…多数
    宇宙…私たちは生きられない場所
    投影…目に見えない世界

    他者とは何か

    外側の青い空間(他者)は赤い空間(自己)の対になるもの。当たり前のはなしであるが、「自分」は世界の中にたった一人しか存在しないから、その他大勢は「自分」ではない「他者」である。

    赤い空間である「自己」を中心に考えると「他者」は宇宙に存在するもの。私たちは、決して「他者」になることができないから「他者」の気持ちを完全に知ることもできない。だから「他者」は「宇宙」なのだ。

    宇宙という場所は手が届きそうで届かない場所。人間はなんとか宇宙に行けるようになったけれど、選ばれた人、訓練を積んだ人のみが行ける場所。それと同じように「他者」を理解することはとても難しいこと。精神の訓練を積んだ者しか「他者」の気持ちはわからない。

    他者という宇宙

    精神の状態

    この図は現実の空間を表すものでもあるし、精神の状態を表すものでもある。「自己」は「他者」を受け入れることを目標としている。精神の成長が進むと、少しずつ他者を受け入れることができるようになる。完全に他者を受け入れた時が「自我」を持つ瞬間で、その瞬間に中心のグレーの空間に立つことができるようになる。

    ここで注意したいこと。図の中では青い空間が「他者」を表す。その青い空間に溶け込むことが完全に「他者」を受け入れた時、だと勘違いすることがある。しかし正しく「他者」を理解できるのは、中心のグレーの空間に辿り着いた人だけである。

    宇宙に行ってしまう人

    宇宙に強く関心がある人は、青い空間に溶け込んでしまうことがある。自分自身を宇宙存在だと感じたり、宇宙由来だと感じている人は青い空間に留まることを選び、グレーの部分を知ろうとはしない。グレーの部分は宇宙を越えた場所である。

    青い空間に溶け込んでしまう人は『他者を理解した自分自身』を青い空間の中に見出してしまう。青い空間は実体の世界ではなく投影の世界。「投影の世界」は人間に夢を与え、大きな幸せを与えてくれる。

    青い空間に溶け込んでしまう人は、宇宙という場所に『他者を理解した私』が存在していると思い込むことで、『全ての存在とひとつになる』という疑似体験をしている。

    他者を受け入れるための訓練場

    人間が「他者」を理解し受け入れるには、大きな「苦しみ」を乗り越えなくてはならない。その「苦しみ」というのは、実体のある地球で精神世界(過去へ戻る時間)を体験すること。左回りの青い破線(過去へ戻る時間)について説明した箇所をもう一度読んでほしい。

    人間が過去を悔やみ過去の出来事に囚われているとき、時間は過去へ戻っている。人間は生きていると必ず「苦しみ」を経験するが、その「苦しみ」を受け入れられない人は過去のことばかり悔やむ。「現在の自分」を過ちを犯した過去の自分や、過ちを犯した他者に重ねてしまう。

    人生で「困難」に立ち向かうことは、現実で「苦しみ」を体験すること。その時、青い破線の上に居る状態である。青い破線の上を生きることはとても「苦しい」。

    けれど人間は青い破線である「死のタイムライン」を経験するからこそ、赤い実線である「生のタイムライン」を生き抜こうと決意できたりもする。

    しかしこの「苦しみ」に疲れてしまう人たちは、赤い実線の上に存在することをやめてしまう。そして、宇宙という未知の場所に憧れを抱いて、意識だけを宇宙空間に飛ばすようになる。

    青は世界を受け入れていないこと

    左回りの青い破線まとめ
    精神世界
    過去に戻る時間の流れ
    「苦しみ」に囚われながら生きること
    終わり(死)に繋がっている

    「目に見える世界(地球や自己)」を受け入れていないのならば、過去に戻る時間を生きていることになる。「目に見える世界」を受け入れないことは「他者」を受け入れていないことも意味する。

    「他者」を理解することが「苦しい」から意識だけを「他者という宇宙」に向ける。これが宇宙に行ってしまう人々。実体のある地球で実際に「他者」と向き合いながら理解することなく、「他者という宇宙」に意識を向けて、幸せだけを享受するのである。

    投影の世界の中に「自分」が存在していると強く想うことは、実体のある地球に存在する「自分」を消す行為である。いずれ「自己」が消えてしまう。

    だとしても、死を迎えるまでは、実体としての肉体は赤い円に存在している。意識だけを「他者という宇宙」に移行したとしても、実際は赤い円の中の「青い破線上」に存在しているだけなのである。

    青い空間(他者)と青い破線(精神世界)は同じ性質のもの。青は「目に見えないもの」を表す。

    グレーの円についてもっと詳しく

    グレーの円まとめ
    世界の中心点である/「自我」を持った「自分」のこと/未来に進む時間・過去に戻る時間、生まれる瞬間・死ぬ瞬間を全て理解している状態/赤・青・白を区別しながら区別しない/外側のグレーの部分と真ん中の「自我」の部分を自由に行き来できる

    自我は全てを包括する

    内側の赤い円と外側の青い空間を含めた全ての円の中心が自我である。画像ではグレーで表している。一番外側もグレーで囲っているけれど、これは全ての世界を包括していることを意味する。そして中心に自我を見つけることができた「自分」がいる。

    この図は現実世界の空間を表すものでもあるし、精神の成長段階を表すものでもある。自己は他者を受け入れることを目標としている。精神の成長が進むと、少しずつ他者を受け入れることができるようになる。完全に他者を受け入れた時が自我を持つ瞬間で、その瞬間に地球の中心に立つことができるようになる。

    前章から再掲。「自己」が「他者」を完全に受け入れることができた時、人間はしっかりと宇宙の中心に「自分」の居場所を固定することになる。つまり「自分が在る」ということをはっきりと理解できている状態である。

    世界の中心に自分がいる

    「自己」が「他者」を完全に受け入れるにはどうしたらいいのか?それには、全ての「他者」に対してしっかりと境界線を引き「他者」と「自分」を強く区別すること。そして、全ての「他者」の存在を否定せず、完全に認めること。

    「他者」と「自分」を強く区別しながらも「他者」の存在を完全に認めること。「他者」を強く否定しながらも「他者」を心から信じること。相反する感情が自分の中に同居したとき「自我」が確立する。

    その作業が完了した時、世界の中心が「自分」であることを強く意識することができる。これが『自我を持つ自分』である。地球の中心、宇宙の中心、全ての存在の中心に「自分」が居るということが理解できるようになる。

    この状態は、世間ではエゴと呼ばれるかもしれないが、全ての中心に立つことができたらエゴの真実を知ることになるだろう。とにかく人間はエゴのことを知らない。何故ならエゴの真実を知ることを恐れているから。だから深く踏み込もうとせず「自我」に到達する前に死んでしまうのである。

    こちらの記事では『他者を区別しながら他者を認める方法』について書いているので、この記事を読んだ後にでもぜひお読みください。

    男性性(赤)と女性性(青)

    この世界の見取り図

    心の中にある性別

    赤い円である自己には「男性性」という性質がある。青い空間の他者には「女性性」という性質がある。これが何を意味するのか説明してゆく。

    人間には「男」と「女」という性別が存在しているが、実際には心(精神)にも性別が存在している。私たちが頭の中で思考し判断を下すときに、「男性性」という心の性質と「女性性」という心の性質がそれぞれ考え最終的にひとつの答えを出すようになっている。

    つまり心の中には2つの性質が存在していて、それぞれの性質のバランスによって、判断も変わってくる。基本的には性別が男性であれば、心の中は「女性性」が主体となり決定権を握っている。性別が女性であれば、心の中の「男性性」が主体となり決定権を握っている。

    実体のある自己と男性性

    弱肉強食の世界

    「人間(自己)」には男か女の性別があるけれど、それは人間各個人のおはなし。図のように、この世界全体で見てみると、「他者」の対になる存在である、大きなくくりで考える「人間(自己)」は「男性性」の性質を持っている。

    実体というのは目に見えるもの。私たちは地球という場所で人間の身体を持って活動している。地球のルールは「男性性」を主体としている。地球が「強い者」が生き残る弱肉強食の世界であることは誰でも知っていることである。そして、人間の行動も「男性性」を主体にしたものである。

    私たちは男性性から逃れられない

    赤い円は男性性の性質である「強さ・決断・論理的・区別すること」などを意味する。この男性性の性質を嫌う人も多いけれど、地球に存在する限り「男性性」を主体に行動することが決まっている。

    例えば、食べること・働くこと・産むこと。これら行為も「男性性」を行動原理としている。産むことは「女性」しかできないけれど、それは人間各個人のはなしで、この図のように大きなくくりで見ると「男性性」が支配しているということ。

    人間の行動は「男性性」が決定権を握っているから「自らが生き残る」ことを最優先にしている。そのおかげで人間という種族はこの地球のトップに君臨している。

    自然を破壊し住むところを構え、動物を殺して栄養とし、一番栄えているのが人間である。人間の行動が「男性性」に支配されているから必然的にそうなっている。

    自然を破壊したくない、動物を殺したくない、という強い思考を持っていたとしても「人間」として生きているだけで「男性性的行動」を取っている。

    投影である他者と女性性

    他者は存在しない

    さて、青い空間は他者で宇宙で投影である。女性性の性質は「調和・曖昧・直感的・受け入れること」など。青い空間はそんな「女性性」の性質を持っている。

    つまり「他者」そのものが「女性性」の性質ということになる。人間(自己)は「男性性」の性質を持っていると言ったが、そうなると他者も「人間」であるから矛盾しているように思える。しかし、他者は「実体のある人間」ではない。

    ちょっと意味がわからないと思うが「他者」は目に見えないものを表すから、実体がないのである。つまり「他者」など存在していないのだ。私が言う「人間」は実体が在るもの。この世界において実体が在るのは『自分という人間』だけなのである。

    「他者」は実体を持った人間に見えるのだけれど、それはただのデータみたいなもの。人間のコピーとでも言えるのであろうか。わたしは頭のおかしいことを言っているようだけれど、これは紛れも無い真実である。とはいっても、いきなり信じてもらえるとは思っていないのでとりあえず話を続ける。

    他者は全てを受け入れる者

    「他者」が「女性性」の性質を持っていることが何を意味するのか。人間(自己)が「男性性」を行動原理にしているのと同じく、「他者」は「女性性」を行動原理としているのである。つまり全ての「他者」は『調和や受け入れること』を表現するために、行動している。

    しかし、私たちが人生で出会う「他者」は悪意を持っていることもある。世界には人間を殺す「他者」だって存在している。生きていれば「他者」に理不尽で許せないことをされた経験が誰しもあると思う。そんな行動が『調和や受け入れること』を意味するはずがない、と思うはずだ。

    けれども「他者」の行動原理が「女性性」であることが、この世界の大切な真実である。そしてこれは人間(自己)にとって不都合な真実でもある。私たちには「他者」の行動が「男性性的行動」に見えてしまうものである。

    自己(男性性)は区別する生き物

    防衛本能からくる区別

    そもそも「他者」の行動を見て『悪意を持っている』と感じてしまうのは「男性性」のしわざである。「男性性」は弱肉強食の中でも生き残れるように、自分以外のものを敵とみなす性質をもっている。

    だから実体のある自分は「他者」を目の前にすると防衛本能が働いてしまう。自分に不都合をもたらす者には特に強い反応を示す。それが実体のある人間の性(さが)である。

    しかし「他者」は正反対である「女性性」の性質をもって私たちに接してくる。「他者」の行動が「優しさ」に見えても「悪意」に見えても、その行動原理はどちらでもない。女性性の性質は「受け入れること(区別しないこと)」である。

    自己は区別する

    「他者」はデータであるから人間的思考(男性性的思考)は無い。「女性性」で行動するようインプットされた機械のようなものなのである。

    しかし、私たち実体のある人間はどうしても「他者」を判断(区別)してしまう。「男性性」を行動原理としているから、「他者」の行動について常に判断(区別)しながらこの世界を生き抜いている。判断(区別)をしないことは、自分の命を脅かすこと。

    私たちは「他者(データ)」を「人間」だと見なして、自分と同じような感情を持っていて、自分と同じような思考で行動していると感じてしまう。

    けれども、他者の中に存在すると思われる悪意や善意は、実体の在る「自己」が判断を下している(区別している)だけ。『悪意のある他者』も『善意のある他者』も本当は存在していないのである。

    私たち(自己)は「女性性」に基づいた行動をしている「他者(データ)」を見ているだけなのであるが、自己判断で「他者」の行動に意味付けをしている。各個人によってものの「見方」が変わるのはこのシステムのせいである。

    世界には「自分」しか居ない

    「他者」がデータ(投影)であることを見破ることができたら、自我が確立されグレーの中心部分に移動することになる。そして、この図解に描かれているような全てのシステムを理解できるようになる。

    世界には「自分」しか存在していないことに気がつき、「他者」や「目に見える世界」も実体ではなく、投影(データ)であることに気がつくのである。まさに「水槽の脳」状態。実際は「脳」さえも存在していないのであるが…。

    ここで少しだけ秘密をおはなしすると、唯一実体として存在しているものは「喉」のあたりにある。先程からわたしは『自己(自分)だけが実体である』と言及している。地球そのものや自分の身体も実体であると思われるけれど、唯一の実体(自己)は「喉のあたりにあるもの」だけということ。

    この図の中で「自己」や「地球」に実体があるとしているのは、「唯一の実体」がこの世界をそのように設定したから。

    だから、「自己(身体)」や「地球」は実体のあるものと考えておいてほしい。そして「他者」は投影(データ)であることも強く意識してほしい。この区別は重要なのである。今回の記事をややこしくしてしまうので、「唯一の実体」について、詳しくはまたいつか。

    他者もどこかに実体が存在している

    投影にも本体がある

    自己以外のものは「投影(データ)」であるけれど、投影だからといって恐怖を感じたり、世界に意味を感じなくなってしまわないでほしい。仏教には「無我」という考え方があるが、それはこのシステムを説明しているだけであって、世界を「無我」で結論付けてしまうことは愚かなことである。

    「他者」が人間的思考(男性性的思考)の無いデータだとしても、人間が知ることができない場所に本体が存在しているから、怖がらなくても大丈夫。わたしはよくゲーム実況者のFPSゲームを見ているのだけど、そんなイメージがわかりやすいかと思う。

    FPSゲームとは、本人視点で進むゲームのこと。一人称視点であるから、まるで現実のように仮想世界を体験することができる。実体のある自分が「主人公」であるキャラクターを選び、仮想戦場に降り立つ。

    自分以外の仲間や敵も同じゲーム内に存在していて仲間と協力して敵を倒していく。仲間も敵もゲーム内では同じ仮想空間に居るけれど、彼らにも実体があり、現実という場所でPCを使ってそれぞれのキャラクターを操作しているようなものである。

    ゲームでは敵と撃ち合い殺し合うこともあるけれど、そこは仮想空間である。生き残ること、仲間と協力することを学ぶ場でもある。個人的に一人で生き残るゲームよりかは、仲間とともに生き残るゲームが好きである。

    視点が変われば

    自己=人間の本体(男性性)
    他者=人間の投影(女性性)

    自己から見て、他者は人間のコピーである。例えば、このブログを書いている「わたし」は自己であるから、本体である。そして、わたしの親や旦那や友達やこのブログを読んでくれている人は全て人間のコピーである。

    しかし、今このブログを読んでくれている「あなた」は自己であるから本体である。そして「あなた以外の人間」は人間のコピーである。「あなた」にとって「わたし」はデータでしかない。このように視点が変われば、本体と投影(データ)が切り替わる。それがこの世界の不思議なところ。

    赤と青が意味するもの

    他者が存在する本当の意味

    「男性性」の原理でしか行動することのできない「自己(人間)」に「女性性」のことを学ばせるために存在しているのが「他者」というシステムである。『受け入れること(女性性)』を学ぶために『実体のある自己(男性性)』が、世界の中に自ら「他者」という存在を投影している。

    他者はデータではあるけれど「人間(自己)のために」行動しているので安心してほしい。他者がデータだとしても、そこに「人間性」を感じられないのだとしたら、学びが足りないのである。

    このシステムを見破ることができない人間は「他者」に悪意を向け、傷つけることを繰り返す。悪意と思われる「他者」の行動の中に「女性性」を見出せないからこそ、人間は戦争を続ける。

    青と赤は行き来するもの

    青い空間や青い破線は私たち実体のある「自分」が成長するためのもの。「他者」や「過去に存在する悲しい歴史」は苦しみを与えてくるもの。けれど、苦しみを通して私たちに「受け入れること」を教えてくれるのである。

    実体のある世界(地球)で体験する「苦しみ」の裏には、優しさや調和や平和が隠されている。青い破線の上で何度何度も「苦しみ」を経験し、成長して再び赤い実線に戻ることを繰り返しているのが私たちである。

    青の世界で反省をして、赤の世界で前向きに生きる。「輪廻転生」という概念は死んでは生まれ変わることを意味するけれど『何度も過去に戻っては未来を進む時間に戻る』を繰り返すことも意味する。

    一歩進んでは二歩下がることを繰り返し、長い時間をかけて成長する。そしていつかは必ず、私たち全員が「輪廻から解脱」することが約束されている。

    関連記事:輪廻のしくみ

    関連記事:精神世界(青)と現実世界(赤)について

    後編へ続く

    長くなってしまったので、後編へ続く。次回は説明しきれなかった白い円のことなどを詳しく解説していきたいと思う。

    この図解が思い浮かんだのも「TENET」を観たおかげ。この図解を見ながら、世界に存在する物語と対比すると面白いと思う。物語というものは、私たちがこの世界のシステムを理解するためのもの。

    映画「マトリックス」は「他者」がデータであることを教えてくれた。赤い薬と青い薬が登場するし、比較するのにはわかりやすいかも。この図解を使って今後いろんな物語の解説もしていきたいところ。

    関連記事:この世界の真実(最終解答編)後編