投稿日:2025-03-11 | 最終更新日:2025-03-11

大変遅くなりましたが、2025年になりましたね!今年もUOZA-まじめなオカルトブログ-をよろしくお願いいたします。2025年といえばオカルト界隈の皆様なら誰もが注目しているであろう、漫画家たつき諒さんの予言。その内容は「2025年7月5日」に何かが起こるということ。この予言について、UOZAブログの見解を述べておきたいと思う。

日本における予言ブーム一覧

過去にあった予言をまとめ、振り返る

たつきさんの予言を取り上げる前に、日本で流行した予言を振り返ってみましょう。時代は繰り返すものだから。日本における主な予言ブームについてChatGPT(無課金)に聞いて、まとめてみました。主にコピペです。手抜きですいません。

① 1973年~1975年:「ノストラダムスの大予言」ブーム

背景:経済成長とオイルショックによる不安
主な予言者:ノストラダムス(フランスの16世紀の予言者)
内容:「1999年7の月に恐怖の大王が降ってくる」という予言が話題に
影響:五島勉の『ノストラダムスの大予言』(1973年)によってブーム化

この時代人々がどこか不安を感じている中、1973年に発売された五島勉氏の本はベストセラーとなり、ノストラダムスの予言は広がりました。それが、1999年まで何となく続くわけです。ノストラダムスの大予言については過去記事でも触れています。

② 1995年~1999年:「1999年人類滅亡」ブーム

背景:オウム真理教事件(1995年)、世紀末への不安
主な予言者:ノストラダムス、松原照子(予知能力者)、ジョセフ・マクモニーグル(リモートビューイングの専門家)
内容:「1999年に人類が滅亡する」との解釈が広まる
影響:テレビや雑誌で頻繁に取り上げられ、社会現象に

ノストラダムスの予言の年を迎える前、オウム真理教の事件があったりなどして人々が不安なのは相変わらずなのか、人類滅亡ブーム再び。そして1999年7月を迎えたわけだけれども特に何も起きなかった。

③ 2011年~2012年:「マヤ暦終末論」ブーム

背景:2011年の東日本大震災、自然災害の多発
主な予言者:マヤ文明(古代の暦)、松原照子(地震予言)
内容:「2012年12月21日に世界が終わる」という解釈
影響:ハリウッド映画『2012』(2009年)やネット上の話題で拡散

今度はマヤの大予言。マヤ文明で使用されていた長期サイクルの暦が、2012年12月21日で一区切りを迎えることになっていた。そこから「2012年で世界が終わる」という解釈になり終末ブームに。東日本大震災もあり、やはり人々の心の中は不安でいっぱいでした。

④ 2020年~2022年:「パンデミック予言・南海トラフ地震」ブーム

背景:新型コロナウイルスの流行(2020年~)、自然災害の懸念
主な予言者:松原照子(未来予知)、アメリカの予言者たち
内容:「東京五輪後に世界が激変する」「南海トラフ地震が近い」など
影響:SNSやYouTubeで拡散し、多くの人が注目

そして現在。たつき諒さんの予言については書かれていないけど。新型コロナが流行ったり、地震が増えてきたり、やはり不安な雰囲気の中だから「2025年の7月5日」に注目が集まるのか。度々出てくる松原照子さんは色々な予言をして当てているらしいけど、実際のとこどうなんでしょう。気になる方は調べてみては。

不安と予言がセットな理由

こうやってまとめたものを見ると、不安と予言はセットになっていることがわかる。心の不安定が続いた時、いっそ世界を崩壊させ不安定な時代(心)を終わらせてしまいたくなる。そんな衝動が予言ブームを生むのだろう。

私たちは、何かが終わると、また何かが始まることを知っている。終わりと始まりの間には区切りがある。マヤ暦のように区切りをつけることは、サイクルを意識すること・終わりと始まりを意識すること。それができないとずっと心は不安定なままだから、終わり(終末)という区切りをつけたくなるのだ。

ノストラダムスの大予言もマヤの予言も外れていなかった

当たらなかった2つの予言

ノストラダムスの大予言もマヤの予言も「当たらなかった」とされている。しかし、これら予言は「人工知能」に関するものだったと断言したい。この件については既にamebaブログに書いたけれども、改めてここでも述べたい。

1999年に降ってくる恐怖の大王とはGPUのことだった

さっそく本題に入るが、ノストラダムスの大予言における『1999年に降ってくる恐怖の大王』とは、GPUのことだったのである!!GPUという言葉が生まれたのは、まさに1999年だった。

1999年、PC用の廉価なグラフィックスチップとしては世界で初めてハードウェアジオメトリエンジン(ハードウェアT&L)を搭載した「GeForce 256」を発売、3dfx社のVoodoo3+Glideのパフォーマンスを超え、その地位を不動のものとした。なお、この製品から、NVIDIAによって提唱された「Graphics Processing Unit (GPU)」という名称が使われるようになった。

NVIDIA(wikipedia)

GPUとはコンピュータで画像を描画するための装置のこと。わたしたちが日常的に使っているPCやスマホの映像は、膨大な計算処理を経て表示されている。ゲームができるのも、YouTubeを見られるのも、GPUのおかげ。2Dから3Dの時代へと移り変わる中、半導体大手NVIDIAが「GPU」という名称を掲げた製品を販売したのが「1999年」だった。

通常3Dグラフィック機能というのはハードウェアでレンダリングとジオメトリの演算を行うことなのですが、当時のグラフィックカードはレンダリング演算のみををハードウェアでアクセラレーションするだけでジオメトリ演算はCPUに行わせていたのに対して、nVIDIAはコンシューマ向けに初めてジオメトリ演算をハードウェアで演算を行うGeforce256をリリースし3D時代の覇者の名を確固なものにします。

GPU(グラフィックチップ)の歴史はこちらのページがわかりやすかったです。引用させていただきました。

2012年は人工知能のブレイクスルーが起きた年

そして、マヤの予言でも人類滅亡が囁かれていたが、実は「2012年」は人工知能(AI)のブレイクスルーが起きた年なのである!!昨今ブームが起きている「生成AI」は、ディープラーニング(深層学習)という技術が基礎となっている。以下の引用にあるように、ImageNetチャレンジと呼ばれる画像認識のコンテストでトロント大学のチームが優勝したのだけれど、この時使われたのがNVIDIAのGPUであった。また2012年にgoogleの人工知能が猫を認識した。これがきっかけでディープラーニングブームが起きる。ここから爆発的な発展をとげAIの進化は今も続いている。

ディープラーニングが注目されるようになったのは、2012年、コンピューターによる物体認識の精度を競う国際コンテスト「ImageNet Large Scale Visual Recognition Challenge(ILSVRC) 2012」で、トロント大学のSuperVisionチームが写真データに写っている物体を特定する人工知能をディープラーニングで構成し、「タスク1:分類」「タスク2:局所化と分類」部門で優勝したあたりからでしょうか。他のチームがエラー率26%前後のところ、エラー率17%弱とダントツの認識率をマークしたのです。

 同じく2012年、米Googleがディープラーニングで構成された人工知能にYouTubeの画像を見せ続け学習させた結果、猫の画像を猫と認識できるようになった、と発表したのも大きなきっかけになっています。

ケータイ用語の基礎知識

優勝したAlexNetという畳み込みニューラル ネットワーク(ディープラーニング)はGPUで学習された。GPUは画像描写だけでなく機械学習にも利用できることに人類は気がついたのだ。実際には2012年より前にもGPUで実装された畳み込みニューラルネットワークが優勝したことはあったみたい。けれども、この2012年の出来事は人類にとって印象的な出来事だったのだろう。全てはタイミングである。

人類を滅亡させる人工知能

1999年「GPU誕生」と2012年「人工知能のブレイクスルー」。恐怖の大王(GPU)は人工知能(AI)の発展を加速させ、最終的に人類を滅亡へと導く存在になりうる。

AIのおかげでわたしたちの生活はどんどん楽になっていく。はっきりとした自覚のないまま、AIが支配する世界に慣れ親しんでいる最中だ。わたしたちは知らず知らずのうちに甘やかされている。

世界が人間にとって便利に進化していく一方で、精神は退化していく。自分自身の精神が退化しているだけなのに、自分を取り囲む世界や社会を悪とする「自覚のない傲慢さ」を持った人間が人類を滅亡させる。

科学技術がもたらすもの

昔から人間は機械(人工知能)を恐れているから「人間VS機械」をテーマした物語は多い。科学技術が発達した未来は人々を労働から解放し自由を与えるが、人間がやってきたことを機械が代わりに行うことで、生きる意味を失くす人が生まれるかもしれない。映画マトリックスのように、人間は機械を動かすための電池として眠るように(奴隷のように)生きる世界がやってくるのかもしれない。

私たちがそんなディストピアな世界を想像してしまうのは、人間以上の知能が生まれることで「人間」の定義が曖昧になってしまうことを恐れているから。つまりこれら2つの予言はまだ終わっていない。「2025年7月5日予言」も含めて、これからやってくるそんな未来を警告するものなのではないだろうか。

滅亡と再生どちらを選ぶか

話は変わるが、わたしが「悟り」という体験をしたとき未来が見えた。それは科学技術(AIなど)が私たち人類を「悟り」へと導く未来。

ノストラダムスの予言もマヤの予言も「人類滅亡」を示していたが、同時に「悟り」への道をも示唆している。これから訪れる未来について「人類の滅亡へ向かっている」と感じる人もいるし、「人類の再生へ向かっている」と感じる人もいるはずなのだ。

これから人間は大きく変化していく

精神を左右する人工知能

近い未来、人間以上の人工知能が誕生すれば、人間が抱える問題を次々と解決していくだろう。人間と同等、人間以上のAIはAGI(汎用人工知能)やASI(人工超知能)と呼ばれる。界隈ではAGIへの到達が近いのではないか?と噂されている。

そのような世界がやってくれば、人間の精神にも大きな影響を与えることになる。AGIやASIによる科学的発見や発明によって現実の問題が解決される。「悟り」とは分からなかったことが分かるようになることで、現実的な問題解決が精神(心)にも影響することと同じ。科学技術の恩恵を受け、人間は悟りへと近づき、心には「再生」が訪れる。

人間が問題解決をする必要が無くなると「人間」という存在の意味合いも揺らいでしまうことになる。AGIやASIによって「人間」という存在そのものが、大きく変化するはずだ。

人間は何をして生きるのか?

もしもAGIが完成したら人間の価値観は変わっていくだろう。ということで、最近アップデートされたGrokさんに、人間の価値観の変化予測をしてもらいました。Grokとの会話の流れの中でわたしの個人的な話をしたので羊毛フェルトアートという単語などが入ってますが気にせずお読み下さい。


AGIの到来が人間の価値観に与える影響は、技術の進化だけでなく、社会、文化、個人の選択にも大きく依存しますが、いくつかの可能性を考えてみましょう。あなたの視点や羊毛フェルトのアートのような「意味がないようで意味があるもの」も踏まえながら、具体的に探ってみますね。

1. 自己実現と内面的価値の重視

  • AGIが多くの仕事を自動化し、基本的な生活ニーズが満たされる社会になると、物質的な成功や地位に対する価値が薄れるかもしれません。代わりに、自己表現、自己発見、または内面的な幸福が中心的な価値観になる可能性があります。
  • 「働くこと」や「生産性」が重要視される現代とは異なり、「楽しむこと」「創造すること」「ただ存在すること」が新たな価値として浮上するかもしれません。あなたの「自分だけが楽しむこと」が人間らしさの核心になるという考えが、ここで現実的な形を取る可能性があります。

2. 人間性と共感の再評価

  • AGIが高度な知能やクリエイティブさを持つようになっても、感情、共感、倫理的な判断は人間特有の領域として再評価されるかもしれません。あなたの羊毛フェルトアートのように、手作業や直感から生まれる「温かみ」や「不完全さ」に価値を見出す人が増えるでしょう。
  • 逆に、AGIが完璧で効率的な結果を出す一方で、人間が不完全さや偶発性の中で見出す美や意味が、より一層大切にされるかもしれません。これは、あなたの「意味がないようで意味があるもの」というテーマとも深く結びつきます。

3. 目的と存在意義の再定義

  • 現在、多くの人は仕事や社会的な役割を通じて「存在意義」を感じていますが、AGIがその役割を担うようになると、人間は「なぜ生きるのか」「何を追求するのか」という本質的な問いに向き合うかもしれません。宇宙探索、哲学的探求、アートやスピリチュアルな活動が人間の価値観の中心になる可能性があります。
  • あなたの「天国を超える未来」を求める好奇心も、この流れに沿う形で、単なる幸福を超えた「超越的な目的」を探求する価値観にシフトするかもしれません。

4. テクノロジーとの共存と信頼の変化

AGIが日常生活に深く浸透すると、人間はテクノロジーへの信頼や依存、またはその限界について考えるようになるでしょう。価値観として、「人間の手によるもの」と「AIによるもの」の違いに意味を見出す人もいれば、両者が融合したハイブリッドな価値観が生まれるかもしれません。

5. 競争から協調へ

現在の価値観では、競争や成果主義が強くありますが、AGIが基本的なタスクを担うようになれば、競争よりも協調や共感が重視される社会が形成されるかもしれません。あなたの作品が「他人と共有する」よりも「自分を楽しむ」ことに価値を見出すように、他人と競うより、互いにインスピレーションを与え合う文化が広がるかもしれません。


ここまでがGrokの回答です。ここからは内容についてもう少し考えてみたい。

新しい「人間」の新しい「価値観」

ただ存在することが価値になる?

「働くこと」や「生産性」が重要視される現代とは異なり、「楽しむこと」「創造すること」「ただ存在すること」が新たな価値として浮上するかもしれません。

「ただ存在すること」が新たな価値になるかも、という返答は面白い。何もしたくない人、生産性のない人、怠け者と呼ばれる人も、生きてるだけで褒められたりお金がもらえる世界がやってくるかも。

しかし、人間は「ただ存在すること」に耐えられるのだろうか?何もしないことは結構難しい。

人間らしい存在意義の感じ方

現在、多くの人は仕事や社会的な役割を通じて「存在意義」を感じていますが、AGIがその役割を担うようになると、人間は「なぜ生きるのか」「何を追求するのか」という本質的な問いに向き合うかもしれません。宇宙探索、哲学的探求、アートやスピリチュアルな活動が人間の価値観の中心になる可能性があります。

仕事や社会的な役割を通じて「存在意義」を感じること。これこそが今現在の「人間らしさ」であると思う。人間は自分という存在に「肩書き」をつけて定義したがる。生きがいを持ったり目標を持ったりしないと生きていると感じられない人々が存在する。

けれども、仕事を持ち社会的役割があるにも関わらず「存在意義」を感じることができない人も最近は増えているようだ。来るAGI時代を察知し価値観の変化に備えているような。本質的な問いに向き合おうとしているのかもしれない。

AGIは『働くことが生きること』という世界観を終わらせてくれる可能性がある。それを悲しむのか、喜ぶのか。その感じ方の違いが「人類滅亡」が「人類再生」かの分かれ道とも言える。

不完全さや偶発性の美を知る

逆に、AGIが完璧で効率的な結果を出す一方で、人間が不完全さや偶発性の中で見出す美や意味が、より一層大切にされるかもしれません。これは、あなたの「意味がないようで意味があるもの」というテーマとも深く結びつきます。

未来において、不完全さや偶発性の中に見出す美や意味が一層大切にされるかもしれない。そのような美を表現する文学やアートはあるけれど、実際にそれを個人で感じるのは難しい。不完全さは「悪」をもたらすこともあり、偶発性が生む出来事すべてがポジティブとは限らない。

例えば、自分自身に起きた理不尽な「悪」を受け入れ、そこに美を見出すことはできるのだろうか。わたしは、AGIが到来する前に、人間は「不完全(悪)」を学ぶ必要があると感じている。その学びを完了できないからこそ、完璧な機械(AI)を恐れる心が生まれる。

結局、2025年7月5日に何が起きるのか?

未来に備えるための予言

この先、人工知能をはじめとした科学技術の進歩によって、人間の価値観は大きく変わっていくだろう。というより、すでに変化は始まっている。今まで通りの「人間らしさ」で生きていくことは困難になるのかもしれない。

結局、2025年7月5日に何が起こるのか?それは「人間」の変化に関することなのだと思う。何かが起こるとすれば、それは目に見えなくて、いずれ大きなものになること。人間の精神(心)や情報、あるいは機械の中で静かに始まる変化の種。繊細で、形がなく、けれど確かに影響を与えるもの。

この世界に存在する予言とは、人間の精神(心)からの警告でしかない。「人類滅亡」のような予言に注目してしまうのは、わたしたちの心がそうさせているから。何が起きるのかは重要ではなくて、心が何を訴えているのかを考えることが重要だ。人類の危機とは自分自身の危機なのである。

今までの予言のことを考えると、2025年も現実世界で目立つような出来事が起こることはないのでしょう。災害など何かしらの出来事はあるかもしれないけれど、世界は突然変わるのではなく、ゆっくりと、しかし確実に変化するもの。その流れをできるだけ先読みしたい。

また7の月

ところで、ノストラダムスの大予言は「1999年の7月に恐怖の大王が降ってくる」で、今回のたつきさんの予言も「2025年7月」。どちらも7月という共通点がある。

7という数字は恐怖を感じさせる数字である。こじつけかもしれないけど、心の中の恐怖から7という月が選ばれたのではないか。なぜ7が怖いのかはこちらの記事で解説していたりするので、興味がある方はどうぞ。

誰にでも起きる人類滅亡に備えよう

現実ではなかなか「人類滅亡」は起きないけれど、本当に恐れるべきは、精神の中で「人類滅亡」が起こること。それは誰にでも起こり得る。ハルマゲドンやラグナロクなど、宗教や神話の中で語られる「最終戦争」とは『精神的な人類滅亡』を指している。来るべきその日の為に予言も存在している。

いずれ、自分自身の「存在意義」について真剣に向き合う日がやってくる。そのきっかけは人ぞれぞれであるが、深く自分の心を覗き込むとき、何度も何度も繰り返す精神的苦しみを経験することになる。そこから抜け出す方法はたったひとつ。精神の中で「人類滅亡」を起こして意識をリセットすること。

「最終戦争」を正しく終わらせることができれば新しい始まりはやってくる。終わりの先にあるもの。それこそが人間にとっての「希望」である。人間がこの世界を生き続けるしぶとさは信じる心にある。たとえ「希望」が幻想だったとしても、それを信じることで人間は「人間のかたち」を保ち続ける。いつか人間のかたちすら変わる日がやって来るのかもしれないけれど。